続々々原因は

「続々々」とするぐらいですから前編があるのですが、

この3つを踏まえた上で、新たな情報を加えて考えてみます。


根本的な原因

根本原因については明瞭で、平成23年6月13日付神奈川県助産師会「平成23年度臨時総会において会員の除名処分を決議した経緯(報告)にあります。

 39歳の初産婦で、近くの産科診療所で健診を受けていたが、助産所での出産を希望し、34週から助産院を受診した。助産院での健診は、34週、37週、38週の3回のみであった。36週の医師健診で「胎児が小さい2298g」と指摘され、自宅で安静にしていた。

39歳の高齢初産婦の分娩を34週から請け負い、さらに36週時点でIUGRの可能性の指摘を受けたにも関らず自宅分娩を行ったことが挙げられると思います。ここも実は、これだけでは助産ガイドライン違反にはなりません。ガイドラインでの助産所の対象者は、

  1. 妊娠経過中継続して管理され、正常に経過しているもの
  2. 単胎、頭位で経腟分娩が可能と判断されたもの
  3. 妊娠中、複数回、嘱託医師あるいは嘱託医療機関の診察を受けたもの
  4. 助産師が分娩可能と判断したもの

この4条件を満たすのが基本です。高齢初産・IUGRについては「産婦人科医と相談の上、協働管理すべき対象者」の中の「異常妊娠経過が予測される妊婦、妊娠中に発症した異常」に分類され、

若年妊娠(16才未満),高年初産(35才以上)子宮内胎児発育遅延が疑われる場合,巨大児が疑われる場合,予定日を超過した場合(妊娠41週以降)

産科と協働管理であれば認められるなっています。この協働管理が行われていなかったのは経緯からして明らかと存じます。


今日の焦点

時刻関係は種々の情報をかき集めた結果、とくに助産師会報告の

 出生後の新生児の呼吸状態が悪く、出生1時間20分後に当該助産師の自家用車にて近くの小児科Aクリニックに搬送した。Aクリニックでは対応しきれず、出生約2時間後に当該助産師の自家用車にてH病院に搬送した。しかし、H病院では人工呼吸管理ができないため、出生約4時間30分後に救急車にてC病院に搬送された。ところが、C病院にて重度の熱傷が判明し、熱傷管理のために出生約10時間後に救急車にてY大学病院に搬送された。

これを参照にすると、

日付 時刻 事柄
5/27 不規則な陣痛があり助産所受診。「まだ大丈夫」と言われ帰宅。
深夜 陣痛が強くなり助産師に連絡
5/28 8:12 助産師立会いの下に出産
9:25 助産師の判断で小児科診療所受診
10:10頃 秦野日赤に搬送。呼吸不全、低体温症の診断
13:50 秦野日赤から市立病院に転送
18:00頃 熱傷が発見され、Y大学病院に転送
6月 右足の小指と薬指、左足の小指を切断


時間経過に注釈をつけておきますが、出生時刻は助産師会報告です。開業小児科到着時刻は琴子の母様のブログに出生から「1時間23分後」と妙に細かい数字があり採用しています。その次の秦野日赤から茅ヶ崎市立病院への転送ですが、助産師会報告では「出生約4時間30分後」となっており、12時40分ぐらいになります。ただ2010.12.21付産経には「28日午後1時50分ごろに人工呼吸管理設備の整った市立病院に救急搬送された」となっています。

12時40分を出発時刻と考えても秦野日赤から茅ヶ崎市立病院まで1時間以上かかっており、そんなにかかるものなのかの疑問はありますが、いちおう産経ソースを採用しています。助産師会報告の方が後でまとめたので正しいの見方もあるのですが、そういう経緯ですので御了解下さい。どっちかが勘違いしているのでしょうが、これ以上のソースを見つけられませんでした。ちなみにY大学病院は横浜市立大学病院です。

さてなんですが、出産時から開業小児科受診までも種々の不手際は考えられますが、ここについてはこれまで分析しましたので置いておきます。今日はこの中で開業小児科受診から、秦野日赤までをもう一度検証してみます。


嘱託医

まず助産所が嘱託医とか連携医療機関が存在していたかどうかです。存在していれば妊婦は助産ガイドラインの「産婦人科医と相談の上、協働管理すべき対象者」に該当するはずですから、密接な連携が必要とされるわけです。調べてみるとありました

