本物とペテン師

原発問題と言うか、放射能問題の難しさは、低濃度の長期の放射線被曝の人体への影響が「よくわからない」に尽きると思っています。「有る」と「無い」なら無い方が良いまでは答えは簡単ですが、どの程度ならOKかとか、程度により具体的に、どんな影響があるかの明瞭な根拠が事実上存在しないと考えています。あればこれだけ揉めたりしません。

また放射能に対する基礎知識も乏しいところがあり、これだけ騒ぎが長引いたので、ちょっとはマシになりましたが、「シーベルト」とか「ベクレル」から理解されていない方も少なからずおられます。持っている知識の最大公約数は、

今日は放射能問題の解説なんて大それたものに手を出すつもりは毛頭ありません。私程度の知識で手を出せば、大炎上を起こして大火傷を負います。そこで放射能問題に対しコメントを行っている科学者のうち、本物とペテン師(科学者だけではなく、自称専門家・評論家を含む)を独断と偏見で鑑別してみたいと思います。作ってみるとおもしろい比較の二番煎じになっちゃいましたが、それは御愛嬌と思ってください。

本物の科学者 ペテン師的科学者
未知の部分については断言を避ける 既知の部分でとにかく断言する
情報は総合的に判断しようとする 都合のよい情報を拾い上げて強調する
結果よりもそうなった原因を理論で説明する 原因の説明よりも結果からも危険さを強調する
わからない事は「わからない」と言う わからない事は無視する
安全を条件付きで説明する 危険を強調して発言する
現在の不確定な事象についての見解は保留する 危険な事象はアピールのチャンス
発言の担保として学会の権威を考える 発言の引き換えに自分の売出しを考える
対策として現実的対応の要素も考慮する 極端な理想論を展開する
状況の変化があっても芯はぶれない 状況の変化に迎合的
確率論的な安全論を展開する 確信犯的な安心論を展開する


それでもって、どっちの方が受けが良いかと言えばペテン師的科学者です。比較表だけなら不思議で仕方がないのですが、受けるのはペテン師です。そうなってしまう最も大きな要因は、放射能問題に関して聞き手が欲している情報の内容にあると考えています。聞き手は放射能問題に対して、白紙の状態で臨んでいるわけではありません。判断の前提として、
    もう危険な状態にある
こういう心情を裏付ける情報を求めているわけです。本物はどちらかと言うとこの心情に否定的と言うか、水を差すような主張になります。一方でペテン師はピッタリ適合した主張になります。その上で、本物は正確性に拘りますから、クドクドと専門的な解説が長くなり、なおかつ明快に否定しません。聞き手にすればゴチャゴチャ訳のわからない説明が長い上に、結論が心情に反し、さらに歯切れが非常に悪いと受け取る事になります。

結果としてどんな感じになるかと言えば、

項目 本物の対応 ペテン師の対応
聞き手からの結果の要求 歯切れ悪く口を濁す 明快に断言
聞き手への理論説明 正しさにこだわって難解 単純さにこだわって明快
聞き手の理解・反応 理解出来ず不信感が残る 理解不要で共感する
聞き手の判定 役に立たない これこそ識者だ!


さてここで問題なのは、本物の予測とペテン師の予想のどちらが当たるかです。「本物」「ペテン師」と表現をしているので、当然「本物」が当たり、「ペテン師」が外れると言いたいところですが、そうは言い切れないのが現状の難しさです。

科学の予測は既知の知識に基いて行われます。既知の情報が大きく、未知の情報が少ない方が精度が上がります。しかし長い期間の将来予測になるほど、いくら既知の部分が大きくともブレが激しくなります。低濃度の長期放射線被曝の影響については未知の部分が非常に多いのは上述した通りで、未知の部分については既知の部分からの推測値を多用せざるを得なくなります。

推測値の置き方に確定的なものがないために、置き方によって将来予測の範囲は相当と言うか、極論すればどうとでも出来ると言うのが現実としてあります。やや極端な推測値を置いての予測も当たる可能性は、本物であっても否定は仕切れないと言う事です。ここにペテン師が活躍する余地があるわけです。ペテン師の主張する「そうならないと保証が出来るのか」を否定困難と言うわけです。


ほいじゃ、本物の予測とペテン師の予想が同等かと言えば違うと考えています。違いは当たる確率です。放射能問題の未知の部分の大きさからすれば、不謹慎ですが競馬予想の本命と大穴程度の差はあります。競馬も未知の領域が大きいのですが、当たる確率が高いのは本命です。しかし大穴が出る事も一定の確率であるのも競馬です。

的中率に連動してもう一つの問題があります。放射能問題への対策範囲の拡大は、社会的混乱とセットだと言う事です。先週に南相馬市の状況を簡単に調べましたが、ああいう状況がもっと拡大するわけです。放射能問題だけを考えれば良いのであれば、50km圏でも、100km圏でも立ち入り禁止地域にすれば良いわけで、それで話が済むのなら本物だってそうするかと思います。

本物に要求されているのは社会的混乱を出来るだけ小さくする適正な対策範囲です。正確には算出できない適正な範囲に苦渋しているのが本物であり、社会的混乱の要素に無頓着で、放射能による被害だけに特化して主張しているのがペテン師であるとしても良いかと考えています。


さてさて、それでもってどう考えるかです。個人としては本物の予測を信用して現状を見守っても良いですし、ペテン師の予想を信じて避難しても構いません。どちらも当たる可能性を否定できないからです。ただ行政は本物の予測を基本的に採用せざるを得ないと考えています。震災に加えて放射能避難まで拡大すれば、まさにどうしようもないからです。

ここでの注意は行政の情報が本物の予測とイコールかどうかは保証の限りではありません。政治は科学的真実を越えたところにしばしば位置します。本物の予測と言っても答えは一つではなく、相当な幅があります。その幅の中でどの意見を行政の基準にするかは科学ではなく、政治になります。政治は放射能問題より社会的混乱、あからさまに言えば財政的な負担増をしばしば重く見ます。


まさに誰の意見が当たるのか五里霧中の状態なのが放射能被曝問題だと思っています。ま、私は医師ですし、医師も科学者の端くれなので、本物と判断できそうな意見を重視して判断する事にしています。それはそうと誰が本物で、誰がペテン師なのかは、具体的に名前を挙げると誹謗中傷になりかねませんので、各自で適当に御判断下さい。