幕末式日医改革論

10/9付MSN産経ニュースより、

中医協から日本医師会を排除

あれだけ自民と一蓮托生路線を取っていたのですから、出るべくして出た一つの方向性と受け取らないと致し方ないでしょう。私も開業医ですから今後の事に懸念はありますが、そこは今日は置いといて日医です。

こういう事態に陥れば、お題目でも「解体的出直し」とかせめて「体制の刷新」ぐらいは出てきそうなものですが、日医の今の動きは現会長が三選を目指すらいしく、現在の執行部を温存したままで対応しようと言う姿勢です。もう何をかいわんやみたいですが、そういう感覚の人を長年に渡って養成し、幹部に抜擢して組織を固め上げたツケが確実に出ています。

中医協から排除の事態を受けて現会長の三選路線がどうなるかはまた不透明ですが、その気なら三選は不可能ではないと思われます。日医会長選は日医代議員による間接選挙に建前上はなっています。ところが日医代議員すら一般医師会員は直接選挙に関れないのが現実です。日医代議員も一つの役職であり、実質として任命される形式であるからです。

医師会は極度の年功序列システムとなっています。医師会で実質的な発言力を得るためには、所属する郡市医師会で実績を最低10年程度は積み上げ、それを幹部に認められた者が都道府県医師会、さらに日医に「出世」していきます。そういう年功序列制度でもかなり上位に位置しないと日医に対する発言力はありませんし、もちろん日医代議員にもなれません。

それと発言力のあるクラスになるとそれなりの利権があります。かつては純経済的な利権も少なからずあったとされますが、日医衰退に伴い、そちらは旨みがほとんど無くなったとも聞きます。しかし名誉の利権は今でも健在で、これへのこだわりは非常に強いとされます。欲しい人には何者にも代え難いのが名誉の利権と言う事はできます。

なんと言ってもたどり着くまでに10年単位の努力が必要な地位と名誉ですから、現在その地位にある者、またその地位を目指して日夜努力を重ねている者は、この既得権を死守するのは当然の流れです。わざわざ自分から放棄できる聖人君子は滅多にいるわけではありません。自民下野の衝撃の中で、既得権者の利益擁護を旗印にすれば支持は当選に必要なぐらいは十分集まると考えます。


見ようによっては動脈硬化の極致みたい組織ですが、現実的には医師の団体は必要です。医療危機・医療崩壊が言われだしてから、「日医では無理だ」の声はしきりにあり、幾多の新団体設立の試みが行なわれましたが、曲がりなりにも形になったのは全医連だけですし、全医連も直ちに日医に取って代われるほどの勢力にはまだ成長していません。

そうなれば既製の完成された団体である日医を利用したいとも誰もが考えますが、日医の改革を実際に行える権限のある人物は既得権の死守に動くようになってしまっています。つまり内側からの日医改革は絶望的と判断するほかありません。どこ見ても明るい展望が見えないのが医師の団体の現状に思えます。



「どうにでもな〜れ(AA略)」になりそうですが、座興的な日医改革論を考えて見たいと思います。注目するのは日医ではなく医師会の組織です。何度も出しましたが、基本構造は、

これも何度も説明しましたが、郡市医師会、都道府県医師会、日医はすべて別法人の組織です。詳細な関係まで知らないのですが、各々は正式には別団体です。これまでは日医に圧倒的な求心力があり、無条件に日医を支配団体として崇めていましたが、日医の求心力が落ちれば独立は建前上は可能だと言う事です。

日医も見ようによっては、都道府県医師会以下の無条件の支持で成立していると見ることは可能です。日医の実態としては、これもえらい単純な見方ですが、都道府県医師会から互選で選ばれた日医会長が医療界の政府を作っているとも言えます。

これって江戸時代の幕藩体制に類似しているように思えます。江戸幕府世襲でしたが、勢力が盛んな頃は諸藩が幕府を日本の支配者と無条件に認め、その指示にまた無条件に従っています。しかし幕府最盛期であっても諸藩は建前上独立しています。幕府の役人であっても諸藩の屋敷ですら踏み込む事は出来なかったぐらいですし、諸藩の武士に対する直接の司法権もなかったはずです。

