滋賀の乱に新展開

久しぶりに取り上げます。事の起こりは滋賀県立成人病センターの医師が労基署に相談に行ったことから始まっています。相談の結果、労基署が監査に入り出された是正勧告書の内容は、

法条項等 違反事項 是正期日
労基法32条 時間外・休日労働に関する協定の届け出なく、時間外・休日労働を行なわせていること。 20.5.末
労基法第37条 部長職以上の医師について、時間外・休日及び深夜の割増賃金を」支払っていないこと。なお、宿日直勤務時に通常の労働に従事した場合についても同様の事(平成18年4月1日に遡及して支払うこと。)。 20.5.末
指導事項 労働者の労働時間について、『労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準』に基づき適正に管理すること。 20.5.末


これに対し滋賀県側は改善計画書を提出しています。

改善事項 改善の概要 予定時期
時間外・休日労働に関する協定の締結、届け出 労働基準法第36条に基づく協定を締結し、大津労働基準監督署に届け出る。 平成21年3月末日
部長職以上の医師について、時間外・休日及び深夜の割増賃金の支払い 病院長を除く部長職以上の医師について、時間外・休日及び深夜の割増賃金を平成18年4月1日に遡及して支払う。 平成20年11月〜

平成21年3月末日
すべての医師について宿日直勤務時の通常勤務に係る割増賃金の支払い 医師について、宿日直勤務時の通常勤務に対して、割増賃金を平成18年4月1日に遡及して支払う 平成20年11月〜

平成21年3月末日
労働者の労働時間の適正管理 「労働時間の適正な把握のために使用が講ずべき措置に関する基準」に基づき、ICカード度導入により適正に管理する。 平成20年6月末日


改善計画書を具体的に実行するために滋賀県から平成20年8月14日付け滋成セ第343号「時間外勤務の確認について(依頼)」及び平成20年(2008年)8月4日付け「是正勧告のうち労働基準法第37条(割増賃金等の支給)にかかる対応について」が出されるのですが、管理職手当の減額相殺波及措置について一騒動があった事は滋賀の乱・ジェダイの復讐で取り上げました。


管理職手当がその後どうなったのかの情報が無いのですが、新たな展開があったようです。。3/28付共同通信(47NEWS版)より、

滋賀県病院事業庁を送検 残業代一部未払いの疑い

 滋賀県立成人病センター(守山市)の医師の残業代を規定より少なく算定したとして、大津労働基準監督署労働基準法違反の疑いで、同センターを運営する県病院事業庁と幹部らを書類送検していたことが28日、大津労基署への取材で分かった。

 厚生労働省によると、残業代に関し公立病院が捜査を受けたのは異例。

 大津労基署によると、2008年4月、管理職とされながら権限がなく、残業代が支払われない同センターの医師が「名ばかり管理職」だとして、事業庁に是正勧告した。

 事業庁は同センターなど県立3病院の管理職約40人を含む医師約100人の残業代などを、06年4月にさかのぼって算出。今年1月までに総額2億4000万円を支払った。また各院長ら約10人をあらためて管理職にした。

 しかし、労基署が病院関係者から刑事告訴を受けて調べた結果、残業代の算定基礎から医師に毎月支払われる「初任給調整手当」を除外して計算していた疑いが強まった。不払い分は約3億5000万円に上るとみられる。

これがまた難しい話なのですが、滋賀県は残業代を支払ったようです。残業代の時間給の計算は、受け取った賃金から算出されます。算出するときにも残業代の時間給の計算に含まれるものと、含まれないものがあるのですが、労務安全情報センター(これが正しい割増賃金の計算方法だ)によると、含まれるものは労基法施行規則19条にあり、

