上小阿仁村後日談

ここの話は前にやったので、ごく簡単に経緯を書いておきます。

Date 事柄 補足
2007年4月 現村長が24年ぶりの選挙の末に当選
2007年5月 前々任の医師が退職
2007年11月 前任の医師が就職 6ヶ月の無医村状態が解消
2008年3月 前任の医師が辞意を表明 前任医師が辞意表明まで4ヶ月
2008年5月 前任の医師が退職 前任医師は6ヶ月で辞職
2008年9月 現在の医師が応募
2009年1月 現在の医師が就職 8ヶ月の無医村状態が解消
2010年2月 現在の医師が辞意を表明 現在の医師が辞意表明まで13ヶ月


当時集めた情報では前任医師も現在の医師も、こういう地域医療に熱意も経験もある医師であった事は確認されています。現在の医師の方を簡単に紹介しておきますと、

内科と小児科が専門で、北海道利尻島の病院勤務や、タイでの医療支援に従事した経歴を持つ。

それと前々任医師の退職経過の一端を窺わせる情報がツイッターにありました。今日確認したら削除されていましたが、プリントアウトしていた分を昨日に一部だけ書き起こしたのを紹介しておきます。かなり怪しげな情報なので話半分以下で受け取って欲しいのですが、

  • 上小阿仁診療所のヤブ医者がついに解雇らしいです。
    年収2000万円超も貰っていたらしく、村長より高給取りだったらしいですよ


  • わーを
    ハッピーニュースをありがとう
    今までの給料はドブに捨てた気分だけど、いなくなってせいせいするわっ


  • やぶ医者め、家も建ててもらったり・・・最低だなぁ


  • なんか新村長が減給と住民票を上小阿仁に移すように言ったところ、医者が辞めますと言ったらしいです
    もともと現村長になったら辞めるって噂がチラホラあったって噂もありましたし

彦根とか金木の掲示板を想起させる内容です。情報の質も量も2級以下なんですが、評価するのは時期です。トピが立てられ書き込みが行われているのは2007年5月で、この頃には今と違い上小阿仁村の存在も、またそこにある国保診療所の医師にも、地元住民以外は全くと言って関心を払っていなかった時期です。つまりわざわざここに書き込みを行う人間は自然と限定されると言う事です。

今なら部外者の書き込みによる釣りもあるでしょうが、2007年5月時点では様相は根本的に異なると判断しても差し支えないと思います。もちろんそういう噂に値するような医師であったのか、そうでなかったのかも確認する術もまたありません。

現在の医師の2010年2月の辞意の時は、あれこれあった末に翻意されているのですが、続報が入りました。3/29付読売新聞より、

上小阿仁 再び無医村の危機 / 医師が退職願 中傷で心労か

 上小阿仁村唯一の医療機関である村立上小阿仁国保診療所の有沢幸子医師(66)が退職願を出し、受理されたことが28日、分かった。有沢医師は昨年、一部住民の嫌がらせが原因で辞意を示したが、住民の熱意で、その後、撤回した。今回は、健康上の理由だというが、今でも嫌がらせが続いていることが背景にあると指摘する村関係者もいる。後任探しは難航が予想され、再び無医村の危機を迎えた。(糸井裕哉)

 有沢医師は昨年9月、小林宏晨(ひろあき)村長に対し、「激務をこなせる体力がもうない」と退職願を提出した。小林村長は「土日を完全休診にする」「週2日は非常勤医に任せる」などの待遇改善策を提示して慰留に努めた。

 しかし、有沢医師は昨年末の検査入院で「現状が続けば健康維持は難しい」と診断されたことを挙げ、申し出を断った。意志は固いと判断した小林村長は2月下旬、受理した。退職にあたり、有沢医師は「後任に引き継ぐまでは頑張る」と話していた。

