この程度のヒト

【日曜経済講座】論説委員・岩崎慶市 開業医と勤務医の診療報酬配分の批評はもう良いでしょう。所詮は財政制度等審議会 財政制度分科会のメンバーであり、メンバーとして賛成した意見に提灯記事を書いているだけの代物ですから、何を言っても馬の耳に念仏、蛙の面にションベンです。個人的には新聞を始めとするマスコミの最大の使命は権力の監視のはずですが、御用委員会に嬉しそうに名を連ねているだけでその資質の程度がよく理解できます。

今日はわざと変化球で「【日曜経済講座】論説委員・岩崎慶市 不況下に記念貨幣を考える」を読んでみます。理由は単に問題記事の下に並んでいたからです。まずは前半部です。

■伝統生かし活性化を

 ≪秋に天皇ご在位20年も≫

 最近、記念貨幣が続々と発行されているのをご存じだろうか。昨年度から地方自治法施行60周年を記念したカラフルで美しいコインがいくつも登場しているし、11月には天皇陛下ご在位20年の記念金貨も発行される。

 今年は両陛下のご成婚50周年、民間人でいえば金婚式にあたる二重の慶事である。まだ出口の見えない暗い不況の中で、コイン収集家ならずとも関心を呼ぼう。そこで、今回は記念貨幣考を−。

 記念貨幣の歴史は古代ギリシャ・ローマにさかのぼる。権力者が自らの肖像を入れて威信を誇示するケースが多かったが、現代では文字通りの記念貨幣として頻繁に発行されている。

 中でも注目されているのはシリーズもの。米国では2007年から10年計画で、すでに没しているフォード氏まで38人の歴代大統領の一ドルコインを発行中で、二十五セントコインの50州シリーズは発行が完了した。ドイツでも連邦16州の二ユーロコインシリーズが進行中だ。

 日本の記念貨幣は昭和39年の東京オリンピックからと歴史が浅く、シリーズものでは米、独を参考にした昨年度からの地方自治法施行60周年が初めてだ。10年間で47都道府県すべてを対象にし、すでに北海道、京都府島根県分が発行され、間もなく長野、新潟など4県が続く。

どうでも良いところからですが、

今年は両陛下のご成婚50周年、民間人でいえば金婚式

今上陛下が御成婚50周年を迎えられることは慶事であるのに異存はないですが、「民間人でいえば金婚式」と記述すからには皇室ではそれに該当しないということになります。もちろん金婚式の風習は欧米のものであり、日本古来の慣わしでないのは間違いありませんが、皇室関係者が除外適用されるとは初めて聞きました。これはwikipediaからですが、

 皇室においては明治天皇がヨーロッパの慣例を斟酌して明治27年3月9日に銀婚式を挙げた。当日の次第は、早朝、宮中三殿の祭礼があり、ついで天皇皇后が鳳凰之間に出御、親王、同妃、王、同妃、親任官以下有爵者、同夫人などの拝賀を受け、それより外国君主、大統領からの祝書、祝詞を受け、つづいて各国公使、同館員および夫人の拝賀があった。午後から青山練兵場に行き、観兵式が行われ、午後6時30分豊明殿に出御、舞楽を観覧した。そして大正年間は大正14年5月10日に祝典が行われた。その次第は当日宮中三殿、神宮、神武天皇山稜、明治天皇山稜、昭憲皇太后山稜において祭典が行われ、正午から親王、同妃、王、同妃、王族、公族、大勲位親任官、前官礼遇、貴族院議長、衆議院議長、勲一等桐花旭日大綬章功一級親任官待遇、公爵、宮内省部局長官、ならびに以上夫人、各国大使、公使、同夫人の参賀を受け、引き続き豊明殿で賜宴のことがあり、5月11日、12日、13日の3日間文武百官の参賀を受けた。

銀婚式には確実な先例がありますから、金婚式が皇室関係者に適用されないとは思えません。宜しければ、現在の皇室で金婚式を祝ってはならない根拠を提示して頂きたいと思います。

次は中盤部です。

 天皇ご在位20年記念は皇室関連では5つ目で、ご在位10年以来となる。その種類などは財務省で検討中だが、前回は額面1万円の金貨と500円の銅ニッケルだった。今回もそれが踏襲されそうだ。

