「朝日 vs医科研」問題の「大学関係者」

上先生が公開されている朝日新聞からの申し入れ書を引用します。

前略

 小職は、株式会社朝日新聞社(以下、朝日新聞社という)の代理人として、貴殿の名誉毀損行為に対し、以下のとうり申し入れます(12月6日付でお送りした申し入れ書は貴殿のお名前に誤記がありました。大変失礼いたしました。再度お送り申し上げます)。

 貴殿は、医療ガバナンス学会のメールマガジンに「朝日新聞 がんワクチン報道の波紋」と題する記事を掲載し、その中で、2010年10月15日付朝日新聞朝刊掲載のがんペプチドワクチン臨床試験に関する記事について、「現時点で朝日新聞の記事は捏造の疑いが強いと言わざるを得ません。」「これでは朝日新聞の自作自演と言われても仕方ありません。」などと記載しておられます。

 上記のようにお書きになられたからには、事実関係を具体的に調査されたのだと存じます。「捏造の疑い」とは記事のどの部分をいうのかをお示し下さい。また、そのように認定された根拠を具体的にお示し下さい。

 貴殿は、Captivation Networkが朝日新聞社に対する抗議文の中で「捏造の可能性が高い」「捏造と考えられる」としていることを理由にしておられるのかも知れません。同抗議文は、朝日新聞の記者の対面取材を受けたのは大阪大学の関係者のみで、同大学関係者は記事にある発言をしていないことを確認したとしていますが、対面取材を受けたのは大阪大学関係者だけでなく、取材は対面取材だけではありません。さらに、大学関係者は各大学とも多数います。調査に対し取材源が発言の事実を簡単に認めるとは考えられないこともご理解いただけるとものと思います。

 本件記事に、「捏造の疑いが強い」「自作自演」などと指摘されるような部分はありません。上記メールマガジンの「捏造」に記載は、全く根拠のないものです。

 記事について「捏造」などと指摘するのは、新聞社に対する極めて重大な名誉毀損行為です。ただちに貴殿の記事から当該個所を削除するとともに、上記メールマガジンに訂正と謝罪の記事を掲載するよう要求いたします。また、同様の指摘をしている「infoseek内憂外患」掲載の貴殿の「朝日新聞がんワクチン報道を読み解く」と題する記事についても、同様の措置を講じるように要求いたします。要求に応じていただけない場合は法的措置を検討いたします。

 本書面に対する貴殿のご見解を、本書面受療後1週間以内に、小職あて書面にてお示し下さい。

 なお、貴殿がメールマガジンで朝日記事の記事について指摘しておられる点については、2010年11月30日付朝日新聞朝刊掲載の「Q&A」及び朝日新聞社アサヒ・コム内の医療サイト・アピタルに掲載した東京大学医科学研究所宛回答書をご覧ください。

草々

この問題でどちらが正しいかの話は極力避けさせて頂きます。読んで面白かったのは朝日側が非常に気にしているのは「捏造」と言う言葉のようです。もちろん報道を生業としているものが「捏造」と指摘されて嬉しいはずがありませんが、これが「高度の創作性と編集権の賜物」とすればどうだったのでしょうか、まあ、言葉の遊びみたいなものですが、捏造なら、

    記事について「捏造」などと指摘するのは、新聞社に対する極めて重大な名誉毀損行為です
こう格好良く大見得を切れますが、これが「高度の創作性と編集権の賜物」になると
    記事について「高度の創作性と編集権の賜物」などと指摘するのは、新聞社に対する極めて重大な名誉毀損行為です
ちょっと締まらない印象です。



「捏造」と言う言葉についてはこれぐらいにして、朝日のレトリックが興味深いところです。上先生の「現時点で朝日新聞の記事は捏造の疑いが強いと言わざるを得ません。」「これでは朝日新聞の自作自演と言われても仕方ありません。」の個所に対し、

    上記のようにお書きになられたからには、事実関係を具体的に調査されたのだと存じます。「捏造の疑い」とは記事のどの部分をいうのかをお示し下さい。また、そのように認定された根拠を具体的にお示し下さい。
ここは別に妙な申し入れをしているとは思いません。批判、それも「捏造」まで強い言葉を使うのなら、その根拠を明示せよの要求です。誰だってそう主張するかと思います。もう一度、断っておきますが、どちらが本当に正しいかの議論は意図的に避けていますので宜しくお願いします。

上先生について根拠の提示を要求する一方で、上先生から指摘を受けた例の大学関係者の発言の調査については、

    対面取材を受けたのは大阪大学関係者だけでなく、取材は対面取材だけではありません。さらに、大学関係者は各大学とも多数います。調査に対し取材源が発言の事実を簡単に認めるとは考えられないこともご理解いただけるとものと思います。
つまり医科研側が調査したと言っても、それは不十分なものであるとし、発言した大学関係者も調査されても答えない事があるのは常識だろうとしています。朝日の言わんとするところは判りますが、すこし考えると悪魔の証明を求めているのがわかります。こういう状況になって、ノコノコと「私が発言しました」と取材源になった関係者は発言する可能性は極めて低いと考えられます。

また医科研の調査と言っても、これにウソの回答を行なっても、さしたる法的措置が生じると思えません。つまりですが、医科研がいかなる調査を自力で行おうとも、朝日は「その調査は杜撰である」と永遠に指摘が可能であるわけです。なかなか巧妙なレトリックであると言えます。レトリックはさらに巧妙で、密かに電話取材を行った可能性も示唆していますし、非公式の対面取材の可能性も示唆していますから完璧といえそうです。

