先例は作られた

平成十年十二月二十八日付労働省告示第百五十四号「労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」より、

第三条

 労使当事者は、時間外労働協定において一定期間についての延長時間を定めるに当たっては、当該一定期間についての延長時間は、別表第一の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。ただし、あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期間についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定める場合は、この限りでない。

別表第一を示します。




期間 限度時間
一週間 十五時間
二週間 二十七時間
四週間 四十三時間
一箇月 四十五時間
二箇月 八十一時間
三箇月 百二十時間
一年間 三百六十時間
備考 一定期間が次のいずれかに該当する場合は、限度時間は、当該一定期間の区分に応じ、それぞれに定める時間(その時間に一時間未満の端数があるときは、これを一時間に切り上げる。)とする。
  1. 一日を超え一週間未満の日数を単位とする期間 十五時間に当該日数を七で除して得た数を乗じて得た時間
  2. 一週間を超え二週間未満の日数を単位とする期間 二十七時間に当該日数を十四で除して得た数を乗じて得た時間
  3. 二週間を超え四週間未満の日数を単位とする期間 四十三時間に当該日数を二十八で除して得た数を乗じて得た時間(その時間が二十七時間を下回るときは、二十七時間)
  4. 一箇月を超え二箇月未満の日数を単位とする期間 八十一時間に当該日数を六十で除して得た数を乗じて得た時間(その時間が四十五時間を下回るときは、四十五時間)
  5. 二箇月を超え三箇月未満の日数を単位とする期間 百二十時間に当該日数を九十で除して得た数を乗じて得た時間(その時間が八十一時間を下回るときは、八十一時間)



この限度時間は

    限度時間を超えないものとしなければならない
告示は通達より重いものであり、「ならない」の表現は非常に強い表現です。「特別の事情」とは36協定の特別条項に該当し、平成15年10月22日基発第1022003号により通達されています。これは平成十年十二月二十八日付労働省告示第百五十四号「労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」の時間外労働の限度時間の抜け道になりうるものですが、それだけに厳しく定められています。趣旨は、

 使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者(以下「労使当事者」という。)は、時間外労働協定において一日を超える一定期間(以下「一定期間」という。)についての延長することができる時間(以下「一定期間についての延長時間」という。)を定めるに当たっては、限度基準別表第一の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならないとされているところであるが、限度時間以内の時間を一定期間についての延長時間の原則(以下「原則となる延長時間」という。)として定めた上で、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情が生じたときに限り、一定期間として協定されている期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間(以下「特別延長時間」という。)まで労働時間を延長することができる旨を協定すれば(この場合における協定を「特別条項付き協定」という。以下同じ。)、当該一定期間についての延長時間は限度時間を超える時間とすることができることとされているところである。

平成15年10月22日基発第1022003号平成11年1月29日基発第45号では特別条項が36協定の抜け道として使われている事を踏まえ、

平成14年12月26日の労働政策審議会建議において、「働き過ぎの防止の観点から、この「特別の事情」とは臨時的なものに限ることを明確にすることが必要である。

こういう趣旨で「特別の事情」の定義を厳格にしています。改正の内容は、

  1. 「特別の事情」は、臨時的なものに限ることとすること。この場合、「臨時的なもの」とは、一時的又は突発的に時間外労働を行わせる必要があるものであり、全体として1年の半分を超えないことが見込まれるものであって、具体的な事由を挙げず、単に「業務の都合上必要なとき」又は「業務上やむを得ないとき」と定める等恒常的な長時間労働を招くおそれがあるもの等については、「臨時的なもの」に該当しないものであること。
  2. 「特別の事情」は「臨時的なもの」に限ることを徹底する趣旨から、特別条項付き協定には、1日を超え3箇月以内の一定期間について、原則となる延長時間を超え、特別延長時間まで労働時間を延長することができる回数を協定するものと取り扱うこととし、当該回数については、特定の労働者についての特別条項付き協定の適用が1年のうち半分を超えないものとすること。
  3. 「特別の事情」については、できる限り詳細に協定を行い、届け出るよう指導すること。
  4. 提出された協定に回数の定めがない場合は、「特別の事情」が「臨時的なもの」であることが協定上明らかである場合を除き、限度基準に適合しないものとして必要な助言及び指導の対象となるものであること。

特別条項が結べる条件は「臨時的なもの」であり、実務上は具体的な理由を指し示して届ける必要があるとされています。さらに適応できるのは1年の半分を超えないことと明記されています。勤務医のの時間外労働は「特別の事情」に該当しないとされる「業務の都合上必要なとき」又は「業務上やむを得ないとき」だと私は考えますが、これを解釈で強引にねじ伏せても半年の縛りは変わりません。

ここは1ヶ月の話にしますが、36協定で結べる時間外労働の上限時間は、

  1. 労働省告示により45時間を超えないものとしなければならない
  2. 特別条項を結んでも年間6ヶ月以内しか限度時間を超えることはできない

運用上の抜け穴の話は専門的になりますが、法治国家ですから建前上の辻褄は絶対にあわせなければなりません。もう一つ平成14年2月12日付基発第0212001号「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」から引用します。

