医療と裁量労働制をもう一度考えてみる

基本的に土曜日のお話の焼き直しです。重複する部分が多いですが、私自身の知識整理のためにもう一度上げさせて頂きます(つうか書いちゃったもので・・・)。それと都合により話は裁量労働制のうち専門業務型裁量労働制になります。今日のエントリーで裁量労働制と言えば専門業務型裁量労働制をある程度念頭に置いていると考えてください。


本来はこうじゃないか

大規模(じゃなくても)な研究所の研究員なんかが一番あてはまりそうに考えます。研究員は各々のテーマに向かって研究を行います。とはいえ、一定のペースで研究が進むとは言えません。壁にぶち当たって停滞する時もあれば、至極快調に進む時もあります。

停滞時には気分転換を行うというのも有意義です。気分転換は研究室に来ずに外に出かけたりもありますし、本来の研究テーマとはまったく別の事を行うというのもあります。それこそ映画を見たり、ゲームをしたり、小説を読んだり、極端に言えば酒を飲んだりさえもありえます。さらにとなると完全に休んで旅行に出かけたりなんてのもありです。

これは雇用者から見ると「遊んでいる」としか見えませんが、研究のためには必要な事柄だと言えます。ただ雇っていますから、そういう行為にも給料を払う名目が必要です。つうか無断欠勤とか、病欠とか、早退、遅刻、怠業とかの理由でストレートに減給するのにはどうかの問題が出てきます。

逆に快調に進む時には、長時間の研究が行われるのもありえる事です。それこそ徹夜、徹夜が続いても、つかんだアイデアを物にしようとするときには、そんな状況になる事は研究ではありえます。さらに実験となると一晩中付きっ切りで行う必要なものもあります。これは研究が停滞した時とは逆で、雇用者側からすると見るからに「働いている」になりますが、これにキチンと時間外手当をつけて回るとなれば大変な出費になります。


創造的な研究なんてそんなもので、雇用者から見ると、停滞期には給料を払うに値しない勤務状態になりますし、快調期になるとそんなに働いてもらったら困るみたいな状態になりえると言う事です。しかし研究とは停滞期と快調期が交互に来てもおかしくはなく、どちらも仕事として評価しないといけなくなります。労働時間と言うか、労働時刻が不安定であるが故に、これを包括的に考えて雇用する方法が必要になります。

そのため労働時間を被雇用者の都合に合わると言う考え方が生まれ、これが裁量労働制として出てきたと考えています。働く時には猛烈に働くが、そうでない時はキッパリ休んでしまうみたいな状況を、定時定刻の管理労働と言う尺度で計れないために、マルメで雇用している状態といえばよいでしょうか。

見た目として働いている時と、そうでない時が雇用者側にあるのですが、ドンブリでおおよそ1日あたりでこれぐらい働いているの概算時間を設定し、それに対して給与を払うみたいな感じです。成果の評価は結局のところ、出てきた研究成果でのみになると言っても良いかと思います。言い過ぎかもしれませんが、一種の請負契約を結んでいるような状態と感じたりしています。

請負契約と違うのは、あくまでも雇用関係であることだと思っています。


医療と裁量労働制

裁量労働制はかなり特殊な雇用関係です。上述したように業務時間の繁閑(配分)と言うか、ペースが不安定な業種に適用される制度と見ます。もう一つ重要なのは、そういう不安定なペースで働いても、仕事場が十分機能するというのもポイントだと思っています。そりゃ、いつ猛烈に働き出すかわからない訳ですし、停滞期に入ると、それがいつまで続くかも誰にもわからないからです。

裁量労働制の特徴は、

  1. 時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる
  2. 労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす(給与の定額制)
時間配分ですが、医療と言うかとくに医学部では2つの意味があると考えます。
  1. 勤務時間の大幅な配分
  2. 研究と医療の時間配分
土曜日に調べた時に「たぶんそうだ」と考えているのですが、医学部に適用する時は裁量労働制でない勤務時間も設定する事は出来るようです。たとえば教授の学生への講義です。そりゃそうで、学生にしたら「いつ」その教授の講義があるかわからない状態では困惑します。試験監督にしてもそうで、いつ何時抜けられるかわからない状態では大学側が困ります。