 ≪通貨価値維持の教訓≫

 さて、記念貨幣で心配なのは、昭和天皇ご在位60年記念の十万円金貨で発生したような偽造事件である。額面より金の量が少ないのが原因した。昨年には通常の百円硬貨でも偽造が発覚したが、これも原価30円程度で中国で製造されたとみられている。

 こうしたニセ金が流通すると、通貨価値の維持が困難になり、経済は破綻(はたん)する。だから通貨偽造は重罪なのだ。偽造でなくとも、時の権力者が金・銀貨を悪鋳し、通貨発行利益(シニョレッジ効果)を得ようすれば、同じ結末をたどる。

 日本で有名なのは元禄から宝永年間にかけた改鋳である。江戸大火や富士山噴火などで財政が逼迫(ひっぱく)した幕府が、「国家の発行するものなら瓦礫(がれき)でも通用する」と豪語する勘定奉行、荻原重秀を中心に行ったもので、新井白石は悪鋳利益が500万両に達したと批判したという。

 価値の高い旧貨幣はプレミアムをつけても回収が進まず、「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則通りに退蔵され、急激なインフレに見舞われたのだった。こうした金・銀貨ではないが、自民党内にくすぶる政府紙幣発行論もこれと似てはいないか。

 今回のご在位20年金貨にその心配はない。偽造事件の反省もあり、前回のご在位10年金貨では額面1万円を大幅に超過する金の量とし、販売価格を4万1000円にしたからだ。世界的流れに合わせていわゆるプレミアム型貨幣に変更したのである。

昭和天皇の御在位50周年金貨の偽造騒ぎは私も覚えています。あれは記念硬貨で儲けようとしすぎた当時の大蔵省の失策とされますが、荻原重秀の金銀改鋳を引き合いに出すのは如何なものかと思います。江戸幕府の財政逼迫の原因は、

江戸大火や富士山噴火

天災だけであると軽く片付けていますが、少々勉強不足の様な気がします。江戸幕府

  1. 初代家康は190万両の遺産
  2. 二代秀忠は250万両の遺産
  3. 三代家光は460万両の遺産
これだけの財政力を誇っていました。この金銀が四代家綱の時代に消えうせます。江戸の大火とは家綱の時代の振袖火事をさし、富士山噴火とは五代綱吉の時の宝永の噴火を指していると思われますが、この二つの理由だけで財政が逼迫したわけではありません。

190万両の遺産を残した家康は江戸城を大改修し、江戸の町を整備し(ほとんどが埋め立て工事)、関が原を戦い、大坂城を攻めています。460万両の遺産を残した家光は日光東照宮の建立に60万両、30万人の供を連れての上洛を3回、1回につき10万両はかかったと言われる日光参拝を10回もしています。

初代も三代もかなりの濫費をしながら財政自体はビクともせず、むしろ肥え太って時代に遺産を残しています。江戸の大火の後始末も、富士山噴火の後始末も大変な作業ですが、日光東照宮を作ったり、30万人のお供を連れての3回の上洛に較べると、さほど大きな財政負担とは言えません。天災がなくとも江戸幕府の財政は逼迫し、江戸城の御金蔵はスッカラカンになったのです。理由としては、

  1. 国内金銀鉱山の枯渇
  2. 長崎貿易の赤字
  3. 年貢徴収率の低下(7割から2割5分まで低下)
さらにはこれに米価の下落も加わります。一方で米以外の物価は上りましたから、幕府が収入が激減する中で支出が確実に増える構造的財政難に陥った事になります。実体としてはその上に天災が加わっただけで、天災のみが幕府の財政を傾けたの記述は誤解を招くものになります。これは幕府だけではなく全国の大名に多かれ、少なかれ影響し、江戸も中期となれば、ほとんどの藩が財政難に喘いだのは周知の事です。

