規制改革会議第3次答申より

規制改革会議の第3次答申なるものが出され、そこに医療分野があります。28ページもある大作のため、一遍にはとても紹介できませんから、冒頭にある総論的な「問題意識」のところを読んで見たいとおもいます。ただここも3ページ半も分量があり、できるだけ解説を簡潔にして分割しながら読んでいきます。

 医療は、国民にとって最大関心事の一つであり、その制度設計の在り方は国民生活に多大な影響を与えるものである。厚生労働省が発表した数値によると、2006 年度の国民医療費は33.13 兆円、その国民所得に対する比率は8.9%、65 歳以上の医療費割合は51.7%となっている。また、公費負担は3分の1 強の12.13 兆円(36.6%)であり、残りは保険料16.22 兆円(49.0%)及び自己負担4.76 兆円(14.4%)となっている。これからの医療を考える際、医療費は急テンポで増大していくということが前提、と認識しなければならない。世界でも類を見ない速度で高齢化が進行しつつある一方、様々な技術革新によって医療そのものが高度化しており、現在の延長線上で国民医療費を予測するのは不自然である。国民の医療サービスに対するニーズを勘案すれば、将来その額は更に急激な右上がりの凹型曲線を描いて増大すると考えるのが自然であろう。国民のニーズなのだから、何人たりともこれを拒むことはできない。医療の国家管理による大いなる無駄が生じていると推量されるため、その是正は喫緊の課題であるが、医療の多様化・高度化による医療費増加まで抑制しようというのならば、それは国民経済的に見ても本末転倒であると考える。問題はその負担の在り方である。将来的な医療費の増大を前提とした上で、国民皆保険制度を堅持しつつ、それを持続可能にする為の大胆な制度の再設計が今求められている。

後が延々と続くので短くしますがとりあえずポイントと感じるのは、

  1. これからの医療を考える際、医療費は急テンポで増大していくということが前提
  2. 国民のニーズなのだから、何人たりともこれを拒むことはできない
  3. 医療の多様化・高度化による医療費増加まで抑制しようというのならば、それは国民経済的に見ても本末転倒であると考える
このあたりまではフムフムと読めますが、最大のポイントは、

問題はその負担の在り方である

ここについて論旨が展開していると考えます。

 そもそも、現在の国民皆保険制度は、どのような医療を提供するか、どのような価格で提供するか、誰が提供するかといった、制度を構成するおよそ総ての事項について国家が決定した上で管理運用する現物給付の制度によって成り立っている。これは一種の配給制度と見なしてよい。戦後の切迫した国民の健康状態を早急に改善するために始まった国民皆保険制度は、大いにその使命を果たしたと言える。国家が取り決めた医療サービスをあまねく提供することが合理的であった。いわば「量」を優先した国民皆保険制度である。それが60年以上を経た今日に至るまで尚も続いている。国家が管理するということは、供給を管理するというのと同義である。需要はその管理された供給の範囲内で満たさなくてはならない。世のあらゆるサービスは需要と供給を価格というものを調整弁として均衡させるものであるが、医療の価格は診療報酬を2年に1回改定することで政府が決める。しかし、その際に、例えば巨額の財政赤字の存在が医療費の公費負担に全く影響を与えていないとは言えないだろう。結果、私費負担の部分が影響を受けることになる。また、そもそも、供給の管理は、量は勿論として、質も含めた需要を正確に予測して初めて機能し得る。現実には、国家が誤った需要予測の下に供給調整した結果、「政府の失敗」による医療崩壊が随所に顕在化している。もちろん、「市場の失敗」もある。医療のすべてを市場に任せるべきではない。当会議は、医療行政当局が、市場をあまりに無視したことから起きている様々な問題に、真正面から向き合うべきと言っているだけである。「政府の失敗」を糊塗しても、消費者である患者・国民、そして供給者である医師を始めとした医療従事者が犠牲になるだけであり、両者の我慢は既に限界に達していると認識すべきである。

そんなに悪いことは書いていない部分もあります。たとえば、

医療の価格は診療報酬を2年に1回改定することで政府が決める。しかし、その際に、例えば巨額の財政赤字の存在が医療費の公費負担に全く影響を与えていないとは言えないだろう