そういう裁量労働制以外の勤務時間を5割程度あっても裁量労働制が適用されるとしています。半分まで非裁量労働制の勤務時間であるとも見えます。それで良いのかどうかは今日は置いといて、それでも残り半分は裁量労働です。労働者の自由な裁量で勤務時間も、研究と医療(裁量労働制としての)の配分の裁量が行われないと制度の意味がありません。

これに加えて、個人的には裁量労働を可能にする職場環境が必要です。いくら裁量しようと考えても、それが出来ない状態であれば、労働者側のメリットである時間配分を行使しようがなく、圧し掛かるのは給与の定額制、すなわち残業代ゼロが押し付けられるだけだからです。この裁量労働が可能になる労働環境として挙げられるのは、

  1. 研究所のようにいつでも気が向いた時に業務が出来るところ
  2. いつでも業務の交替が可能な十分な人員の配置があること
人員条件とはたとえば、裁量労働制の医師が外来中に研究のためのアイデアが閃いた時に、電話一本ですぐに交代要員が駆けつけられる体制です。裁量労働の裁量とは、そこまで出来てこその裁量であり、そこで上司なりから「今は人手が足りないから我慢してくれ」的な業務命令は受け付けないわけです。すぐに交代要員が準備できないのなら、本来はその瞬間に裁量権が侵害されたと言っても良いかもしれません。

何か笑われそうですが、これは外来だけではなく手術中でも、処置中でも、入院患者への説明中でも、救急医療の生死の境であってもそうです。そんなんではまともな医療が成立しないんじゃないかと言われそうですが、成立しないからこそ医療への導入は非常に困難と言う事になります。それぐらい裁量労働制と医療の相性は悪いと考えています。


それでも導入された裁量労働制

おおよその年表を先に示します。ソース元は

ここからなんですが、

年月 事柄
1997年2月 労働省告示第7号にて専門業務型労働裁量性の業務が布告
1998年10月 労基法改正で38条の2の4項が新設され、専門業務型裁量労働制が施行。この時に医学部の教員は病院での診療があるから、裁量労働制は適用できないと明確に解釈通達を出す
1999年4月 「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ大学改革の一環として検討し、2003年までに結論を得る」の閣議決定
2002年11月 「競争的環境の中で世界最高水準の大学を育成するため、「国立大学法人」化などの施策を通して大学の構造改革を進める」の閣議決定
2003年7月 国立大学法人法等関係6法が成立(10月施行)
2004年1月 独法化される国立大学での裁量労働制導入のために労働基本法労基法38条の3)の対象業務に加える改正告示(平成15年厚生労働省告示第354号及び基発第1022004号)が施行
2004年4月 独立行政法人の国立大学が移行
2005年3月 教授の労働時間については、小泉首相に提出された「規制改革・民間開放の推進に関する第1次答申(追加答申)」で解消(閣議決定
2006年2月 教授の研究範囲についての解釈拡大が基発第0215002号で行われる


国立大学の独法化に伴い、大学への裁量労働制の導入が急がれたと言うのは、法務業の末席様のコメントにもありますし、小嶋レポートにも

国立大学の法人化に間に合うよう、2004年1月に「大学における教授研究の業務」を専門業務型裁量労働制労基法38条の3)の対象業務に加える改正告示(平成15年厚生労働省告示第354号)が施行された

また国立大学法人等財務管理等に関する協議会の「国立大学法人化後の人事管理上の諸課題について」(概要)からですが、まず「初めに」に

 我が国における財政の健全化や歳出の徹底した見直しの中で、公的部門全体に対する総人件費抑制の議論において、国立大学法人等における人件費はまさに財務管理上大きな関心事項と思慮

