紫色先生、二審勝訴判決文要旨

東京女子医大事件で刑事責任を問われていた紫色先生が、3/27に東京高裁で勝訴の判決を受けられました。本当に良かったと思っています。亡くなられた女児の冥福は謹んでお祈りしますが、一方で責任のない方が罪に問われるのは良くない事です。紫色先生も御自身で無罪判決:100%完勝のエントリーを書かれていますから、解説はそちらで必要にして十分かと思います。わざわざ判決文解説(手間とヒマと気力が必要)を書かせていただくのは、私自身が東京女子医大事件を十分把握しているとは言えないので、自分の勉強のためにさせて頂きます。

判決文要旨を掲載してくれたうろうろドクター様に感謝です。

とりあえず

    【主文】
    本件控訴を棄却する。

    【理由の要旨】
    控訴を申し立てた検察官の控訴の趣意は、事実誤認の主張である。

ここだけ読んでも紫色先生が完勝であった事は十分理解できます。今日は解説として2部構成とし、基本的に判決文にそっての解説の第1部と、自分の理解整理のために行なった補足説明の第2部になっています。合わせるとかなり長いので、ラクをしたい方は第2部だけ読まれても良いかもしれません。

第1部 判決文説明
この判決文の構成は
    第1 本件公訴事実と原判決
    第2 当審における検察官の主張
    第3 当裁判所の判断
    第4 予見可能性の有無について
    第5 結論
こうなっています。私もこれに副って解説していきます。


第1 本件公訴事実と原判決

1 本件公訴事実(骨子)

 平成13年3月2日に東京女子医大付属日本心臓血圧研究所(以下「心研」という。)で行われた被害者(当時12歳)のASD+PSの根治術に際し、手術チームの一員として人工心配装置の操作を担当した被告人が、手術チームの事前申し合わせに反し、脱血方法を、落差脱血法から陰圧吸引補助脱血法に変更し、かつ、陰圧吸引補助脱血法は、執刀部位の心臓貯留血を吸引するための吸引ポンプの回転数を高回転に挙げた場合には陰圧吸引力が減少して脱血管からの脱血量が減少し、脱血不良を招く危険があり、さらに、陰圧吸引補助脱血法を長時間継続すると、血液と手術室内の温度差で人工心肺回路内に発生した飽和水蒸気を壁吸引側に徐々に吸引し、壁吸引につながる回路に取り付けられたガスフィルターを水滴で徐々に閉塞し、壁吸引による吸引力を徐々に斜断して静脈貯血層を陽圧化させて脱血不能のなる危険があるという特性を有しており、人工心肺装置の操作担当者としては、それらの特製を十分に理解した上で使用すべき業務上の注意義務があるのに、これを十分に理解しないまま、漫然と陰圧吸引補助脱血法を約2時間継続し、その間に吸引ポンプの回転数も100回転以上の高回転で継続した過失により、陰圧吸引力を減少させるとともに飽和水蒸気で徐々にガスフィルターを閉塞させて脱血不良及び脱血不良状態を発生させ、よって、被害者に脳循環不全による重度の脳障害を負わせ、同月5日死亡させたものである。

ここは検察が訴えた理由が書かれています。判決文特有の読点の少ない文章ですから読み難いのですが、手術はASD+PSで人工心肺装置を担当した紫色先生の操作ミスがあり、女児が死亡したとの疑いです。紫色先生がミスをした個所として検察が挙げているのが、

  1. 脱血方法を、落差脱血法から陰圧吸引補助脱血法に勝手に変更
  2. 陰圧吸引補助脱血法を行なった上に吸引ポンプを勝手に高回転にした
  3. 吸引ポンプを高回転にしたためにガスフィルターに水滴が付着し閉塞を起した
  4. この事により人工心肺装置の機能が低下し女児を死亡させた
えらく簡単にまとめましたが、この程度の理解でも良いかと考えます。

