女神伝説第2部:ユリウス・カエサル

 数日後にシノブ部長から食事に誘われました。シノブ部長も目覚めるキッカケさえあればラテン語がわかるはずですが、現時点では無理なようです。つまりはあのガイウスと呼ばれる男とコトリ部長の会話の内容がわからないので聞かせて欲しいってところです。

    「シノブ部長、願掛けカクテルって何か知っていますか?」
    「私もチラッと聞いたことがあるだけだけど」
 願掛けカクテルはコトリ部長と加納志織さんが山本先生を争った時に出て来たものだそうです。もう少し正確には、コトリ部長に再会する前に彼女不在が長かった山本先生が、結婚しても良いほど素敵な彼女が出来たら乾杯するとバーのマスターと願掛けしたものだそうです。山本先生が願掛けに選んだのはチェリー・ブロッサムで、シノブ部長が知る限りでは、コトリ部長が告白した時と、山本先生がプロポーズした時に二回は乾杯しているはずだと言うことです。
    「加納さんの時は?」
    「たぶん乾杯してると思うから合計三回かな」
 つまりは願掛けカクテルとは恋愛成就のためのカクテルになります。
    「それをあの夜にわざわざ願掛けカクテルを作ったということは」
    「そうなのよねぇ、コトリ先輩はガチとしか思えない」
 相手についてもガイウスの名から思い浮かぶ人物はやはり同じでした。
    「やはりあの男はカエサルしか考えられないのよ」
    「シノブ部長も、やはりそう思われますか」
 少しだけスノブな知識になりますが、カエサルのことをユリウス・カエサルと良く呼びますし、シェークスピアの戯曲でもジュリアス・シーザーになっているので、カエサルが苗字、ユリウスが名前と勘違いされている方もおられます。

 実はそうでなくて、ユリウスもカエサルも苗字なのです。ユリウスが一門名、カエサルが家族名になります。日本語で置き換えると、日本の苗字は遡れば、ほぼ全員が源平藤橘のいずれかの流れを建前上は汲みますから、源平藤橘が一門名になります。ただ普段使うのは田中とか佐藤になり、これが家族名になります。ユリウス・カエサルとはユリアヌス一門のカエサル家ぐらいと読めば良いと思います。カエサルの名前はガイウス。古代ローマではポピュラーな名前ですが、現在では殆ど使われていないはずです。

