維新の会

風土を表す言葉に「○○人」が使われるのはポピュラーな手法です。その中で「関西人」と言うのもよく使われます。非関西人が「関西人」を使う時には殆んどはステレオタイプされた大阪人です。あんな大阪人が本当に実在するかと言えば・・・実在はしますがもちろん全員一律ではありません。それでも全体として、そういう雰囲気があるかと言えば、やはりそれなりにあります。

大阪人の特徴の由縁は、これまでも無数に近い比較文化論で語られています。やはり江戸期の影響の大きいだろうは個人的に同意しています。江戸期の大阪は天下の台所としての経済都市として繁栄しています。江戸期全体は封建時代であり、身分制による秩序社会です。いわゆる士農工商ですが、大阪以外では良い意味でも、悪い意味でも武士の存在が重かったです。

武士とは統治階級ぐらいの意味合いで良いと思いますが、大阪では武士の存在感が他地域に比べて非常に薄かったです。武士統治とは大雑把に言えば、武士の威厳でその他の者を従え統治するぐらいで良いかと思っています。この存在感が軽かったのが大阪人の気風を育てたです。


経済都市の価値観は「儲けているか」に置かれます。そういう価値基準の中で儲けていない統治階級の武士の重みは非常に軽かったです。では大阪人が銭の亡者かと言えばチト違う気がします。銭儲けのために守銭奴でありすぎるのも宜しくないはあります。銭儲けのために守銭奴になる反動か、別の価値観に理想を見ていた気がします。

どう言ったら良いのでしょうか、守銭奴的生活はある意味殺風景なものです。殺風景な生活の渇きを癒すために「おもろい奴」の評価が異様に高い感じです。ここで「おもろい奴」にも条件があって、銭の無いおもろい奴は評価されません。ですから江戸期には幕府領であり、バクチも盛んだったのに大きな博徒は現れていません。純粋の遊び人のおもろい奴は成立しないです。


関西人、大阪人と言っても、これだけ人が自由に移動を行い、さらに高度な情報化社会になっていますから、基本的に他地域との差はたぶん僅かです。それでも気風は確実に残っている部分はあります。選挙が特徴的で、タレント候補が異様に強いです。それこそ落下傘的なタレント候補が出馬すると勝ってしまうがあります。

あれは大阪人の「おもろい奴」好みが濃厚に出ていると思います。タレント候補の有利さは知名度ですが、他地域ではしばしば知名度が逆に作用します。いわゆる芸能人批判にさらされるです。大阪だって出るのですが、批判以上に支持の傾向が強く出ると言えば良いのでしょうか。思い出して欲しいのですが、前大阪市長は元人気アナウンサーです。これを破ったのは元テレビ芸人です。こんな事が起こる土地はそうそうないです。


さて大阪人が愛する「おもろい奴」ですが、「おもろい」は無能を意味していません。はっきり言って有能を意味しています。有能では判り難いと思いますから異能と言えば理解しやすいと思います。「おもろさ」とは異能であり、常人の発想を超えた物を指し、その異能振りが面白味になる事です。

「おもろい奴」基準で支持されても、やってみれば無能であれば支持は速やかに失いますし、有能であっても異能の面白味が感じられなければ「つまらん奴」に評価は変わります。前大阪市長も有能ではあったと思いますが、現市長に較べると異能による面白味に欠けたのが、あの選挙の勝敗を分けたんじゃないかと個人的に思っています。


こういう大阪人の特徴は多かれ少なかれ関西人気質してあるにはあります。ただ濃淡の差は大きく、もっとも濃いのが大阪で、他の関西地域では相対的に薄くなります。ここで「さらに」があります。あんまり良く知らないのですが、首都圏では東京が圧倒的な求心力を持つとされます。関西圏でも大阪の存在は大きく、東京同様の求心力を持ちそうなものですが、関西人はそうは思っていません。むしろ大阪に対する反発の方が強いと言うのが確実にあります。

関西で、とくに政治分野で大阪の発言権が大きくなるとそれだけで反発が自然に醸成されます。これは政治・経済分野での大阪の進出を怖がる・嫌がるとはちょっとニュアンスが違うと思っています。もっと生理的な反応で、大阪人が上に立つのを無条件に嫌悪するです。大阪以外の関西人にとって、大阪とは「よそ」であり、「うち」に手を出されるのに自然に反発するです。


これも関西の気風ですが、お上の支配を基本的に嫌がるがあります。お上の存在は基本的に鬱陶しいです。お上は一般的には国家を指しますが、実のところ国家に限らず行政を指すと思っています。行政が統制的に上から口を出すのを非常に嫌がるです。つまりどこまで行っても、「オレらの政府」みたいな一体感を持てないです。

これは大阪とて例外でなく、むしろ大阪が一番濃厚かもしれません。「おもろい奴」の異能振りには拍手喝采を送っても、あくまでも面白いところにのみ価値があり、「つまらん奴」どころか「えらそうな奴」に変化すれば嫌がるです。


私が感じてきた関西人気質が今でもそうであるかどうかは不明です。時代の流れは早く、すっかり変わっているかもしれません。結果は1年経たないうちに見ることが出来るのだけは確かですから、興味深く見守っておきます。