これレポートのテーマが「人件費抑制」である事を頭に置いて次の「労働基準法上の時間外労働について」を読んで欲しいのですが、

 使用者が法定労働時間を超えて労働を命じるためには、あらかじめ労使協定を締結することが必要であり、また、時間外労働を命じた場合は、割増賃金を支払わなければならない。労働基準監督官による臨検の結果、超過勤務手当の不払いについて是正勧告を受けた場合には、遡って超過勤務手当等を追給することとなる。最近では、過去6ヶ月間の1日ごとのパソコンのログ履歴を調べられ、1億3千万円強の追給を行った例もある。

 また、明確な命令があった場合だけでなく、使用者の黙示の指示があったと認められる場合も超過勤務手当の支払いが必要であることとされているので、労働時間管理については適切にお願いしたい。労働基準法等の遵守を当然の前提に、柔軟かつ機動的な組織編成や人員配置、多様な勤務形態の活用や教職員の意識改革を通じた効率化等により超過勤務の縮減に努力願いたい。

ここに「多様な勤務形態の活用」が書かれているのが大学への裁量労働制の導入の意図の表れとされています。これは「そうである」とも小嶋レポートはしています。でもって大学自体への裁量労働制の根っ子は、平成9年(2007年)2月14日付労働省令第7号です。ここに

学校教育法( 昭和二十二年法律第二十六号) に規定する大学における教授研究の業務( 主として研究に従事するものに限る。)

これ自体は現在に至るまで変更はありません。この条文を教授だけでなく教員すべて(助教授、講師、助教)、さらに医学部まで拡大するために動く事になります。どうやったらそこまで拡大解釈できるかスタートだけ見ると摩訶不思議なんですが、それでも推進されます。

法務業の末席様のコメント情報なんですが、確認が難しいものがあり、どうやらですが当初は専門業務型裁量労働労基法38条の2の4項にあったようですが、どこかの改正で38条の3に変わったと解釈しています。この辺は専門家で無いのですが、幸いどうであったかは今日の本論に関係が薄いので、裁量労働に関する規定は労基法38条の3であると考えて話を進めます。

厚生労働省令第7号の解釈の拡大変更の経緯をまとめておきます。

年月 内容 ソース
1997年2月 学校教育法( 昭和二十二年法律第二十六号) に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。) 労働省告示7号
1998年 労働基準局では、大学教員でも研究に専念できる教員や、講義などの時間スケジュールが指示されている業務の割合がが比較的少ない、人文科学や理工系の学部教員は適用対象になるが、医学部の教員は病院での診療があるから、裁量労働制は適用できないと明確に解釈通達を出してました 法務業の末席様のコメント
2004年1月  「学校教育法( 昭和二十二年法律第二十六号) に規定する大学における教授研究の業務( 主として研究に従事するものに限る。)」を専門業務型裁量労働制の対象業務に追加することとすること。



 当該業務は学校教育法に規定する大学の教授、助教授または講師が、学生を教授し、研究に従事することをいうものであること。患者との関係のために一定の時間帯を設定して行う診療の業務は含まれないものであること。



 「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまでも研究の業務であることをいうものであり、具体的には、講義等の授業時間が、多くとも1週の所定労働時間又は法定労働時間の短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であること。



 なお、患者との関係のために、一定の時間帯を設定して行う診療の業務は教授研究の業務に含まれないことから、当該業務を行なう大学の教授、助教授又は講師は専門業務型裁量労働制の対象にならないものであること。
基発第1022004号
2006年2月 大学病院等において行われる診療の業務については、専ら診療行為を行う教授等が従事するものは、教授研究の業務に含まれないものであるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事する業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を分担するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものは、教授研究の業務として取り扱って差し支えない 基発第0215002号


表を見れば明らかなんですが、1997年に出された厚生省布告第7号の解釈は、2004年まで医学部に裁量労働制の導入は不可でした。ただ2004年時点の通達は医学部以外への裁量労働制導入に道を開いたとは考えられます。小嶋レポートでは、裁量労働以外の勤務時間の見なし方について問題があった事を示し、これが2005年の閣議決定で解決を見たとしています。