「国家の発行するものなら瓦礫(がれき)でも通用する」と豪語する勘定奉行、荻原重秀を中心に行ったもので、新井白石は悪鋳利益が500万両に達したと批判したという。

これも狭い見方で、中学校の歴史教科書ぐらいなら未だにそう書いてあるかも知れませんが、あまりに一面的な経済の見方です。荻原重秀の金銀改鋳は財政難の解消のために行なわれたのは間違いありません。記事では500万両としていますが、これは繰り返し行なわれ延べ1000万両に達したとされます。新井白石がこの政策に大反対し、ついに荻原重秀を追い落とし金銀を元に再改鋳する「正徳の治」を行ったのも史実して間違っていませんが、論説委員が正しいのはそれだけです。

論説委員の主張が正しいとするには、論説委員が持ち上げた新井白石の政策が正しいという根拠が必要です。新井白石は単なる評論家的な学者ではなく、政権中枢で存分に権力を揮える位置にいた実力者です。悪貨を作った荻原重秀の政策を正したのなら、新井白石の正徳の治は効果を上げなければなりません。ところが正徳の治は見るも無残に失敗します。つまり白石の経済理論は必ずしも正しくなかったともなります。

根本の問題は当時の貨幣制度になります。貨幣は貨幣の持つ金銀の価値で値打ちを示す本位貨幣でした。貨幣を作るためには金銀が必要でしたが、国内鉱山は枯渇し、新たな供給が満足に出来ない状態であったのです。つまり国内の通貨量は増えない状態に陥っていたのです。一方で経済は天下泰平の中で成長していきます。経済規模が拡大すれば通貨の需要が増します。

現在ならそういう状態になれば通貨発行量を増やす政策を取ります。ところが本位通貨であるが故にこれが増やせなかったのですが、金銀改鋳によりこれを増やす事になり、そのために経済がさらに拡大し元禄の繁栄をもたらします。もちろん何も考えずに増やした通貨をジャブジャブ使ったためにバブルになってしまったのですが、経済政策の基本としては間違っていないとされます。

    国家の発行するものなら瓦礫(がれき)でも通用する
これも現実してそうなり、改鋳後の元禄小判でも基本は一両は一両として通用しています。もう少し言えば現在の通貨だって基本はそんなもので、紙幣なんてただの紙切れです。これが国家が発行するから人々は信用しているのであって、重秀の言葉の否定は現在の通貨制度の否定になります。通貨の見方は江戸時代のこの頃から、本位通貨から実質の信用通貨に徐々に切り替わっていきます。

つまり小判なりの中の金銀の含有量で価値を考えるのでなく、一両と言う通貨単位の他の品々への相対価値によって決められていくのです。そこに貨幣の質による差の認識はどんどん薄くなっていったと言う事です。

自民党内にくすぶる政府紙幣発行論もこれと似てはいないか。

トンチンカンな引用により強引にこの結論を持ちこむ知性に少々驚かされます。重秀の行なった金銀改鋳は過熱する経済への貨幣供給政策であり、政府紙幣発行論は不況の中の財源創出政策です。外形的には政府なり幕府の財政難の穴埋め政策ですが、経済状況が全く逆のシチュエーションの事柄を同列に並べる神経はどうかと思わざるを得ません。あえてまとめると、

政策 目的 経済状態
荻原重秀 金銀改鋳 財政難の穴埋め 経済規模拡大中
自民党 政府紙幣発行 財政難の穴埋め 景気どん底状態


政府紙幣発行に異論が強いのは、不況の最中に通貨だけをばら撒いて景気を刺激しようという政策でもあるとされています。通貨は政府の信用があってのものですから、純政策的な政府紙幣発行はお金のだぶつきからインフレを招く危険性が強いという考え方です。実はこの辺の経済理論は難しくて私も消化しきれないところはあるのですが、毒にも薬にもなる劇薬的な性格があるのは間違いないようです。

重秀の金銀改鋳による通貨量の増大は経済の拡大局面に行なわれています。やった事は実質的に政府紙幣発行に近いとも言えますが、景気の上昇により通貨の需要量が増大している時期にこれを供給する事自体は善とされています。変形の信用創造による通貨供給と解釈することも可能です。だからこそ現在になって評価される面が出てきているのです。

