治験のお話

私は医師ではありますが、治験についての知識は非常にさみしいものがあります。参加と言うか、下請け(いや孫請け)をやって書類の項目を埋めた事はありますが、主体となって参加した経験がありません。実は例の朝日記事が問題になったときに、治験についての現状のレクチャーコメントを期待したのですが、これが無かったために自力で泥縄式に調べて見ることにします。ですから間違い、勘違いは出てくると思いますが、宜しく(心優しく)訂正の程お願いします。

まずなんですがICHなる言葉があります。フルスペルは非常に長くて、

    International Conference on Harmonisation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use 
適切な日本語訳は決まっていないらしく、「日米EU医薬品規制整合化国際会議」とか「日米EU医薬品ハーモナイゼーション国際会議」とあえてされるそうです。なんの事やらミカンやらなんですが、治験ナビから概要を引用します。

ICH(アイ・シー・エイチ)とは、今や、世界の医薬品事業30兆円のうちの80〜85%を供給し、消費する日・米・EUの3極間で、新医薬品の製造(輸入)承認に際して要求される資料を調和(共通化)することによって、医薬品開発の迅速化・効率化を目指す会議のことです。

また、ICHの会議によって協議・合意決定された取り決め事項を「ICHガイドライン」と呼び、日米EUでの医薬品開発におけるガイドラインとしての役目を果たします。

日米EUの間で新薬開発や承認の共通化を行っていこうの会議ぐらいに理解すれば良さそうです。ICHの目的も書かれており、

日米EU三極の新医薬品の承認審査資料関連規制の整合化を図ることにより、データの国際的な相互受入れを実現し、有効性や安全性の確保に妥協すること無く、臨床試験動物実験等の不必要な繰り返しを防ぎ、承認審査を迅速化するとともに、新医薬品の研究開発を促進し、もって、優れた新医薬品をより早く患者の手元に届けること

要するに、日米EUで治験の方法を統一化することにより、お互いに自分の国で実施した治験データを、相手国でもデータとして使えるようにして、治験期間の短縮と治験費用の節約をはかりましょうという事です。

それまでは国や地域によって新薬承認を受けるためには、いちいちその国の審査を始めから受ける必要があったりしていたので、日米EUでそれを共通化し、お互いの国や地域で認められたデータを出来る限り有効活用していこうの趣旨と読めます。そのためには新薬承認過程や手順を共通化する必要があり、それをICHで取り決めていると考えられます。

ここでなんですがICHが新薬承認のための治験の基準として打ち出されたものがGCPであると考えられます。GCPのフルスペルは、

    Good Clinical Practice
これの日本語訳としては、「医薬品の臨床試験の実施の基準」となっています。ではGCPとはなんぞやですが、これも治験ナビより、

GCPは、被験者の人権と安全性の確保、臨床試験のデータの信頼性の確保をはかり、適正な臨床試験が実施されることすなわち、臨床試験が、「倫理的」な配慮のもとに、「科学的」に実施されることを目的として定められた法律です。

それまでも、1989年10月2日通知(1990年10月施行)された、「医薬品の臨床試験の実施に関する基準」(GCP)が存在しましたが、こちらはあくまでも「通達」であり、法的拘束力の無いものでした。

しかし、新たに制定されたのは、「省令」であるため、臨床試験に関わる医療機関、製薬企業(依頼者)、医薬品開発受託機関、及びそれらの関係者が、臨床試験の実施に当たって、これに違反した場合は、法的に罰せられることになりました。

名称も「実施に関する基準」から「実施の基準」となり、より、その効力を強調しています。

両者とも略称は「GCP」であるため、区別するために、後者を法的有効性を強調し「省令GCP」と呼ぶ場合があります。

GCPはICHが定めた基準ぐらいに理解しても良さそうですが、日本でも省令でGCP1997年3月27日厚生省令第28号として定められているようです。1997年に定められた日本のGCPは「新GCP」とも呼ばれているようですが、これによって特に強調されたとされているのが、

特に、臨床試験に参加する患者にとって重要な点は、それまでは「口頭による同意」も認められていたのが、「文書による同意」しか認められなくなったことです。

つまり、臨床試験の担当医師が勝手に、患者が「口頭同意」したことにして、事前説明無しに臨床試験を始めてしまうことが無くなる訳です。

それまでは、医師が「新しい薬」だと称して、未承認の開発中の薬剤「治験薬」を患者に投与して、臨床試験を行ってしまう事が時々あったのです。

これでは、人権もヘッタクレも無いことになります。

それが、例え人類を救うような、画期的な新薬を開発するための「臨床試験」であっても、患者の同意がなければ「人体実験」なのです。

「文書同意」が必須になったことによって、患者は臨床試験に参加する前に、臨床試験のメリットとデメリットについて十分説明を受け、参加するかどうかをじっくり検討する機会と時間が与えられるようになりました。