 有沢医師は当初、辞任の公表を望まなかったが、今月中旬に有沢医師から「いつ辞めるか分からないのに実情を知らせないのは村民に不誠実」との申し入れがあり、村は事実の公表と、ホームページ上での医師公募に踏み切った。また、退職願を受け、村は、有沢医師の負担を軽減するため、4月から秋田市立秋田総合病院長を週1回招いて、外科と泌尿器科の診療を実施する。

 有沢医師は2009年に赴任。年間約20日しか休診せず、夜間や早朝でも往診する献身的な診療で、住民から絶大な信頼を得た。その一方で、一部住民から、「平日に休むな」「患者を待たせすぎだろ」などの心無い中傷で心労が重なり、辞意を表明した。

 1週間で慰留を求める約800人の署名を集めた村民の熱意で翻意した。だが、その後も無言電話があり、年始に休診した際には「正月だからって休むのか」と嫌がらせの電話があるなど、有沢医師に対する中傷は続いたという。

 さらに、周辺自治体で医療機関が続々と縮小した影響などで、有沢医師のいる診療所では患者が急増。昨年は1日あたりで前年比約10人も増えた。

 村の担当者は「有沢先生は後任が決まるまで続けると言ってくれているが、夏までに医師を見つけないと先生が倒れる」と、後任探しに奔走している。

 だが、有沢医師のように村に移住し、急患や往診に即応できる医師の確保は困難だ。村では、常駐の医師が見つからない場合として、非常勤の医師を複数おいて、診療態勢を維持することも考えている。

 月一度、診療所に通っている山田ツル子さん(75)は「一人暮らしで移動手段が限られる私には診療所と有沢先生だけが頼り。無医村になるのは避けたい」と不安な表情を浮かべた。

記事のよりますと現在の医師が辞意を表明したのは昨年の9月となっています。その前の辞意の騒動が2月ですから、半年ほどで辞意を再び表明せざるを得なくなったようです。2月の辞意の時の理由にも「中傷」はありました。これは広報かみこあに平成22年3月号を引用しておきますと、

 医師住宅に最近屋外のセンサー照明装置がつけられましたが、ある住民から村の税金を無駄に使っていると話されたそうです。事実、この装置は先生自身がつけたもので、しかも、電気料金は先生自身が支払っています。事実確認もせずに、心無い攻撃をする人間はとても文明人とは申せず、野蛮人に類するものと断ぜざるを得ません。

 その他、まったく「いじめ」と思われるような電話もあるそうですが、このような不心得者は、見つけ出して、再教育の必要があるようです。

 村の圧倒的多数の人々は、先生に心から感謝しておる事実はありますが、まったく少数の村民の心無い態度が、先生の意欲を無くさせる事実には心が病みます。このような不心得者は、わずか5〜6人に過ぎないことを確認しておりますが、それでも、ご本人に与える影響が憂慮されます。

まあこんな感じであったそうです。他には当時の読売報道として、

 村幹部らによると、有沢医師は昨秋、診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と自費で照明を設置。だが、直後に「税金の無駄使いをしている」と言い掛かりを付けた村民がいたという。

 また、昼食を食べに行く時間が無く、診療所内でパンを買った際、「患者を待たせといて買い物か」と冷たい言葉を浴びせられたり、自宅に嫌がらせのビラがまかれたこともあったという。

 昨年、有沢医師の完全休診日はわずか18日。土日や祝日も村内を駆け回り、お盆期間も診療を続けた。しかし、盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と再び批判を受けたという。

読売記事を信じるならば同様の中傷は辞意翻意後も続いているだけでなくエスカレートしている部分もあるようで、2月の時にはお盆休みの代休に批判が寄せられたエピソードがありましたが、今度は、

