銚子市立総合病院の診療休止に伴い、精神科通院患者の受け皿として開設された銚子精神科診療所に代わってきょう1日、同市新生町に「銚子こころクリニック」が開設する。診療は3日から。
開設者は日本精神科病院協会の元会長、仙波恒雄医師で病院長も兼務する。仙波医師は千葉大医学部卒。現在は、日本精神保健福祉連盟理事長、日本精神衛生会理事。
銚子精神科診療所は市立総合病院の通院患者1200人の診療を引き受ける目的で昨年10月、県、千葉大、銚子市医師会の協力で市立総合病院施設の一部を活用して開設された。30日で閉鎖となったが、仙波医師は同診療所においても運営委員会委員長として当初から運営に携わってきた。
こころクリニックは精神科の外来診療のほか、デイケア、ショートケア、訪問看護指導、こどものこころ外来(月1回土曜日の午後。受診は予約制)を行う。
診療日は月、火、水、金、土曜日(祝祭日は休診)。受付時間は午前9時30分〜同11時30分、午後1時〜同2時。診療時間は午前10時〜午後4時。仙波医師のほか千葉大医学部に関係する医師が交代で診療する。
この話については中間管理職様の医療崩壊を救って”という名の詐欺 「1000人救う老医師の挑戦 」とか、うろうろドクター様の80歳にして、5000万円の借金??? あたりを御参照下さい。5000万の話はもう良いでしょうから、ここまでになった経緯を出来るだけムックしてみます。
この診療所は
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銚子精神科診療所 → 銚子こころクリニック
市立総合病院を9月30日で休止することとなり、市民の皆様には大変ご心配をおかけしております。
特に約1,000人もの患者の皆様が通院している精神神経科については、市内に診療する場所が無いことから、千葉県とともに最優先の課題として考えてまいりました。
今回は、精神神経科の課題をはじめとした当面の対応方針が決まりましたので、お知らせいたします。
銚子市立総合病院が閉院される事の対策として設立された事が確認できます。さらに、
診療所の開設(案)
■開 設 者 銚子市
■開設場所 市立総合病院の施設内
■診察日時 平日の午後7時〜10時
銚子市立総合病院閉院問題の経緯は複雑怪奇なのですが、病院存続を訴えて当選した前市長が2008年7月に閉院(休止)を表明し、2008年8月22日に議会で承認を受けています。その議決に従って2008年9月30日に閉院となっています。閉院に伴い入院中や通院中の患者への対応が問題としてあがり、精神科もその対応を行った一環が銚子精神科診療所の設立と考えても良さそうです。
精神科は旧病院で150床の精神病床と1000人の患者を抱えていたとされます。入院はこういう事態のため仕方がないとしても、外来部門だけでも維持しようと言う企画には見えます。この広告が為されたのが2008年8月29日ですから、閉院決議の1週間後である事も確認できます。ではこの内容のまま出来上がったかと言えばそうでなく、2008年10月号「広報ちょうし」では風向きが変わっています。
10月1日から民間による診療所「銚子精神科診療所」が開設されます。
8/29時点では市立であったはずが、10/1の開設時点では「民間」に開設主体が変更になっている事がわかります。それと診療内容も案とは変わっており、
この「民間」とは一体どこかになりますが、2008.9.24付読売新聞に
運営主体は銚子精神科診療所運営委員会(委員長=仙波恒雄・前日本精神科病院協会長)で、開設者は同運営委員で同市産業医の河野晃医師。診療は千葉大精神神経科医局の医師が担当。診察日は火〜土曜午前9時半〜11時半、午後1時〜2時。問い合わせは、千葉大大学院医学研究院精神医学内の同運営委員会事務局。
ついでに場所ですが、これは「広報ちょうし」より、
8/29時点の「案」と10/1に実際に開始されたときの違いをまとめておくと、
項目 | 案段階 | 実際 |
開設者 | 銚子市 | 民間 |
診察時間 | 19:00〜22:00 | 9:30〜11:30 13:00〜14:00 |
場所 | 旧病院内 | 旧病院精神科 |
診療内容 | 外来のみ | 外来とデイケア |