嘱託医
桑田医院 産婦人科
連携医療機関
小田原市民病院
茅ヶ崎徳洲会病院

書いてはありますが、これらの医療機関は嘱託医としても、連携医療機関としてもまったく機能していなかった事が確認できます。これも助産師会報告書より

周産期救急システムを利用し、嘱託医療機関の2次救急機能を有するO病院に搬送すべきであったこと

これは最終搬送先の最終搬送先のY大学病院の指摘ですが、「O病院」とは連携医療機関小田原市民病院の事を指すと考えて良いかと存じます。この日は平日の午前中であり、連絡を取るのも容易であったにも関らず、助産師が産婦自宅で粘った挙句に選択したのは、近所の開業小児科医であったのが事実です。またこの選択に嘱託医が加わっていたかどうかのソースは存在しませんが、そういう選択のアドバイスを送る医師は皆無に近いかと存じます。つまりは助産師の独断です。


小児科開業医にて

たぶんうちの診療所と似たり寄ったりの規模の診療所であると推測されますが、そりゃビックリしたと思います。私だって担ぎこまれればビックリします。ここで浮かんでくる疑問は、なぜに次の搬送先が秦野日赤なんであろうかです。平日の9時を回った時間帯ですから、選択先の制限はありません。ここだって常識的に考えれば、助産所の連携医療機関である小田原市民病院なり、茅ヶ崎徳洲会病院が出てくるはずです。

ここで距離と搬送時間の問題は考えられるとは思います。マップで調べた限りですが、開業小児科より秦野日赤までは6.5km。小田原市民病院や茅ヶ崎徳洲会病院まで調べていませんが、絶対距離は近かったと言うのはあるかもしれません。しかしここでも本当に急いでいたのかの疑問が付けられます。助産師会報告より、

AクリニックからH病院に自家用車で搬送

この自家用車は助産師運転であった事が確認されています。急ぐのなら救急車を選択するのが自然です。ここから推理部分になりますが、誰が秦野日赤を次の搬送先に選んだのかです。これも当事者は2人で、

  1. 開業小児科医
  2. 助産
この2人しかいません。ここも常識的には開業小児科医が主導しそうなものですが、それにしては不自然な部分が多々あります。挙げておくと、
  1. なぜに秦野日赤なのか
  2. なぜに救急車を使わなかったのか
さらにの傍証ですがこれも助産師会報告にあるのですが、

新生児の搬送先に対して経緯説明等を行なっておらず、本会の指導を受けてから説明に行っている

と言うのも後述しますが、秦野日赤の対応が不意討ちで混乱に陥ったとしか言い様がない状態にしか見えないのです。到底、搬送要請があり、それなりの準備を行なって受け入れたとするには無理がありすぎると見ます。もう一つここの解釈が微妙なんですが、新生児の搬送先に開業小児科医が含まれているかどうかです。秦野日赤は経緯説明等は受けていないのは確実でしょうが、開業小児科医にも行っていないかもしれないです。

私は助産師の迷走と言える行動には理由がありそうに感じてなりません。どういう事かと言えば、

このために自宅で1時間以上も粘り、次に開業小児科医を選んだです。そして次の秦野日赤も飛び込み受診で放り込んで帰ってしまったではなかったのかです。


秦野日赤の朝日記事

2/7付朝日新聞より、

 医師2人は、保育器を暖めるためにドライヤーを使用。乳児には熱風が直接当たらないよう上を向け、乳児にタオルも巻いていたが、足は体温を測るためにタオルが巻かれていなかった。熱が保育器の中で滞留し、足の指3本を切断するやけどを負わせた疑いがある。

どうにも朝日記者が理解できていないのか、警察発表自体がそうだったのかは不明ですが、額面通りに受け取れない記事です。ちょっと突付いておくと、

    足は体温を測るためにタオルが巻かれていなかった
どこの世界に足で体温を測る医療関係者がいるかと言うところです。測るなら直腸温でしょう。ここについては一部でパルスオキシメーター説を唱える人もいましたが、パルスであっても足を露出させる必要はありません。もしパルス装着のために足を露出させる必要があるのなら、心電モニターが付いている胸部はどうするんだの話になります。いずれもコードだけの問題であり、タオルをわざわざ覆わない理由になりません。
    熱が保育器の中で滞留し、足の指3本を切断するやけど
ここも無茶苦茶不自然です。秦野日赤では呼吸管理が出来ずに次の市立病院に搬送しています。クベース内酸素もしくは酸素ボックスを頭部にかけてのものが思いうかびますが、顔はどうなるんだと言うところです。酸素ボックスのために顔の熱傷は避けられたは不自然でしょう。まさか顔にまでタオルをかけていたとは到底思えません。

またドライヤー使用は記事からあったと判断しても良さそうですが、秦野日赤にいた3時間ほどの間、ずっとタオルを巻いていたのも不自然です。クベース内では新生児は通常オムツ一つにします。そうやっての全身観察が欠かせません。初期保温のためにドライヤーを使ったとしても、延々とそんな状態を続けていたと考えるのは非常に不自然だと言う事です。


