刈谷豊田産科医時間外訴訟2・和解の結末

「2」とあるので「1」もあるのですが、2010.9.25付エントリーの続編です。訴訟の概略は病院での当直業務は時間外であるとの主張で、その理由として、

  1. そもそも労基法41条3号に基く当直許可が存在しない
  2. 当直業務内容も労基法41条3号及び関連通達に定める当直業務でなく通常勤務である
この2つの理由から当直勤務とされて当直料として支払われたものは時間外勤務であるから、これを支払えというものです。実は訴状が手許にあるのですが、全部で9ページもある上にjpgファイルでOCRの変換効率が宜しくないので全文掲載は断念しています。訴状の画像ファイルのみ示します。
請求金額

請求した金額は「請求の趣旨」にあり、

  1. 被告は、原告に対し、金280万円1290円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払い済まで年5分の割合による金員を支払え
  2. 訴訟費用は被告の負担とする
との判決及び仮執行宣言を求める。

この金280万円1290円はどれほどの回数の当直で算出された金額であるかですが、「原告の宿日直勤務の労働実態」に、

  1. 原告は、平成21年4月から同年9月までの間に、以下のとおり、平日宿直18日、休日宿直1日、日直後に続けて宿直を行なう場合が4日、勤務を行った。(以下略)

簡単には半年の間に23回の宿日直を行ったと考えても良いかと思います。宿日直回数と言うか負担自体はビックリするようなものではありませんが、23回分の宿日直を時間外手当で換算すると不足分が280万円になるのにチョット驚きました。細かい計算式は8-9ページにあるのですが、最後のところだけ引用しておくと、

  1. 割増賃金合計額


      上記割増賃金を合計すると、合計金364万1485円となる。


  2. 既払い金


      被告からは、原告に対して、当直手当として84万0195円が支払われている。


  3. 差引金額


      割増賃金合計から、既払い金を差し引くと280万1290円となる。

至極大雑把に言いますと当直1回あたりで10万円以上の支払いが不足している事になります。


交渉の経緯

これは「1」の時にあれこれ書いたのですが、訴状には、

原告は、平成22年6月14日、被告に対して、当直・宿直勤務について割増賃金を支払うよう請求したが、当直手当の支払いで精算が終了している、労働基準法に違反していないと主張し、話し合いに応じなかったため、本訴に及んだ次第である。

この経緯は原告が弁護士に依頼した後のものであり、それ以前に原告が弁護士に依頼する前に労基署詣でを頻繁に行ったエピソードは「1」を参照にしてください。


宿日直許可証

裁判の基本構図は原告が働いた時間帯が当直業務なのか通常業務なのかで争われているとして良いかと思います。当直業務として認定されるためには

    必要条件:労基法41条3号の宿日直許可が存在する
    十分条件:業務内容が宿日直許可の条件を満たす
このどちらかではなく両方を満たす事が求められます。片方だけでは不十分であるのは奈良産科医時間外訴訟を参考にしてもらえれば良いかと思います。奈良のケースは必要条件である労基法41条3号の宿日直許可は存在していますが、十分条件である業務内容で被告である奈良県は一審、二審とも退けられています。要するに被告としては争うには、必要条件である労基法41条3号の宿日直許可がないと勝負の土俵にも上りにくいと私は思います。

訴状からです。

  1. 名目上、宿直・日直勤務であるとされていても、原則として割増賃金の支払い義務があり、例外的に「監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの」である場合に限り、割増賃金の支払い義務を免れる(労基法41条3号)。宿直・日直については、さらに労働基準法施行規則23条の規定があり、「使用者は、宿直又は日直の勤務で断続的な業務について、様式第10号によって、所轄労働基準監督署の許可を受けた場合」に限り、労働者を、法第32条の規定にかかわらず、使用することができると定めている。

    そのため、所轄労働基準監督署長の許可を受けていない限り、使用者は、割増賃金の支払い義務を負う。

  2. 原告は、平成21年4月1日付で、愛知労働管理局に対して、行政機関の保有する情報の公開に関する法律に基づき、被告が宿日直勤務について所轄労働基準監督署長の許可を得ているかどうか調査したところ、断続的な宿直又は日直勤務許可申請書及び許可書は、申請がないため存在しないの回答を得ている。

