4周年

昨日は開院記念日、今日はブログ「はてな」移転4周年記念日と言う事で、自分で自分を祝っています。開業時の思い出も、ブログ移転当時の思い出も、毎年毎年じゃ食傷気味なので、勝手に閑話みたいな雑談にさせて頂きます。

当ブログの評価として「硬派」と言う評価が散見されます。なかには超硬派なんてのもありまして、超合金(古いか?)とか石部金吉みたいなものを連想して苦笑したりするのですが、ブログの硬派と軟派についてのちょっとしたムックです。実は某所の議論の焼き直しなんですが、そこのところは記念日なので流してください。

ブログと言うのは実に千差万別のものがあり、そもそも硬派軟派の分類が不可能なもの、分類するのが無意味なものも数え切れないぐらいありますが、硬派軟派の色分けがなされるのは、あるテーマに副った主張と言うか論評が行なわれるものを指すかと考えています。論評系なんて言葉で大雑把に括っても良いかもしれません。

そのブログが硬派か軟派であるかの分類する要素はなんであろうかと言うことです。ここで、そもそもなんですが硬派軟派の厳密な定義はありませんから、分類するのはあくまでも読み手の印象になるというのが某所の結論です。つまり分類する要素とは読み手の印象を左右するものと考えられ、とりあえず候補としてあがったのは、

  • 主張の一貫性
  • 取り上げたテーマ
  • 文体
このあたりが印象を左右する要素じゃないかという考え方です。ここでまず一貫性ですが、鋭い意見なのですが、一貫性があるのが硬派とするのはまだ説得力がありますが、一貫性が無いのが軟派とするのは少々無理がある様な気がします。硬派な印象のブログでも意見のブレがあるものはありますし、軟派であっても首尾一貫しているのも幾らでもあります。一貫性はブログの評価にはなりますが、硬派軟派の分類とはやや異質のものではないかと考えます。

テーマはそれなりに大きいかと思います。扱うテーマがお堅い話、たとえば政治や経済であればやはり硬い印象を持ちますし、風俗であれば軟らかい印象を持ちます。もちろん風俗であってもこれを文化論まで高めたものもありますから、一概に括ってしまうのは無理がありますが、扱っているテーマの印象としての影響力は小さくないと思います。

ただテーマの影響は大きいですが、軟らかそうなテーマであっても硬派の論評は確実に存在します。ですから影響はありますが、一つの要素以上のものではないと考えています。硬いテーマを軟らかく論評するというのも珍しくないですからね。

一貫性もテーマも決定的な印象の要素にならないとすれば、やはり文体が有力になります。文体とは書き手の個性ですが、文章全体の論調、組み立てを支配するもので、読み手の印象を大きく左右するものになります。つまり軟らかいテーマであっても文体で硬く感じますし、硬いテーマであっても文体で軟らかく感じるぐらいの決定力があることになります。


力技ですが硬派軟派の分類は読み手の印象で分類され、印象は文体によって左右されるの仮説にたどりついた事になります。仮説の検証は難しいので、仮説の上で文体の何が硬派軟派を分けるのであろうかを考えてみます。文体といっても本当に書き手一人一人で味わいはまったく異なるので、これを分類するのは容易な作業ではないのですが、非常に大雑把に二分類してみます。

    論理的な文章
    情緒的な文章
えらく大雑把ですが、文体はこの二つに分けられると考えています。もちろん分けられると言っても、実際には両方のエッセンスが含まれています。論理的な文章であっても度が過ぎればギスギスの無味乾燥な代物になりますし、情緒的な文章もこれまた度が過ぎれば感情ダダモレの代物になります。良い文章とは論理的であっても適度な湿り気を含み、情緒的であっても乾いた部分がしっかりあるものと思っています。

そういう観点から硬派軟派を考えると、

    硬派:論理的 > 情緒的
    軟派:論理的 < 情緒的
読み手の印象の残り方の濃淡により分けられるとしたら、かなり説明が可能です。もちろん書き手が常に論理的と情緒的を同じ分配をしていると限りません。常に同じ人もいるでしょうが、テーマやその日の気分によって分配が変わる事もあるでしょうし、両方のバランスが絶妙で硬派とも軟派とも言い難い路線を取られている書き手もいると思います。


ところで硬派と言われている私ですが、願望として軟派を書きたいとの野望が常にあります。日頃の反動とか、無いものねだりかもしれませんが、「いつか」の夢は常に見ています。何回か密かに挑んではいるのですが、才能の限界か不発です。それでも4周年を迎えての一つのテーマとして掲げておきたいと思います。