朝日記事から取るべき情報は、

    秦野日赤はクベースをドライヤーで温めなければならないほど慌てていた
クベースは通常10分もあれば温まります。開業小児科医を受診した時点で連絡があれば、とにかくクベースを温める処置が取られます。どんな新生児を受け入れるのであってもとにかくクベースを温めておくのが、受け入れ側の準備の一つです。開業小児科医から秦野日赤まで6.5kmはあります。助産師運転の自家用車では、5分やそこらで到着するのは困難とするのが妥当です。

ドライヤーを使って温めたのは、秦野日赤が完全に不意討ちを喰らったためと私は考えます。つまりクベースの準備さえ整っていない状態で、救急外来(24時間救急体制となっています)に飛び込まれ、それこそドタバタ騒ぎでNICUまで担ぎ込まれたんじゃないでしょうか。朝日新聞が描写した情景は、とにもかくにも急いでクベースを温めないといけなくなったがための、非常手段の風景ではなかったかです。10分すら待ってられない切迫した状況です。

そのためかどうかは安易に判断できませんが、朝日記事にある

県警は医師については「生命を救うためにやむを得なかった」とし、嫌疑不十分と考えているという。

ここについては、当初の報道で秦野日赤のドライヤーによる過熱による熱傷と報じられ、また家族もその旨で告訴(告発かな?)した、ないし警察が正式に捜査を始めてしまったが故の送検理由(容疑)と、捜査結果からの「嫌疑不十分」ぐらいに読めてなりません。


助産師の動機を推理する

助産師は高齢初産婦のIUGRの分娩を請け負った時点で、ガイドライン違反を知っていたと見ます。ガイドライン違反であっても無事出産すれば話はそれで終ります。ところが出産したbabyは胎便吸引症候群による呼吸障害を起し、Apgar scoreも助産師カウントで7点です。後はApgarすら取っていません。また助産師記録も不思議なもので出生時体重を記載していません。これはIUGRの事実を伏せたかったんじゃないかとも邪推されます。

とにかく助産師はbabyを医療機関、とくに嘱託医や連携医療機関に知らせたくないがあったと考えます。知られればガイドライン違反が表沙汰になります。それで粘ったのが自宅の1時間余りです。しかし助産師の願いも虚しくbabyは状態は悪化していきます。そこで何故か思いついたのが開業小児科です。そこでなんとかしてくれれば、この件は誰にも知られずに済むぐらいです。

しかし開業小児科では何も出来ません。そこで次善の策として、嘱託医とも、連携医療機関とも関係の薄そうな秦野日赤を選んだんじゃないかです。それも開業小児科医に選択を任せると、連携医療機関に搬送されかねないですから、ひったくるように秦野日赤に向かって走っていったです。そこで事が済めば、事はなんとか隠蔽できるの考え方です。

その傍証として、

    新生児の搬送先に対して経緯説明等を行なっておらず
下手すると名前さえ名乗っていない可能性もあるんじゃないかと思われるぐらいです。一連の行動は自分の第一歩のミスを知られたくないと考えると筋は通ります。もっともあくまでも推理ですし、助産師が起訴されれば明らかになるかもしれません。


助産師側の主張

問題が表面化してからの神奈川県助産師会と助産師の接触経過を再掲します。これも報告からです。

date 経緯
2010.5.31 Y大学病院より助産師会に連絡が入る
2010.6.28 神奈川県助産所部会に初めて出席し、本件の報告を行っているが、その後助産所部会への出席がない
2010.12.16 本部安全対策室長とともに助産院に当該助産師を訪ね、出産当事者夫より示された問題点について確認しようとしたが、途中、助産院の事務担当者(当該助産師の夫)が話し合いを何度も中断し、わずかしか回答が得られなかった
2011.4.19 出産当事者夫より提供された資料を整理し、日本助産師会会長と神奈川助産師会会長の連名で当該助産師に対し「改善勧告通知書」を送付し、当該助産師の見解及び改善策についての回答を求めた。
2011.4.23 当該助産師より「改善勧告通知書の回答」を受け取った。
2011.5.1 当該助産師の「改善勧告通知書の回答」内容に対して、日本助産師会および神奈川県助産師会が合同で分析し、当該助産師が開業助産師として分娩を取り扱うには能力的に十分でない事を相互に確認した。
2011.5.8 日本助産師会会長と神奈川県助産師会会長同席のもと、分娩業務の開業停止か、開業を停止し2年間の指定研修を受けた上での再開許可の選択を勧告した
2011.5.9 当該助産師より2年間の指定研修の回答
2011.5.16 当該助産師よりどちらも選択せず、業務を続けられるように弁護士に依頼したとのFaxが届く
2011.5.23 神奈川県助産師会臨時総会において、当該助産師の除名処分が決議された
2011.5.27 日本助産師会通常総会において、当該助産師の除名処分が決議された