項目 参考
1. 時間給 時間によって定められた賃金については、その金額
2. 日給 日によって定められた賃金については、その金額を1日の所定労働時間数(日によって所定労働時間数が異なる場合には、1週間における1日平均所定労働時間数)で除した金額
3. 週給 週によって定められた賃金については、その金額を週における所定労働時間数(週によって所定労働時間数が異なる場合には、4週間における1週平均所定労働時間数)で除した金額
4. 月給 月によって定められた賃金については、その金額を月における所定労働時間数(月によって所定労働時間数が異なる場合には、1年間における1月平均所定労働時間数)で除した金額
5. 旬給等 月、週以外の一定の期間によって定められた賃金については、前各号に準じて算定した金額
6. 請負給 出来高払制その他の請負制によって定められた賃金については、その賃金計算期間(賃金締切日がある場合には、賃金締切期間、以下同じ。)において出来高払制その他の請負制によって計算された賃金の総額を当該賃金計算期間における、総労働時間数で除した金額
7. 1.〜6.の賃金の2以上よりなる場合 労働者の受ける賃金が前各号の2以上の賃金よりなる場合には、その部分について各号によってそれぞれ算定した金額の合計額
8. 休日手当 休日手当その他前各号に含まれない賃金は、前項の計算においては、これを月によって定められた賃金をみなす。


一方で残業代の基礎計算に含まれないものとして、

除外される手当 根拠 参考
家族手当 労基法37条2項 *
通勤手当 労基法37条2項 *
別居手当 施行規則21条1号 *
子女教育手当 施行規則21条2号 *
住宅手当 施行規則21条3号 除外対象になる住宅手当の範囲は、H.11.3.31基発第170号通達で定められている
臨時に支払われた賃金 施行規則21条4号 結婚手当、私傷病手当、加療見舞金、退職金など
1ヶ月を超える期間ごとに支払われる賃金 施行規則21条5号 賞与、1ヶ月を超える期間ごとに支払われる精勤手当、勤続手当、奨励加給など


こんな感じです。問題になったのは、
    初任給調整手当
これを滋賀県は残業代の計算基礎に含まれないとしたようです。初任給調整手当とはなんぞやになりますが、人事院規則9134を参考までにリンクしておきます。滋賀県の初任給調整手当がこれに該当するかどうかはわからないのですが、もしこれに近いようなら結構な額のように思われます。とにかく滋賀県側は初任給調整手当は残業代の基礎計算に入れるのは不要と判断していた事だけは確認できます。

ところが労基署の判断は初任給調整手当を残業代の基礎計算に入れるものであるとしているようです。これは解釈の相違と言うレベルではなく、

大津労働基準監督署労働基準法違反の疑いで、同センターを運営する県病院事業庁と幹部らを書類送検していた

明らかな違法行為であると受け取っても良さそうです。労基署はこれまでの知見では、そう簡単に刑事手続きに移行するものではなく、行政指導により是正を目指すのが基本ですから、

厚生労働省によると、残業代に関し公立病院が捜査を受けたのは異例

私もそう感じます。ちょっとだけ憶測ですが、是正勧告を受けた場合、事業所側は「改善内容はこれでよろしいでしょうか」の確認を取りながら改善を行なうと聞いたことがあります。改善方法も労基法的に様々なやり方があり、これが複雑なのでこれを専門とする社労士が存在するかと考えています。労基署がここまで強権を揮ったと言う事は、おそらく初任給調整手当を残業代計算の基礎に入れない事の事前相談が無かったためと考えます。

当然入れるべきものを除外した事に労基署は怒り、さらに事前相談もなく断行した事に、労基署としても「もはやこれは故意によるものである」と判断した可能性を考えます。労基署に事前に相談があれば、「初任給調整手当が抜けてる」の指導で済んだものを、黙って断行されたので面目が潰れたという感じでしょうか。管理職手当の減額相殺の件でも労基署の不興を買ったはずなのに、初任給調整手当の件でさらに不興を買ったためと考えてもよいかもしれません。


ここでなんですが内部情報を幾つか紹介しておきます。労基法違反は労基署の是正勧告が行なわれただけでは必ずしも是正されません。滋賀の例でも分かるように、時に経営者側は「エェッ」と言うようなこすからい手を使ってきます。そういう手への対応まで労基署は必ずしも積極的と言えないこともあると聞きます。実態に関しては伝聞情報なので「そういう事もあるらしい」にしておきます。

そういう事から労基法違反問題では、労働者の結束が重要です。結束のためにはこれを先導し、主導する人材が欲しいところなのですが、滋賀には「名ばかり管理職」問題を執拗に訴えられてきた医師がおられるそうです。その医師の主張に他の医師が引っ張られ、医師全体の意見が集約された経緯があるとされます。