これを、「インフォームドコンセント」と呼びます。

もちろん、最終的に臨床試験に参加するかどうかは患者が決めることであり、患者自身が、「自己責任」の元に決定しなければなりません。

少々文飾が長いのですが、治験に参加する患者がこれまで口頭の了解で良かったものが、文書による同意が必要になったのがどうやら大きな改正点であったように考えられます。もっともそれだけでないようで、施設等の基準も格段に厳しくなったようで、新GCPが施行されると、

GCP施行後、国内の医療機関の大部分は、GCPに沿った治験実施体制を敷くことが出来ず、施行前に比べて、国内での治験の実施数が半減しました。

かなりの厳しさであった事が良くわかります。こういうGCPの厳格化による治験規模の縮小は日本だけの話ではないようで、PLoS Medicine誌2009年12月号の論説「臨床試験規則がもたらす意図せざる結果」の要旨には、

ある試算によれば、2004年以降、ヨーロッパの臨床試験の数は30〜50%まで落ち込み、大学等の臨床試験の割合は40%から14%へと減少している。その結果、ヨーロッパの臨床試験センターはもはや回復できないほどの損害を受けている。

EUにも大きな影響があったようです。アメリカがどうであったのかの情報が見つからないのですが、なんとなく影響が小さかったんじゃないかと勝手に推測しています。なぜならアメリカも治験規模が縮小していていれば、これは治験ナビからですが、

治験を実施できずに困った日本の製薬メーカーは、海外で治験を実施し、そのデータを日本に持ち込んで申請するという方法を選択する場合が増えてきました。

GCPはICH由来であり、ICHは日米EUの2国+1地域で基本的に通用していたわけですから、アメリカまで治験規模が縮小すれば、日本のメーカーが海外で治験する余地がなくなるだろうと考えられるからです。



ここらまでは割りと簡単なのですが、この次が私には難解なところです。難解なところに進む前にGCPの話をもう少ししておきます。私はICHからGCPが出てきたような書き方をしましたが、これは必ずしも正しい表現でなく、ICHより前にもGCPはあったようです。国ごとのGCPみたいな受け取り方で間違いでないと思います。

ICHは国ごとにバラツキのあったGCPを国際基準として統一化と言うか、共通化したものと考えた方が本当は良さそうです。ただ現在のGCPはICH由来であり、ICHに基いたGCPでないとGCPとして国際間の評価に耐えないとぐらいに考えて良いかと思われます。引用した文章にICH-GCPと言う表現があるのも、おそらくそれ以前の国ごとのGCPとの区別して用いられていると理解しています。

もう一つ、GCPは何のために整備されたかですが、主眼は製薬メーカーの新薬承認のための手続きにあります。非常に複雑と言うか、煩雑な手続きで、日本のGCPである厚生省令第28号を読んでみましたが、途中から眩暈がして全体像を把握するまでに至らないほどのものです。無駄なものと言う気はサラサラありませんし、様々な経緯で出来上がったのでしょうから必要な手続きなのでしょうが、とにかく大変な手続きが必要な事だけはわかります。


いつまでも回り道をしていても仕方が無いので、難題に取り組む事にします。難題と言っても、私にとって難題であるというだけのお話ですので、よく御存知の方には失礼させて頂きます。どうやら日本では治験と言っても2種類あるようです。どちらも基本はGCPに基くものですが、

薬事法に基かない治験はどんな規定で行なわれているかと言えば、臨床研究に関する倫理指針に従って行われているそうです。ここももうちょっと煩雑なんですが、理解としてはそれぐらいで良いと思います。こういう区分があるのは、え〜と、なんですがGCPが本来新薬の承認のために作られたものであるというのが大きいようです。

私の理解も相当怪しいのですが、新薬の承認のためには薬事法をクリアする必要があり、薬事法でクリアするためにはICH準拠のGCP、すなわち省令GCPの適用が必要の仕組みであるようです。メーカーにしてみれば手続きが少々複雑になっても、一度クリアすれば他国でもそのデータを活かせる事になりますから、たぶんメリットは大きいんだと思っています。