比較すればよく判るのですが、案段階の銚子市の外来時間の設定に非常な違和感を感じます。精神科に夜間救急があっても構わないと言うか便利かもしれませんが、夜間救急だけで昼間の診療が無い形態はかなり珍妙です。ちなみに私の調べた範囲では当時の銚子市に昼間も診療している精神科医療機関はありません。あくまでもどうやらなんですが、銚子市の構想では、同時に設置された小児急病診療所のついでに作るぐらいであったと考えられます。
小児急病診療所の診療時間は「広報ちょうし」より、
午後7時〜午後10時
これも多分ですが精神科診療所も小児急病診療所が設置される
市立総合病院 救急処置室と時間外診察室
この一角で細々やってくれの趣旨であったと考えられます。どうもばかりで申し訳ありませんが、銚子市の意向として閉院した病院ですから、とっととファードアウトして欲しい意図が露骨に出ていると感じないでもありません。ただなんですが、閉院問題はスッタモンダの大騒ぎになったのは良く御存知の通りで、2008年10月の時点での銚子市の公式の態度は、これも「広報ちょうし」にあり、
病院の診療再開に向けて
千葉県の協力を得て、有識者などによる「銚子市病院事業あり方検討委員会」を早急に立ち上げ、公設民営(指定管理者)など病院運営の主体や再開する診療科目、病床数などについて協議・決定し、公募により早期に診療を再開できるよう、現在、取り組みを進めています。
笑ったらいけませんが、9月30日に閉院しての10月号の広報紙に「再開」を宣言しています。それならもう少し精神科診療所にも力を入れても良さそうなものなのにと感じないでもありません。もっとも公式の態度と本音は政治ではしばしば乖離しますから、銚子市の本音がどうであったかを確認したいところです。そういう情報を探していたら海匝地域福祉フォーラム(地域福祉会議)てなものが見つかりました。
この第19回例会議事録に興味深い内容が記載されています。
読めばそのままなんですが、精神科診療所の開設は銚子市はまったく乗り気でなかった事が確認されます。積極的に動いたのは閉院による患者の行き場を憂慮した千葉大精神科であると考えても良さそうです。ここもたぶんになりますが千葉大精神科の申し入れにより銚子精神科診療所運営委員会(事務局も千葉大精神科)が作られ、委員長にも大物といってよい前日本精神科病院協会長が据えられています。
言ったら悪いですが、「なんとかしよう」とやる気マンマンの千葉大精神科に対し、嫌々妥協案を銚子市が出した経緯と考えても良さそうです。千葉大精神科の構想は入院病棟の再開は無理としても外来機能の維持であり、銚子市は小児急病診療所の片隅ででも適当にやってくれであったと考えても差し支えないと思われます。
2008年10月1日の開設に向かって協議は重ねられたはずですが、銚子市の態度は変らなかったと考えられます。そのため交渉は半分決裂し、銚子市側は「そんなにやりたいのなら、建物だけは貸すから勝手にやってくれ」になったと推測されます。その時点で千葉大精神科も席を蹴ってもおかしくはないのですが、ここまで乗りかかった船であるとして民間開設で精神科診療所を立ち上げたと思われます。
その後の病院問題は解説の必要もありませんが、市長のリコール騒ぎから出直し市長選になり、なぜか前々市長が当選すると言う、外野からは不可解な経過をたどりますが、病院問題では再開路線を堅持しています。時期は前後しますが、、銚子市立病院再生事業計画には、
内科・外科・整形外科を主軸に、小児科・産婦人科・精神科などの民間医療機関による提供が困難と考えられる不採算部門の医療を加え、病床数、病院規模の拡大に沿って、皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科を含めた10診療科とする。
精神科も新病院には設置するとしていますから、開始時のゴタゴタがあるにせよ、新病院がもし出来れば、旧病院でやっている精神科診療所を再び取り込もうと考えるのが妥当な方策と考えます。銚子精神科診療所は民間であるとは言え、実質的には公共団体的な性格もあると考えるのが妥当で、新病院に吸収合併となっても抵抗するような存在ではないと考えられるからです。
ところが、ところがなんですが、銚子精神科診療所は旧病院から出て行きます。ここで簡単に経緯をまとめておくと、
Date | 事柄 |
2008.9.30 | 旧病院閉院 |
2008.10.1 | 銚子精神科診療所開設(民間) |
2009.5.17 | 新市長誕生 |
2009.10.1 | 銚子こころクリニックとして移転 |
2010.2.23 | 病院再開を宣言 |
