「助産婦石村」としていますが、これは石村あさ子氏を貶めているわけではなく、石村氏が経営する助産所の屋号ですから誤解無い様にお願いします。琴子の母様事件で最大の問題と考えているのは、石村あさ子氏が書いた「神霊教によって救われた人々」の中の「奇蹟によって安産と家庭円満」の記事の中の年月関係です。現在この記事には訂正によるバージョンが3種類確認されています。
琴子の母様が引用したのは7/5バージョンであるのは前に検証した通りです。この中の年月関係は、これだけでは雲をつかむような話になるのですが、同じく石村氏が書いた神霊教HPの「奇蹟の体験者たち」の、
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2008.8.1付助産師として地域に貢献(魚拓)
私は10年間で500ほどの家庭出産を手がけていますが、逆子だったり、妊婦さんが肝炎を患っていたりと、色々なケースに出合います。
これまではこの程度の情報で考えていました。そうしているうちに、tadano-ry様、あ〜る様より追加情報が寄せられ、もう少し精度の高い分析が可能になりました。順番にやっていきます。
ここについては
- 奇蹟によって安産と家庭円満:現在より「15年位前」
- 助産師として地域に貢献:2008年8月1日記事で「私は10年間で」
(5)肝炎妊婦の出産取扱い
(6)宗教的信念の過剰
http://srkblog.info/archives/219846.html
>私は10年間で500ほどの家庭出産を手がけていますが、逆子だったり、
>妊婦さんが肝炎を患っていたりと、色々なケースに出合います。
>普通は怖くて難しい家庭出産ですが、神霊教の神様に守られているから
>こそできるのです。神霊教で家族の大切さを実感した私は、
>家庭出産だけを扱おうと決めています。欲を言えば、
>神霊教の理想的な自然分娩による無痛安産をしてほしいのですが。とりわけ(5)は、貴会助産業務GLにて、助産院で取り扱わないことになっていたと記憶します。末端の一部不心得者が危険行為を犯しているのではありません。貴会幹部が堂々とそれを表明している。医療者として不道徳且つ危険なことだと私は考えます。
良ければリンク先を確認してもらえればと思うのですが、nichioka様が質問のために引用したURLは2つで、
- http://ameblo.jp/soncuba/entry-10814445698.html・・・Son de Cubaのブログ「助産婦石村あさ子」
- http://srkblog.info/archives/219846.html・・・神霊教HPの「奇蹟の体験者たち」の「助産師として地域に貢献」
インターネット上の投稿で、私が扱ったE抗原(+)の妊婦さんの件が取り上げられていると聞きました。
エントリータイトルからして「E抗原(+)の妊婦さんの取り扱いの件」なんですが、nichioka様は「助産師として地域に貢献」しか引用していませんから、質問メイルにある情報は「肝炎」だけです。それなのに石村氏はより詳細になんの前置きもなく「E抗原(+)の妊婦」としております。もう1ヵ所ですが、
かなり前(15年位前だと思います。)の件です。
これも「助産婦として地域に貢献」では2008.8.1時点で「私は10年間」としているのですが、これまた何の説明も無しに「15年位前」と年月を書き記しています。もう少し傍証を見てみます。「奇蹟によって安産と家庭円満」に7/5バージョンから登場する「編集部より」との関連性です。
5/21付楽しい育児はお産から。 | 7/5バージョン奇蹟によって安産と家庭円満 |
かなり前(15年位前だと思います。)の件です。 | 今から15年位前のことで |
当助産所も、当時から二次救急指定病院と連携しており、又、当時はオープンシステム(分娩は病院で行い、これに立ち合って補助すること)も行っておりました。 | 連携病院にてオープンシステムの下で分娩介助(医師立会い・病院助産師の間接介助の下に行った)をされた事例です。 |
私と病院に対して、私の立ち合いを強く希望され、私は病院から依頼を受けて、その病院において、医師主導の下、私が分娩介助を行ったもの | これは病院サイドからの要望により |
非常に類似している事がわかります。ここで判る事は、
- 石村氏は肝炎分娩と聞いて思い浮かんだのは1例だけである。
- なおかつ「助産師として地域に貢献」の内容への質問であるのに「奇蹟によって安産と家庭円満」へのものと勘違いしている。
石村氏自らのブログ及び「奇蹟によって安産と家庭円満」では「15年位前」ですから1997年頃になります。もう一つの「助産師として地域に貢献」では「私が10年間」となっています。ここで「助産師として地域に貢献」の肝炎妊婦のエピソードを10年前と仮定すると1998年になります。年月的にもほぼ同じなります。それともう一つ私が欲しかった情報が石村氏自らのブログにありました。
平成9年に助産所を開設