2 原判決(結論要旨)

原判決は、概略、次のように判事して、被告人に対し、無罪を言い渡した。

  1. 被害者の死因については、心臓の機能低下による心不全の可能性を完全には否定し難いが、本件手術において、被害者に対し人工心肺を用いた対外循環が行われた際に、大静脈(とりわけ上大静脈)からの脱血が円滑に行われず、最終的には脱血不能の状態に立ち至ったことにより、被害者の脳内がうっ血した状態に陥り、重篤な脳障害が発生して死亡するに至ったことを強く推認させる状況があるので、それが合理的な疑いを差し挟む余地がないものかどうかはともかく、ひとまず、そのような前提で検討を進める。
  2. 上記のような脱血不能の状態にまで立ち至った原因について、上大静脈に挿入された脱血カニューレの一が浅すぎるなど、カニュレーションに不具合があった可能性は低く、回路内に発生した水滴などによりガスフィルターが閉塞したことに起因するものと推認される。
  3. 被告人に対し、過失責任を問うためには、前提として、本件手術の際にも用いられた人工心肺回路のうちの陰圧吸引回路にガスフィルターが設置されており、人工心肺装置を操作する際には、陰圧吸引回路内に発生した水滴等がガスフィルターに吸着し、ガスフィルターが閉塞することにより、壁吸引の吸引力が人工心肺回路内に伝わらなくなって、回路内が陽圧の状態になり、脱血不能の状態に立ち至るという一連の機序につき、被告人において予見することが可能であったと認められることが必要であるが、本件当時、被告人に上記のような予見可能性があったと認めることができない。

今回は二審ですから当然一審が先に済んでいるのですが、一審でも紫色先生は無罪になっています。読めばそのままと言えますが、少し読みやすくしてみます。

  1. 人工心肺装置の不調により女児の脳内が鬱血して死亡したとの前提で考える
  2. 人工心肺装置の不調の原因はカニューレの挿入場所の可能性は低く、人工心肺装置のガスフィルターの閉塞によるものと推認する
  3. しかし紫色先生がガスフィルターの閉塞を予見する事は不可能であり責任を問うことは出来ない
ガスフィルター閉塞と女児死亡の因果関係はあるが、ガスフィルターが閉塞する事を予見する事は不可能であるために過失を問うことが出来ないとすればよろしいでしょうか。


第2 当審における検察官の主張

 控訴を申し立てた検察官の諸論は、被害者の死因が人工心肺装置の操作に伴う脱血不良及び脱血不能の状態に起因する重篤な脳障害であることは、証拠上、優に認められる上、人工心肺装置の操作担当者であった被告人には、水滴等によるガスフィルターの閉塞の予見可能性が明らかに認められるにもかかわらず、原判決は、証拠の評価を誤り、被害者の死因について明確に認定することを避け、さらに、被告人に上記予見可能性があったと認定するには合理的な疑いが残るとして、被告人に対し、無罪を言い渡しているのであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというものである。

二審ですから検察も一審の判決で不服な部分を主張しなければなりません。検察の二審の主張も紫色先生はガスフィルターの閉塞を予見できたはずであるになっています。


第3 当裁判所の判断

1 概要

 当裁判所は、被害者の死因は、被害者の脳内が鬱血した状態に陥り、重篤な脳障害が発生したことによるものと認めるが、その原因が、ガスフィルター閉塞による人工心肺回路内の陽圧化によって引き起こされた脱血不能と、陽圧化したことによる血液と空気の大静脈(とりわけ上大静脈)への逆流によって生じたものとすることについては合理的革新を得るに至らず、かえって、手術中の脱血カニューレの位置不良等により上大静脈からの脱血が相当な時間にわたって不良となり、その間送血は続けられたため、東部に居うっ血が生じたことにようる可能性が高いとの結論に達した。したがって、被害者の死亡は、検察官が訴因として掲げる被告人による人工心肺装置の操作に起因するとは認められず、両者の間に因果関係はないから、業務上過失致死罪の成立を否定し、被告人に対し、無罪を言い渡した現判決は、結論において正当である。