えらく私も大袈裟に批評しましたが、記念貨幣に対する偽造貨幣の損害の比喩を持ち出すのに、重秀の金銀改鋳や政府紙幣発行問題を絡めるのは筋が違いすぎるだろうと言う事です。重秀が金銀改鋳により創出した出目(差益)は1000万両に及ぶとされますが、当時の通貨の総額が2000万両程度とされます。それだけの経済規模のお話と、記念貨幣の偽造量を同列に論じてどうするんだと言う事です。

さらに笑いそうな次の展開があります。

価値の高い旧貨幣はプレミアムをつけても回収が進まず、「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則通りに退蔵され、急激なインフレに見舞われたのだった

記念貨幣は偽造防止のためにプレミアムをつけて販売する事を重秀や政府紙幣の話を持ち出してまで正当化していますが、プレミアムをつけて販売された記念貨幣の大部分は死蔵されます。コレクターの間で取引される量など微々たるもので、逆に大量にコレクター市場に売り出されれば価値は暴落します。売買される量が少ないからコレクター価値が高まるわけで、昭和天皇御在位60周年記念金貨は10万枚も売り出したのでコレクターの価値としては殆んどつかなかった事を知るべしです。

記念貨幣は通常の通貨と違い、ほとんどの人間はしまいこんでしまいます。しまいこんだ分は記事の指摘どおり死蔵され、動かないお金になります。それとこの部分は、重秀の金銀改鋳の悪影響としての解説ですが、元禄時にインフレになったのは死蔵された貨幣が増えたからとは珍妙な解説です。経済規模の拡大を上回る通貨供給が短期間に行なわれたため、購買量を上回る貨幣が世の中に溢れたためです。

そりゃ、短期間に流通通貨が5割増しなれば、お金も余ります。景気は上向きですから、全体に個人所得は増え、個人所得が増えれば購買意欲が増します。購買意欲が増しても商品供給が追いつかなければ物の値段が上り、インフレが起こるという単純な現象です。無理からにグレシャムの法則を持ち出すのも滑稽ですし、力技で記念貨幣をプレミアム価格にする理由にこじつけるのに相当な無理を感じます。もう少し具体的には、

前回のご在位10年金貨では額面1万円を大幅に超過する金の量とし、販売価格を4万1000円にしたからだ

当然ですが額面1万円の記念硬貨を4万円なりで買った人間は、この記念貨幣を普通の商品購入には使いません。だって大損するからです。そうでなくとも記念貨幣であればこれを通常は死蔵されます。つまりなんですが、プレミアム貨幣を買った経済効果としては、

  1. 個人は国家に4万円支払い額面1万円の記念貨幣を受け取る
  2. 個人は額面1万円の記念貨幣を死蔵する
個人は計5万円の出費を行なうことになります。この額はおおよそですが、大騒ぎであった定額給付金の額に匹敵します。そうやって搾り上げた財源で、

源氏物語絵巻」(京都)や「上高地」(長野)のカラフルな千円銀貨(販売価格6000円)は美しく、観光誘致に活用されている。記念貨幣発行で得た交付金で、モチーフとなった世界遺産石見銀山巡りの路線にエコバスを導入した島根県のような例もある。

つまりは新たな打ち出の小槌を記念貨幣に求めていると見ることが出来ます。たしかに額面千円のコインを6000円で売れば利幅は大きいですが、乱発すればコレクターも飽きてきます。商法として良く似た記念切手販売が現在どうなっているかが頭に浮かびます。もっとも記念切手は額面と価値が同じですから、購入価格からの原価割れはありません。

後半部です。

≪文化特性をデザインに≫

 記念貨幣でもう一つ気になるのはデザインだ。これまで皇室関連で肖像を用いた例はなく、前回も鳳凰(ほうおう)がデザインされた。外国王室と日本の皇室の違いを考えれば当然だが、宮中祭祀(さいし)や公的行事など天皇のお務めはモチーフになろう。

 例えば、田植えや稲刈りは日本の伝統文化を象徴する風景である。そうした精神風土はものづくりに伝承され、狩猟文化を根っことする米国流金融資本主義と対極を成す。米金融危機で始まった世界同時不況の今、より意味を持つだろう。