石村氏が助産所を開設したのは1997年であったと確認できます。そうなれば肝炎分娩のエピソードは石村氏が助産所を開業して早々に請け負った事例と見れそうな気がします。この開業早々の意味が15年であり、10年と言う表現になったと考えても良さそうです。開業当初のエピソードであるなら、そりゃ思い入れも強そうだと考えます。
もう一つ7/5バージョンの中途半端な訂正の原因も分かります。石村氏はnichioka様の質問メイルのみを意識していたため、訂正ポイントは、
これもリンク先を確認して欲しいのですが、それしか書いてありません。この2つの訂正のみに終始したため、ある重要なポイントが抜け落ちる事になります。ここで次につなげたいポイントは、ここが重要なところは連携病院の存在です。5/21の石村氏自らのブログでは、15年位前から切れ目なく病院と連携しているとしている事です。連携病院の件について注意を払っていなかった証拠は7/5バージョンまで残っています。
はじめは病院の指示を受けていたのですけど、開業してから5年たって病院からの連携も離れました。だから言うんです、病院に頼らなくてもいいお産ができますよって。
この一文は7/8バージョンでバッサリ削除されております。削除された原因は琴子の母様がこの部分を引用したためと私は考えています。この記述は石村氏自らのブログの記述と明らかに矛盾します。どうも舞台裏は、5/12のnichioka様の質問メイルに対応して一件落着と思っていたのが、新たな火種が見つかって慌ててのように考えています。
それとこの点はnichioka様の指摘点より明らかに痛い点であったとも受け取れます。痛すぎるために過剰反応が起こり、琴子の母様事件にまで発展したの推理です。ただし本当に痛かったかどうかは検証が必要です。そういでないと根拠なき批判による誹謗中傷・名誉毀損のとして私がブログ閉鎖の憂き目に会うかもしれません。
非常に手間なんですが、検証してみます。ソースは助産婦石村のHPです。ここは実は2ヶ所あり、
以前のものは今ではどこのページなのか分からなくなっていますが、これの過去分を遡る事が可能です。もっとも古くて確認できる分は2001年3月31日です。そこから連携病院、嘱託医の情報をかき集めて見ます。Date | 嘱託医 | 嘱託医療機関 | 提携病院 | 受診クリニック | 紹介先医療センター |
2001.3.31 | 記載なし | 記載なし | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 | 記載なし | 記載なし |
東京都立墨東病院 | |||||
2001.8.16 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 |
2001.12.5 | 記載なし | 記載なし | ホームケアクリニック川越 | 記載なし | 記載なし |
社会福祉法人賛育会 賛育会病院 | |||||
東京都立墨東病院 | |||||
日赤医療センター | |||||
2004.4.2 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 |
2004.6.7 | 記載なし | 記載なし | 記載なし | ホームケアクリニック川越 | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
東京都立墨東病院 | |||||
永田医院 | 日赤医療センター | ||||
その他 | |||||
2005.5.5 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 |
2006.11.7 | 記載なし | 記載なし | 記載なし | ホームケアクリニック川越 | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
日赤医療センター | |||||
永田医院 | その他 | ||||
2006.11.29 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 |
2008.4.7 | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 永田医院 | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
日赤医療センター | |||||
池下レディースチャイルド・クリニック | 東京都立墨東病院 | ||||
順天堂大学附属順天堂浦安病院 | |||||
池下レディースクリニック東雲 | その他 | ||||
2008.6.13 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 |
2009.1.6 | 記載なし | 記載なし | 記載なし | 永田医院 | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
池下レディースチャイルド・クリニック | 日赤医療センター | ||||
池下レディースクリニック東雲 | 東京都立墨東病院 | ||||
深川安江クリニック | その他 | ||||
2009.2.17 | 同上 | 同上 | 同上 | 同上 | |