この部分が二審判決の踏み込んだところと言われています。一審でも二審でも検察の主張は、死亡原因は「ガスフィルターの閉塞であり、それを予見できなかった紫色先生の過失」の立証に全力を挙げていますが、二審判決ではなんと

    ガスフィルターの閉塞が死亡原因ではなくカニューレ位置の不良により問題が生じた
としています。カニューレの挿入は人工心肺を操作していた紫色先生にはまったく無関係ですから、そもそも過失も因果関係も存在しないとしての無罪判決です。確かに紫色先生が100%の完勝と言う理由が理解できます。

2 被害者の死因について

 関係証拠を総合すると、被害者は、脳死状態に至ったとまでは断定できないものの、本件手術中に顕著な顔面浮腫、鼻出血及び瞳孔散大(以下、これらを合わせて「瞳孔散大等」という。)が出現しており、その後の治療経過に照らしても、脳死になり得るような致命的な脳障害を負ったことは明らかである。被害者の死亡(心停止)の直接の原因が、心臓の機能低下による心停止であったとしても、それ自体は、上記脳障害の合併症であり、いわば死亡に至る因果の流れの一つと見るべきものであるから、本件で被告人の業務上過失致死罪の罪責を検討するに至っては、被害者は、本件手術中に、少なくとも上半身の静脈灌流に循環不全が起こって頭部が鬱血し、致命的な脳障害が発生したために死亡するに至ったと認定して差し支えない。

死亡原因を明快に脳への鬱血による脳障害として認定しています。

3 瞳孔散大等の発生時期について

 瞳孔散大等の発生機序等によれば、循環不全が起こってから瞳孔散大等が生じるまでには、最低でも5分ないし10分の時間を要したと解すべきであるが、本件において、被害者に瞳孔散大等が生じていると初めて確認されたのは、3回目の脱血不能の異常事態が発生し、術野が騒然となった時点であるから、その時点よりも5分ないし10分前に、既に被害者の頭部の鬱血は始まっていたということになる。

死亡原因となった脳鬱血の症状が出現し始めたのを3回目の脱血で大騒ぎになる前の5〜10分前になるとしています。

4 頭部の鬱血の原因について

さてと問題はこの部分の解説なんですが、なにぶん長いので分割します。全体の構成は、

    (1) 静脈層内の陽圧化による脱血不能について
    (2) 上大静脈からの慢性的な脱血不良の可能性について
    (3) 結論
これでも長いところは長いのでですが、我慢してください。

(1) 静脈層内の陽圧化による脱血不能について

 3回目の脱血不能の原因は、陰圧吸引補助脱血法を用いて人工心肺による体外循環が行われていた際に、人工心肺回路内が陰圧の状態に保たれなくなったばかりか、落差脱血を無効にするほどの圧力が回路内に生じていたこと、すなわち、回路内が相当程度陽圧の状態になっていたことにあると認められる。

 そして、この陽圧化は、静脈貯血槽内で発生した飽和水蒸気がそのままの状態で、あるいは、陰圧吸引回路のチューブ内壁で結露して水滴となり、壁吸引の吸引力によってガスフィルターに引き寄せられて付着し、ガスフィルターを閉塞させたためであると認められるが、看護婦の目撃証言や平成15年5月に発表された「3学会合同院圧吸引補助体外循環検討委員会報告書」に記載された実験結果等を総合すると、3回目の脱血不能の状態が発生する直前までは、回路内は陽圧の状態になっておらず、脱血不能の状態が発生した際に、ガスフィルターが閉塞することで急激に陰圧が低下し、回路内が陽圧の状態になったことが窺われる。