ただなんですがレトリックをチョットいじくれば話は変わります。医科研側が「調査は厳密かつ網羅的なものである」と言い切ってしまったらどうなるかです。完全な水掛け論ですが、次の展開は朝日が存在すると主張する「大学関係者」が本当に存在するかどうかになります。存在すれば朝日への名誉毀損が成立する可能性がありますし、存在を提示できなければ朝日の「捏造」が成立します。

ほいじゃ、朝日が大学関係者を提示すれば話は終るはずですが、最後に「取材源の秘匿」が立ちはだかる事になります。朝日が捏造の否定のために取材源を明らかにすれば、今度は報道機関としての倫理が問われる事になります。



問題をクルっと回しますが、そもそも論ですがこの問題において大学関係者氏は何故に匿名でなければならないかです。内部告発であるからこれを保護するものであると考えるのは成立しますが、記事での該当部分はおそらく、

記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」

これは内部告発に該当するほど重い発言だろうかの疑問が生じます。あんまり触れたくないのですが、今回の腸管出血の定義と言うか、考え方については隠蔽問題と言うより、解釈論争の様相があります。論点としては有害事象ではあるが副作用なのかどうかがあります。また問題となったペプチドワクチンの投与は医科研単独の臨床試験であり、倫理指針でも他施設への報告を求めていないというのもあり、それでも報告すべきかの問題提起でもあります。

仮に大学関係者氏が存在したとして、研究者であるならこれらについて意見を述べるのは内部告発と言うより、自らの見解の主張とする方が相応しい気がどうしてもします。自らが正しいと信じる見解の主張であるなら、これを匿名にしなければならない必然性が低いとも考えられます。好意的に解釈すれば、臨床試験も含む治験問題への重要な提言であり、むしろ実名で発言すべきものであるの考え方も成立します。


それでも朝日が匿名にしている理由を考えても面白いと思います。今日は楽しみながらやっているのですが、まず朝日の主張通り、大学関係者氏は存在していると考えます。しかし名前を出すには問題がある存在である可能性を考えます。名前を出す事により医科研ににらまれて不利益が生じるの考え方も一つですが、もう少し違う事情を考えてみます。これはBugsy様の意見ですが、

やはり 有害事象であると最後まで断じたのは取材対象者でしょうか。出血ありという事実を対面した取材対象者から聞きだし、第3者たる医療関係者に詳しい背景は伏せて問い合わせて有害事象であるという言質を取った後に 勇躍記事にしたんじゃないのかなあ。

朝日は実際に取材を行い、取材の中で記事に相当する言質は取ったが、あくまでも取材過程の中の言質であり、編集権をもって記事にした可能性です。つまり実在する大学関係者氏に証言を求めれば、あっさり覆されてしまう危険があるという考え方です。こういう事がマスコミ取材で起こる実例をここで示す必要もないと思いますが、朝日なら宮崎大研修医へのインタビューがあります。

つまり取材内容の中で編集権による切り貼りで成立している部分であり、取材を受けた大学関係者氏を内部告発者として保護しているというより、ここまで尖鋭に問題化してる朝日側の内部事情に齟齬が生じないように「取材源の秘匿」を行使しているんじゃないかの推測です。

これも巧妙な手法で、ひょっとすると取材を受けた大学関係者氏は、自分が受けた取材から記事内容が構成されているとは夢にも思っていない可能性すらあります。問題の記事部分ですが、よ〜く読んでください、記事の中で実際に大学関係者氏が実際に話したのは「」の部分だけで、

    「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」
残りの該当部分は記者が「高度の創作性」で書かれたものになります。さらに「」部分を本当にペプチドワクチンがらみで話していたかどうかは実は不明とも言えます。つまり大学関係者氏は記事にある言葉を話していますが、どういう文脈で話したかは朝日と大学関係者氏と、神のみぞ知るとなります。それぐらいマスコミによる取材内容への編集権の行使については、厚い厚い信用が積み重ねられてきたと言う事です。朝日も例外ではありません。

大学関係者氏は朝日の主張する通り存在するので、上先生の「捏造」とか「自作自演」の主張は虚偽であるは成立するかもしれません。しかし本当にその通りに、文脈上も話したかは大学関係者氏が表に出ない限り不明であり、この点については「取材源の秘匿」で明かせないになります。

そこまで考えると朝日の申し入れ書は良く出来ていて、発言内容の是非ではなく、あくまでも大学関係者氏の存在の有無に重点を置いた内容になっています。名誉毀損訴訟はブラフであるとの見方も出ていますが、発言内容ではなく大学関係者氏の存在の有無だけに焦点を絞れば、たとえ訴訟になってもうまい便法を考えているんじゃないかとも推測可能です。

通りすがりの内科医様のコメントを紹介しておきます。

朝日新聞の弁護士は、ちゃんと戦い方や、どこを叩くかといった戦術を心得てます。
油断すると、署名に加わった多数の医師、ひいては日本の医学界全体が非難の対象とされてしまうことまで考えなければなりません。たぶん私が朝日新聞側の人間なら、そのような戦い方をします。

最後に公平を期すために、もう一度強調しておきますが、朝日が、不利益を省みず内部告発に協力してくれた大学関係者氏を保護している可能性も十分にある事を指摘しておきます。