天漢日乗様の「マスコミたらい回し」とは?(その138)もし記者が取材中に倒れたとして、そばにいる他人が迅速に救命措置をすぐ取ってくれると信じているとしたら不思議が辛辣だったので紹介しながら考えていきます。題材になったのは宮崎での「たらい回し」記事です。天漢日乗様にならって4/17付西日本新聞を引用します。
6病院が拒否、死亡 救急搬送、心肺停止の男性 宮崎県日向市
宮崎県日向市で乗用車を運転中に心疾患を起こしたとみられる同県門川町の男性(65)が同市内の6カ所の病院から救急搬送の受け入れを拒否されていたことが17日、分かった。男性は約一時間半後に別の病院に運ばれたが、死亡が確認された。同市消防本部が明らかにした。
市消防本部などによると、今月4日午後7時40分ごろ、日向市日知屋で通行人が脱輪した車を見つけ、119番通報。救急車が約8分後に到着したが、運転席にいた男性はすでに心肺停止状態で、救急隊員が心臓マッサージをしながら搬送する病院を探した。
しかし、同市内で救急病院の指定を受けている3カ所の病院から「重症者用ベッドに空きがない」などとして受け入れを拒否された。このため、日向市から離れた県立延岡病院(延岡市)に連絡。受け入れる意思は示されたが、搬送時間がかかるため、まず日向市内で探すよう求められ、再び同市内で受け入れ病院を探したが、別の3カ所の病院から断られたという。
最終的に男性は現場から約15キロ離れた同市立東郷病院に運ばれたが、午後9時15分、急性心不全で死亡が確認された。同市消防本部は「搬送の遅れと、死亡との因果関係は分からない」としている。
まず死亡された男性の御冥福をお祈りします。この記事によると患者は乗用車を運転中に心疾患を発症し、どうやら意識を失って道路横の溝にでも脱輪したようです。本当に心疾患かどうかの確認がどれほどなされたのかわかりませんが、病院での死因は「急性心不全」にはなっていると考えても良さそうです。ここでなんですが、記事は
今月4日午後7時40分ごろ、日向市日知屋で通行人が脱輪した車を見つけ
記事の表現を素直に取れば、患者が発見されたのは「脱輪した車を見つけ」であり、事故直後に119番通報されていないと考えられます。事故後のある程度経った時間に、通行人が「脱輪した車」を不審に思い、覗き込んだら中に人が倒れていたのを発見して119番通報が行なわれたとも考えられます。そこから救急車が駆けつけたのは、
救急車が約8分後に到着した
ここは記事情報に従って急性心不全としますが、時間関係をまとめると、
時刻 | 経過 |
19:40分以前 | 患者が急性心不全を起こし、乗用車が脱輪。何分前に脱輪したかは不明。 |
19:40 | 通行人が「脱輪した車」を発見、119番通報 |
19:48 | 救急隊到着、心肺停止状態である事を確認する |
どこから患者が急性心不全から心肺停止状態になったかの正確な証拠はありませんが、脱輪事故を起した時点でそうなっていたと考えても妥当性を欠きません。脱輪事故を起した直後はまだ心肺停止状態でなくとも、そこから非常に早期の時期に心肺停止状態に陥っていたと判断してもおかしくも何もありません。脱輪事故を起した時刻が不明ですから、救急隊が駆けつけた時には心肺停止状態なってから、少なく見積もっても10分以上は経過していたとしても良いと考えます。
この救急医療での心肺停止状態ですが、若干の作為が含まれています。医療慣行みたいな側面もあるのですが、心肺停止とは心臓の動きも停止し、呼吸もしていない状態です。ちょっと説明が煩雑になるのですが、心肺停止状態のままたとえば一晩経過したら、これは誰が判断しても「死んでいる状態」です。一方で心肺停止状態から早期であれば仮死状態の可能性が残り、これは仮死だから「死んでいない」として治療の対象になります。
