久しぶりに算数を

題材は8/21付Asahi.com神奈川からです。妙に気になったのは、この部分です。

5年目の守屋さんは月に平均5回の夜勤をこなす。

ここにある「夜勤」です。この夜勤の指し示す言葉が

  1. 交代制勤務による夜勤
  2. 労基法41条3号による宿直(当直)
このどちらを指しているのだろうと言う事です。それ以前に労基法41条3号の許可無しの当直なんて有名病院はゴロゴロありますが、それはとりあえず置いておきます。とりあえず記事が表現する夜勤の後は、

夜勤の翌日は明け休み

これもよく考えれば珍妙な表現で、医師は実質夜勤の名ばかり当直の後の日勤は行ないますが、交代制勤務の夜勤の後に「お休み」と言う表現は使いません。交代するから夜勤と言う言葉が出てくるわけであり、どこの世界に夜勤の後が休みである事を強調する職場があるかと言う事です。そこまで考えるとこれもまた珍妙な表現に思えます。

手術が重なって一睡もできない夜も多い

交代制勤務の夜勤であっても、仮眠が必要とされる場合とそうでない場合があったかと思います。しっかりしたソースが見つけられないのですが、2交代の場合は2時間程度の仮眠時間が原則として必要とされたかと思います。この記事の救急が夜勤であったとすれば2交代制であるのは明らかなので、「一睡もできない」とは16時間の夜勤中に仮眠が取れなかったとの表現でしょうか。


そういう意味で「平均5回の夜勤」で

夜間は、研修医を含め5人の医師で対応するのが基本だ

この条件で交代勤務制が可能かどうかを考えてみます。とりあえず済生会横浜市東部病院救命救急センターの所属医師は、部長1名、医員6名、後期研修医2名の計9名です。名簿に前期研修医の名前が無いとしても、済生会横浜東部病院 平成22年度 初期研修プログラムには、

定員:7名

2年間で14名になります。これは救急に14名ではなく、病院全体で14名です。また済生会横浜東部病院 平成22年度 後期研修プログラムを確認すると

募集人数 若干名

もっとも若干名といいながら全部で27名ですから、前期研修から引き続いて後期研修を行なうもの以外に「若干名」かもしれません。救急所属の医師はやはり9名と考えるのが妥当です。では9名で交代勤務が可能かどうかです。夜勤は5人であることは記事からわかりますが、日勤は何人体制であるかが問題になります。これも救命センターの紹介に、

救命救急センター」には3部屋の重症救急初療室と軽症患者さま用の3部屋の診察室があります。

6部屋に1名ずつの計6名体制として仮に計算する事にします。36協定を結んだ上での残業時間の運用で可能かの算数をやってみます。計算前提を整理しておきます。

  1. 1ヶ月が30日の6月モデルで考えてみる
  2. シフトは日勤6人、夜勤5人
  3. 勤務時間は日勤が7時間、夜勤を15時間とする
  4. 1ヶ月の正規労働時間の合計を176時間とする
この上で、
  1. 1ヶ月の残業時間の上限を40時間とする
  2. 救急医師のうち、部長は夜勤を行なわず、後期研修医2名は5回づつ行なう
  3. 夜勤コマ数は150、日勤コマ数は180とする
後期研修医は5回の夜勤を行なうため75時間の勤務がここでカウントされます。残りは101時間ですが、これに残業時間の上限40時間を足せば141時間となります。そうなれば20.1コマとなり、これを20コマとすれば、これが2人分ですから40コマになります。

後期研修医が埋めた日勤の残りは140コマ、部長は夜勤をせずに日勤22コマだけを埋めますから残りは118コマです。残り6人で割れば、19.6コマ、これも強引ですが20コマとすれば勤務時間は140時間です。残り正規勤務時間が38時間になり、これに残業上限の40時間を足せば78時間。さらに夜勤15時間で割れば5.2コマです。これを5コマと考えれば、6人で埋められる夜勤は30コマです。

まとめれば

1人当たり勤務日数 勤務時間 合計コマ数
日勤数 夜勤数 休日数 人数 日勤 夜勤
部長 22 0 8 154 1 22 0
医員 20 5 5 215 6 120 30
後期研修医 20 5 5 215 2 40 10


