第3部後日談編:氷姫とユッキー

 入院中に全部思い出した。覚えているようで、そうでもないのが人間の記憶というけど、まさにそんな感じ。あのユッキーの事でもなんだなぁ。

 ユッキーの高校時代のあだ名は氷姫だったんだけど、氷はその冷たいというか不愛想さから付いたのは間違いない。一方で姫はその美貌から付いてるんだ。これ以上は考えられない整った顔立ちで、古臭い言い方やけど『お人形さんみたい』がピッタリくる感じ。だから笑わん姫君とも呼ばれてたんだ。

 シオも美人やったけど、シオの場合は燦々と輝く夏の太陽ってイメージで、夏の女神様とも呼ばれてた。まあ健康美人って言えば良いかな。ついでにいうとコトリちゃんは春爛漫の中を飛び回る蝶のような可憐さってところ。シオもコトリちゃんも陽のイメージなんだけど、氷姫を真冬の月とも呼ぶのもいた。口の悪い奴はシベリアの月とか、北極の月とも言ってたっけ。

 ココロは綺麗かもしれないが見るには寒すぎる、もしくは物好きしか見れないってところ。完全に陰のイメージ。ごく一部では三大美人と呼ぶ奴もいたけど、陽の二人に較べると陰の氷姫は敬遠され切ってた。

 そりゃ敬遠もされると思う。優等生の上に一切の無駄口を叩かない切り口上、さらにそれに対して有無を言わせない寒々しい雰囲気。それこそ入学以来、笑った顔を見た者がいないとまで言われてた。笑うどころか、感情が表情に出たのを見た者がいないというのもいた。

 感情が出なかったは言い過ぎだと思うが、表情は氷のような無表情の時と、わずかに不機嫌そうな顔だけで、とくに不機嫌そうな顔を見た者はみんな震え上がったんだ。これはクラスメイトだけではなく、教師だってそうだった。そこにあのニコリともしない氷の美貌だったから、そりゃ怖い。みんなが氷姫の目を怖れたんだ。

 氷姫の無表情の理由は友達になってから少しだけ話してくれた。複雑な家庭環境だったみたいで、簡単に言えば継母と上手くいってなかったみたい。それ以外も色々ありそうだったけど、ユッキーも言いたくなさそうだったからあんまり聞けなかった。とにかく寒々とした家だったのは間違いない。

 クラスメイトになったのは二年の時。四月はどこでもそうだけど出席番号順で遠かったのだけど、五月の席替えの時にお隣。そりゃ怖かった。寒々としたオーラが隣に居てもヒシヒシと感じたぐらい。たしかに綺麗ではあったが、噂に聞く氷姫ってこんなに怖いんだと思ったもの。まあ、隣だから朝の挨拶ぐらいするのだけど、あの冷え切った目でジロリと睨まれて震え上がった記憶がある。

 六月はうちの学校の慣例行事でキャンプ。進学校だったから息抜きみたいなものだったけど、とにかく二泊三日のキャンプなんだ。こういう時は班行動になるのだけど、これまた氷姫と同じ。正直なところ堪忍してくれと思ったのを覚えてる。

 キャンプで一番盛り上がるのはスタンツ。漫才をするのだけは決まったのだが、誰がするかでもめたんだ。言いだしっぺだったので一人は私だったのだが、相方を誰にするかでなかなか決まらなかったんだ。そこで、どこでどう話しが転んだのか今でも不明なんだが、仰天したことに決まった相方がなんと氷姫。

 一番可能性が低いというか、あり得ない選択と思ったよ。誰の陰謀かと恨んだもんだ。実は台本も書いてあって、相方は女性を想定してた。これも『たぶん』って相手も想定してたんだ。それが氷姫になってどんだけ困惑したことか。でも決まったものは仕方がないので

    「すみません。スタンツの練習をしたいのですが」
 こう聞いたんだけど怖かった、怖かった。あの冷たい目でジロリをやられたらお手上げだもん。そうしたら、
    「台本見せてくれる。明日までに覚えてくるから」
 冷やかすぎる無表情でこういわれて、おずおずと差し出したのでした。翌日は練習なのですが、これまたいつもの氷の無表情で
    「じゃあ、やるわよ」
 もうちょっと演出上の話もしたかったのですが、氷姫にこういわれて逆らえる人間が校内にいるとは思えません。もちろん私もです。まあ、とりあえず一回やらなければ先に進まないのは間違いありませんから、そこからの話と思って練習スタートです。
    「はぁい、ユッキー様だよ。こら、カズ坊どうしたや、返事せんかい」
 ポカンとなるとはこんな事かと思ったものです。超ハイ・テンションではじけるような表情の氷姫を見て絶句してしまいました。そんな表情を誰も見たことがないのはもちろん、そんな表情が出来るなんて想像できた人間もいなかったと思います。だって、だってあの氷姫ですよ、
    「まだテンション足りない?」
 そこには氷姫はいませんでした。そうなのですユッキー様の誕生です。練習している内に台本も手直ししていったのですが、本番がさらに凄かった。アドリブが次々に出てきて、これがまたバカ受け。後に校内で伝説となった決まり文句、
    「ユッキーと呼んで良いのはカズ坊だけ、カズ坊と呼んで良いのはユッキー様だけよ」
 これもユッキーのアドリブです。そこから仲良くなったと言いたいところですが、漫才が終われば氷姫に逆戻り、もちろん学校に戻ってからもです。とにかくうけた漫才だったので、氷姫のキャラが変わったと思って近づく男子もいましたが、ことごとくあの冷たすぎる目で追っ払っていました。

