彼女がグラスを傾けているのはジャック・ローズ。カルバドスにライム・ジュース、グレナディン・シロップを入れてシェークしたカクテルです。カルバドスとはリンゴのブランデーのことでアメリカではカルバドスをジャック・ローズと呼んでいたのと、カクテルがバラ色をしているのでこの名前が付いたといわれています。ちょっと赤くなってる彼女の頬にマッチして素敵です。
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「義元のことをもう少し知っておいた方がエエと思うんや」
「うん。義元ってボンボンのバカ殿なんかじゃないもんね」
「もちろんや。信長が主役の時代劇やったら初めの方に出てきて桶狭間で死んでしまうやられ役キャラやけど、たとえば信玄が主役の時代劇なら、信玄も怖れる富強今川の当主やろ」
「そうやもんね」
「今日は今川氏と北条氏の関係を中心に見ていきたいけど、もともとは仲は良かったんや」
「箱根の坂の世界ね」
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「そんで、早雲は一五一九年に亡くなり、早雲が擁立に尽力した今川氏親も一五二六年に亡くなるねんね」
「跡を継いだのは今川は氏輝、北条は氏綱やけど、氏輝在世中もとくに両氏が緊張関係にあったことはないみたいやねん」
「氏綱は駿河より関東に専念していたぐらいかな」
「そんなもんかもしれへん。ここで氏輝が一五三六年に弟の彦五郎とともに急死する。なおかつ氏輝に子はなかった」
「お家騒動の臭いがプンプンするね。たしか氏輝・彦五郎には暗殺説もあったよね」
「その辺ははっきりせえへんけどが、結果的に氏親の三男である栴岳承芳が還俗して義元として家督を継ぐんや」
「そこに反対派が義元の異母兄である玄広恵探を立てて戦ったのが花倉の乱ね」
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「この乱に介入してきたのが氏綱で、一旦は義元を立てて同盟関係の継続を確認したように見えたんやが、義元が甲斐の武田信虎との連携を示すと氏綱が猛反発するんや」
「それって義元外交の失敗?」
「なんとも言えへんけど、花倉の乱に介入した氏綱の態度に不安を感じたとも言われてる。もっとも義元が家督を継いだのが十七歳の時やし、それまで僧侶だったわけやから義元の考えがどれだけ反映されたかはわからへん」
「とりあえず氏綱に対抗するために信虎とも結ぼうとしたわけね」
「そこで起こったのが河東の乱」
「氏綱は富士川以東を占領してしまったんだよね」
「そうやねん。家督騒動の末に当主になったのは弱冠十七歳やから、このまま今川氏が北条氏に滅ぼされてもおかしくなかったと思ってる」
「滅ばなかったのは武田との同盟があったから?」
「結果論でしか言えへんけど、河東の乱がおこったのは義元が家督を継いだ翌年やから、武田との同盟は成功やったかもしれへん」
「ここは凄いのよね。河東の乱というか、北条氏の東駿河占領は義元の十八歳〜二十六歳の間やし、相手は氏綱と氏康やろ」
「そういうこと。氏綱・氏康相手に今川氏の滅亡を防ぎ、ついには外交手腕も発揮して東駿河から北条氏を追い出してしまうんや」
「とりあえず氏康と同盟を結び直した義元は西に進むわけね」
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「信秀との小豆坂合戦もあったみたいやけど、結果だけいうと三十二歳の時には安祥城を奪い三河を支配下に置き、さらに尾張の沓掛・鳴海・大高・笠寺城を手に入れてるんや」
「笠寺城は信長が奪還してるけど、河東の乱を解決してから六年だから目覚ましい成果じゃないの」
「そうだと思う。今川氏といえば『富強』が代名詞やけど、今川氏の富強は義元の代で出現したで良いと思てる」
「私もそう思うわ。とくに外交手腕は凄かったと思うねん。信虎や信玄、氏康を手玉に取っていた気がする」
「ボクもそう思う。ただ義元は北条氏との河東の乱のトラウマは大きかったと思ってんねん」
「そりゃ強烈やったと思う」
「鳴海・大高城を入手してから九年間も西に進まなかったのは北条の脅威のためやったと思てるねん」
「そこに謙信が関東進出。やっと待望の尾張に進めたってことね」
「そういうこと。決して遊びあきて上洛でもしてみようじゃなく、時期をひたすら待ち続けた上での桶狭間だって事やろ」
「そういえば今川の富強と言えば、義元が桶狭間で討ち取られても、あの信玄がすぐには手を出さなかったもんね」
「それぐらい義元の遺産は分厚かったんやと思うねん。それとやけど、義元の対尾張戦やけど、一つ課題を背負っていた気がするんや」
「どんな課題?」
「まあ合戦なんて負けたらアカンのは当たり前やけど、義元の念頭には常に北条があるわけで、冒険は控えて確実に勝とうとしたんじゃないかと想像してるんや」
「そうかもしれへんね」