2010.5.1 | たぶん内科だけで新病院再開 |
えらいキッチリ1年で銚子精神科診療所は旧病院から出ています。あえて推測すると、精神科診療所の院内設置はあくまでも暫定措置であった可能性を考えます。閉院に対する対策の一環で契約も1年限りであった可能性は十分にあると考えます。とは言え、必要な需要があれば通常は延長される事が多いのですが、銚子では延長されなかったと考えられます。
何があったんだろうと言うところです。仮に千葉大精神科が撤退の意向を明らかにしたのであれば、銚子こころクリニックを移転開設するなんてするはずもありません。そうなるとこれは市の意向であると考えざるを得なくなります。
ここで思い出すのは市長リコールからのゴタゴタの一連の動きです。前市長は閉院を行ったものの予想以上の猛反発を受け、病院再開に舵を切り戻します。そのために市立病院指定管理者選定委員会なるものを作り、委員長として伊藤恒敏東北大大学院教授を迎えています。ところが新市長は伊藤委員長を叩きだし、新たに銚子市立病院再生準備機構を作っています。
なんとなくですが、銚子精神科診療所も現市長にとっては前市長の遺物と見なされた可能性はあります。新市長は前々市長であり、前市長に市長選で敗れた政治的怨念があるようです。政治的怨念が絡んだ新市長の基本路線は、前市長の路線の可能な限りの否定です。前任者の評価できる路線であっても、とりあえず取り潰した上で、改めて自分の発案であるとしてやり直すのも珍しい風景ではありません。
旧病院内の神経科診療所は経緯から考えると前市長が厚遇したとも思えないのですが、それでも新市長にとっては目障りな代物に映った可能性は十分にあります。精神科を運用するにしても、前市長の遺物として排除してから新規に作りたいぐらいの構想を持つぐらいは十二分にありえます。
ここも推測ですが、難癖つけて旧病院から追い出せば精神科診療所は自然消滅し、無くなって不便になったとの市民の声を受けて、改めて市長の功績として新たに精神科を作るみたいなパフォーマンスです。醒めて考えるとアホらしい所業ですが、国政レベルでもその程度の政治はしばしば行なわれます。
でもって、千葉大精神科は怒ったんじゃないでしょうか。精神科医師ですから私のように単純に怒ったかどうかは不明です。単純に怒ったのであれば、その前の銚子精神科診療所開設の時点で席を立っています。それでも「不快」ぐらいの感情の動きはあったと思います。
感情以上に客観的な情勢の判断もあるかもしれません。5000万の借金を背負ってまで移転新設するぐらいですから、銚子精神科診療所の経営は順調であったと推測するのは可能です。経営的になんとかなりそうだから移転新設に踏み切ったと見れるからです。もう一つ、ここまでの病院も含めての政争の激しさです。現市長の閉鎖・再開の方針に乗っかると、またぞろ次の市長の時にどうなるか判ったもんじゃないはあると思います。
銚子市はポーズとしては病院再開に尽力しているようには見えますが、これも客観的情勢から先行きは極めて不透明です。「患者のため」と言う基本方針からすると、当面は政争から離れて独力で診療所を運用するのが賢明との判断です。入院病床の復活は新病院が出来るか、新たにどこかが進出してこない限りは無理ですから、せめて診療所機能だけでも安定して保持しようの方針です。
千葉大精神科がそこまで腹を括ったから銚子こころクリニックは設立できたと考えています。もう少し言えば、千葉大精神科の全面バックアップが明らかであったから79歳の医師が5000万もの借金が可能であったと見ても良いと考えています。つまり継承対策も万全であると言う事です。
・・・・・そうだ、そうだ、肝心なことを見逃してしまうところでした。肝心と言うには大げさなんですが、いつ移転新設の決断をしたかです。つうのは移転新設となると1ヶ月ぐらいでは通常は時間的に無理だからです。事実上新設の診療所を作るのと同じになるので、段取りとして、
- 移転場所の選定
- 内装の設計
- 内装工事
時期的に微妙なんですが市長交替期ぐらいに決断して準備を進めないと10月1日には時間的に間に合いません。時間的な点を考えると、最初から1年で出て行くつもりであった可能性もあり、市長交替の影響も可能性もありみたいな感じです。真相はどちらであったかは現時点の情報では不明です。
それにしてもゴタゴタは絶えない感じです。当事者は真剣なんでしょうが、外野から見ると疲れます。