ここなんて「ホ〜」とさせられる部分です。

現実には、国家が誤った需要予測の下に供給調整した結果、「政府の失敗」による医療崩壊が随所に顕在化している

ここもフムフムと読める部分です。ただこの段落だけでは理解が難しい、

当会議は、医療行政当局が、市場をあまりに無視したことから起きている様々な問題に、真正面から向き合うべきと言っているだけである

どうもここがポイントのように感じます。

 医療先進国といわれる日本は、今、目を被いたくなるような惨状である。高度医療を受けたくても制度が邪魔して受けられず、海外に治療の場を求めるケースも増えている。いわゆる“がん難民”と呼ばれる患者が現実に生まれているのである。救急患者はいくつもの病院をたらいまわしにされ、その結果助かる命を奪われている。永年“医師不足はない”と言っていた主張を撤回して、付け焼刃的に定員増をはかっても、効果が出てくるまでには10 年待たなくてはならない。既に、現場の医師、特に病院の勤務医は日々の激務に追われ疲弊している。医師の負担を軽くしてその専門性をより活かすためにコメディカルの担当領域を広げるべきとの主張も受け入れられない。有能な医師の一部は、そうした日本を見限り海外にその活躍の場を移している。日本に残った医師は益々疲弊し、病院は医師不足で経営できない状態に陥る。すべてが悪循環となり、医療供給体制は今や完全に制度疲労を起こしていると言って良い。すべてを国家管理にした上で、民の知恵を発揮する場を奪った、当然の帰結である。

ちょっと論旨の展開がきな臭くなってきます。医療の惨状の例として挙げられたのは3つですが、

  1. がん難民
  2. たらいまわし
  3. 医師不足
たらいまわし」と「医師不足」は現実の大問題だと思いますが、真っ先に上げられたのが「がん難民」とはちょっと違和感を感じます。その上で方向性として、

すべてを国家管理にした上で、民の知恵を発揮する場を奪った、当然の帰結である

「民の知恵」に結論付けています。

 時代に合った制度再設計の際に重要な視点は「量」から「質」への移行である。これは、疾病の主体が集団的な予防措置が有効とされる伝染病・感染症から高血圧症・糖尿病等の生活習慣病に移行したことへの対応とも言える。個人の生活環境に密着した、よりきめの細かい指導・治療が必要となっているのと同時に、医療技術の発達により、医療に対する個人の需要が多様化・高度化している。その需要に供給を正確かつタイムリーに合わせる仕組み作りが最も重要であり、民の様々な知恵をいかに反映させるかが問われているのである。

ここのポイントは

重要な視点は「量」から「質」への移行

どんな「質」を主張しているかになります。

 特に、需要側すなわち患者・消費者の視点が極めて重要となる。言い換えれば、「質の医療」とは、患者の満足度が高い医療を提供することである。それを実現するためには、従来の現物給付の制度に基づいた供給者主体の制度から、消費者主体の制度に根本的に見直す必要がある。そもそも、国民医療費の3分の2は公費とは別に消費者が負担しているにもかかわらず、どこに国が価格統制をした上で供給体制をすべて管理する根拠があるのか。なぜ消費者はその枠内でしか医療を選択できないのか。適正な医療費の姿も、消費者が望む「質の医療」の先にあるのではないのか。今、消費者の視点に立った大きな方針転換が必要である。

どうも「質の医療」とは消費者(患者)主体の医療の事を指すようです。患者を消費者と言う表現で言うのは違和感を感じますが、そこにはこだわらずにポイントとしては、

なぜ消費者はその枠内でしか医療を選択できないのか

ここを何とかすると論旨を展開しているように思います。

 当会議は、消費者の自由を拡大し、「質の医療」を実現するため、官が国民のすべてを管理しようとするパターナリズムの現れである様々な規制の撤廃をこれからも訴えていく。混合診療禁止措置を撤廃することも、消費者の権利を守るという意味でその一環である。保険診療保険外診療を併用した場合に、それを不可分一体の診療だからすべて保険外とみなすという措置が在るが故に、例えば混合診療を回避しようとして福島県医大の寄付金事件が起きたのではないのか。この措置を一方的に病院側の責任としてかたづけてよいのか甚だ疑問に思う。病院側が悪意をもって行ったとでも言うのか。全く現場の実態を無視した措置により、患者はもちろん医師・病院も苦しんでいる。また、混合診療禁止措置は新しい医療技術の普及をも阻害し、結果、消費者が享受すべき恩恵が失われるということも惹起する。従来の「医療」の区分には入らない技術やサービスの医療活用は今後も確実に増える。遠隔医療などがその典型例であろう。こうした技術・サービスを対象に、厚生労働省が従来通りの限定列挙方式で保険収載、又は混合診療禁止の例外措置の可否をタイムリーに判断できないのなら、その間に患者や医療従事者が現実を突きつけられて悩み、かつ、大いなる犠牲を払うことになる。こういった事例は枚挙に遑がない。遠隔医療については、「治療」が認められていないという問題も一方ではある。これも医師不足対策や、医療過疎地対策、更には医師の専門性をより発揮させる為のネットワーク創りなどの観点から、今後大いに議論すべき問題である。要すれば、医療は今後最もイノベーションが進む分野であり、その恩恵をまず最初に消費者が受ける為にも、時代に合わせた医療諸規制の見直しを適詮実施しなければ、日本の医療は世界から置いてけぼりにされるということである。将来、日本が最も得意とすべき分野の知的財産構築における機会費用は計り知れないものとなろう。