Date | 嘱託医 | 嘱託医療機関 | 連携医療機関 | その他の 受診クリニック 医療機関 |
紹介先医療センター |
2010.6.27 | 佐々木純一 | 池下レディースチャイルド・クリニック | 池下レディースクリニック | 深川安江クリニック | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
永田医院 | 日赤医療センター | ||||
総合守屋第一病院 | 東京都立墨東病院 | ||||
その他 | |||||
2012.8.11 | 記載なし | 池下レディースチャイルド・クリニック | 池下レディースクリニック東雲 | 深川安江クリニック | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
日赤医療センター | |||||
永田医院 | 東京都立墨東病院 | ||||
その他 |
「同上」としている分は、間にたくさんあるのですが、変更前の直近のものだけ示しています。
助産婦石村HPの表記だけで言えば、
- 2004.4.2までは提携病院はある。
- 2004.6.7より2009.2.17までは提携病院、連携医療機関ともなし
- 2101.6.27に嘱託医、嘱託医療機関、連携医療機関が初めて現れる
- 2012.8.11時点では嘱託医療機関はあっても嘱託医は見られない
嘱託医 佐々木純一先生
こうなっています。たまごママネットの情報がどれだけの精度なのか不明ですが、現在でも佐々木純一先生である可能性は高いと考えられます。そいでもって佐々木先生は守屋総合第一病院の院長代理を勤められています。また2008年時点でも嘱託医であったのは前に検証した通りですが、どうも嘱託医の名前をHPに出すのはあまりお好みでないようです。
問題はとりあえず連携病院なのですが、提携病院を連携病院と見なしても、2004.6.7から提携病院の表現が無くなり、その代わりに「受診クリニック」と「紹介先医療センター」に変わっています。このうち紹介先医療センターには「その他」と言う表現があり、「その他」が連携病院のはずがありません。そうなると受診クリニックが連携病院になるかどうかです。
2009.2.17 → 2010.6.27時点が注目されるのですが、ここだけ表にして見ます。
2009.2.17 | → | 2010.6.27 | ||
受診クリニック | 池下レディスチャイルド・クリニック | → | 嘱託医療機関 | 池下レディスチャイルド・クリニック |
池下レディースクリニック東雲 | → | 連携医療機関 | 池下レディースクリニック東雲 | |
永田医院 | → | その他の受診クリニック 医療機関 |
永田医院 | |
深川安江クリニック | → | 深川安江クリニック |
2009年時点まで同格で同じカテゴリーにあった4つの医療機関が、翌年には3つに分かれています。連携医療機関にしろ、嘱託医療機関にしろ、初めて表示されたのは2010年時点になります。2009年時点まで同格扱いであったものが変わった理由はなんであろうかです。変わっても構わないのですが、2009年以前の「受診クリニック」の中に連携医療機関があったとしたらどれであったかです。
ここで「さらに」が加わります。石村氏自らのブログに書いてある、
ここの「当時」とは「15年位前」の事で1997年頃を指します。2004.6.7〜2006.11.29までの「受診クリニック」はホームケアクリニック川越と永田医院です。当時の事は確認できませんが、現在のホームケアクリニック川越は在宅支援診療所であり、一般外来に内科・婦人科はあっても入院設備はありません。このクリニックが当時は二次救急指定病院だったんでしょうか。永田医院の特定が難しいのですが、江東区にそれらしいのがありますが、ここも2004年当時は病院であり二次救急指定病院なのかの疑問は残ります。それを言い出すと現在の嘱託医療機関と連携医療機関もそうです。東京都指定二次救急医療機関一覧があるのですが、残念ながら含まれていないようです。そうなると紹介先医療センターが「連携病院」になるのですが、これも2010時点から連携病院と明らかに区別して表示されており、そのうえ「その他」が含まれます。
まあ、ものは言い様で、当院も決められた連携病院などありませんが、入院が必要になった患者は紹介入院させてもらっています。とくに平日の夕方5時以降であるとか、土曜日は二次救急の輪番病院にお願いするのですが、そういう関係であっても「連携病院」と言うのなら可能です。ただそうであるならば、連携病院が無い助産所自体が存在しない事になります。
これも表を作る時に判明した事ですが、2001.3.31時点の提携病院である社会福祉法人賛育会 賛育会病院について、
当助産所は、この病院の「オープンシステム」を利用しています。
こうであったのが2001.12.5には消えています。助産婦石村の開業は平成9年(1997年)であり、
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開業してから5年たって病院からの連携も離れました