訴訟は原則として原告側に立証責任があるとなっていたはずです。原告は宿日直許可に関して労基署に公式に情報公開を請求し、

    断続的な宿直又は日直勤務許可申請書及び許可書は、申請がないため存在しないの回答を得ている
つまり必要条件である宿日直許可自体が存在しないとの証拠を示しています。被告側はここで「はい、そうです♪」と認めてしまうと訴訟の形勢はそれだけで大きく傾いてしまいます。奈良の時のように十分条件の業務内容を争う以前の問題なるとすれば宜しいでしょうか。刑事ではなく民事ですから、直接に労基法違反の有無を争う訴訟でないにしてもしても、裁判官の心証が原告有利・被告不利になるのは誰が見ても当然です。

そこで被告は労基署にも公式には存在しないとされた申請書と宿日直許可証を探し出してきます。驚くべき事にこれがあったのです。

とりあえず反証として被告側が証拠として提出したものですから最新の許可証であると考えられますが、その許可年月日は、
昭和38年(1963年)に許可されたものである事が確認できます。それにしても時代を感じる許可証と言うか申請書で、手書きである点に懐かしさを感じます。それと驚かされるのは申請書が横書きが右から読むスタイルになっている事です。ちょっと自信がないのですが、昭和38年当時でも横書きは既に左から読むに代わっていた、いやそうなってそれなりの年数が経っていたはずと思うのですが、記入者のクセと言うか年配の人なのかもしれません。

懐かしさを感じるのは良いとしても、申請書の中味の判読が難しいと存じます。私だって読み難いのですが、どういう風に書いてあるのか原告側が読み取った情報がありますので、現在の病院側の実際の状況と合わせて表にして見ます。

1963年の許可申請書内容 現在との相違点(原告の指摘点)
宿直 総員数 7名 1200名(医師191名、看護職員607名、医療技術者245名、事務員110名、その他47名)
1回の宿直員数 4名
宿直勤務の闘始及ぴ終了時刻 午後5時より翌午前8時半まで 午後4時45分より翌午前8時30分まで
一定期間における1人の宿直回数 1ヶ月に2回 現在の回数と明らかに異なる
1回の宿直手当 400円 現在の実態と明らかに異なる
就寝場所 不明(読めない) 現在5棟構成に拡大されており場所が変わっている可能性が高い
勤務の態様 電話応答。急患応対処置の連絡 これは訴訟の焦点
日直 総員数 7名 1200名(医師191名、看護職員607名、医療技術者245名、事務員110名、その他47名)
1回の宿直員数 5名
宿直勤務の闘始及ぴ終了時刻 午前8時から午後5時まで 午前8時30より翌午後4時45分まで
一定期間における1人の宿直回数 3ヶ月に1回 現在の回数と明らかに異なる
1回の宿直手当 400円 現在の実態と明らかに異なる
勤務の態様 電話応答。急患応対処置の連絡 これは訴訟の焦点


実際の文面を読みながら補足情報を加えておくと、勤務の態様で「急患」としていますが、「急患」の文字が読み取り難く、見た目は「急看」に見えて仕方がありません。実際の拡大画像を示しますが、
注目してもらいたいのは右側の「看護婦宿直室」です。これは就寝設備のところにある記載ですが、文脈上からもそう読むしかないところです。「看護婦宿直室」の「看」の字と「急患」と読みたい「患」の字がどう見ても同じです。どうも記入者がマジで「急患」とは「急看」と書くと勘違いしていたんじゃないかと考えられます。


総員数も訂正印らしいものがあって判読が難しいのですが、ここも拡大画像を示しておきます。

訂正印の横に「七」の字は読み取れます。読み取れるのですが原告弁護人が読んだ様に総員数が7人はチト少なすぎます。刈谷豊田総合病院はホームページの沿革・診療実績によると

・昭和37年9月 医療法人豊田会設立
・昭和38年3月 刈谷豊田病院開院(病床数200床)診療科10科目

開院当初から200床規模であった事がわかります。200床病院をたった7人で運用していたとは思い難いところです。そこでもう1回良く見てみると、訂正印を押してあるほうは「四」に見えます。ただし二重線は下に伸びているだけでなく「四」の下にも文字らしきものがあります。また「七」の下にも文字らしきものが見えます。