何気ない事の様ですが、変わってきたと言われる医師の意識がそこまで進んだ事の実地例を聞くと感嘆の思いを隠せません。従来はそういう意見をいかに唱えようが、「医師は文句を言わずに働くものである」の意見が微動だにせず、かえってそういう主張を行う医師を白眼視し排斥に動くのが常識であった事を思うと驚くほかはありません。

意思がまとまった医師たちはなんと50人も自治労に加入したの事です。これも聞いて驚いたの何のです。医師が労組に入るなんて事は、従来も聞いたことはありますが、余ほどの変わり者か変人しかありえなかったことですが、いかに労基法問題のためとは言え、ここまでの集団加入が実際に起こり、事実上のドクターズ・ユニオンとして交渉の前面に立てた事も驚かざるを得ません。

経営サイドの労使交渉の基本戦術は各個撃破です。従来医師が交渉を行なおうにも正直なところ砂の団結であり、とてもとても一枚岩の団結なんて脳内妄想のレベルの話と思っていましたが、滋賀では実現し、ここまで話が展開しているのですから、世の変化は本当に急速であると感じます。

ではなんですが、この滋賀の例はこれから一般化されるのか、それとも滋賀だから出来た特殊例と見なすべきなのでしょうか。こればっかりは、時代の推移をもう少し見なければ何とも言えません。ただなんですが、個人であっても戦う下地は出来上がりつつあります。これは滋賀の例をある程度一般化しても良いと思うのですが、医師全体の意識として労基法闘争に対してのアレルギーがかなり減弱している事です。

滋賀のようにドクターズ・ユニオンまで進まなくとも、少なくとも同僚医師の白眼視現象が起こる危険性が大幅に減弱していると考えます。それと医師の労基法違反訴訟に対する弁護士の関心が高まってきているとも聞きます。弁護士業界は「過払い訴訟特需」とも言うべきものの恩恵に預かっているようですが、これはあくまでも特需であり先は見えてきているとも聞きます。

医師の労基法違反訴訟は、弁護士にとっても取り組みやすく、なおかつ勝率が異常に高く、さらに報酬が確実と言う特徴があります。たとえば滋賀では総額6億円もの不払いが発生しているわけですから、もしこれを病院単位で受託したら成功報酬はどれぐらいになるのでしょうか。滋賀程度の事例は全国どこの病院でも転がっている事であり、これを掘り起こせば大きな金鉱になります。その気になれば援護の手は手ぐすね引いて待っている状態とも言えます。

滋賀では

    労基署相談 → 是正勧告 → 医師団結にて粘り強く交渉
こういう展開になりましたが、個人でなら弁護士に委託して交渉する術も選択として出てきています。世の中は確実に変りつつあります。それでも医師はいきなり労基署に駆け込むまでまだしないでしょうが、病院側に相談した時点で邪険に振舞うと滋賀の二の舞、三の舞になる時代が近づいているのかもしれません。考えてみると駆け込まれた時点で病院は大騒動に巻き込まれますから、「そうならないように努力する」時代も遠くないかもしれません。

そう言えば、あくまでも突っぱねた奈良の産婦人科医時間外賃金不払い訴訟の判決は4月じゃなかったでしたっけ。あれはそれなりに大きく報道される可能性はありますから、病院側の退路がまた一つ塞がれるかもしれません。


最後に今回の事件への先覚者である、お弟子様のコメントを掲載しておきます。

 私の刑事告訴のときは、訴えたけど給料未払い分については調書取って貰えなかったし、当直許可証の存在についても曖昧にされてしまったのですが(労基署も検察の方もそれを突っこんだらどうなるかが解っていてモチベーションが上がらなかったのでしょう)、そうですか、こういった記事が書かれたということは滋賀ではちゃんと給料未払い分について捜査されたということですね。労働に対する対価を確信を持って支払わないことは自由主義経済の社会では結構犯罪性が高いと見なされると聞いたことがあります。滋賀の先生がんばられましたね。起訴に繋がるか期待しましょう。またたとえ不起訴でもこういった訴えが繰り返されることで(労基署の行政指導のように)ハードルは低くなるでしょう。