ただ治験は新薬承認にのみ行なわれるわけではありません。たとえば有効な薬剤であっても市場価値が乏しければ新薬の承認に動きません。また薬剤の適用範囲もそうで、適用範囲を広げるにも治験が必要なんですが、市場価値が小さいと動かない事になります。簡単に言えば商売にならないものは手を出さないです。

メーカーの事情はともかく、現行の薬事法ではメーカーが売りたいという薬の審査しか行いません。しかし臨床現場では薬剤の新たな可能性を試みたり、メーカーが申請しない海外の未承認薬が欲しい場合もあります。そういう医師が主導しての治験も従来は省令GCPの適用外であったようです。これについては2003年に省令GCPが改善され(改正GCP)ようやく可能となっています。

この医師主導型治験もまだ薬事法に基づく治験の範疇になります。省令GCPが適用され、データは申請に用いる事ができます。薬事法に基かない治験とはこれ以下と言うか、これ未満の臨床研究を指すようです。大学を始めとする研究機関では様々な治療法の開発が日夜続けられています。これらの研究もある段階まで進めば、人体への適用を行わなければなりません。

ちょっと理解が難しいかもしれませんが、たとえを薬剤にしてみます。ある薬剤が研究され、人間にも有効性が高そうだと判断されたとします。しかし人間に本当に有効かどうかは実際に人間相手にテストする必要があります。動物と人間の反応が同じとは言えないからです。人間にも有効である事が確認されて始めて広く用いる事が出来ます。

薬事法に基く治験は言ってみれば完成品の最終段階の検査です。それに対し薬事法に基かない臨床研究は完成品を目指すための予備試験みたいに理解しても良さそうに感じます。臨床研究と言う予備試験に合格できた薬剤が完成品として、薬事法に基く最終試験に臨めるみたいな感じです。私も完全な理解ではありませんから、誤解している部分もあるかもしれませんが、これぐらいで話を進めさせて頂きます。


ここでなんですが、薬事法に基かない臨床研究とはいえ、人間に対して行うものですから、患者への対応はGCPに基いて行われるべきとなります。GCPに基くと言っても、省令GCPの煩雑な手続きではなく、治験対象になる患者の取扱い、治験結果の取り扱い方とかです。そのために臨床研究に関する倫理指針が定められています。これも読めば眩暈がしそうになるのですが、たぶんGCP準拠の内容になっていそうに思います。

ただ省令GCPと全く同じかと言えば、省令と倫理指針ですから強制力が違うといえば違います。これは省令と指針を根性入れて比較対照する気力がないのですが、指針のほうが細かい手続きは少し緩やかだろうぐらいには思っています。


さてなんですが、意見として臨床研究であっても、薬事法に基く治験であっても、人に対するものでは同じなので一元管理にするべきだがあります。私の日本の治験システムへの理解は上記したように極めて不確かなので、一理あるものと思います。つうか、何故に切り離されているのだろうとも感じないでもありません。

切り離されて並立している理由として、やはりGPCの成立の経緯は大きいと思っています。GPCはもともとメーカーによる新薬承認の便宜のために作られた側面が大きく、システム的に新薬承認に偏りすぎている部分が大きいと考えています。つうか特化して制度化されているために、非常に手続きが煩雑と言うのがあります。患者の権利部分だけなら文句は出ないにしても、その他の手続き部分が余りにも煩雑であると言う事です。

これは完成品審査の面があるためとも考えられ、開発部分に適用すると余りの杓子定規に縛り付けられすぎる面があるのでないかと考えています。内容を把握するのに挫折した人間が言うには恥しいのですが、GPCをそのまま臨床研究の場に導入しようものなら、治験施設が半減した様に研究施設も半減する危険性があるとも考えられます。

PLoS Medicine誌2009年12月号の論説「臨床試験規則がもたらす意図せざる結果」の要旨をもう一度引用しますが、これはイギリスの話ですが、

 EU各国では、2004年5月1日までにEU臨床試験指令(以下「指令」)を国内法化する必要があり、イギリスでも法改正が行われた。2005年のEUによるGCP指令(European Directive 2005 /28/EC)は、GCPに関するより詳細なガイドラインを提示し、そこではICH-GCPが考慮されるべきと記された。このGCP指令を受けてイギリスでは2度医療法(Medical Acts)が修正されたが、最終的にイギリス医薬品庁(MHRA)は、少なくとも国内ではICH-GCPには法的拘束力はない、という見解を提示した。しかしそれにもかかわらず、結果としてイギリスの臨床試験センターはますますICH-GCP遵守の方向に傾いている。

