高校の同窓会

ネタギレなので日常雑談です。

高校の同窓会がありました。高校時代なんて悲しいぐらい遥か昔になるのですが、唯一未だに交友のある旧友から「行こう、行こう」と誘われていました。しかしどうしても気が乗らずに欠席です。表向きはたまたま急病診療所の当番に当たっており、これの代わりを見つけるのも難儀と言うのもありました。

同窓会となると名簿作りが大作業になります。前回から20年ぶりぐらいになるので、昔の名簿から行方不明になっている者も少なくなかったようです。そりゃ20年もすれば結婚もするでしょうし、住所も変わります。何回か引越ししている私も立派な行方不明者です。総幹事は異常な熱意で名簿の完成と言うか、案内状の全員送付を目指されたと聞きます。

行き先探しは古典的なとりあえず卒業時名簿(当時は普通に付いていた)にある実家に電話をかけるもあったみたいですし、幹事及び協力者の伝手伝手を手繰ってもあったようです。私なんて実家ごと売り払っての行方不明なんですが、故郷に唯一残る親戚にまで電話がありました。

他に今どきのルートとしてフェースブック経由もあったようです。フェースブックは実名が建前ですから、そこから該当者らしき人物にアタックをかけるみたいな方式だったと聞いています。ネットと言えば、そのものズバリの名前探索も行われたようです。私なんて診療所HPを出している関係上、本名さえわかれば引っかかってきます。


旧友は私を誘ったぐらいですから出席しています。誘う時もそうですし、同窓会後もちょっとルール違反になるかもしれませんが、フェースブックを見せてくれました。上述したようにフェースブックでも名簿作りをした延長線上で同窓会関係のトピック(本当はなんて言うのかな?)が盛り上がっているのを見せてくれたのです。

個人的には同窓会関連より、私が参加していないフェースブックなるものが「どういうものか」に興味があったのですが、それはともかく同窓生の名前が出てくるわけです。これが私にはある意味傑作で、殆んどが「名前ぐらいは聞き覚えがある」レベルばっかりだったのです。下手するといくら頭を捻っても覚えていないのも少なからずありました。

そもそも異常に頑張った幹事ですら旧友から「同じクラスだった」と指摘されても、これがまた全然思い出せない始末です。字は出せないのですが、最初は女子かと思ったぐらいで、男子と聞いてビックリし、同級生と聞かされてさらにビックリの世界です。いまだに「そんな奴がいたかなぁ?」状態であるのは白状しておきます。


正直なところ高校時代の交友範囲が広かったかと言われるとそんなには広くなかったと思います。それでも1人ぐらいは、「あいつ、生きとったんか!」と懐かしがる名前が出てきても良さそうなものです。それがここまで出ないとは少々驚きです。ごく簡単には会いたいと思うのが1人もいなかったと言う事です。これは同窓会の実際の出席者の名前をみても殆んど変わりませんでした。

そこまで寂しい高校時代を送っていたかと言われると、そうかもしれないと思う一方で、いくらなんでもそこまでは酷くなかったはずと思いたいところです。実は参加した旧友も同じような感想をもったらしく、行ったは良いが、本当に会いたかった同窓生は殆んどおらず、数人と話をすれば後は少々困ったとの感想を話してくれました。

同窓会は今の話もしますが、メインは高校時代の話になります。そりゃそうで、社会人になって職業も住む所も異なれば、そうそうは共通の話題があるわけではありません。共通の話題となると高校時代になるのですが、そこで共通の思い出がないと話に花を咲かせようがなくなると言う事です。当たり障りのない近況報告では盛り上がり難いと言ったところでしょうか。


同窓会後のとある日に旧友と出した結論は、やはり高校時代に同窓会に出席グループと出席しないグループは分かれていたのだろうになりました。そいでもって、お互いは出席しないグループに属していたのだろうです。つまりは同窓会と言っても、高校時代からのグループがそもそも違うので、出席したところで青春時代を懐かしむというより、別の仲良しグループに紛れ込んだようなバツの悪さを感じたんじゃないかです。

そうなると出席しないグループで同窓会(書きながら論理矛盾がありますが・・・)を別に行えば楽しいはずになります。しかし出席しないグループは出席するグループと同席するのさえ好まないところがありますから、構想は話の上だけでシャボン玉の様に消えてしまったと言うところです。だって同窓会と銘打つからには可能な限り全員に案内状を送らざるを得ませんし、そうなれば出席するグループは当然のように出席します。

どうも私と旧友は高校のある種の負け組に属していたようです。もっとも高校時代の勝ち組、負け組と言ったところで、高校卒業後とは無関係です。ただ同窓会と言う特定の区切った時代を懐かしむ会になると未だに出てしまうと言えば良いでしょうか。それにしても見事なぐらい私と旧友がそれぞれ属していたグループが出席していなかったのは、歳月をこれだけ重ねても「気が合うな♪」と苦笑した同窓会話でした。