日勤は他院及び他の診療科からのからの応援が期待しにくいので、救命救急センター医師で埋めるとして182コマ作り出せます。しかし夜勤は40コマしか埋めれませんから、後110コマは応援が必要です。その上、見ればお分かりのように、医員も後期研修医も夜勤明けを休日にする限り、これ以上夜勤回数を増やす余地が無いことが分かります。つまり労基法の特別条項を使っても夜勤はこれ以上は埋められ無いという事です。

110コマを他の診療科の応援で埋めるとしたらどうなるかですが、済生会横浜東部病院の全医師数は、VenysCareerによりますと143名になっています。病院HPで確認してみると、後期研修医・非常勤医を含めて147名ですから、前期研修医は含まれていないと考えての147名として検討してみます。まずですが応援に出られる医師ですから救急以外の138名です。

138名のうち産婦人科は別立ての勤務体制と考えるのが妥当ですから、産婦人科所属医師10名は除外されると考えられ128名です。小児科が微妙なんですが、小児科の属するこどもセンターの紹介に、

本院における小児科診療は24時間365日オープンの小児救急医療に対応するとともに、子どもとその家族が安心して医療を受けられる体制を目指しています。病棟はNICU6床、GCU8床、小児救急6床を含めた44床で構成し、高度の医療を提供します。

さらに地域連携小児夜間休日診療として、14名の開業医の名前が挙がっていますから、小児救急は別建てになっていると考えて良さそうです。小児科所属医師は常勤が19名、非常勤が5名の合わせて24名ですから、残りは104名になります。

集中治療科と言うところもあり、いわゆるICU担当と考えれば良さそうです。ここも紹介に、

専従の医師が24時間体制で治療にあたり

ここの所属が4名ですが、4名では24時間体制は組めませんから、麻酔科の応援があると考えます。麻酔科が常勤7名、非常勤4名の11人体制ですから、集中治療科とあわせて15名となり、残りは89名なります。

後は救命センターに通常は動員されない診療科として、眼科、皮膚科、耳鼻咽喉科の医師が5名います。これらの診療科所属医師は2名ないし1名ですから、夜勤を行なうと翌日の診療に穴が開くので動員されないと考えるのが妥当です。そうなれば84名です。放射線科も微妙なんですが、ここは放射線診断科と放射線治療科で5名いますが、これも除外すると79名になります。

もう一つ忘れていました。精神科も通常は救急には動員されないでしょう。横浜市の報道発表資料に、

精神科救急医療・精神科合併症医療への取組(市内で4番目の精神科救急基幹病院)

こうありますから別立てと考えて良さそうです。ここも7名いますから、72名。さらに非常勤医も動員されないと考えますから、これが上記で計算した以外に2名おられ、70名になります。さらになんですが部長・副部長クラスは免除の可能性があります。これも応援に参加する診療科で数えてみると27名ほどいますから、43名になります。

それと上記の計算には前期研修医14名は入っていません。前期研修医も入れた計算は難しいのですが、14人のうち10人が月5回の夜勤を行ったとすれば50コマになります。そうなれば救急医以外の負担は60コマ程度になり、他の診療科からの応援は「平均1.5回程度」になります。これぐらいなら可能かもしれません。机上では交代勤務による夜勤は可能です。もっとも本当に交代性勤務を敷いているかどうかの真相は不明です。



これだけ「夜勤」と言う言葉にこだわったのは、労基法41条3号に基づく宿日直による「名ばかり当直」と交代制勤務による「夜勤」は異質のものであるからです。記事で紹介されている済生会横浜東部病院の救命救急センターが忙しいのは認めますが、本当に交代制勤務が確立しているのなら「だからどうした」レベルに感じてしまうのです。

東部病院救命救急センターには、救急車で運ばれる人と、比較的症状が軽く自分で来る人を合わせて、一晩平均約70人の患者が訪れる。

70人は凄い数に見えますが、内容はどうなんでしょうか。重症患者も少なからずいるでしょうが、多くは軽症患者である可能性が高いと考えます。これは確たる資料が無いのですが、日本大学医学部附属板橋病院救命救急センターの実績が参考にはなると思います。日大板橋は3次救急と言う位置付けですが、

年間症例数は合計約1500症例であり、そのうち,心肺停止症例が約400症例を占める。

年間1500例と言う事は1日4例程度で、夜勤時間には3例程度と言う事になります。日大板橋は3次救急ですから、搬送された患者はそれなりに重症と考えますが、それぐらいである事がわかります。もちろん重症患者を1日4例は大変と思いますが、済生会横浜東部病院の重症患者の数もそれぐらいじゃないかと言う事です。