2004年に明快に否定された医学部への裁量労働制の導入ですが、水面下で規制緩和の動きが絶え間なく続いていたとして良いでしょう。傍証としてあのホワイトカラー・エグザンプション(WE)が水面上に現れて大きな論議を呼んだのが2006年のお話です。WEだって突然2006年に出てきたわけではなく、当然ですがそれ以前から水面下で動いており、表に出して成立を目指し始めたのが2006年と解釈すべきです。

WEは何回か取り上げましたが、実際のところ成立寸前まで進んでいたと記憶しています。つまり政府内への根回しは水面上に出た時点で完了しており、政府内ではWEとそれに伴う裁量労働制の積極導入は既定路線であったと考えるのが妥当です。WEは「残業代ゼロ法案」の集中砲火を浴びて頓挫しますが、集中砲火を浴びる前に出たのが2006年の通達と見ます。

2006年通達の

    医学研究を行う教授等がその一環として従事する業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を分担するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものは、教授研究の業務として取り扱って差し支えない。
この更なる解釈は広く、広く取られた事だけは間違いありません。WE路線の華やかなりし頃の緩和解釈ですから、事実上の解禁と解釈するみたいです。小嶋レポートは2010年の発表なんですが、それでも、

こう改正通達(基発第0215002号)は述べ、従来の硬直的ともいえる通達の定義がある程度緩和されたことにより、落着をみたのである。

それまでは、教授等が診療に従事した日については、裁量労働制を適用しないとの措置を講じていた大学も、その必要がなくなった。診療の業務ではなく、臨床研究。常識的に考えれば、そうした見方も十分できたであろうし、この程度の定義の見直しに2年もかかるのは、そもそも異常というほかない。

裁量労働制という本来フレキシブルであるべき制度についても、無用で意味のない規制がその柔軟な活用を妨げている。国立大学が経験したのは、その典型例ともいえる事例だったのである。

小嶋レポートは当時の通達への解釈を明快に伝えていると感じます。裁量労働制の導入が絶対善であり、これを妨げようとする動きは「無用で意味のない規制」としています。この通達の後にWE導入が前面に出てきたのは必然の流れであった事も良くわかります。厚生労働省も政府だけではなく、当時猛威を揮っていた○○会議との連合軍の荒い鼻息に吹き飛ばされたとでもすれば良いでしょうか。

小嶋レポートに言う「裁量労働制という本来フレキシブルであるべき制度」の表現も違和感があり、裁量労働制度自体は公平明朗に運用すればフレキシブルですが、一方で運用を誤れば単なる労働強化にしかならない側面があります。それと裁量労働制の本来の持ち味はフレキシブルかもしれませんが、これを無闇に適用範囲をフレキシブルに広げる事が、今の日本の労働環境に適しているかどうかについては別問題と考えています。

ここは穿って考えると、大学医学部に裁量労働制をアッサリ導入できた事が次のWE導入への自信につながった様にも感じます。新たな制度を広げる時には、適用が難しそうな領域をまず攻略しておいて、「あそこでも適用で来たから、他は従え」的な戦術を取ります。独法化国立大学は、人件費抑制の課題が突きつけられていますから、大学自体は導入に積極的であり、業種としては導入が難しくとも、対象としては容易であったと思われます。


厚生「労働省」の本音がどうであったかなんて、外部からは知る由もありませんが、こういう流れに一つだけ釘を刺しておいた形跡があります。私は断言しても良いですが、

    複数の医師が共同で診療の業務を分担するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう
こんな体制の大学病院は日本に存在しないと言えます。ここで言うチーム制とは医療で言うチーム医療とは概念が根本的に異なります。上述した通り、医療の真っ最中にいつでも交替要員が補充される体制です。もう少し言えば、補充要員は裁量労働制の医師では適さないと考えます。裁量労働制の医師は、誰からも業務命令を受けないのです。これは京大の専門業務型裁量労働の契約ですが、

(専門業務型裁量労働制の原則)