 そうすると、前記のとおり、3回目の脱血不能の状態が発生する5分ないし10分以上前には、既に被害者の頭部の鬱血は始まっていたと考えられるのであるから、この脱血不能を招いた、ガスフィルターの閉塞による人工心肺回路内の陽圧化、あるいはそのことによる上大静脈への空気と血液の逆流が、被害者に致命的な脳障害を発生させた原因になったとするには疑問が残るといわざるを得ない。

 さらに、

  1. 人工心肺回路内が陽圧の様態になり、静脈貯血槽から脱血管に血液や空気が逆流したとすれば、その影響は、上下の各大静脈に等しく及ぶはずであるが、被害者の下半身、とりわけ最も影響を受けやすい位置にある肝臓に障害は発生していないこと、
  2. 本件手術において、第2助手として立ち会った医師の証言によれば、2回目の脱血不良に先立って既に上大静脈からの脱血が良くない状態にあったことが強く窺われること等の事情も上記疑いを強める事情である。

裁判官でもここまで検討するのかと驚かされますが、事実として人工心肺装置は不調となり、不調になったのはガスフィルターが閉塞しています。さらにガスフィルターは水滴よって閉塞しています。検察は水滴でガスフィルターが閉塞するのを予見できなかった点での過失を主張していますが、裁判官はガスフィルターが水滴で閉塞した原因に注目しています。

なぜガスフィルターに水滴が付着したかと言えば、陰圧であるべきはずの人工心肺回路が陽圧になったからとしています。つまり陽圧になる原因こそが本当の問題であるとの考えです。ここで検察は紫色先生の操作ミスによって陽圧になったとしていますが、裁判官は死亡原因である脳への鬱血が3回目の脱血の5〜10分前に突然生じている事にまず着目し、紫色先生の操作ミスが積み重なってのものではない事を示唆しています。

さらに紫色先生の操作ミスによる人工心肺装置の不調であるなら、人工心肺装置が脱血を行なっている上下二つの大静脈に等しく影響するはずで、下大静脈が支配する肝臓にも鬱血が見られるはずなのに、これが無いことから、人工心肺装置の不調は操作ミスにより独立して起こったのではなく、他の原因、とくに上大静脈の脱血になんらかのトラブルが起こり、二次的に人工心肺装置の不調につながったとしています。

(2) 上大静脈からの慢性的な脱血不良の可能性について

  1. このように、本件においては、人工心配回路内が陽圧化して脱血不能の状態になったこと等が脳障害の原因になったとするには疑問があり、むしろ、その時点では、既に上大静脈からの脱血が不良で、脳障害が発生していた可能性が高いと認められるところ、その原因としては、本件においては、上大静脈のカニュレーションの位置不良が考えられるのである。すなわち、


    1. 本件手術においては、人工心肺による体外循環を開始した当初から、脱血が余り良くない状況があり、カニュレーションに手間取ったという事情があったことを併せ考えると、当初から脱血カニューレの位置不良があった可能性は否定し難い。


    2. とりわけ、本件においては、大静脈へのダイレクトカニュレーションが行われているが、本件のようなMICS(低侵襲心臓手術)においては、ダイレクトかニュレーションは、視野が狭く。脱血管の操作性も制限されるため、手技としても難しく、不適切なカニュレーションがより起こりやすいものであった。

    3. 本件手術のチームリーダーである医師の上大静脈の脱血カニューレの位置は良好であった旨の供述は、他の関係証拠に照らして信用できない。


  2. 本件においては、少なくとも、13時49分に被告人が5回目の血液ガス検査を行うまでは、人工心肺側から見る限りは、陰圧吸引補助脱血法による脱血が円滑に行われていたと認められ、その間、下大静脈の中心静脈圧も、正常内で推移していること等に照らすと、上大静脈からの脱血が十分になされない状況が継続しながら、他方で、下大静脈から十分な脱血がなされていたため、全体としては、十分な脱血量が確保され、その間送血は維持されていたことにより被害者の頭部に鬱血が生じたという事態が考えられ、このような考察は相当数の医師証人によっても述べられるなど、臨床的にも裏付けられている。