ここは簡単で

混合診療禁止措置を撤廃することも、消費者の権利を守るという意味でその一環である

がん難民」が出た時点で明らかでしたが、こうなると言う事です。

 診療報酬の包括払い制の導入と情報公開の促進を強く主張するのも、「質の医療」への前進と考えるからである。ジェネリック医薬品の普及促進は消費者コストの低減に繋がる。更に、株式会社による医療参入も、医療機関経営に必要な資本が市場から調達できるようになるとともに、資本と経営の分離の下で医療機関間の競争が促進され「質の医療」に繋がると考えるため、その解禁を求めているのである。

上でもピックアップしましたが、この答申での「質の医療」とは医療レベルと同義語とは必ずしもありません。消費者の望む医療と言う意味です。ここでは消費者のメリットとして、

  1. 診療報酬の包括払い制の導入
  2. 情報公開
  3. ジェネリック医薬品の普及促進
  4. 資本と経営の分離の下で医療機関間の競争
こういう「医療の質」の向上があるとしています。

 これらは、消費者の多様化・高度化されたニーズに合わせ努力している供給者側にも大きな利点をもたらすものである。いわゆるWIN・WIN の関係が成立しなければ制度改革は絵に描いた餅に終わる。これに反対するのは既得権益者、即ち、「量の医療」制度に恩恵を受けている者達であり、彼らの主張を排除し、その既得権益を奪うことこそが当会議の目的だと考えている。

ここは抽象的で解釈がやや難しいのですが、

既得権益者、即ち、「量の医療」制度に恩恵を受けている者達

素直に厚生労働省と受け取ってよいのか保留にしたいと思います。

 これらを実現し、効果を上げていくためには、医療の効率化が必要不可欠である。医療のIT化を推進し、医療情報を集積・分析して標準的な医療を確立することは「質の医療」への必要条件である。また、その医療情報を消費者に広く報せることは、いわゆる情報の非対称性を縮小させることに繋がる。医療は専門性が高いゆえに、ともすると供給者論理が一人歩きしがちであるからこそ、消費者に分かり易い情報を提供することが重要である。

ここはIT化バンザイの下りです。

 また、医師を始めとした医療従事者を正当に評価する制度の構築も急務である。「質の医療」を達成する担い手は、質の高い医師であり、薬剤師であり、また、看護師などである。更に、こうした従来の医療従事者だけでなく、医療テクノロジーの開発・運用に従事する者や、その製造・流通に関わる者なども含め、医療従事者は今後あらゆる分野に拡大していく。彼らを正当に評価しプラス・マイナスのインセンティブを与え、「質の医療」に貢献する者のやる気をもたらす仕組み創りが是非とも必要である。同時に、彼らによる医療イノべーションを阻む規制を即時に撤廃していかなければ、日本の医療は急速に衰退・崩壊していく。

ここも抽象的な表現ですが

彼らを正当に評価しプラス・マイナスのインセンティブを与え、「質の医療」に貢献する者のやる気をもたらす仕組み創りが是非とも必要である

規制改革会議の唱える「質の医療」の賛同者にはプラスのインセンティブを、そうでない者にはマイナスのインセンティブを与えると解釈したいところですが、混合診療導入による貧富の差が明確につくような医療体制とも受け取れます。

 医療に関わる問題が毎日のように報道され、実際に医療現場が混乱しているのは、制度疲労が極限に達しつつある現れである。「量の医療」から「質の医療」へ、また、「供給者論理」から「消費者論理」への転換は、待ったなしの段階にある。

消費者論理優先の医療制度の構築が「待ったなし」だそうです。


本当は具体的な各論をこれにあわせて検証しなければならないのですが、気力が無いのでこの総論部分で論評したいと思います。まず現在の医療崩壊についてはソコソコ正しい分析を加えているとは思います。その上での論旨展開ですから、医療再建の方策をこの答申で行なっていると考える事は出来るかと思います。

そこでまず医療崩壊の原因として国民皆保険制度による「量の管理」の医療制度が時代遅れになったと結論付けています。「量の管理」医療は供給者サイドの医療であり、量が管理されているが故に患者が受ける医療の量も制限されており、これが患者の「消費者の権利」を阻害しているとし、消費者論理の「質の医療」に転換しなければならないとしています。ここの「質」とは消費者である患者の要求と言い換えても問題はないと考えます。