どれほどの状態や時間で救急隊が「死亡」と「仮死」を判定しているかは存じませんが、実運用上はかなり長い時間範囲で仮死状態の心肺停止状態として扱います。さらに「仮死状態の心肺停止状態」でも救急隊の判断は2つに分かれます。救命の可能性がそれなりにある状態と、極めて低い状態です。これも簡単に分類すると、
- 心肺停止状態であり完全に死亡した状態
- 心肺停止状態だが仮死の可能性がある場合
- 救命の可能性がある場合
- 救命の可能性が極めて低い場合
- 救命の可能性がある場合
これも医師法21条の問題が出てくるので問題は複雑になるのですが、その点は今日は置いておいて、医療機関内の病死として処理できるのは手続き上の負担がかなり違うと言う実態があります。なんとなく違和感を感じる医療関係者以外の方もおられるでしょうが、現場はそんな感じで運用されています。
手短に心肺停止状態と救急搬送の関係を説明しようと思ったら、いつもの通り長い説明になってしまいしたが、宮崎の件はどの心肺停止状態に該当するかです。心肺停止状態は様々な器官に悪影響を与えますが、とりあえず脳への影響を一番考えます。心肺停止後10分以上になると奇跡的なケースを除き、蘇生が出来ても深刻な後遺症が残ります。宮崎の場合であれば、最低限、救急隊の心肺蘇生処置で心拍の回復が無いようならそれだけで状況は深刻です。心拍の回復があっても深刻なことは変わりありません。
記事を読む限り心拍の再開はなかったようですから、救急隊は救命の可能性が低い心肺停止状態であると判断した可能性はあります。天漢日乗様は2chソースの情報から「そうだ」としていますが、心肺停止後の時間経過からしても矛盾する判断ではありません。ところがその日は運悪く、どこの病院も患者を受け入れる余裕がないという展開になります。
こういう事がどれほどの頻度で起こるかは消防庁の平成20年中の救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査の結果にまとめられています。宮崎県の重症以上傷病者の搬送状況を確かめれば、
照会回数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 総搬送件数 |
搬送件数 | 3558 | 459 | 127 | 68 | 26 | 18 | 4 | 2 | 1 | 4263 |
記事では
6カ所の病院から救急搬送の受け入れを拒否
こうなっていますから、最終的に受け入れた病院を含めて7回以上の照会回数があった事になります。7回以上の照会回数は重症以上傷病者の総搬送件数4263件のうち7件です。発生率として0.16%になり、まさしく運が悪かったとしか言い様がありません。
あくまでもちなみにですが、宮崎と違って典型的な大都会である首都東京ではどうかと言うと、総搬送件数は42515件、7回以上の紹介を必要とした搬送事例は1338件、発生率として3.15%になり宮崎の約20倍の頻度で起こっています。これもまたちなみにですが、宮崎の最大照会件数は9回ですが、東京では21回以上だけで56回、発生率は0.13%になり、これはおおよそ宮崎の照会数7回以上の発生率に匹敵します。
事件の真相と言うほどのことはありませんが、あくまでも記事情報から考えると、
- 患者は不幸な事に急性心不全により急死していた
- これを蘇生の可能性は低いが心肺停止状態の仮死として病院に搬送しようとした
- たまたま東京の1/20ぐらいでしか発生しない搬送困難事例になってしまった
情報として消防本部が独自の判断で発表したのか、それとも他の理由で発表せざるを得なくなったのかを判断できるソースがありませんから、天漢日乗様がされたようにストレートに消防本部が責任転嫁のためだけに発表したかまでは言えませんが、記事は搬送受け入れられなかった病院を責める論調になっている事は私も感じます。それにより受け入れ側の病院が救急隊に対しあまり良い感情を抱かないだろうことは同感です。
発表の経緯については情報不足ですからこの程度にしておきますが、天漢日乗様はこういうケースがマスコミ関係者に起こった時について考察されています。