申請書の書式は1回の宿直員数のところが参考になるのですが、単に数字で示しています。つまり「○人」とか「○名」の表記でないのも確認されます。訂正印の個所が「四」の下に伸びているのは、「四」に続く漢数字も同時に訂正したと考えるべきじゃないかと思われます。つまり元もとは40人台の総員数が記入してあったと考えるのが妥当です。

そうなると訂正後の「七」の数字の下にもなんらかの文字らしきものがあります。つまり原告弁護人は「7」だけと読みましたが、実際は70人台の総員数が記入してあったと考えるべきじゃないかと言う事です。

ただ200床の病院に総員数が40人台なり、70人台は今の常識からして余りに少ないと感じます・・・そっか、そっか、きっと200床は許可病床で開院時はフルオープンじゃなかったんだ。古い病院の沿革には「職員もそろい全病床が稼動」みたいな表現を時に見ますし、話にも聞いた事があります。40人なり70人で200床ではなく、もっと少ない病床数でスタートしたのではと思います。


もう一つ、ついでの謎があります。刈谷豊田は沿革によると昭和38年3月に開院となっています。なぜに4月でないのであろうはおいといて、労基署に申請書を提出したのは昭和38年4月13日となっています。ところが労基署の受理印の日付は「38.5.13」になっており、許可証が下りたのは「昭和38年5月24日」となっています。

さらに受理が「38.5.13」になっているのですが、申請書の提出日は許可と同日の「昭和38年5月24日」となっています。受理から許可までは役所内の手続き問題としてとりあえず置いとくとして、申請から受理までがチト長いの指摘が某所にありました。

あえて推測するなら総員数の訂正に関連するんじゃないかと考えられます。そこしかオリジナルからの変更点が無いからです。どういう事かと言うと当初40人台の申請を出したら受理を保留にされた可能性です。つうか4月13日の時点では本当に総員数が40人台であったんじゃないかの可能性です。40人少々で宿直4人、日直5人体制なんて無理の指摘です。そこで申請書を受理してもらうために1ヶ月の間に急遽職員を増やした形跡ではないかの推理です。

もう少し言えば、総員数が40人台でOKかどうかでもめて、受理の日時からさらに許可を受けるまでに訂正が行われたんじゃないかの推測も成立します。最終的に70人余りがようやくそろったのが許可が下りた「昭和38年5月24日」であったんじゃないかです。受理時点で「必ず増やす予定である」みたいな形です。謎が多いところです。


余談ついでなので就寝設備は一部判読可能のところがあります。読める範囲で書けば、

医師当直室 1
看護婦当直室 1
事務当直室 1

場所についてはその横に細かい文字で記入してあるのですが、確かに判読不能です。ここも不思議なのは宿直が4名であるのに対して部屋が3室と言うのも面白いところです。相部屋と言うか2人部屋があったんでしょうねぇ。まあ畳部屋であった可能性も無いとは言えませんから、2人部屋もアリかもしれません。

それと当直手当400円も時代を感じます。研修医の頃に聞いた話ですが、某県立病院の当直料は、刈谷豊田よりもうちょっと後だったはずですが「タダ」だったそうです。タダではあまりにもヒドいになり、そのあとに500円になったと聞いた事があります。当時であっても400円はいかにも安いと思います(これも古すぎて私でもよくわかりません)し、医師も、看護師も、事務職も同じ手当てと言うのも今から見れば感覚の違うお話です。

私の聞いた某県立病院の当直料も含めて、当直料を幾らにするかの規定がなかったのではないかと推測しています。ここも当時の情報を御存知の方がおられれば教えて頂ければ幸いです。


宿日直許可証の有効性

なんつうても50年近く前のお話ですから、今と異なる点があっても不思議ありません。問題はこの被告側が発掘してきた宿日直許可証が現在でも有効かどうかです。この辺も詳しくないのですが、前に聞いた話では一度許可された宿日直許可証は余程の事がない限り有効性を保ち続けるです。ただ50年前から許可条件は変遷しているはずです。たとえば当直料も現在の許可証では