「助産師として地域に貢献」は2008.8.1のものであると確認できていますが、「奇蹟によって安産と家庭円満」はいつ公開されたか不明でした。前に順番として「助産として地域に貢献」が先ではないかの説を唱えましたが、これは違っていました。なんと2007年1月4日まで遡れます。遡れる理由はリンク先URLでお確かめ下さい。正確には2007.1.4の21:54:17にcaptureされています。もちろんその当時から、
はじめは病院の指示を受けていたのですけど、開業してから5年たって病院からの連携も離れました。だから言うんです、病院に頼らなくてもいいお産ができますよって。
これは書かれています。何が言いたいかですが、琴子の母様が読まれた時には、公開されてから既に5年半以上は過ぎているものであったと言う事です。この2007年1月時点は助産婦石村HPから提携病院が消えて既に3年が経った時期です。2012年に書かれたものであるなら、連携病院も存在しているので「病院からの連携も離れました」とするのは不自然ですが、2007年時点ならそういう状態であったと言えます。まさに実感のように推測します。
まずですが、私は重大な勘違いをしていました。問題エントリーは7/5にアップされています。どこかで私が勘違いして7/13エントリーとしていた事を陳謝します。7/5までにnichioka様の質問メイルによる訂正は終わっています。その時点の「奇蹟によって安産と家庭円満」を琴子の母様は読み、引用してエントリーを上げています。
かなり大胆な推理になりますが、琴子の母様の「助産院は安全?」は助産師界ではある意味有名なブログです。好意的かどうかは一概には言えませんが、とにかく知名度も注目度も高いと見ます。石村氏もアップ早々に目を通したのはまず間違いないと見ます。対応はかなり早かったのだけは事実で、3日後には問題個所がバッサリ削除されています。
この削除したという対応に石村氏の考え方が見えます。nichioka様の時には補足による解説で終らせており、基本的に本文は殆んど手をつけていません。また対応時間も5/12にメイルを受けてから、少なくとも5/18までは魚拓がありますし、5/21にNATROM様がエントリーを上げた時にも訂正はなかったとコメントされております。
ところが琴子の母様の時には比べ物にならないぐらい迅速です。表にして見ます。
Date | 事柄 |
7/5 | 琴子の母様エントリーを上げる |
7/8 | 既に訂正変更は終了 |
7/20 | Hatenaから琴子の母様にメイル送信 |
7/27 | 助産院は安全?がプライベート・モードになる |
Hatenaが通告者(石村氏と特定できていません)からのメイルに対して、どれほどの時間で対応したのか不明ですが、Hatenaとてメイルを受け取って機械的に対応したとは思えませんから、7/20よりかなり早い時期にメイルが送信されたんじゃないかと推測します。Hatenaから琴子の母様に送られたメイルの一部ですが、
1)このたび、下記のはてなダイアリー記事および記事へのコメントに、実名が掲載された上で、信仰を理由に危険な助産行為をしているという事実無根の誹謗中傷がなされ、名誉・信用を毀損しているとしてI様(註:実際は実名)より削除申立がありました。
「事実無根」の言葉が出ています。これも何をもって「事実無根」と言うのだろうは不思議といえば不思議でしたが、どうやら削除部分に関したものであるらしいとするのが私の推理です。つまり存在しない引用でもっての誹謗中傷です。
この推理の最大の難点は、通告者(石村氏と特定できていません)がウェブ魚拓であるとかアーカイブの存在を知らなかったのだろうかです。ウェブで一度公開されたものでも、訂正さえすれば無かったものになり、二度と誰も訂正前のオリジナルを確認できないです。私にはどうにもこうにも、そういう考えで通告者(石村氏と特定できていません)がHatenaに抗議を行ったとしか思えないのです。もしくは琴子の母様がそこまでのウェブ知識は無かろうと高を括った可能性も考えられます。
ここも言い方を変えれば、そこまでして「無かったもの」にしたいと行動した傍証かもしれません。
誰がHatenaに通報したかは現段階では表に出ていません。わかっているのは、
「たった」これだけです。実は驚くべき事に石村氏もこの条件に該当する事になります。もし「万が一」にでも石村氏であるなら、Hatanaへの通告を取り下げるべきだと思います。非公開の場で誹謗中傷・名誉毀損と主張されても、集められる情報を調べる限り、どこが具体的に誹謗中傷・名誉毀損であるかの理解が非常に難しいと言う事です。むしろ誹謗中傷・名誉毀損であるというのなら、その理由をオープンに公表すべきと私は思います。石村氏の記事を読む限り、神霊教は寛容性の高い教義を持っているように感じています。相手が誤解しているのなら、むしろ誤解を粘り強く解いていく事こそが教義にむしろ副うのではないかと勝手に推測させて頂いています。相手を攻撃し、困惑させ、窮地に追い込むのが教義とは想像し難いからです。
石村氏も奇蹟体験を持つほどの敬虔な信者であるなら御一考頂きたい所です。