私をスキーに連れてって

先にお断りしておきますが、私を連れて行かないで下さい。何度かスキーには行ったことがありますが、どうしても馴染めなくてあんまり好きでないのと、さすがに歳と運動不足で今さらやれば大怪我の危険性が大だからです。それと今日は休日ですから、完全に医療から離れての雑談で、最後の方に無理やり結びつけるみたいな小細工は施していませんので、そこのところも宜しくお願いします。

そんなスキーですが、かつてはウインタースポーツの代名詞と言うか、スキーをしなければ冬でないみたいな時代がありました。タイトルにした映画の時代が一つの頂点みたいですが、はるか1960年代からスキーブームが続いていたと覚えています。60年代から70年代のスキーはそりゃ大変なものでした。

スキー宿と呼ばれた民宿に宿泊するのですが、これが物凄い代物で、部屋にロクロク暖房すらなかったと思います。あるのは電気コタツ一つで、寝る時はコタツに向かって放射状に布団を敷き、辛うじて暖を取るみたいな感じです。それでもコタツで暖を取れれば良いほうで、さらにすし詰め状態になれば、コタツの使用さえ無理になり、押入れまで使って寝ていた経験はあります。凍える様に寒かったものです。

それとスキー場価格と言うのがあり、なんでも高かったのは間違いありません。そのため当時のスキー客は何でも持ち込んでいました。洗濯ロープは基本でしたし、電気ポットからインスタント・コーヒー、鍋から食器まで持ち込んでいたのを覚えています。カップラーメンすら当時は高いと感じられていましたから、袋入りラーメンを食べるためには必要な用具と言えばよいでしょうか。

簡単に言うと貧しかったのですが、「スキーに行く」と言う目的のためには、他のすべての快適さを犠牲にし、可能な限りの節約をしてもスキーに行きたかった若者がテンコモリいた時代と思っています。雑魚寝状態のスキー列車が大盛況であったとも覚えています。

今となっては、なぜにあれほど皆がスキーに熱中したかの理由さえわからなくなりそうですが、当時の若者は冬が来ると無理算段してでもスキーに行こうと努力を傾けていたと思います。そう言えば高校の修学旅行もスキーが花盛りの時代が80年代じゃなかったかとも記憶しています。それほど栄華を極めたスキーですが、衰退の危機に瀕しているそうです。

これはshy1221様のところで見つけた記事ですが、

痛いニュースを流し読みしながら苦笑していました。書かれているのは冷静に考えれば正しくて、遠いところに無理算段して出かけ、寒い思いをしてまでやる娯楽かと言われると適切は反論は思い浮かびません。スキーと言うのは、習熟に時間がかかる技術で、初心者は七転八倒になるのは避け難いところがあります。

そこを通り抜けて「楽しむ」という状態に至るのですが、かつては大前提として「冬にスキーに行かなければならない」と言う観念が無条件に存在していたため、懸命になって初心者状態を通り抜けようとしていました。ですから初心者の苦労さえもスキーに参加する必要条件として、当然以前のものとして気にもしなかったと言えばよいのでしょうか。

しかし「冬にスキーに行かなければならない」と言う無条件の前提が崩れれば、あんな辛い目に何故会わなければならないのかの疑問は当然出てきます。一式の用具をそろえるのも安くはなく、またかさばるのでオフシーズンの収納場所にも困ります。スキー時代には、冬のスキーのためだけにスノータイヤを狭い部屋に保管しているものさえ珍しくはなかったですが、今となれば余ほどの酔狂の行為になります。


スキー衰退の一つの原因として言われているのが、ボードの台頭とも言われています。ボーダーの進出が従来のスキーヤーをゲレンデから遠ざけたという説です。私はボード時代より前しか知りませんが、聞くところによればボードの滑り方、楽しみ方と、スキーではかなり趣が違うそうです。簡単に言うと、ボーダーが多いとスキーヤーが滑りにくくなると言えばよいのでしょうか。

だいぶん前にそんな話をどこかで読んだことがありますが、まあ一因ではあるでしょう。しかしボードの台頭がなければスキーの栄華時代は続いていたかと考えると、そうではない様な気がします。今より衰退はマシであったかもしれませんが、ジリ貧は避けがたかったと考えています。スキーはもちろんの事、ボードでさえ若者の必要なアイテムの地位を滑り落ちている思うからです。


スキー栄華時代は「冬はスキーをしなければならない」の無言の観念があっただけではなく、スキーに行くための投資もセットになっていたと考えています。スキー用具をそろえるだけでなく、スキー場に行くためのクルマも無理算段して確保するのは当然の努力でした。それだけの投資を行えば、それを活用しないと無駄になるので、どうしてもスキーに行かなければならないの循環になります。

ちょっと横道になりますが、クルマを確保するとは購入費用だけでなく莫大な維持費が必要になります。そうなれば確保したクルマを可能な限り有効利用しようと考えるのは当然になります。スキー以外での若者の活用法の一つはデートでしょうし、当時の感覚としてデートに誘う必須アイテムとしてクルマが欲しいの方向性も強くなったと思っています。

スキー、クルマ、デートの3点セットに狂奔したのがバブルの時代だったかもしれません。私も年齢からして青春時代はバブルに引っかかっていますが、脅迫観念の様に3点セットに向かって進もうとしていたと記憶しています。今の若者からすればお笑い草でしょうが、時代の空気がそうだったとしか言い様がありません。


あれから20年以上経ちましたが、冬の王様スキーの衰退を聞くと、月日の流れの早さを感じます。今の若者はスキーはともかく、クルマも欲しがらず、それ以前に運転免許もさして欲しがらないとも聞きます。クルマさえも若者の必須アイテムの座を滑り落ちたようです。これを聞かされたときには、自分が故老になっている事にショックを受けたものです。

ショックを受けたものの、これも順番なんでしょうね。自分が若かった頃には、当時の若者の行動を散々批判されましたし、「理解できない」ともよく言われましたが、私も批判する側の年齢になったと言う事のようです。

問題なのはそういう役回りが順番で回ってきた時にどういう対応をするのが良いのかです。かつて自分が受けたように、旧来の価値観に基いての頭越しの批判を行なうべきなのか、物分りの良い姿勢をとるべきなのかです。自分で書きながら、どっちもどっちの様な気がします。理想論で言えば世代を超えて必要な苦言は呈するべきなのでしょうが、批判する側に回れば何が世代を超えた苦言か見極めにくくなります。

やはり同じ事を私の上の世代も悩んでいたのでしょうか。きっとそうだと思っています。これもまた人生の順番なのだろうと思います。スキーの話からえらいところに話が展開しましたが、ちょっと黄昏気分を味わっています。