過重労働による健康障害防止のための窓口指導等

(1) 36協定における時間外労働の限度時間に係る指導の徹底

  1. 労働基準法第36条に基づく協定(以下「36協定」という。)の届出に際しては、労働基準監督署の窓口において、「労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」(平成10年労働省告示第154号)(以下「限度基準」という。)を超える36協定を事業者が届け出た場合については、限度基準を遵守するよう指導する。


    また、36協定において、限度基準第3条ただし書に定める「特別の事情」が生じた場合に限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定めたものについては、過重労働による健康障害を防止する観点から、当該時間をできる限り最小限のものとするよう指導する。
  2. 36協定において、月45時間を超える時間外労働(1週間当たり40時間を超えて行わせる労働をいう。以下同じ。)を行わせることが可能である場合であっても、実際の時間外労働については月45時間以下とするよう指導する。

(2) 労働者の健康管理に係る周知指導

(1)の月45時間を超える時間外労働を行わせることが可能である36協定を受け付ける場合及び裁量労働制に係る届出を受け付ける場合については、リーフレット等を活用して別添の内容を周知指導する。

この通達に明記されているように、

    労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」(平成10年労働省告示第154号)(以下「限度基準」という。)を超える36協定を事業者が届け出た場合については、限度基準を遵守するよう指導する。
この基準は「しなければならない」の告示に基づいていますから、通常の感覚では1ヶ月45時間を超える36協定は労基署は受付けないと解釈できます。さらに

過重労働による健康障害防止のための監督指導等

(1) 月45時間を超える時間外労働が行われているおそれがあると考えられる事業場に対しては監督指導、集団指導等を実施する。

(2) 監督指導においては、次のとおり指導する。

  1. 月45時間を超える時間外労働が認められた場合については、別添の4の(2)のアの措置を講ずるよう指導する。併せて、過重労働による健康障害防止の観点から、時間外労働の削減等について指導を行う。
  2. 月100時間を超える時間外労働が認められた場合又は2か月間ないし6か月間の1か月平均の時間外労働が80時間を超えると認められた場合については、上記アの指導に加え、別添の4の(2)のイの措置を速やかに講ずるよう指導する。
  3. 限度基準に適合していない36協定がある場合であって、労働者代表からも事情を聴取した結果、限度基準等に適合していないことに関する労使当事者間の検討が十分尽くされていないと認められたとき等については、協定締結当事者に対しても必要な指導を行う。

(3) 事業者が上記(2)のイによる別添の4の(2)のイの措置に係る指導に従わない場合については、当該措置の対象となる労働者に関する作業環境、労働時間、深夜業の回数及び時間数、過去の健康診断の結果等を提出させ、これらに基づき労働衛生指導医の意見を聴くこととし、その意見に基づき、労働安全衛生法第66条第4項に基づく臨時の健康診断の実施を指示することを含め、厳正な指導を行う。

まず月45時間を超える時間外労働があったときには、

月45時間を超える時間外労働をさせた場合については、事業者は、当該労働をした労働者に関する作業環境、労働時間、深夜業の回数及び時間数、過去の健康診断の結果等に関する情報を、産業医(産業医を選任する義務のない事業場にあっては、地域産業保健センター事業により登録されている医師等の産業医として選任される要件を備えた医師。)(以下「産業医等」という。)に提供し、事業場における健康管理について産業医等による助言指導を受けるものとする。

さらに月100時間を超える時間外労働が認められた場合又は2か月間ないし6か月間の1か月平均の時間外労働が80時間を超えると認められた場合には、

月100時間を超える時間外労働を行わせた場合又は2か月間ないし6月間の1か月平均の時間外労働を80時間を超えて行わせた場合については、業務と脳・心臓疾患の発症との関連性が強いと判断されることから、事業者は、上記アの措置に加えて、作業環境、労働時間、深夜業の回数及び時間数、過去の健康診断の結果等の当該労働をした労働者に関する情報を産業医等に提供し、当該労働を行った労働者に産業医等の面接による保健指導を受けさせるものとする。また、産業医等が必要と認める場合にあっては産業医等が必要と認める項目について健康診断を受診させ、その結果に基づき、当該産業医等の意見を聴き、必要な事後措置を行うものとする。


労基法関係の時間外勤務の告示・通達は、私が知る限り主なものはおおよそ以上の通りですが、これはどうやら反故となったようです。滋賀県立成人病センター事件は何度か当ブログでも扱ったので経緯は省略しますが、ここでも新たに36協定が結ばれたのですが、4/9付中日新聞より、

勤務医の労働改善に高い壁 時間外勤務の上限“過労死ライン”超

 成人病センター(守山市)など県立3病院の医師らの時間外勤務で労働基準法違反があった問題で、県病院事業庁などは先月末までに労使間の協定を結び、大津労働基準監督署に届け出た。協定内容は現場の実態を考慮して、厚生労働省が示す過労死の認定基準を超える時間外勤務を労使ともに認めるしかなかった。人員不足の解消など、勤務医の労働環境の改善が急務となっている。 (林勝)