なお、この金額については、将来においても、宿直又は日直の勤務につくことの予定されている職種の労働者に支払われている賃金1人1日平均額の3分の1を下回らないようにすること。

これは小田原市立病院のものですが、ここに書いてある「賃金1人1日平均額の3分の1を下回らない」はおそらく刈谷豊田病院が許可を受けた後に作られた気がします。他にも原告側が指摘している勤務時間や就寝場所の変更もあれば、許可が続くのは前提としても、ある程度は適宜届出が必要なもののように感じます。何が言いたいかですが、労基局にこの宿日直許可証が存在していない理由はなんであろうかです。

50年の間に幾度か行われたはずの労基法改正(通達を含む)の時に、改正に伴う宿日直許可の再届出の通達でもあったんじゃなかろうかです。その時に再届出を怠った病院(及び事業所)はある時期をもって許可が失効と判定され、許可証の有効性が消失した可能性です。ただ失効になっても、相手はお役所ですから失効になったの書類が残っていそうなものです。しかし原告が情報公開を公式に求めても存在しないとなっています。

謎々みたいなものですが、お役所相手の情報公開請求は木で鼻を括った様な杓子定規なものになると聞いた事があります。どういう事かと言えば原告は「現在でも有効な宿日直許可の存在」を問い合わせたと推測します。公開請求が「現在でも有効」ですから既に無効になった許可証の存在は答える必要がないと判断されたは如何でしょうか。

だから労基局の返答は「存在しない」であり、そこで無効になったものの存在まで公開請求されなかったから返答しなかったと見る事は可能です。公開請求されなかった書類の存在まで教える必要は無いとの判断です。不親切といえば不親切ですが、請求された分だけ公開しそれ以上の情報は公開しないの姿勢と理解すべきかもしれません。

ただそうなると、病院側が所持していた50年前の許可証は労基局サイドでは有効性を失っているとの判断は成立します。労基法41条3号に基づく宿日直許可は労基局が認めてこその許可であり、失効となった許可証を幾ら保持していてもタダの紙切れに過ぎないと言う事になります。

紙切れである傍証は被告側の反応にもあります。原告は労基局に許可証の有無を公式に公開請求しているわけです。それに対して存在する証拠を出してはいますが、これが本当に有効であるかを被告側が労基局に問い合わせたとは私は聞いていません。訴訟の場の証拠ですから、被告側はそこまですれば有効性は証明できたはずです。自分の病院の許可証の有効性を確認して悪い道理もないはずです。

実は問い合わせたのかもしれませんが、私が聞いている限りではそんな攻防はなかったようです。つまりその点の反論は被告側が「出来なかった」と取る事も可能です。

有効性についてはこれぐらいの一般論しか語る知識しかありませんが、それでも労基署に申請書も許可証が存在しないと言うのは裁判官の心証として良くはないだろうとは思います。これについての裁判所判断は後述する様に和解のためにありません。


労働実態を巡る攻防

これについてはさして付け加えれる事はありません。実際の訴訟では被告側弁護士もそれなりに頑張ったところらしいですが、客観的には産科医が、それも月間年間1000件もの分娩がある病院で、労基法遵守の当直業務が出来るはずがないのが実相として宜しいかと思います。産科医でなくとも、二次救急輪番病院の当直でも余裕でアウトです。三次救急でも同上で、救急を当直でになると完全にヘソが茶を沸かせます。

ほかにもICU当直とか、CCU当直とか、NICU当直みたいな凄い当直が幾らでも医療界にありますが、労基法の宿日直勤務の条件を満たしている当直は殆んどないと思います。個人的には税法上の当直条件を満たすのに近いぐらいのものだと考えています。

細かな展開まで知りませんが、労働実態の論戦でも被告側はかなり厳しい状況に追い込まれていったと聞いています。


和解交渉

私は感覚としてわかり難いところがあるのですが、280万円の請求事件にしては裁判は大がかりなものであったそうです。両陪席を従えた3人制で、被告側弁護人は東京から遠征の大弁護団が溢れかえるほどおられたそうです。原告側弁護人は少なからずビビッたとの感想を聞いています。