  3. 原判決は、本件手術においては、脱血カニューレの位置等が変えられた形跡が窺われないとして、上大静脈のカニュレーッションに不具合があったというような可能性は低いと説示しているが、本件手術に第2助手として立ち会った医師の証言によれば、上大静脈の脱血カニューレの位置は変えられたと見られる。

  4. さらに、本件手術においては、13時7分に被害者を自己拍動に戻すために心臓に電気ショックを与える際に、被害者の頭部を下げる措置が採られ、以後、頭部は下げられた状態のままにされており、そのため、その時点以降、頭部はより鬱血しやすい状況にあったことも指摘される。

ここはわかりやすく書かれているので解説の必要もないぐらいですが、裁判官は人工心肺装置の上大静脈のカニューレ挿入位置が良くなかったと認定しています。上大静脈に脱血のために挿入されたカニューレの具合が、手術当初から不調の兆しがあった事に対する証言を積極的に採用し、なおかつこの事により病態を合理的に説明できるとしています。

(3) 結論

 以上のとおり、人工心肺回路内が陽圧の状態になったことによる脱血不能の状態が、被害者に致命的な脳障害を発生させる原因になったと認定するのには疑いを抱かせる事情があり、他方で、とりわけ上大静脈からの脱血が慢性的に良くなく、被害者の頭部に鬱血を生じさせたことを窺わせる事情が多数存するので、これらの事情を総合すると、本件においては、被害者は、上大静脈に挿入した脱血カニューレの位置不良があり、上大静脈の脱血不良が長時間にわたって継続したことから、循環不全が起こって頭部が鬱血し、致命的な脳障害が発生したために死亡した可能性が高いというべきである。すなわち、被害者は、回路内が陽圧の状態になって脱血不能の状態になった時点では、上記のような経過で既に致命的な脳障害を負っていた可能性が高いのであって、人工心肺回路内が陽圧の状態になったことによる脱血不の状態が、被害者に致命的な脳障害を発生させて死亡させるに至ったと認定するには、なお合理的な疑いが残るとしなければならない。してみると、被害者の頭部に鬱血をもたらした脱血カニューレの位置不良は、操作担当者である被告人の人工心肺装置の操作に起因するものではないから、これと被害者の死亡との間には因果関係が存せず、検察官が本件訴因に掲げる過失の有無を論じるまでもなく、被告人について、業務上過失致死罪は成立しない。したがって、この点において、既に所論は、理由がないといわなければならない。

この裁判の争点は死亡原因となった女児の頭部の鬱血が何によって生じたかです。結果として確認できる事実は人工心肺装置の不調があり、検察側は紫色先生の操作ミスにより発生したとしています。ところが裁判所の判断は、人工心肺装置の不調があった事実は認めていますが、これは操作不良によって起こったものではなく、上大静脈へのカニューレの位置不良による二次的なものと結論しています。

カニューレの位置不良による二次的な人工心肺装置の不調であるならば、これを担当していない紫色先生に過失責任など生じるはずも無く

    被害者の死亡との間には因果関係が存せず、検察官が本件訴因に掲げる過失の有無を論じるまでもなく、被告人について、業務上過失致死罪は成立しない。
こういう結論に導かれます。


第4 予見可能性の有無について

 上記の通り、本件訴因の下では、被告人に業務上過失致死罪は成立しないが、本件において、被害者に脳障害が生じた機序については、専門家として本裁判に現れた医師の間でも見解の相違があり、静脈貯血槽が陽圧化して逆流が生じた場合には、ごく短時間で脳障害が起きる可能性を示唆する見解もある。生体のメカニズムについては未解明の部分が多く、かつ、剖検もされず、そのため死因についても様々な見方があるという本件の特殊性と、当審が事実審としての最終審であることを考えると、先のような見解もある以上、念のため、原判決の認定の上に立って、予見可能性の有無について所論に対する判断を示すこととする。