で、非常にこれも疑問なんだけど
しつこく取材活動をしていた記者が突然倒れた場合
に、
すぐに救命に当たってくれる「親切なヒト」は現れるか
心肺停止状態になった時に重要なことはいかに素早く心肺蘇生に取り掛かれるかになります。時間が非常に重要であると言う事です。迅速に蘇生処置をしても必ずしも助かるわけではありませんが、迅速な蘇生処置が無ければ絶対に助かりません。これを行なえるのは医師を始めとする医療従事者か、心肺蘇生の技術を持つ「親切なヒト」になります。ここで「親切なヒト」への心配点を天漢日乗様は指摘しています。
日本には良きサマリア人の法はありませんが、それに類するような法があったはずです。類すると言うかそういう緊急避難の時には責任を問われないとか何とかの法であったと記憶しています。ただアメリカの良きサマリア人の法に較べると適用の敷居は少々高かったはずで、民事としては訴えられる可能性は否定できません。訴えられた上で個々の事例に関して判断するみたいな感じでしょうか。
マスコミ人は身内に甘い上に、何かあれば
自分の所属するメディアをフル回転してキャンペーンを張る
ことも、一般市民では到底できない力業で
警察を動かす
ことも、みんな知っている。
目の前でぶっ倒れている記者を助けようとして、
もし、助からなかったり、よくない結果だったら、次に何が起こるか
は、これまでの例が示している。
少なくとも、善意で救命活動をした人が、イヤな思いをすることは間違いない。
「親切なヒト」が心肺蘇生にあたり、無事救命できたなら飛び切りの美談として報道されるでしょうが、心肺停止からの蘇生はそんなに甘いものではありません。当然のように救命できなかったり、救命できても重い後遺症が残ることも十分にありえます。家族が怒るのはここでは置いておくとして、マスコミが身内としてどれだけの社会的制裁に行動するかは容易に想像がつくとしています。まあ、そういう風にならないとはマスコミの行動原理を見ていると否定できないと私も思います。
そうなると次の展開として、
不健康な毎日を送る記者達が、ある日突然現場で倒れたら、誰か助けてくれるだろうか。
今のような
医療行為が成功して当たり前、失敗したらそれは「法に照らして処罰の対象」もしくは「社会的制裁を加える」
という報道姿勢が続く限り、
失敗するくらいなら、救護できないと手を出さない方がマシ
と、周囲の人が思っても仕方がないだろうな。
これは前に旅客機などの中で急病者が発生して「お医者様はいませんか」に対し応えるかどうかの問題として提起されていました。そういう提起にさらにマスコミ関係者のファクターが加わる設問になるかと思います。この点についても天漢日乗様は辛辣で、
マスコミ関係者は
自分は、一般市民には信頼されてないかも知れない
とは、一度も考えたことはなさそうだ。もし、
信頼
があるとすれば、それはまず
社名に対する信頼
であり
名刺に対する信頼
だ。
名刺は命までは保証してくれないだろう。
ここまでの事は私は言い難いので、天漢日乗様の言葉を借りる卑怯者です。どうしても医療者なのでこれも天漢日乗様の言葉を借りると、
ま、日本人はお人好しが多いから、救命した人が恨まれるかも知れない危険があっても、それを顧みずに救命措置を施してくれる人は現れるかも知れないけどね。
こういう「お人好し」の行動に走ってしまいそうですが、医療者だから永遠にお人好しかどうかは別問題です。最低限白衣を着て医師として仕事をしている限りは、お人好しであるのは間違いありませんが、プライベートでも無条件にお人よしであるかどうかは難しい時代になってきています。今はまだ大丈夫でしょうが、10年とか20年単位でなく、ほんの数年先でもどう変化しているかなんて誰にも予想できません。
誰もが心肺停止状態に対し心配停止状態になるような時代は来て欲しくないものです。(〆がオヤジギャグになってしまった・・・反省)