足立信也氏の判断基準

6/27付m3医療維新

足立信也氏はたしか新型インフルエンザ騒動の時に、厚労省政務官を勤められていた方かと記憶しています。その人へのインタビュー記事です。内容的には事故調に関する話が中心のようです。事故調の制度自体の足立氏の発言は今日は置いておきます。取り上げたいのはあれから4年が経過して、事故調の成立機運の一つである医療崩壊への足立氏の見解です。

事故調の成立要因である医療崩壊の状況が変わっているから、事故調のあり方もまた変わってくるとの主張で良いかと存じます。でもって足立氏の見解はm3記事でもわざわざ太字で強調されています。そこを引用します。

  • こうした状況を見ると、いい方向に向いていると思う。ここ2年くらい、メディアで、“医療崩壊”という言葉が使われなくなってきたのも、その表れでしょう。


  • 国民も、自分たちが理解しなければいけない、という意識に変わってきている。その結果として、“医療崩壊”という言葉が聞かれなくなったのだと思っています。

面白い考え方をする人だと感心しました。足立氏の情報分析はメディア情報を重視するようです。もちろんメディア情報を軽視せよとは思いませんが、重視の仕方が極めてユニークです。簡単に図式を書いておくと、

  1. 国民の声はメディアが漏れなく拾ってくれる
  2. そのメディアが医療崩壊を取り上げなくなったと言う事は、国民が医療崩壊を感じなくなった
  3. 現在は医療崩壊現象は顕著に改善中である
こんなもので宜しいようです。さてメディアが取り上げる現象とはどんなものでしょうか。有名な言葉に、
    犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる
この話をもう一歩進めると人が犬を噛むのが当たり前になると、これもニュースにならないです。メディアは社会の木鐸と自称していますが、本質的には社会の風見鶏で、国民と言うより読者が欲するニュースを敏感に感じ取って報道します。ある現象に報道価値があると判断すれば大嵐のように報道し、興味が去った、もしくはより興味が強い現象が出現すれば、大嵐はそちらに移ります。

ではでは、大嵐が過ぎ去ってしまった事象は既に問題解決したかと言えば、殆んどの場合はそのままです。ま、短期の大嵐の報道で社会問題が解消してしまうほど世の中甘くないと言うところでしょうか。もちろん解決している事もありますが、メディアの大嵐の有無と問題の解決は別次元のお話だと言う事です。それぐらいはさすがに常識と思っていましたが、足立氏はそうでないと明言されております。

もちろん足立氏の主張にもまったくの根拠が無いわけでなく、大手メディア以外の最有力メディアであるネット世論も一時ほど医療崩壊がもてはやされるキーワードではなくなっています。これが医療崩壊現象が改善した証拠になるかです。


人は刺激に対して時間が経てば感度が鈍くなります。医療崩壊現象の初期には瀬棚とか泉崎レベルのお話が無茶苦茶ホットな話題でした。舞鶴なんて超弩級のお話です。これは「そんな事はありえない」が常識の前提にあり、あり得ない事が現実に起こったので話題の温度が高くなっていたです。しかしその後に雨後のタケノコのように、さらに刺激の強い話題が続出します。皆様、よく御存知かと思います。

大雑把ですが2年間ぐらいの間に、これでもかと言うぐらい次から次へと刺激的な話題が噴出し続けますが、そうですねぇ、福島大野、奈良大淀の二大訴訟が終結する頃には熱が醒めていきます。理由としては少々の医療崩壊現象では、既に刺激として感じなくなったためとしても良いかと判断できます。病院崩壊も、トンデモ医療訴訟も「この程度か」の慣れの感覚です。

たとえば最近で比較的ホットな医療崩壊現象としても良い練馬の光が丘病院問題ですが、これに対する反応の乏しさが象徴しているかと存じます。この問題が仮に医療崩壊の話題が過熱している頃に起こったならば、どれほどの衝撃かを考えると空恐ろしいほどですが、今となっては相当醒めた反応しか出ないです。


おこがましいかもしれませんが、当ブログも長い間、医療崩壊現象を追っかけていますが、反応の冷え方は嫌でもわかります。しかし冷えたから医療崩壊が食い止められ、改善に向かう実感があるかと言えば正直なところ疑問です。あえていえば二極化しているぐらいでしょうか、医師が逃げないように勤務環境の改善に努める病院と、そうでない病院です。

変な言い方ですが、医療崩壊現象のニュースに接し、医療の問題を理解した医師は勤務環境の改善に努める病院に流れ、そうでない医師は劣悪環境病院に留まるです。留まるもチト間違いで、戦力が抜け落ちる中で踏み止まって玉砕状態を迎えつつあるぐらいでしょうか。限界点を越えた劣悪病院の問題が今でも記事になりますが、今や医療関係者の視線はドライで、勝手に逃げ遅れた人間は自己責任であるぐらいの感覚です。そんなニュースに踊るには、事象が多すぎて反応してられないです。

こういう状況は医療崩壊現象が終息から改善に向かっていると判断するよりも、「人が犬を噛むのが当たり前になった」に近い様に私は感じております。まあ、足立氏の状況判断と、私の見解のどちらが正しいものかは時間が証明するかと考えております。


ここで「さらに」の前提を付けたいのですが、医療崩壊に対する足立氏の判断が正しいとしてみます。結論は正しくとも、結論を導いた判断基準がやはり問題になると考えます。足立氏の判断基準は評価出来るものであるかです。その判断は来年の総選挙で有権者に下して頂ければと思っています。