 過失犯における予見可能性は、単なる危機感や不安感を抱かせる程度の事実関係の認識では足りないが、結果発生に至る機序のすべてについてまで認識する必要はなく、結果発生に至る因果関係の基本的部分についての認識を前提をして結果の発生が予見可能であれば足りると解するべきである。これを本件に則して見れば、ガスフィルター閉塞の機序についてまで認識している必要はないが、少なくとも、静脈貯血槽内で発生した飽和水蒸気がそのままの状態で、あるいは、陰圧吸引回路のチューブ内壁で結露して水滴となり、壁吸引の吸引力によってガスフィルターに引き寄せられて付着し、ガスフィルターを閉塞させ、回路内が陽圧の状態に立ち至るという結果発生に至る一連の機序について、本件当時の臨床医学の実践における医療水準を基準として、予見可能であるといえなければならない。

 本件においては、実際に心研で人工心肺に関わったことのある被告人以外の医療関係者や心研以外の医療関係者も、陰圧吸引回路に発生する水蒸気や水滴によってガスフィルターが閉塞する危険性について認識しておらず、関連文献を精査しても、本件当時、回路内が陽圧になる危険性について指摘するものは存するが、これを回路内に発生した水蒸気や水滴がガスフィルターに付着することと結び付けて触れる論文は見当たらず、被告人においても上記の認識はなかったと認められるから、上記一連の機序について、本件当時の臨床医学の実践における医療水準を基準として、被告人に結果の予見可能性があったと認定することはできない。

 所論が援用する医師証人が予見可能性に関して語るところは、事故が起きた以上、物事に完全ということはないから、事故を予見すべきであるというに等しく、どのような事案についても結果責任を認めるべきとの論そのものであって、採用することができない。

読んできてもう無罪で終わりかと思ったら、まだあったので少し驚いたのですが、この章の主旨は、

    本件の特殊性と、当審が事実審としての最終審であることを考えると、先のような見解もある以上、念のため、原判決の認定の上に立って、予見可能性の有無について所論に対する判断を示すこととする
ここで原判決とは一審判決のことであり、一審判決では死亡原因をガスフィルターの閉塞による人工心肺装置の不調としながらも、これを紫色先生が予見するのは不可能であったというものです。事件当時の医学界の知見を精査しても、人工心肺回路内が陽圧になれば水滴が発生する事までは知られていたが、これをガスフィルターの閉塞に至る可能性がある事は誰も指摘しておらず、誰も知らない事を紫色先生が予見する事は不可能であるとまずしています。

こういう状態で予見義務を問うことは、

    所論が援用する医師証人が予見可能性に関して語るところは、事故が起きた以上、物事に完全ということはないから、事故を予見すべきであるというに等しく、どのような事案についても結果責任を認めるべきとの論そのものであって、採用することができない
うろうろドクター様によると「所論が援用する医師証人」とは、違法バイトの謝礼にベンツをもらって免職になった心臓外科医の事だそうです。

第5 結論 

 以上の次第であって、本件事故に関し被告人に過失責任を問うことはできないから、被告人に対し、無罪を言い渡した原判決は、結論において、正当であり、事実誤認をいう所論は、理由がない。

久しぶりの判決文でしたが、ここまで付き合われた読者の皆様お疲れ様でした。

第2部 補足説明
当ブログは専門用語の解説に極めて不親切(つうか手抜き、足抜き)なところがありますが、紫色先生の二審判決の意味をより広く知ってもらうために、今回はあえて付け足します。もっとも私も小児科医ですから、人工心肺装置と言っても「さわり」ぐらいしか知りませんが、専門家以外の方にはかえって分かりやすいかもしれません。

