ティアラ鎌倉

鎌倉市は人口17万人の規模だそうです。ここもまた産科医減少による分娩施設の減少があり、市内に1ヶ所しか分娩施設が無い事が問題になったそうです。その1ヶ所の分娩施設が湘南鎌倉病院と言うそうで、542床の立派な病院で、産婦人科にも9人の医師がおられ、2007年度には1070件の分娩を行なっています。鎌倉市の2007年度の出生数が1274人だそうで、そのうち県外出産が231人だそうですから、帳尻上は湘南鎌倉病院一つで鎌倉市の全分娩を賄える能力を持っています。

この辺の事は2/20付JANJANに書いてあることの引き写しなのですが、現実として湘南鎌倉病院の2007年度の鎌倉市民の出産数は418人だそうで、鎌倉市民の分娩必要数には足りないというのがあるようです。そこでもう1ヵ所分娩施設を作ろうという話になり出来上がったのがティアラ鎌倉です。JANJANには徳洲会系列の湘南鎌倉病院と地元医師会、市当局の関係がいろいろ書かれていますが、とりあえず置いておきます。

ティアラ鎌倉は経緯から医師会立で、建設費や運営の問題も様々あるようですが、これも置いておきます。個人的に関心があったのはおそらく医師会が集めたと考えられる産科医です。2008.11.17カナロコより、

 鎌倉市医師会(細谷明美会長)は十七日、同市小町に開設を予定している産科診療所の医療スタッフが内定したと発表した。既に内定している雨森良彦院長(76)を含め医師は五十〜七十代の男性三人。全国的にも珍しいという「医師会立」の産院は来年二月中旬から診療を開始する。

この御時世の中で三人の産科医を集めたのは感心しますが、年齢層がチト高いのが気になったのです。もちろん産科診療は激務ですから体力的な問題もありますが、76歳の雨森院長はともかく、部下となる二人の産科医も若くても50歳以上である事です。76歳の院長の体力はともかく、50歳代の産科医なら能力に申し分はないという意見は当然でてくると思いますが、経験も能力も十分と言うのが時にして問題になります。

雨森院長は2008.7.17付カナロコでは、

 雨森さんは一九五八年に東京大学医学部を卒業。日赤本部産院婦人科部長、医療センター産科部長などを歴任し、九七年に日赤を定年退職した。現在は横浜市内で産科医師として嘱託勤務する。

錚々たる経歴のようで、院長受諾当時も嘱託として現役なのは分かります。残りの二人の産科医も雨森院長の直弟子で、50歳代になっても雨森院長の下で是非働きたいとの思いで集まったのであれば支障は無いのですが、そうでなく別の医師会ルートで集められたのなら問題発生は必発に近いところがあります。やや似たような産科病院の事を少し知っているのですが、能力と自信がある産科医が3人集まれば、ものの見事に三頭体制になってしまうということです。わかりやすく言えば第一産婦人科、第二産婦人科、第三産婦人科のスタイルです。

こういう事は産科医に限った事ではなく、温厚と呼ばれる小児科医の世界でもよく起こります。循環器を研修したときの三人の小児循環器科医は完全に第一循環器、第二循環器、第三循環器状態で、ほとんど口さえきかない関係でした。下について泣きそうな思いを何度もしましたが、半年の研修の間に上司三人がプライベートでそろって歓談したのは、私が循環器研修を終えた時のささやかな送別会だけでした。

つまりティアラ鎌倉に集まった産科医が結束するには、リーダーである雨森院長の手腕が強く求められるという事です。内情と言うのは外からはなかなか分かり難いのですが、ティアラ鎌倉がスタートして、2週間で事件はさっそく起こったようです。3/4付産経新聞(Yahoo!版)より、

 鎌倉市が財政支援し、同市医師会が運営する全国初の形態で先月17日に開業した産科診療所「ティアラかまくら」(鎌倉市小町)。設立に携わり、同診療所の所長を務めていた雨森(あめのもり)良彦産科医(77)が2日、医師会との対立から診療所を去ってしまった。診療に影響はないとしているが、新たな試みに期待が集まる一方で、対立の背景には産科医をとりまく根本的な問題が垣間見えた。

