チュ二ジア、エジプト

あまりにも旬の話題で気が引けるのですが、現時点の感想みたいなものです。

どちらも長期政権です。チュニジアのベン=アリー政権が1987年から、エジプトのムバラク政権が1981年からとなってますから、非常に長いのが確認できます。これだけ長期に政権を担当するために、政治は独裁制になっています。形式上は選挙や議会があっても実質として独裁政治体制であったと言う事です。ただ長期独裁政権に付き物の腐敗はあったとしても、経済的には「優等生」とされる発展を遂げています。

独裁政治はやり方次第で政治上の自由は抑圧されても、政治上の安定を得る事は出来ます。イスラム教の勢力の強いところは、どうしても政治に宗教が深くからみますから、どこも政治と宗教の両立に苦労しています。日本の仏教と違って、イスラム教は生活そのものの部分が濃厚ですし、基本的に政教一致の体制を強く求める傾向があります。ここは良いか悪いかの評価と別と思ってくださいね。

皮肉なもので独裁でも政治的に安定すれば外資が進出してきます。チュニジアもエジプトも今後どうなるかわかりませんが、政治的に自由になり、イスラム教の政治勢力が強くなれば、進出していた外資がどうなるかに不確定要素が出てきます。外資にとって重要なのは政治的安定であり、政治的に自由であっても政争のたびに国の方針がコロコロ変わる国には居つかないからです。


さて今回の一種のクーデターと言うか、革命と言うか、騒動ですが、面白い側面がありそうに思っています。チュニジアが典型的なんですが、象徴的な反政府指導者がいません。エジプトではエルバラダイ氏と言うのがいるそうですが、正直なところ象徴的な指導者と言うにはチト遠い気がします。ムバラク打倒は共通のスローガンであってもエルバラダイ氏を大統領にの動きになっているとは思えないところがあります。

こういう市民革命的なもので覚えているものとして、フィリピンと南アフリカがあります。フィリピンがわかりやすいのですが、長期政権を敷いていたマルコスに対抗したのはコラソン・アキノです。南アフリカにもネルソン・マンデラがいます。これも古い話ですが、東欧に民主化の波が広がったときのポーランドの指導者がワレサとしても良いと思います。

すべてとは言いませんが、独裁政権打倒の市民革命的運動には、象徴的な反政府指導者がいた事が多いと思っています。独裁政権打倒とは、同時に反政府指導者を新たなリーダーに据えるのと同じ様な行動原理になっていたように思います。なんと言っても、独裁政治体制では権力も、金力も、軍事力も支配している状態ですから、象徴的な人物の下に勢力を結集する必要があったからだと考えています。

人間は誰かを押したてる事により結集しやすい面があり、独裁による圧政下では救世主のように象徴的人物を支持する熱狂が、政府打倒への原動力になったと解釈すれば良いでしょうか。


ところがチュニジアもエジプトもかなり様相が違うように感じています。市民の純粋の政権打倒運動が起こっている気がしています。それもこれまでのケースであれば、10年単位で前兆運動が繰り広げられた挙句の臨界点の印象がありましたが、チュニジアもエジプトも騒動が起こる1週間前には、おそらく世界中の誰も予期していなかったと考えています。

それこそある日突然、市民革命が勃発し、見る見るうちに何十年もの独裁政権をなぎ倒してしまった印象です。こういうタイプの市民革命は、考えているのですが思い浮かびません。受け皿政権と言うか、後継指導者なしで、ある日突然勃発する21世紀型市民革命とでも呼べば良いのでしょうか。北朝鮮はともかく、中国あたりは震え上がって見ているかもしれません。


ある日突然が可能になった原動力は、私が指摘するまでもなくネットの力です。従来の電話や手紙などの伝達手段では、広範囲の一斉蜂起を起させようとしても、反政府勢力は情報を伝達できるだけの組織とメンバーが必要であり、準備のための時間も必要でした。そのため反政府組織に裏切り者やスパイが紛れ込んでいたら、一斉逮捕からの粛清が起こったり、政府側の諜報網に漏れての一斉摘発の悲劇がしばしば起こっています。

それなりにチュニジアでも、エジプトでも事前の運動はあったとは思っていますが、それは仲間内のウダレベルであったはずです。独裁政権であっても、そこまでは取り締まりきれません。そこまで取り締まる独裁国家もありますが、チュニジアやエジプトは、外資導入による経済発展を政策として行なっていますから、その程度の政治的自由はそれなりにあったと考えています。

ネットの前の時代であれば、ウダの広がりは限定的です。たとえ国中に充満しても、それぞれは細かく分断されており、一斉にのレベルにはそう簡単にはまとまりません。まとまるために象徴的なリーダーや組織が必要であったと言っても良いかもしれません。

ところがチュニジアやエジプトでは、ウダがネットによって国中に共有されたんじゃないかと考えています。独裁者が恐れるのは、政権への不満の横の連携です。不満が少々あろうとも、それが個々に分断されているうちは、さして怖れる必要がありません。そういう意味で、バラバラの大衆の不満を吸引できる象徴的人物や組織の出現が恐怖であり、その出現に注意を払うことが政権維持の要点になります。


何となくですが、チュニジアのベン=アリーもエジプトのムバラクも「誰が?」の情報を必死になって集めたんじゃないかと思っています。既に亡命したチュニジアのベン=アリーなんて、今でも「クーデターの黒幕はいつ出てくるか」を注目しているような気がします。バラバラの不満勢力が、あれだけ一斉に連携し、自発的に組織も指導者もなく動くとは信じられないからです。

でも現実は「どうやら」レベルではありますが、黒幕も象徴的指導者も無しの、ある日突然の市民革命であるようです。


そういう事がこれからも起こるか、いや日本でも起こるかになります。市民革命まではなんとも言えませんが、日本でも、新聞社の名前が変わった程度の超ミニチュアサイズの類似の事件は起こっています。あの時も防衛側は、必死になって犯人さがしや、黒幕探しをやっていました。あの事件からもう3年近く経っていますが、黒幕も首謀者も特定できなかったとしても良いと思います。

つまり日本でもいつでも起こりうる現象としても良いかと思います。そういう時代の到来が良いか悪いかの問題ではなく、そういう時代になってしまったと考える方が良さそうな気がします。果たして良い時代になるのか、凄い時代になるのかは、これから嫌でも経験できると思っています。