まず心臓と肺の役割を理解して欲しいのですが、さらにその前に血液の役割をまず理解してもらいたいと思います。人工心肺装置を前提に考えるときの血液の役割は全身に酸素を運搬する働きです。これは赤血球の役割ですが、シンプルに血液の役割と考えてもらった方が簡便なので以後は血液とします。全身の筋肉や臓器に酸素を送り届け、代わりに二酸化炭素を受け取って来るのが血液のお仕事になります。

    血液は全身に酸素を届ける
    血液は全身から二酸化炭素を受け取る
血液は血管を通って全身に運ばれますが、全身に血液が流れるには、流させるためのポンプが必要です。これが心臓であり
    心臓は全身に血液を送り込む
    心臓は全身から血液を回収する
血液は自力で全身から回収した二酸化炭素を放出することは出来ませんし、酸素を取り込むことも出来ません。その役目を担うのが肺で、
    肺は血液から二酸化炭素を取り出し体外に放出する
    肺は血液に酸素を取り込ませる
心臓手術のためには心臓を止める必要があり、心臓を止めている間に、心臓と肺の役目を代行するのが人工心肺装置です。具体的には
    心臓の代わりにポンプを使って血液を回収(脱血)し、また血液を送り出す(送血)する。
    肺の代わりにガスフィルターを使って血液から二酸化炭素を取り出し、酸素を取り込ませる
判決ではカニューレの位置が問題になっていましたが、カニューレとはごく単純には人工心肺装置から体につながっている管の事です。手術のために心臓と肺の機能を止め、人工心肺が代行するのですから、心臓と肺を迂回して血液を流すルートを作ったものと考えてください。ここがややこしいので出来るだけシンプルな図にしてみます。
シンプルすぎて、東京女子大事件で使われた人工心肺装置の形式と異なる部分があるかもしれませんが、イメージとしてこんな感じです。図に補足説明を加えると人工肺の中に問題なったガスフィルターがあり、この人工心肺装置の操作を行なっていたのが紫色先生です。人工心肺装置から患者につながれていたカニューレは、
    動脈側:大動脈に1本
    静脈側:上大静脈と下大静脈にそれぞれ1本
静脈側のカニューレが2本になっているのは、体の構造のためであり、
    上大静脈:問題になった脳を含む頭頚部など上半身の血液の集合路
    下大静脈:その他の下半身の血液の集合路
こういう風に理解してもらえれば簡明かと思います。このカニューレの設置は人工心肺装置担当の紫色先生が行なったのではなく、他の術者が行なっています。ここでなんですが、女児が死亡したのは脳への鬱血のためです。なぜ鬱血が起こったかと言えば、
    静脈からの脱血が不十分で、なおかつ動脈からの送血が行なわれていたため
人工心肺装置で脳に血液を送り込んでいたのに、一方で脳から血を排出するのが不十分になったからです。当然のように脳に血が溢れ脳障害を来たす事になります。この時に人工心肺装置の不調が発生したので、検察は紫色先生の操作ミスを疑いました。実際にも人工肺のガスフィルターの閉塞が起こっています。検察側の主張は、
    死亡原因は人工心肺装置の不調であり、これを予見し防止する事は可能であった
これは一審も二審も共通しています。一審では死亡原因として人工心肺装置の不調であることは裁判官は認めましたが、当時の医学知識でガスフィルターが閉塞する事を予見する事は不可能であり、不可能な事を義務として過失を負わせることは出来ないから無罪となっています。


二審も無罪ですが、無罪の意味が変わっています。人工心肺装置の脱血ルートは上大静脈と下大静脈の2つです。人工心肺装置の不調であるならば、上大静脈の支配部位だけではなく、下大静脈の支配部位も鬱血による障害が起こる必要があります。ところが死亡した女児に発生した鬱血による症状や障害は、上大静脈が支配する頭部のみである事が事実認定されています。医学的には上大静脈症候群と称される症状です。