 同診療所は、市が平成18年に市内で出産を扱う病院が1つだけになってしまったことから医師会に協力を求めて協議が始まった。産科医が急減するなかでの人材確保や運営資金、医療紛争や訴訟時の責任について協議を重ね、広いネットワークを持つ医師会が人材確保と運営を担当し、市は運営補助費や施設改修費の負担と訴訟時の積極的支援を行うことで合意、開業に至った。常勤は産科医2人(雨森産科医を除く)、助産師9人、看護師3人。今年度は300件、来年度以降は年間360件の分娩(ぶんべん)を予定、すでに相当数の予約が入っているという。

 順調な発車を終えた直後の今回のトラブル。雨森氏は「医療過誤は訴訟額が大きい。所長として責任があるため、必ず立ち会う必要がある」と考え、開業日から休診日を除いて毎日当直室に泊まり込んでいた。一方で医師会は「医師が倒れれば、診療所の継続的運営に影響が出る。長時間勤務が産科医不足の根本的原因なのだからここを改善する必要がある」と、交代制を提案したところに生じた亀裂だった。

 医師会では今週中に今後について会議を開くとともに、非常勤医師を採用する予定。市は「突然で驚いている。早く解決してもらえれば」とコメントしている。

雨森院長の電撃辞職のニュースです。辞職の仕方もストイックで、これは3/3付Asahi.comからですが、

3月2日は朝から診療に当たり、同日正午前に診療所を去った。

原因は

    医師会との対立
えらくステレオタイプの表現で、ここだけ読めば医師会がティアラ鎌倉の運営に口を挟んで「悪い事」をしたみたいにも感じられますが、産経記事を読む限りそうとは思えません。雨森院長が職務に熱心な事はわかりますが、

雨森氏は「医療過誤は訴訟額が大きい。所長として責任があるため、必ず立ち会う必要がある」と考え、開業日から休診日を除いて毎日当直室に泊まり込んでいた。

これをされたら部下はたまった物ではありません。

今どきの大学医局では消えうせているかもしれませんが、かつての大学医局でよく見られた光景にこんなのがありました。教授が終業時刻が過ぎても一向に御帰宅されないのです。研究熱心なのか、勉強熱心なのか、家に帰りたくない事情があるかは不明なのですが、とにかく毎日のように午前様で御帰宅なられるのです。午前様といって2時、3時がザラザラです。教授が御帰宅になられないのは個人の勝手ですが、医局の気風と言うか、不文律として教授が御帰宅されるまで医局員も帰宅できないところが多々ありました。

別に不文律ですから帰宅しても構わないのですが、この教授が時々医局に顔を出されるのです。顔を出した時にいない人間がいると、機嫌が非常に悪くなります。医局人事華やかなりし頃ですから、教授の御機嫌を損ねると非常によろしくなく、医局員は教授がいつ本当に御帰宅されたのかの確認を毎日行なう作業を余儀なくされる寸法です。これの小型版が病院でもよく見られたものです。

ティアラ鎌倉は言うまでも無く新設の医療機関ですから、これから医療機関の新たな気風や伝統を作る段階ですが、リーダーたる院長が、

    開業日から休診日を除いて毎日当直室に泊まり込んでいた
院長が身をもって示したいきなりの方針ですから、部下の2人の産科医は困惑したかと思います。院長にじかに相談したとも思うのですが、雨森院長の考え方は、
    医療過誤は訴訟額が大きい。所長として責任がある
これはこれで一応の正論ですから、堂々と主張されれば論破するのは容易ではありません。50代とは言え、院長とは親子ほども年の差がありますから、断言されてしまうと反論は容易ではなくなります。院長は77歳になられているようですが、77歳の院長が連日当直室に泊り込まれたら、部下としてどう対応するかは難しいものがあります。それで仕方がないので運営母体である医師会に相談に行ったのだと考えます。