 MHRAは指令の導入が大学等の臨床試験に与える問題について認識していたが、それを止めるだけの力は持っていなかった。次第に官僚的な手続きが増大していった結果、EUでは患者のケアに対する損害さえ生じている。実際、同意の問題から救急医療における臨床試験の実施が困難となり、イギリスでは2006年の法改正までこの問題が解決しなかった。

どうもイギリスではGCPを大々的に導入したようです。そのために臨床研究の場でもGCPが幅を利かし、GCP遵守に国内の医療機関が雪崩をうって動いたようです。しかしGCPは本来メーカーの新薬承認手続きの共通化のものであり、煩いほどの手続きが付いて回ります。その弊害は臨床研究を停滞させてしまうほどのものであった事が窺えます。

これに慌てたイギリス医薬品庁はGCPは国内での法的拘束力はないとの見解を示したようですが、一度出来た流れは変えられなかったようです。

 大学等が行う医薬品の臨床試験と製薬企業の行う臨床試験とは共通点もあるが、その主要な目的は異なる。前者は専ら患者へのケアの改善のために行われるが、後者は新薬開発を目的としている。どちらの試験においてもGCPは重要だが、多国間での新薬開発のために作られたICH-GCPの煩雑な手続きは、大学等での臨床試験にはほとんど関係が無い。結局のところ、指令の導入によって、多くの研究施設や研究者がこうした臨床試験の実施から手を引くようになってきている。

 イギリス医薬品庁によれば、臨床試験規制のうち、法的に拘束力のある部分は、適切なスタッフ、質を担保するための手続き、データの正確性、患者の秘密保持、患者の同意の文書化、のみである。これらは質の高い臨床試験を行う際には常識となっていることであり、ICH-GCPの要求する煩雑な手続きとは程遠い。そもそも、ICH-GCPの定める手続きは膨大なコストを要求するが、それらの費用対効果は検証されていないうえ、それが被験者のケアを改善してきたというエビデンスも存在しない。

 公的資金によって支援されている研究者は、研究を実施する際に従うべき最低限の法規制を遵守すれば良く、ICH-GCPの煩雑な手続きに縛られる必要はない。われわれは、特に既に承認されている医薬品に係る臨床試験については、まったく別のGCPが定められることを望む。

GCPは患者への取扱い面ばかりメリットを強調される事が多いようですが、本質は国際的に共通化させる新薬承認の手続きであり、こちらの方が実務上は巨大な負担になります。しかしシステムとしては一体化しているため、GCPを導入するとセットで現場に強制される弊害がイギリスを始めとするEU諸国で起こったと考えられます。

イギリスで注目されるのはGCPがシステムとして導入されてしまうと、監督官庁が「法的拘束力はない」と宣言しても取り返しがつかない事態になることです。GCPの導入と言っても臨床研究の場では、

    イギリス医薬品庁によれば、臨床試験規制のうち、法的に拘束力のある部分は、適切なスタッフ、質を担保するための手続き、データの正確性、患者の秘密保持、患者の同意の文書化、のみである。
これだけ必要にして十分であるのに、その他の怒濤の様な手続きも同時に押し寄せ、現場を萎縮させるだけではなく、衰退さえさせる危険性がある事がわかります。この危険性については、薬害オンブズパースン会議という名前からして、こういう規制に熱心そうな団体ですら、

ただし、法的規制の内容については、大学等における臨床試験・臨床研究の必要性・実施可能性などを考慮したうえでの適切な規制となるよう、十分検討することが求められる。どのような内容の規制が望ましいのかを考えるためにも、引き続きヨーロッパの動向に注目したい。

こういう風にPLoS Medicine誌2009年12月号の論説「臨床試験規則がもたらす意図せざる結果」の要旨について評しています。



ん、ん、ん!! ここまで調べて少しだけ見えてきた気がしないでもありません。GCPはICHが定めた国際ルールです。本来の目的は製薬企業が新薬の承認に用いる国際基準です。製薬企業が申請する新薬は前提として完成品です。承認されれば直ちに販売され、売れれば大きな収益を望めます。つうか、儲けるのを目的に申請します。