つまり脱血トラブルが起こったのは上大静脈の支配部位である上半身のみであると言う事です。上大静脈の脱血トラブルが人工心肺装置の不調を二次的に起しただけであり、人工心肺装置の操作を担当している紫色先生には何の関係も無い事故であるとの判決です。上大静脈の脱血トラブルの原因はカニューレの設置不良であり、設置不良の責任はこれに関与していない紫色先生の過失責任など問いようが無いという事になります。紫色先生の担当部署と無縁のところで起こったトラブルの責任など問われるはずもないという、100%の完全勝利と言う事になります。


二審判決では、さらにわざわざ一審での人工心肺装置の不調が死因であったと仮定しての予見注意義務の可能性まで論じています。基本的には当時の医学知識では予見不可能な事柄であり、過失責任は問いようが無いとした上で、検察側の心臓外科医の証人の「責任あり」の主張に対しての論評を行なっています。検察側医師証人の主張はおそらく、

    事故が起こったなら誰かに必ず予防できるミスがあり、そのミスを追及して必ず結果責任を負わせなければならない
これに対し裁判所の判断として
    医師証人が予見可能性に関して語るところは、事故が起きた以上、物事に完全ということはないから、事故を予見すべきであるというに等しく、どのような事案についても結果責任を認めるべきとの論そのもの
検察側医師証人のロジックを酷評して粉砕しています。


最後に本当は紫色先生が8年も刑事訴訟に付き合わされる原因となった、東京女子医大の杜撰な内部報告書の作成過程も紹介しなければならないのですが、これについては紫色先生の「目に見える権力」への怒りと「目に見えない権力」の恐怖の8年間と正義感のある方々への感謝から直接引用させて頂きます。

「目に見える権力」とは以下二人の人間をはじめとした女子医大幹部です。

 一人目。東間紘女子医大元病院長 現牛久総合病院院長(泌尿器科医)。「科学的でない、根拠のない結論を書いた内部調査報告書の責任者です。

今回、「否定された内部報告書ー『ルポ 医療事故』朝日新書

 http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fe25.html 

において、実地検分と内部報告書の作成がいかにでたらめなものであったかが、私の口以外からはじめて活字となって、暴露されました。

 二人目。黒澤博身 女子医大現心臓血管外科教授(3月31日退官、あと4日)。

特定機能病院の認可を取り消されないために、「はじめから内部報告書は誤っている」と分かっていたのにこれがマスメディアにバレないように、パワーハラスメントを使ってまで私を陥れました。「白い巨塔」の財前五郎など相手にならないほどの、悪業を平然と行う人間が存在することに私自身が驚愕するとともに、憎悪しました。詳細は、「公開質問状」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat6216890/index.html 「日経メディカル 2008年7月号」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/files/200807.pdfにあります。

 この二人の悪をさらに絶対に許せないことは、NHKのテレビ番組を利用して門間和夫前循環器小児科教授を落としいれ、自分達が英雄気取りになっていたことです。門間先生は、現在でも鎌倉のご実家から心研の実験室に通われている物静かな学者肌で、これら二人の権力志向の医師とは無縁の生涯学徒です。外国の学会で業者にゴルフ接待強要したり診療をサボって、小金井カントリー倶楽部でゴルフして連絡がつかない」ような診療姿勢とは正反対で、私達が徹夜でICU管理した重症の赤ちゃんや子供達全員を毎朝の6時前に一人で回診にやってきて、我々の労をねぎらいながら子供を診る名医が門間先生でした。

 NHKのテレビ放送では、その門間先生を医師からみると言いがかりとしか思えない「術後重症になったのに渡航移植を勧めなかった」ということが、さも、旧体制が恥部で、それを摘発して謝罪させた新体制の旗頭が我々だといわんばかりの内容でした。全国の循環器小児科医、循環器小児外科医が、憤慨しています。