 地方自治記念貨幣にも同じことが言える。日本の優秀な開発・生産のものづくり技術は、それぞれの地域風土から生まれてきた。記念貨幣は改めてそれぞれが地域特性を考え、地域活性化に生かすきっかけになるはずだ。

 「源氏物語絵巻」(京都)や「上高地」(長野)のカラフルな千円銀貨(販売価格6000円)は美しく、観光誘致に活用されている。記念貨幣発行で得た交付金で、モチーフとなった世界遺産石見銀山巡りの路線にエコバスを導入した島根県のような例もある。

 一方では、本四架橋や新幹線など相変わらず発想力に乏しい大型公共事業をテーマにした申請も目立つ。記念貨幣を生かすも殺すも地方次第なのだ。

 大型連休まっただ中である。観光に出かけたら高速道路1000円に浮かれてばかりいないで、その財源問題や通貨の価値、地方の文化に思いを巡らしてみてはいかがだろう。

デザインは趣味の問題ですが、この論説委員は記念貨幣を発行する事で何を期待しているのでしょうか。皇室の慶事に記念貨幣を発行するのは何の異存もありませんが、

観光に出かけたら高速道路1000円に浮かれてばかりいないで、その財源問題や通貨の価値、地方の文化に思いを巡らしてみてはいかがだろう

ここも大きなお世話です。高速1000円に浮かれているかどうかは、それこそ「大きなお世話」です。財源まで考えて高速を走って観光するような奇特な人間は例外的です。また見ようによっては高速1000円に誘われて観光に出かけることが、政府の景気振興策に協力している事になり、そういう人間をつかまえて「浮かれている」説教する人間は摩訶不思議です。

それと

  • 高速1000円の財源問題
  • 通貨の価値
  • 地方の文化
なんでこんなものを並列で論じているか理解が非常に困難です。そもそも、ここで麗々しく並べている「通貨の価値」とは何を意味しているのでしょう。記事の趣旨は記念貨幣ですから、額面1000円の記念貨幣を6000円で購入する計算のことでしょうか、それとも額面1万円の金貨を4万円で購入する算段のことでしょうか。

地方の文化を知るには、それこそ1000円高速で直接その地を訪れる事がまず重要であり、記念貨幣を購入しないと「思いを巡らす」事が出来ないことではありません。それこそ記念貨幣を購入するより、地方の文化を著した本なりネット上の情報でも読むほうが遥かに有効です。高尚そうなことを並べれば人は畏れ入ると思ってもらっては困ります。

もう一度この記事のタイトルを示します。

    不況下に記念貨幣を考える
個人的には今上陛下の御成婚50周年をプレミア商売のタネにするのは気に入らないところです。天皇陛下憲法に定められている通り、日本の象徴です。陛下もまたその旨を十分御承知され、日々これに勤められているのは国民ならよく承知しています。その御成婚50周年を記念する慶事であるなら、記念貨幣の性質として、1人でも多くの国民にその喜びを共感してもらう提案をすべきではないかと思っています。

額面1万円の金貨を4万なり5万で販売し、その差益を大不況下の国民から巻き上げようみたいな政策が今上天皇御成婚50周年の記念として本当に良いのかどうかぐらい論じられないのでしょうか。政府の収入になって回りまわって国民のためになるとの論も可能ではありますが、回りまわる間にどうなるかもまた論じるまでも無い事です。

視点が偽造貨幣防止のためのみに論じ、それの防止のためのプレミアム記念貨幣販売論の正当化は、狭い意味では間違ってはいないとは思います。しかしそれは偽造防止の観点のみのお話で、途中で壮大に展開した国全体の経済のお話と結びつけるのは無理がアリアリです。結局は記念貨幣をプレミアム化することによる利益向上の正当化にのみ費やしているとしか私には見えません。

狩猟文化を根っことする米国流金融資本主義と対極を成す。米金融危機で始まった世界同時不況の今、より意味を持つだろう

記念貨幣のデザインだけに精神論を強調し、本音は米国流金融資本主義を記念貨幣商売でやっているだけと思うのは私だけでしょうか。世の中「一事が万事」と言う言葉がありますが、本当にこの論説委員のお話もそんな感じがします。