 みんなは覚え間違いしてるんだけど、次に氷姫がユッキー様になったのは夏休みも終る頃だった。とにかく数学・物理が苦手だった私は、宿題の問題集が解けずに悪戦苦闘してました。なんとかしようと図書館に集まった悪友連中もその点はまさにチョボチョボって有様です。まあ、後で聞いた話ですが、この年の宿題はとくに難度が高く、解けた生徒ほんの一握りだったといわれています。

    「そこの低能馬鹿のカズ坊。こんな便所虫でも解けるアホみたいな問題もわからへんのか」
 氷姫ならぬユッキーの声です。さすがにカチンときかけたのですが、これはあの漫才の一節を使ったものだとピンと来ました。
    「ユッキー様、どうか哀れな便所虫に御恵みを」
    「お前みたいな低能馬鹿になんで恵まにゃならんのだ」
    「ではでは、哀れな子羊にどうか御恵みを」
    「子羊なら丸焼きに決まってるやろ。あれは大好物じゃ」
 パ〜ンと一冊のノートを置いて去っていきました。そこには端整な字で完璧な解答が詳細な解説付きで書かれていました。今から思い出しても、なぜユッキーがあの場にいたのか不明なのですが、助かったのは間違いありません。

 夏休み明けから、私とユッキーの関係が微妙に変化することになります。基本は氷姫なのですが、氷姫に『ユッキー』と呼びかける奴が現れると、

    「ユッキーと呼んで良いのはカズ坊だけ、カズ坊と呼んで良いのはユッキー様だけよ」
 これをユッキーになって言い返し、その後に高らかな女王様笑いをするようになったのです。さすがに恥しかった。そうそう誰かが私をカズ坊と呼んでもそうです。そんなある日
    「カズ坊、おはよう」
 初めて挨拶をもらいました。ただ顔も声も氷姫だったので気味悪かったのは白状しておきます。冷やかす奴もいましたが、氷姫の冷たい目はすべてを封じ込む力が余裕でありました。そこから進級まで奇妙過ぎる関係が続くことになります。普段は氷姫、時折ユッキーとなって絡んでくるのです。三年もクラスメイト、席替えの時に隣りあわせや前後になるのも続き、とりあえず席替えのたびにユッキー・カズ坊の漫才が炸裂します。
    「なんでこのユッキー様につきまとうんや」
    「なにいうてんのや、それはコッチのセリフや。今度こそピチピチのギャルとお近づきになれると思ったのに。この除虫菊女」
    「なにを、このウンコたれ男」
    「寝ションベン女」
 てな感じです。それでも朝の挨拶の調子が氷姫からユッキーに微妙に変わっている感じだけは受けていました。さて三年の勉強はさすがにきつくて、正直なところ落ちこぼれに近いところにいましたが、困った時には必ずユッキーが現れ助けてくれます。勉強以外でもそうです。どこからか必ず現れて、憎まれ口を叩きあった末にきっちり助けてくれました。

 結果的にお世話になっているのは間違いありませんから、誕生日とか、クリスマスにささやかなプレゼントをお礼の意味でしましたが、その場はユッキーで喜んでくれても、翌日には氷姫です。ユッキーが虫垂炎になって入院しときもそんな感じだったかな。

 今から思えば不器用なりに好意を伝えようと懸命だった気がします。あれを好意と受け取るには、私はまだ幼すぎたってところでしょうか。当時は変な友達って感覚だけしかありませんでした。変はかわいそうですが、恋愛感情が生じにくい女友だちってところです。

 でも今度の入院でユッキーのことがはっきり判った気がします。お世話になったというか命の恩人でもあるのですが、ユッキーを幸せにしたいと思う気持ちがどうしようもなくなりました。精一杯のサプライズを仕掛けてみましたが、喜んでくれたみたいです。あんだけ泣いたというか、ユッキーの涙を見たのは初めての気がします。

 それと氷姫でもない、ユッキー様でもない、本当のユッキーを見たのも。いや本当のユッキーはもっと前から知っていた気がするんだ。いや絶対知っていた、他の誰もが知らなくても私はずっとずっと前から知っていたんだと思ってます。