第2条 教員等に対しては、大学は業務遂行の手段及び時間配分の決定等につき具体的な指示をしないものとする。ただし、職場秩序及び大学の管理運営上必要な指示については、教員等に正当な理由を説明し、具体的な指示を与えることができる。

ここも微妙ですが、「職場秩序」を盾にすれば、診察の中断について「具体的な指示」を与える事が出来るとあります。これも研究が本当に主であり、従の一部で診療業務を行なっているものならともかくになります。つまり日常的に診療に従事している状態ならどうなるかです。


宮崎大救急部の募集要項

ここの募集要項は、

  1. 募集職種
  2. 応募人数
      若干名
  3. 応募資格
    • 医師免許を有すること
    • 5年以上程度の臨床経験(救急以外でも可)を有すること
  4. 業務範囲
本医学部では、教員の勤務時間は原則として裁量労働制を適用することとなっています。

そもそも助教裁量労働制になれる条件は、

新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務

これに適合した時のみです。ただ助教は教授の業務も手助けすることが求められており、この点については東京労働局の専門業務型裁量労働制の適正な導入のために に、

また、大学の助教は、専ら人文科学又は自然科学に関する研究の業務に従事すると判断できる場合は、前記1.の業務として取り扱うこと。この場合において、助教は、教授の業務を行うことができることになっていることから、その時間が1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものの1割程度以下であり、他の時間においては人文科学又は白然科学に関する研究の業務に従事する場合には、専ら人文科学又は、自然科学に関する研究の業務に従事するものとして取り扱って差し支えないこと。

1割程度は教授の業務を行なえても、残りの9割は「人文科学又は、自然科学に関する研究の業務に従事」しなければなりません。ただし、ここで2006年通達が効果を発揮する事になります。教授の「診療 = 研究」の拡大解釈です。おそらく解釈として、教授が直接診察するものだけではなく、教授の診療科のすべての診察について教授研究と定義しているかと考えています。

そうなれば募集要項にある

ここに書かれている「業務内容 = 教授研究 = 助教は共同研究者」とロジックが成立するわけです。これが2006年通達のキモと考えています。つまり助教の診療行為、業務行為全体が裁量労働制に含まれてしまいます。これは教授や准教授、講師とは立場がかなり異なっていると私は考えます。教授や助教授、講師の場合は、あくまでも

「主として研究に従事する」とは、業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に、その時間が、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること。

ここだって厳密にやれば微妙で、教授や准教授、講師の医療も建前上は2種類あります。

教授や准教授、講師研究以外の業務を5割までは出来るとなっていますが、医療のうちの何割かは裁量労働制でない業務としての医療があることになります。そういう曖昧な点を悪用すれば、教授なりが業務命令を出した時には裁量労働でない医療として職場の秩序を保つ事が出来るかもしれません。これだってかなりの拡大解釈です。

しかし助教は違います。医療が裁量労働制と見なされるのは、拡大解釈後でもあくまでもそれが教授研究であるときのみです。教授研究には准教授も講師も含まれますが、助教は含まれません。これはたぶんですが、助教が本来裁量労働制に適用される「自然科学に関する研究の業務」が、救急医療を研究するから医療に従事すること自体が「自然科学に関する研究の業務」であるとは出来ないはずです。

これが出来るのであれば、教授研究の拡大解釈なんて初めから不要です。ここに関しては厚生「労働省」が最後まで譲らなかったとしても良いかと考えています。そこまで拡大すると、医療だけではなくすべての業種に止め処なく裁量労働制の適用が広がってしまいます。そりゃ、工場労働者だって、工場ラインの生産効率の研究をするためだと強弁すれば、フレキシブルに適用されるからです。

何が言いたいかと言えば、助教の医療はほぼ100%裁量労働制であると言う事です。教授との共同研究と言う建前ですから、教授の医療がほぼ100%裁量労働制であるのと同時に、助教の医療もまたほぼ100%裁量労働制にならざるを得ないことになります。なんと言っても、助教は教授や准教授、講師と違い本来の研究以外に許される一般業務は1割程度しか認められていません。