 「(3病院で6割にあたる)過半数の勤務医が労組に加入すること自体が全国的にも画期的なこと。労働の適正化を求める意識が医療現場で高まっている」。病院側との労使間協議に臨んだ県自治労幹部はこう話す。

 1日8時間の法定労働時間を超えて勤務させる場合、勤務時間の上限を定める労使協定を結び労基署に届け出なければならない。県立3病院は従来、この労基法の規定を守らず、勤務医らの裁量に頼った運営をしてきた。

 この結果、脳神経外科産婦人科などの診療科目によって違法な長時間勤務が常態化。昨春、内部告発を機に労基署がセンターを立ち入り調査して是正勧告を行った。同庁は自治労など職員団体と協議を開始。3病院の医師の労組加入も相次いで、熱心な議論が続けられた。

 しかし、医療現場と労基法の両立は現実的に不可能とする勤務医は多い。ある医師は「我々は労基法を守る前に、医師法または医師の倫理に従って仕事をせざるを得ない」と強調。医療従事者の長時間労働の上に日本の医療が成り立っている現実を指摘する。こうした状況に慢性的な人員不足が拍車を掛け、勤務医の負担は増える一方になっている。

 今回の労使間協議では現実を踏まえ、時間外勤務の上限を決め、当直を見直した。病院側は厚労省が定める過労死認定ラインを下回るように、勤務医の時間外勤務を月80時間以内とする案を提示した。しかし「最初から破られることが分かっている協定を結ぶべきでない」とする現場の意見があり、成人病センターでは月120時間を上限とすることで決着。これに沿って労働改善に取り組んでいくとした。

 成人病センターの医師は「労基法と診療に対する責任を両立させるため、互いが譲り合った現実的な協定だと思う」と評価する。ただ、協定を継続して守るためには勤務医の負担軽減策が急務だ。病院事業庁は「欠員となっている診療科の医師確保に努め、事務作業などで医師の業務をサポートする方法も考えていく」と話している。

ポイントはただ一つ、

    成人病センターでは月120時間を上限とすることで決着
記事だけでは特別条項が適用されたかどうかは不明ですが、おそらく特別条項なしの普通の36協定で月120時間の時間外勤務の協定が結ばれたようです。この協定で注目すべき点は、滋賀県立成人病センターが労基署の是正勧告下にある事です。労基署が是正勧告まで出して労働改善を監視している状態で、平成十年十二月二十八日付労働省告示第百五十四号「労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」を遥かに踏み破り、平成14年2月12日付基発第0212001号「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」でも重視している月100時間の時間外労働を余裕で超える労使協定を容認しています。

こういう事は先例になるかと考えます。まず病院における医師の36協定は月120時間まではOKになると解釈しても良いと考えます。また医師だけを特別視するわけにも行きませんから、こういう36協定は医師以外の職種にも当然適用されていくと思います。まさに経営側に取って画期的な先例になるかと思われます。

それにしても労基法は伸縮自在の弾力運用がなされるとは聞いていましたが、ここまで伸びるものとは専門家で無い者に取っては新たな驚きです。ゴムどころではない驚異の新素材が現場で次々に弾力運用されるものと改めて感心しました。愛育病院の時に東京都や厚労省の担当者が行なったアドバイスは実に的確であったわけです。時間外労働の限度時間など必要なだけ弾力運用されると言う事です。

もっとも1ヶ月は720時間ぐらいしかありませんから、500時間程度で物理的な限度が訪れますから勤務医の皆様御安心ください。これで愛育も日赤も時間外労働時間の問題は一挙に解消しますし、全国の他の病院でも同じです。いや全国のすべての事業所も同じでしょうから労働者の皆様御安心ください。


もっとも滋賀では医師側が自ら進んで提案し受け入れた経緯があるようで、これも画期的な先例になりそうです。今後に36協定を結ぶ病院で、120時間とか200時間とか300時間の36協定を病院側が提示し、これを医師側が渋ったら「滋賀では医師が自ら受け入れたのに拒否した」としてマスコミにリークし「患者のことを考えない、冷血でワガママな医者たち」のバッシング・キャンペインをいつでも行なう事が出来ます。

滋賀の医師たちは「患者のため」という大義もあってこの協定を自ら提案し結んだと考えていますし、内情的には現実を踏まえた条件闘争としての妥結案であったかもしれません。誠に医師としての「善意」に溢れたもので、一般的には称賛されるかもしれません。一方で先例として残されるのは勤務医には時間外勤務の限度時間の適用は存在しないと言う事実です。青天井まで行かなくても120時間の実績は確実に残りますし、これが労基署の是正勧告下で結ばれた事実も残ります。

滋賀の36協定は間違い無く医師の「善意」で結ばれたものでしょうが、この善意の先例の向う先は、

私はそう感じます。