    年始に休診した際には「正月だからって休むのか」と嫌がらせの電話
これが今年の話とすると、1日は土曜日、2日は日曜日、3日は月曜日ですから、月曜に休診した事に批判が寄せられた事になります。もしこれが去年の話なら、1日が金曜日、2日は土曜日、3日は日曜日ですから、土曜日を休診にしたのに非難された事になります。元日は三ヶ日でも正規の休日になりますからね。もっとも三が日より少し伸ばして年始休みを取った可能性もありますが、
    年間約20日しか休診せず
通常の感覚で休診と言うのは、普段あるべき診療日に休む事になります。しかし現在の医師の働きぶりからすると、日曜祝日が年間に70日ほどありますが、本来休むべき日曜祝日の2/3以上を働いていると解釈するのが妥当かと思われます。ですから推測ですが三ヶ日を休んだのを非難された可能性はあると考えます。

一般的な感覚なら、それだけ働けば感謝されると思いたいところですが、そこまで休み無しに働くと、今度は日曜祝日どころか正月三ヶ日でも休むのは許せなくなるようです。世の中、そういう面は確かにありますが、1人コンビニ状態はなかなか辛そうな感じはします。ひょっとすると上小阿仁村では尾鷲の産科医の年休2日が基準になっているのかもしれません。年休2日が基準なら10倍ほど休んでいる事になるからです。

現在の医師は66歳とありますから、気力はあっても体力がついていかなくなっているかと思います。しかし66歳と言っても、上小阿仁村の高齢化率は44.3%(2009年時点)ですから、上小阿仁村基準では「若手」と見なされる可能性はあるのかもしれません。

ここで平成20年9月広報かみこあににある前任医師の言葉を引用しておきます。

 一度は書かなければならないと思っていたことを書いてみます。

 「診療所を守るために」としたのは、この診療所の存続があやうい状況になっているからです。その原因の第一は、医者がいなくなるということ。第二は診療所の赤字が続くということです。

 第一点は、この村の執行部の人々の、医者に対する見方、接し方、処遇の仕方の中に医者の頑張る意欲を無くさせるものがあったということです。

 報じられたように、この私はすでに辞表を出し受理されています。「次の医者」を見つけることは相当に困難でしょうし、かりに見つかってもその人も同じような挫折をすることになりかねないものがあります。

 医者のご機嫌取りなど無用、ただ根本的に医者を大切に思わない限りこの村に医者が根を下ろすことはないでしょう。村の人も「患者は客だ」などとマスコミの言う風潮に乗っていてはいけません。そういう道の果ては無医村なのです。

 最近も近在病院の院長・医者が辞めていきました。病院自体がもう危機的状況に陥っています。その医者たちは、私に言っていました、こんな田舎でも働きがいがあります、それは、皆の「ありがとう」と言う言葉と、にじむ「感謝の気持ち」です、と。

 そういう人たちを辞めるまで追い詰めたものは何か、人ごとでなくこの村の問題でもあるんだと考えてみて下さい。

このコラムでは前任医師の辞意の原因を村役場にしているようにしてはいますが、上小阿仁村住民の医師への態度は現在の医師に通じそうなニュアンスが窺えます。つまり、そういう気風はそう簡単には変わる見込みが少なそうであるとも思われます。そうなると後任者の条件として挙げられるのは、

  1. 村人から中傷が出ない様に、診療所の赤字を解消し、患者を待たせず、24時間365日の診療に喜んで耐えられる鉄人医師
  2. 村人からの中傷を物ともせず、我が道を行くで診療を行える鉄の心を持つ医師
ここも「鉄の心」医師では一部の村人の中傷レベルで終らず、村議会の問題レベル、つまり村の総意として追い出される可能性は残ります。そうなると鉄人医師しか選択はなくなりますが、実はもう一つ選択枝があります。純粋の上小阿仁村出身の医師に赴任してもらうことです。私の故郷も田舎ですが、これが一番スムーズに「なあなあ」状態になりやすいと思っています。なんと言っても身内ですから。

田舎の感覚として身内とそうでないものの扱いの落差は物凄いですから、そうされるのが一番良さそうな気がします。それと身内なら新聞で取り上げられて全国に周知されるような失態は起こらないと言うより、そもそも起こさせないでしょう。田舎に行くほど身内への人情の篤さは実にきめ細やかですからねぇ。