それでも訴訟は弁護人の多寡ではなく提示する証拠・証言の有効性を争うものであり、訴訟の展開として当直勤務を満たすための必要条件も十分条件も被告側に圧倒的に不利な状況になったそうです。そりゃそうだろうと思います。互いに提示する証拠もなくなり、結審が近いある時期に被告側から和解の申し入れがあったと聞きます。

原告の意向は「カネでなく判決文が欲しい」です。280万円の請求と言っても、よく御存知の通り、弁護費用を払うと足が出ない程度のものです。一審だけで終ればまだしも、二審三審と争えば足が出てもおかしくありません。ですから本気でカネではなく判決文が欲しいでした。もちろんできれば「カネも欲しい」とは言ってましたけどね。それでも優先したのは判決文です。

和解交渉には乗り気ではなかったそうですが、法廷戦術として蹴飛ばすのは裁判官の心証形成上宜しくないの弁護士からのアドバイスを受けて、和解交渉に臨んだそうです。最初は「絶対いやだ!」としていたそうですが、被告が請求額の全額を払うと言えば訴訟自体が成立しなくなるとか、なんとか説得されたとは聞いています。


和解交渉と言っても、実際に臨んだ事はもちろんないのですが、大雑把に言うと金額と文面のトレードオフみたいな面はあるそうです。いろんな和解交渉があるので一概に言えませんが、請求額から割り引いた面だけ和解文面、さらには文面の公開の有無なんかで取引する感じと言えば良いでしょうか。

和解交渉の展開は冒頭で裁判官が280万円は無理だから180万円が満額になると宣言したようです。ボーナスが日給計算に入っているのと、就業規則が法定より高いので云々らしいのですが、私にはよくわかりませんでした。その点については原告本人の理解も「そんなもんか♪」ぐらいでサラッと納得してしまったそうです。

満額が180万と言う枠が決まった後に、文面交渉になるのですが、これも判決文が欲しい原告の要求はシンプルで、

  1. 当直が時間外勤務であったと明記する事
  2. もちろん公開する事
この2点は何があっても譲らないし、嫌なら判決文をもらうです。金額については被告側もさして問題視していなかったようですが、文面については渋り、後はなぜか被告側と裁判官が御密談と相成ったそうです。ほいでもって2回目の和解交渉で、被告側は請求額280万円のほぼ満額回答を出して和解です。満額だから文面での云々は無しになっています。


推理遊戯

和解交渉の舞台裏を推理遊戯してみたいと思います。裁判官が持ち出した180万円は判決での認定額であったと考えて良さそうです。しかし判決文となるとなぜに180万円の支払いが必要になるかの理由を書かなければなりません。当然ですが、刈谷豊田の当直業務は時間外勤務であると事実認定することになります。そうしないと180万円は湧いてきません。

被告側は和解条件に当直が時間外勤務であると明記するのを渋りましたが、和解で入れなければ判決文に明記されるとの脅しじゃなかった「ほのめかし」が裁判官から被告にあったと考えます。ここまで来て、被告側が守りたい最後の一線は、当直が時間外勤務であるの裁判記録を残さない事になるかと思われます。

しかし判決文が欲しい被告を黙らせるには、裁判官が示した180万円では無理で、訴訟を吹き飛ばす請求額の満額回答が必要と脅されたじゃなく「ほのめかし」があり、万策尽きて被告側は和解条件を呑んだと見ます。あくまでも推理遊戯ですけどね。


それにしてもわかり難かったのは病院側の動きです。相手も天下のトヨタが動員した大弁護団ですから、訴訟自体に勝ち目があると踏んだのでしょうか。どうにもそういう気は薄かった様に感じてなりません。もちろん原告の主張がアラだらけであれば勝てるかもしれませんが、訴訟前に原告側弁護士が請求した時点でトットと払ってしまうのも一法だったはずです。これは原告側の弁護士が依頼を受けた時のお話ですが、