これが幕末になって幕府の威権が低下すると、諸藩は幕府の命令を聞かなくなります。幕府の威権の源は「言う事を聞かなかったら武力で征伐する」でしたから、その実力が低下すれば、正式には独立国である諸藩は独自の行動を取り始めることになります。幕末の勢力図は複雑なのですが、思いっきり単純化すれば佐幕派と勤皇派(倒幕派)に分かれます。

佐幕派と勤皇派は政治闘争、武力闘争を繰り返すのですが、幕府の威権が落ちればドンドン勤皇派に諸藩は支持を切り替える事になります。明治政府も初期の頃は幕府から明治政府に諸藩の支持が切り替わっただけと見る事も不可能ではありません。ほとんどの藩では明治維新と言っても、徳川幕府から薩長幕府に天下の持ち主が変わったので、そちらに忠誠を誓おうぐらいであったとされます。


この明治維新方式を日医改革に使えないかと思っています。日医を江戸幕府と考えれば良いと思います。日医は都道府県医師会以下の支持の下に成立していますから、支持する上部団体が変われば空中分解します。日医は長年の経緯により自己改革が不可能な体制になっていますから、既存の日医の改革を望むより新日医を作り、御一新の新体制で改革を目指す方が実効性がありそうな気がします。

ここで当然出てくる意見は都道府県医師会レベルでも、既に日医の旧体制が堅牢であるとの考え方です。しかし明治維新の時もコチコチの勤皇藩とされる長州でも佐幕派の勢力は強く、薩摩も久光がどれほどの倒幕派であったかさえ疑問です。土佐に至っては上層部はコチコチの佐幕派であり、他の藩になれば九分九厘は佐幕派です。

ただ佐幕派と言っても「幕府が怖いから」の佐幕派が大部分で、情勢が勤皇派優勢に推移すれば雪崩を打って明治政府に流れています。心からの佐幕派は少数で、その証拠に戊辰戦争は短期間で終結しています。そして現在の情勢はそういう流れを醸し出す情勢の気配はあります。


問題は明治維新の原動力となった黒船が存在するかどうかです。明治維新の原動力の大きなものの一つとして、列強による侵略の恐怖に対する反発があります。これもまた複雑な反応なのですが、主義主張はかなり違っても、江戸幕府では列強の侵略に対抗できないの最大公約数的な合意があった事です。その最終合意が倒幕からの明治政府樹立になります。

医療界における黒船を想定すると医療費削減路線になるかと考えます。これは医師の生活を直接脅かします。勤務医の問題も深刻ではありますが、開業医の場合、赤字経営は倒産の危機に直結します。私だって例外ではありません。勤務医優遇路線は間違っていませんが、その見返りに開業医圧迫路線を強化すれば生活がかかってますから、当然のように強い反発が生じます。

従来はその反発の代弁者が日医だったのですが、日医が役に立たないと判断されれば、より有効な代弁者に託そうと言う動きが出てきても不思議ありません。チト強引ですが黒船は既に到来していると見ることは可能です。


最後の問題は、維新志士が出てくるかです。維新志士もピンキリで、単なる人殺しや、騒ぎに応じた強盗まがいも数多く居ましたが、そういう無秩序の爆発が維新の気運を形成していったのが歴史の流れです。人殺しも強盗も今回は不要ですが、裏で舞台回しを行なう人材が必要です。維新に例えれば、象徴的カリスマとなった西郷隆盛、冷徹な実務家の大久保利通、長州をまとめた政治家の桂小五郎です。

それと改革なんですが、日医に代わる新日医になっただけでは本当は余り意味がありません。明治政府も成立時には諸藩連合の盟主ではありましたが、その後に封建制を完全に打破して中央集権政府を作り上げています。この劇的な変化を計画したのが坂本竜馬であるともされます。竜馬1人の功績ではないと思いますが、そういうすべての医師の代表である団体を設計できるプランナーも必要です。


出てくるかと言われれば・・・こればっかりは何とも言えません。歴史が医師に味方するなら出てくるでしょうし、出なければジリ貧から自滅です。嫌な時代に開業医をやっているとシミジミ感じます。せめて動乱期の観察者として記録ぐらいは残しておきたいと思います。