完成品の最終審査ですから基準は厳格になります。これも国際ルールとしてどの国でも通用する様に、ICH参加国の中の厳しい条件がゴソっと盛り込まれたと推測します。厳しくて悪いわけではありませんが、その反面として膨大な手間とコストがかかるものになっていると考えられます。ただ製薬企業にしてみれば、

  1. 少々のコストがかかっても販売後に余裕で回収できる
  2. 国ごとに審査を行うのに較べるとトータルではコストが安い
なんと言っても現在の製薬企業はメガ企業になっていますから、GCP治験に少々の手間と費用がかかっても、承認によっての販路拡大でお釣りが十分来るとしても良いと考えます。ただし大きな問題点としてコストの回収が望み難い治験にはハードルが非常に高くなるがあると考えられます。

どういう事かと言えば、ここも大雑把にしておきますが、新薬開発は当たり前ですが「動物実験 → 人体治験」と進みます。動物実験でOKのレベルではまだまだ完成品とは言えません。動物実験段階ではOKであっても、人体に試してみると思ったほど効果が無かったり、動物段階では無かった強い副作用が発現したりすることは多々あります。

言い方は悪いですが動物実験段階では試作品の域に留まると言う事です。完成品に近づくためには人体への治験が絶対に必要です。ここで人体への治験をGCP基準で行うと莫大なコストが必要になるわけです。試作品段階で実用化しなかった薬剤は相当数あると聞きますし、実用化したものも人体への治験結果からさらに改良されて完成品に近づくプロセスもあると聞きます。

「試作品 → 完成品」に必要な治験をすべてGCP基準で行うとなればコストだけではなく、手間とヒマ、もう少し言えば実際に治験を行う医療現場がとても対応できない現実があると見るのが妥当です。そこでGCP基準のうちで莫大なコストが発生する事務手続きを簡略化した治験が求められる事になります。GCP基準は膨大な事務手続きもクリアしないと国際承認されませんが、「試作品 → 完成品」の過程では必ずしも国際承認される必要性はないと言う事です。

現実の治験に必要とされるものは2種類あり

完成品のための治験 試作品のための治験
目的 販売のための最終審査 完成品に近づけるための準備試験
必要な基準 GCP 簡略化したGCP
治験の扱い 国際承認 たんなるデータ収集


ところがICHが定めるGCPは一つしかなく、運用はこれを全適用するか否かの選択枝しか存在しません。試作品段階の治験にまでGCPを全適用すると新薬開発に大きな支障が生じる事になります。つまり手間とヒマと金がかかり過ぎると言う事です。

日本ではGCP基準を全適用した省令GCPに基く新薬審査のための治験と、GCP基準を全適用しない臨床研究に関する倫理指針に基く臨床研究としての治験の二本立てになっていると考えるのが妥当かと考えます。当然ですが臨床研究での治験はGCPが全適用されていないために国際的には通用しない事になります。国際基準に適用しない治験と言っても、目的は「試作品 → 完成品」のためのデータ収集ですから、実用性としては十分あるわけです。

すべてをGCP全適用にするのは一つの理想ですが、現実のGCPは試作品段階の治験には「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」になってしまうと考えます。そうなると試作品の治験用の簡略化したGCPを設定すれば良さそうなものですが、これが存在しないのと、もし作ってもやはり本来のGCP基準が全適用されていないために国際承認はやはりされない事になります。

日本での問題点をあえてあげれば、GCP全適用の新薬審査は省令GCPとして法的な管理のものとして行われる一方で、GCPを全適用しない臨床研究は倫理指針と言う法管理が少し緩いものに置かれている事でしょうか。これの管理を強化したいという意見は出てきてもおかしくありません。そういう意見が現場の現実に適合しているかどうかの議論はさておきます。

これは国内法の整備ですから可能です。可能ですが、簡略化した臨床研究のためのGCPを省令化してもやはり国際承認にはなりません。それとイギリスの例も参考にする必要があります。簡略化したGCPでも省令化すると、今度はこれが全適用の方向に動き出してしまう可能性が出てきます。臨床研究にも省令を被せてしまうと、今度は治験の逃げ場がなくなりますから、メリット、デメリットを慎重に考える必要があると言う事です。



こんなもので堪忍してください。私が泥縄式で理解できたのはここまでです。とどの詰まりとして、私は治験に本格参加した事がありませんから、最後のところの実感がどうしてもわかりづらいのです。この問題に詳しい方がおられましたら、私が誤解している点を宜しく訂正してくだされば幸いです。