「これは多分、内容証明のやり取りくらいでパパっと済んじゃうと思う。
 応じなかったら相当のアンポンタンだよね。」

プロから見ればそれぐらい判りやすい事件構図だったわけです。ちなみに原告側弁護士は労働法制の専門家だそうですが、普段は企業寄りの活動をされている方だそうです。そういう専門家が見ても争う余地が乏しすぎる事例だったと言う事です。


それでもあえて争ったのは敵失での勝利の期待のほかに、訴訟で対抗する姿勢を見せたのに意味があった様にも感じています。ハイハイと払うのではなく、訴訟で争わない限り、つまり訴訟費用を積み上げない限り払う気がないの姿勢を見せることです。今回はそれでも280万円ありましたが、もっと少額なら訴訟まで争うとなると足が出るためためらいが出ます。

ホイホイと内容証明で払う前例を作りたくなかったぐらいと言えばよいでしょうか。欲しけりゃ、訴訟費用を準備してかかって来いです。訴訟を起されたがために病院と言うかトヨタの出費は増えましたが、正直なところトヨタにすれば微々たる金額で、類似の訴訟を起そうとするものへの十分なパフォーマンス(威圧)になり、他にも払っていない時間外手当と差し引きすれば算盤勘定は十分に合う計算と考えます。

最後の最後に妥協したのは、争いはするものの「当直は時間外勤務である」の判決なり和解文は回避せよの指令が出たと考えます。そういうニュースがトヨタ発で出ることのイメージダウンです。イメージダウンは直接の金銭換算は出来ませんが、企業ブランドの毀損は簡単に億単位で換算されますから、全部払っても口を封じるべしです、


もう一つ裁判官の動きも興味があります。民事ですから判決にするより和解にする方が望ましいと言うのもありますが、それより判決文をどうしても書きたくなかったように感じます。事実関係は明瞭ですし、まさか「間違い無く当直業務と認定できる」みたいなトンデモ判決を書くのは、裁判官の良心としては出来ないと思います。

では書いてしまえばどうなるかですが、奈良県が頑張ってくれているお蔭で最高裁判例が出来そうにはなっていますが、労働行政・医療行政に大きな影響力を及ぼす判決になりかねません。そんな事は司法に本来関係ないとは言え、心情的に出来る限り回避したいです。被告が判決文欲しいの要求を抑えるためには、まずは和解文章、次に請求額の満額回答しかないと被告側にかなり積極的に誘導したのかもしれません。


そこまで推理遊戯を巡らすと、本当の勝者はトヨタであったかもしれません。少なくともトヨタの中ではそういう風に総括されているような気がします。とは言え、原告の産科医もよく頑張ったと思います。「個人 対 大トヨタ」の争いですし、刈谷豊田と地裁がある愛知県もトヨタのコチコチのお膝元です。これ以上の成果を求めるのはないものねだりとするのが妥当と思います。

御苦労様でした。


あとがき

単なる感想なんですが、なんとなく民事訴訟の本質が見えた気がしています。誤解があれば「優しく」訂正して頂きたいところです。話を一般論にしてしまうと拡散してしまうのでこの訴訟での理解にします。この訴訟は「かくかくしかじか」の理由で○○万円払えの請求です。払ってくれないので訴訟になっているのですが、訴訟中であっても「やっぱり払う」と改心すれば訴訟は終ってしまうの理解です。

「払え」と言われて拒否しているから訴訟になるわけで、「払う」となれば原告が訴訟を続ける理由が消失してしまうと言えばよいでしょうか。被告が請求通りに払うと申し出た時点で訴訟が実態を失うみたいな理解です。それでも判決をあえて求める選択枝がどれぐらいあるかは私にはよくわかりません。あるとは思うのですが、その辺をどう解釈するのかは私には知識不足と言うところです。

それと請求額の満額支払いが決定した時点で、「かくかくしかじか」の理由について不問となる様にも見えます。「かくかくしじか」の裁定は判決になって初めて示されるものになると言う事です。私有財産の強制移動命令ですから、法に基づいた判断理由を裁判所は明示しなければならなくなる関係です。問答無用の「とにかくアンタが悪い、黙って払え」にならないとすれば良いでしょうか。

見えたと言いながらモヤモヤしたものは残るのですが、そんな事を考えさせられる訴訟でした。