医師会も77歳の院長の仕事振りに驚いたかと思います。仕事熱心なのは認めるとしても、そんな事を続けていれば院長の体力ももたないでしょうし、他の産科医との不協和音が広がれば、せっかく集めた残りの産科医が逃げ去ってしまいます。そこで医師会としての説得案として、

「医師が倒れれば、診療所の継続的運営に影響が出る。長時間勤務が産科医不足の根本的原因なのだからここを改善する必要がある」と、交代制を提案した

ティアラ鎌倉は8床の有床診療所ですから、必ずしも宿直を置く必要がありません。医師会の提案した「交代制」とは、オンコールによる交代性の可能性もあると思っています。分娩事情によっては泊り込みも必要になるでしょうが、そうでない時には交代性の自宅待機制も含めての提案を院長に行なったのではないかと考えます。これだってかなり厳しい勤務体制ですが、3人しかいないのですから提案として妥当かと思います。まだ始まったばかりですしね。

この医師会からの交代勤務制が雨森院長の逆鱗に触れたようです。3/3付Asahi.comの方が院長の感想がわかりやすいのですが、

「所長はすべてに責任がある立場。しかし、人事を医師会が握り、一部の医師の人事について納得できないので辞める」

あくまでもマスコミ情報だけなので、推測の範囲が広いのはお許し願いたいのですが、「一部の医師の人事」と言っても3人しかいないのですから、自分以外の2人ないし1人の医師が医師会にコソコソ運動した事に対して激怒されたと考えています。勤務シフトの問題は院長の責任範囲であるはずなのに、これに対し医師会が口出しした事を許せないと考えたと思います。

この辺の背景は医師会が雨森院長を招聘したときに「先生の好きなようにやってください」のリップサービスを、ふんだんに行なっていたのもあると思います。雨森院長も完全にその気で、50年以上にわたって培われた経験からの、理想の産科診療所を作りたいと考えていたとしても不思議ありません。その譲れない一線が連日の泊り込みであったと思うのですが、いきなり医師会の介入があり「話が違う。わしゃ、降りる」の電撃辞職になったと考えます。

雨森院長の勤務姿勢は、現在でも1人で産科診療所を支えている医師や、1人医長で分娩を行なったおられる産科医なら自然に強いられるものですし、雨森院長の若かりし頃は、そういう勤務姿勢がごく当たり前であったかと考えます。しかし現在の医療情勢は、そういう勤務体制が是とした考え方を過去に押しやろうとしています。体力的にも戦力的にも、また現在の産科医に求められる様々なものからも「避けるべきもの」となっています。医師会がティアラ鎌倉を発足させるにあたって、3人の産科医をそろえたのも、最低限の現在の産科医療の流れを汲み取ったものだと思います。

それにしても雨森院長の働き振りを見ていると、かつての尾鷲の話を思い出してしまいます。尾鷲のときの名文句に「3000万あれば助教授が飛んでくる」がありましたが、そういう産科医は本当に実在しているように思いましたし、散々揶揄した「分娩室横の生活スペースで暮らす常駐契約」に満足されそうな勢いです。

今回の分析はマスコミ情報として表に出ているところに出来るだけ限定してのものです。実は裏情報も色々あるのですが、これ以上は細かく言えません。それでも経緯としては、おおよそこんなところですから産経記事にある、

対立の背景には産科医をとりまく根本的な問題が垣間見えた

これはチョット的外れの見解に感じます。根本的な問題に該当しそうなのは、産科診療所の医師を集めるのに院長や部長クラス、いわゆる船頭クラスしか見つからなかった事です。船頭だけでは船は進まないのは医療関係者ならよく知っているのに、そういうスタッフ構成で船出せざるを得なかったのは「産科医をとりまく根本的な問題」と言えない事はありません。ただ医師会と雨森院長の対立は違う次元の話のように思います。これは医療に限らずどこの世界でもある世代間対立であって普遍的な問題と考えられます。

雨森院長の電撃辞職で「雨降って地固まる」になるのか、それとも混迷の第二幕があるのかは、すべからく次期院長の手腕に委ねられると見ます。鎌倉市民のためにも「雨降って地固まる」になるのを祈っておきます。