外形上は教授研究の拡大解釈から、助教にも裁量労働制を適用すると言う運用を現実に行なっていますが、医療現場において助教がどんな裁量が出来ると言うのでしょうか。救急医療に限らずですが、医療ではいつ何時、突発事態が起こるかわかりません。ヒマそうに思えた時間が瞬時に修羅場に変わるなんて日常茶飯事ですし、救急医療ならなおさらと言えます。

医師と言うから理解が難しくなりますが、あえて言えば救急隊に裁量労働が適用されているようなものです。「今日はヒマそうだから帰る」とか「今日は気分が乗らないから帰る」とか「今日は他の研究がしたいから、現場には出ない」と言われれば現場は大混乱になります。外来診察にしろ、ヘリでの救急医療にしろ、病棟診療にしろ、常に突発事態に備えて待機する、つまり拘束されてしまうのが医療の側面です。

裁量労働制でもう一つ重要なポイントは、裁量労働者が裁量権を行使しても、それで職場に混在する非裁量労働者に迷惑をかけない、さらには医療では患者に迷惑をかけないは必要とされる条件になるはずです。医療で成立するには、あり余るスタッフが医師が存在するだけでなく、あり余る医師が裁量労働制医師の裁量分を自然にカバーできないと成立しないと考えます。もっと言えば、裁量労働制の医師の医療従事を基本的に期待しないとしても良さそうです。

確かに京大の契約でも職場秩序の維持のために具体的な指示を出す事が出来るとありますが、職場秩序の維持が100%になればこれは裁量労働とは言いません。そうなればごく普通の管理労働と同じです。職場秩序のための具体的な指示は、必要最小限に留めるべきもののはずであり、これを全面に適用すれば、名ばかり裁量労働制としか評しようがなくなります。助教の例を挙げましたが、これは教授にも、准教授にも、講師にも多かれ少なかれ常にあてはまるものです。

宮崎大救急の公募される助教が、本当に裁量労働制で働くのなら、この助教を救急医療の外来やヘリ出動のシフトで拘束すること自体が無理になります。シフトで拘束すること自体が、裁量労働に根本から反します。助教が求められる業務で働くのは、自分の裁量で「この時間なら医療に従事しても良い」と裁量された部分のみになり、それがいつであるかを常に指示する事自体が不可能なのが裁量労働制です。


宮崎大の救急が象徴例になりましたが、医療に裁量労働制を導入すると、こういう珍妙な事が当然のように起こります。だからこそ、厚生「労働省」も医師と言うか医学部への裁量労働制導入を拒んでいたと考えます。しかし人件費抑制の大義名分のために強引に導入されています。これが破綻なく運用されているのは、医師が裁量権を発揮しない倫理観を持っているだけに過ぎません。

悪意で言うなら、強引でも導入すれば、建前上は裁量権があっても、これを医師の倫理観に寄りかかって実質として封じ込めるのは可能であり、果実である給与の定額制による残業代ゼロ(ないし合法的な抑制)の実現でウハウハと言うところかと考えています。これほどの悪辣な規制緩和を小嶋レポートは、

    この程度の定義の見直しに2年もかかるのは、そもそも異常というほかない。
立場が変われば見方も変わるとは言え、その程度の見識で論じられるのは「そもそも異常というほかない」と私はさせて頂きます。それでも当時の規制緩和の流れに抵抗して残された「チーム制」の規制は、時と場合によっては牙を剥くとは思っています。2006年当時と今は情勢が違います。誰かが角を立てれば、甘く、甘く拡大解釈された医療への裁量労働の適用が、辛く判定されなおす可能性は大です。

司法にまで持ち込めば、かなり辛くなるとは思っていますが、労基署レベルではどうなんでしょうか。ま、医師が労基署に相談に行ったり、ましてや労働訴訟を起す時代が来るとは、2006年時点では夢にも思わなかったでしょうからねぇ。