    「シノブ部長、あのお二人の会話からするとカエサルも武神で良いようです」
    「そうなるでしょうねぇ、そうじゃなきゃ、亡くなってから二千年後にコトリ部長とあれだけ親しげにラテン語で話すわけないものね」
    「同じ武神でも魔王の時とはエライ違いです」
 ここで古代エレギオン王国滅亡の時にコトリ部長がカエサルに魅かれただけでなく、ウキウキしながら抱かれた話をしたのですが、
    「もう、間違いないわ。コトリ先輩はカエサルにゾッコンよ」
    「他にもう考えようがないですものね」
 カエサルならコトリ部長に申し分のない男性というか相手なのですが、現在のカエサルはアッバス財閥の関係者であり、コトリ部長をアッバス財閥に引き抜く話もセットになっている点が気にかかります。
    「コトリ部長はクレイエールを辞めちゃうんでしょうか」
    「ミサキちゃんからの話を聞いた限りでは、カエサルはコトリ先輩を女としてだけでなく、人物として高く評価しているとしか感じられないの。つまりは仕事上のパートナーとしたいのなら、クレイエールを辞めざるを得なくなると思うのよ」
    「カエサルがアッバス財閥でどんな地位にいて、どんな仕事を任せられているかは不明ですが、クレイエールよりスケールの大きな仕事をやっているのは間違いでしょうし、仕事の内容的には魅力的な気がします」
    「まあ、そうよね。うちの会社もそこそこ大きいけど、アッバス財閥に較べたら月とスッポンですものね。コトリ先輩の能力を本当に活かすにはアッバス財閥に行く方が本当は良いのかもしれないね」
 コトリ部長がクレイエールを辞められると寂しくなりますが、愛する人と一緒に世界を動かすような大仕事をされるのなら、そちらの方がコトリ部長には幸せな気がします。そりゃ、カエサルと知恵の女神のコンビなら最強でしょう。でも気になることが、
    「まさかと思いますが、全部カエサルの謀略で、コトリ部長を引き抜いた上で弱体化したクレイエールを潰し、マルコを引き抜く可能性はどうでしょうか」
    「ミサキちゃん、カエサルは単純な男じゃないのよ。一つの事を行う時に、複数の目的とか狙いを持ってるなんて朝飯前なの。男として、パートナーとしてコトリ先輩が欲しいのも本音、マルコ氏を引き抜くのも本音ってのも十分あり得るわ」
    「じゃあ、最悪のケースとしてカエサルにメロメロにされたコトリ部長が、クレイエールの敵に回る可能性さえあるってことですか」
    「ゼロじゃないわ」
 ラ・ボーテからの一連の騒動は、クレイエールからマルコを引き抜くのが狙いの一つであったのは、カエサルとコトリ部長の会話から明らかです。
    「シノブ部長、マルコが引き抜かれたらミサキはどうなっちゃうんですか」
    「わかんないけど、最悪ミサキちゃんは日本に置き去りにされて、マルコはアラブで新しい妻をあてがわれる可能性はあるわ。そうでなくとも、日本とはオサラバで、アラブのどっかの国で暮らすことになりそう。そうなると二度と日本の土は踏めないかもしれない」
    「どっちもヤダ」
 あのときにカエサルは、
    『基本的に手を引く』
 こうは言ってはいましたが、あくまでも『基本的』にであり『完全』とは言いませんでした。この言葉の裏を考えると、コトリ部長が防備を固めているクレイエールには手を出さないとも解釈できます。さらに考えるとカエサルほどの男が失敗したままアッサリ諦めるかがあります。

 とりあえずカエサルが日本に来た目的はラ・ボーテというか、魔王を使っての工作の失敗の原因の調査の気がします。そこでわかったのは魔王の死ではないでしょうか。失敗の原因が魔王の死であることがわかれば、同時に日本にも魔王を殺せる神がいると結論するのは容易だと考えられます。

 そして見つけたのが知恵の女神であるコトリ部長であり、魔王に代わる新たなパートナーとして白羽の矢を立てたと見る方が自然です。カエサルがコトリ部長を欲しいのは間違いありませんが、コトリ部長がいなくなったクレイエールから、行きがけの駄賃のようにマルコもさらっていくのも考えてもおかしくありません。

    「コトリ部長がいなくなった時にシノブ部長とミサキの二人でクレイエールを守れるでしょうか」
    「難しい気がするわ。私もミサキちゃんも知恵の女神の力が分けられて出来た女神なのよ。どれほど分け与えられたかわからないけど、たぶん二人合わせてもコトリ部長の力に遥かに及ばないと思うの」
    「ミサキもそう思います」
    「それと二人とも記憶の封印がかかっていて、カエサルがどんな男だったか、古代エレギオン王国の崩壊の時にどう動いたかも知ることはできないの」
 カエサルの力は強大であると見るのが妥当で、当時の首座の女神と次座の女神がいかに知恵を絞り、力を尽くしても国民ごと抹殺されるのを防ぐのが精いっぱいだったことだけはわかります。
    「ミサキちゃんとこはマルコ氏が関連するから深刻よね」
    「そうなんですよ。カエサルの狙いがコトリ部長だけなのか、マルコも相変わらず狙っているのか確かめようがないですし」
    「とりあえず調査課にカエサルのことを調べさせてみるわ」
 この夜は結論の出ないカエサル問題で夜は更けていきました。