患者の要求を満たすためには量の規制を撤廃しなければなりませんが、当然の事ながら量の規制を撤廃したら医療費は増えます。この医療費増大について規制改革会議は容認しています。容認するのは良いとしても、当然増大する医療費の財源を考えなければなりません。財源を考える前提として、量の規制の撤廃とともに患者負担の規制の撤廃も同時に行なうというのが手法のようです。つまり、

こうなるわけです。混合診療とは御存知の通り、公的保険診療と自費診療の併用を認めることです。混合診療を認める事により、消費者である患者が消費者の論理、すなわち自分が買うか買わないかを判断して、自費診療をどれだけ負担して高度医療を受けれるか決められるという事になります。つまり量の規制の撤廃により増大する医療費は消費者である患者負担で賄うという寸法です。

混合診療の是非はやりだすと長くなるので今日はなるべく控えますが、混合診療を導入すればこの答申があげた医療の惨状

  1. がん難民
  2. たらいまわし
  3. 医師不足
このうち「がん難民」について消費者である患者については恩恵があるとは考えます。では「たらいまわし」についてはどうでしょうか。これは微妙です。混合診療となり医療費負担が増大すれば、料金と言う関門で救急患者が減少し「たらいまわし」が減る事が期待できますし、その方向での手法論は既にネット医師の間でも論じられています。医師不足もそれに近い考え方で緩和する可能性もあります。

この辺は意見が多いところなので単純ではありませんが、規制改革会議の消費者論理、「質の医療」とは持てる者が選ぶ権利のある論理のように感じます。持てる者が持てるはずなのに規制によって阻まれていたものを撤廃し持てる様にするのは良いとして、持たざる者が混合診療と言う枠内で持てる者を羨まずに済むような配慮はあまり考えられていないように感じます。

患者が消費者論理に転換するならば、医療側も当然の事ですが経営者論理に転換します。この答申では医療側の論理の転換を「民の知恵」とかしてぼかしていますが、医療側が経営者論理になるのは患者が消費者論理になるのと対のようなものです。患者側のみ消費者論理になり、医療側が現状のまま留まっての対応では規制緩和にならないでしょうし、医療側の経営改善に寄与しなくなります。もっとも答申に書かれている

医療のすべてを市場に任せるべきではない

これをどう拡大解釈するかでこの辺はどうするつもりかは変わるものかと思われます。



もう一つ気になったのは、

既得権益を奪うことこそが当会議の目的

この言葉の意味するものはなんでしょう。現在の既得権益者が誰かもよく分からないのですが、奪った既得権益は誰の手に渡るのでしょうか。他の規制緩和政策で権益が単に移動し、より巨大な権益を新たな誰かが握り締めた例がある様な気がします。答申内容は「なんとなく」奪還した既得権益は消費者に還元されるような印象はありますが、よく読むとそれを裏付ける内容は記載されていないかに思われます。

2007/12/7付CBニュースにこういうのがあります。

西島議員は、日本医師会の常任理事時代、規制改革・民間開放推進会議の前進である総合規制改革会議にヒアリングに呼ばれ、会議後の記者会見で宮内義彦座長(オリックス社長)が「医療産業というのは100兆円になる。どうして医師会の先生方は反対するのか」と発言したことを紹介

現在の国民医療費は約33兆円であり、混合診療導入によりこれが3倍の100兆円に膨らむ試算を財界は行なっています。100兆円に膨れ上がった市場の権益の受益者は誰でしょうか。これはあくまでもこれまでの見かたですが、通常の患者は自費診療の負担に対応できないので、自費診療に対する私的保険の加入の必要性が出るとされます。そうなると一番の受益者は私的保険を経営する誰かになります。いわゆるアメリカ型医療と言うことです。


まあ、ここまで医療崩壊が進めば毒食わば皿までで、混合診療導入にそれでも賛成の意見は医師の間でも確実に増えていますから、この答申の路線が近い将来に現実化する蓋然性は2年前に較べてもかなり高くなっているかと感じます。皆保険制度も完璧な体制ではなく欠陥もありますし、その欠陥を取り除くには混合診療導入が確かに効果はあります。ただ混合診療も完璧な制度ではなく大きな欠点を抱えています。本来は皆保険制度の持つ欠点と、混合診療の持つ欠点を冷静に比較検討した上で選択されるべき問題とは思いますが、少なくとも規制改革会議は皆保険制度を時代遅れであると断じているのだけはわかります。