助産師会から報告が入ったのはY大学病院からです。でもって経緯を見る限り、助産師会に助産師が直接主張・釈明をしたのは、
  1. 神奈川県助産所部会
  2. 本部安全対策室長が助産所を直接訪問する
この2回だけとしても良さそうです。読む限り神奈川県助産師会が出席を拒んだわけでなく、助産師が出席を避けたと見る方が妥当です。当事者双方の主張を聞いて裁定を下すのが原則でしょうが、助産師側が出席しないとなれば、被害者家族の主張を中心にまとめざるを得なくなります。常識論からすれば、助産師に主張できる事があれば主張するはずと考えます。

それでも助産師会は経緯を重く見て、

  1. 分娩業務の開業停止
  2. 開業を停止し2年間の指定研修を受けた上での再開許可
こういう選択を勧告しています。これに対し一旦は指定研修を受け入れる旨を返答しながら、一転してすべて拒否でこれまで通りの業務を続けるとFaxで回答しています。ここも助産師会はギルド的組織ではないので、上記の勧告もあくまでも「助産師会に留まって助産業務を行ないたいなら」の条件であり、この結果として除名処分を受けても助産所は続けられます。

結果として指の切断と言うのは知っているはずですから、これに対しての助産師にも民事上の責任がかかってくる事ぐらいは予期したんだろうとは思っています。そうなれば早期から賠償請求に対する法的手段モードに入っていたぐらいは推測できそうな動きです。でもって私が調べる限り助産師側が今回の事件で何か主張していた情報はありませんでした。


熱傷の原因

報道ではドライヤー説が出ていますし、2010年段階の報道ではそれが踊っています。今回の報道でもそうではないかの線で報道が行なわれています。ただこれも琴子の母様のブログに残されている情報ですが、

秦野赤十字病院で男の子に行われた加温処置は適切だったのか?インファントウォーマと呼ばれる器具を使用する事も考えたが別の新生児に使用されていてドライヤーでの加温処置がされた。事故調査委員会の報告書ではいずれの器具でもやけどが生じた原因とするのは考えにくいとしている。

事故調査委員会の報告が絶対とは言いませんが、そこまで酷い熱傷が起こるような事は行われていない可能性の傍証にはなると思っています。実は今回の新たな情報を加えても出て来ていない情報があります。出産から秦野日赤に到着するまで、babyにどんな保温が行われていたのか不明である点です。それを知っているのは助産師と家族です。

秦野日赤到着時の体温は「34.7℃」であったとの情報もあります。これは十分な保温が行われていなかった傍証にはなりますが、何かはしていたであろうです。前にも唱えた湯たんぽ説です。助産師は出生後のbabyの状態が良くない事ぐらいは把握していたはずです。なおかつ今日検証したように他の医療機関に搬送させる事を極力避ける努力を行なっていたとも見れます。

呼吸改善のためにもbabyの保温に努めていてもおかしくありません。それこそタオルで包んでおいて湯たんぽに載せるような保温もあったとしても不思議はないと思います。タオルで包んだ時に出ていたのが足ではなかったかです。極めて断片的なのですが、開業小児科医は受診時に呼吸不全は指摘しても、低体温症を指摘した情報がありません。

これは単に情報として無いだけかもしれませんが、呼吸不全を診断したのなら低体温も絶対に気が付くはずです。これはヒョットして開業小児科医受診時にはそれほどの低体温症はなかったのかもしれません。そりゃ足が熱傷を起すほどの保温をしていれば、それなりに温まっていたとしてもおかしくありません。何が言いたいかですが、呼吸不全だけであったから、秦野日赤への搬送の主導権は助産師が取ったです。それこそ

    それなら私が連絡して手配します
小児科医とは言え、babyのNICUとなると開業医では日常的には縁の無い施設ですから、開業小児科医は主導権を助産師に譲ったんじゃないかです。呼吸不全の程度は重かったとは言え、どうも秦野日赤段階では呼吸器管理まで行わずに済んでいる感じがします。ですから開業小児科医段階ではさらにまだ軽かったです。

ではどこで低体温症が起こったかですが、自宅を出発する時に湯たんぽを置いてきたと言うのはどうでしょうか。1時間もあれば低体温症は起こっても不思議ありません。さらにと言うほどではありませんが、熱傷が発覚したのは3番目の搬送先の市立病院です。秦野日赤では見つからなかったのは、低温熱傷のため症状がはっきりしていなかったはありえます。

ただしこれとて、秦野日赤までに(いや秦野日赤でさえ)何が起こっていたかが殆んど不明のために単なる推理に過ぎません。真相は明らかになるのかなぁ。