つまり70人のうち大部分は軽症患者であろうと言う事です。仮に3人が重症で残り67人が軽症であったとすれば、5人体制ですから残り67人は1人でも診察可能です。16時間で67人診察するのはラクではないかも知れませんが、勤務医が本当に大変なのは一晩で67人診察する事ではなく、その後に引き続いて通常の勤務を行なわなければならないことです。

67人も残りの4人の医師が重症に一晩中かかりきりなら1人で診察しなければなりませんが、手が空けば2診立てる時間もあると思います。また1人で16時間診察は集中力の面から大変ではありますが、それこそ交代性で担当するのも可能と考えます。本当に交代性の夜勤であれば「疲弊する救命の現場」は大げさ過ぎないであろうかと思います。

夜勤5人体制の交代性勤務でも疲弊して崩壊するのなら、救急医療はもう終わっている事になるかとも思います。これ以上のどんな体制を組めば「疲弊せず」「崩壊しない」になるかの疑問です。これほど恵まれた体制は日本でもわずかだと考えます。もちろん体制の充実程度は言い出せばキリがないのですが、記事が同列の事象とした、

 横浜市立みなと赤十字病院の八木啓一救命救急センター長(55)は、疲弊する地方の現場を見てきた。3月まで鳥取大医学部付属病院の救命救急センター長だった。同センターの救急医は4人。うち若手の2人が「体がもたない」と辞職を申し出た。後任もなく、他科の応援も得られない。結局、教授だった八木さんと准教授を含め4人全員が「救急現場の窮状を知ってほしい」と一斉に辞職した。

鳥大病院救急が崩壊した時のスタッフは、

専属医4人と他科応援3人、研修医4人

これだけの人数で24時間365日の救急体制を組み、さらに教授自ら当直という名の夜勤を行い、ヘリからのホイスト降下の訓練までやっていたわけです。言ったら悪いですが、済生会横浜東部病院ほどの体制があれば鳥大病院救急は崩壊しなかったと考えます。日本の救急全体が危機に瀕している事を紹介するのは悪い事だとは思いませんが、取り上げ方に問題があるように思います。

済生会横浜東部病院救急を疲弊の象徴として取り扱うのは、不要な誤解を招きかねないと考えるのは私だけでしょうか。


そうそう

夜勤の翌日は明け休みだが、結局、担当する患者が気になって病院に足が向くことが多い。

交代制勤務のメリットはキッチリ休養を取れることであり、個人が主治医として患者を全部診ようとするのと両立しません。自分のパート部分を頑張れば、次の担当者を信頼して引き継いでもらうのがチーム医療であり、逆もまた然りです。自分のチームが信じられずに、全部診たいのなら救急には向かないと思います。

もちろん守屋医師は後期研修医ですから、自分の技量を高めるために担当した患者のその後の経過を実際に確かめようとするのは良いことです。そういう行動は医師の研修姿勢として褒められますし、そうやって先達の医師たちも技量を磨いてきました。ただ自分の休養時間を常に犠牲にするのをデフォにしたら必ず燃え尽きます。

テレビドラマのヒーロー救命医はなぜか疲れませんが、生身の人間は働けば働くほど疲れます。激務であるほど休養時間は大切であり、オンとオフの時間の区別は大切です。常にオンでなければならないの呪縛にかかれば、通常人は持ちません。今は後期研修医として常にオンの姿勢でも良いですが、技量が身につけばオンとオフの切り替えを的確に行なうのも学んでください。

オンとオフの切り替えを排除し、常にオン体制で成立したのが今の日本の医療ですが、常にオン体制の制度疲労が現在の医療崩壊の一因です。救命医を増やすには常にオンの悲壮感に酔うのではなく、オフタイムの優雅な一面を強調することが一番重要です。オンタイムは嫌でも充実しますが、それの引き換えとして優雅なオフタイムがあって人は集まります。

済生会横浜東部病院救急の実際の勤務状態は知り様がありませんが、本当に交代制勤務による医師5人による夜勤体制が確立していても、常にオン体制が必要な診療体制でなければならないのなら、志がある人でも挫折すると感じます。