イチロー快挙

9/18付時事ドットコムより、

100年の時超えタイ記録=イチロー象徴する連続200安打−米大リーグ

 162試合という限られた時間の中で到達し続ける目標−。海を渡った2001年から8年連続での年間200安打。イチローがついにメジャー記録に並んだ。

 オリックス時代の1994年に日本球界で初めて達成してスターダムにのし上がって以来、「年間200本」はイチローの代名詞。大リーグではキーラーが8年続けてマークしたとはいえ、そのほとんどが近代野球が確立したとされる1900年以前のものだ。米国においても、日本が誇る安打製造機の存在を象徴する数字と言っていい。

 「自分の中から何かを生み出していくより、人のことを見て学ぶことが多い。そうやって今の自分があるような気がする」と言う。「いいことも、悪いこともはっきり答えが出る」米国で、日本で築き上げた技術に必要なものを新たに組み込み、日米で変わらない好成績を残してきた。

 通算安打では張本勲日本記録3085本にあと15本。メジャーでも過去2人しか成し遂げていない4000安打を視野に入れることのできるのがイチローだ。「結局は細かい小さいことの積み重ね」。偉業の前に年間200安打の「日常」がある。(カンザスシティー時事)

8年連続シーズン200安打以上の記録をついに達成しました。プロ野球ファンとしてこの快挙を祝福したいと思います。シーズン200安打以上について2004年にシーズン262安打の新記録を作った時に調べた事があります。ところがどうにも正確な記録を見つけ出しきれなくて、あくまでも調べた限りなのですが、タイ・カッブ(9回だったとの指摘がありました)、ルー・ゲーリックが8回、ロジャース・ホーンスビーが7回、ジョージ・シスラー、ビル・テリーが6回が目ぼしいところです。もちろんこれらは連続でなく通算です。

この時にメジャー記録として7年連続があるらしいまではどこかに書いてあったのですが、2004年当時はそれ以上は判明しませんでした。しかしイチローが現実に8年連続に近づくと正式の記録ホルダーの名前が出てきました。ウイリー・キーラーと言う1892年から1910年まで活躍した名選手です。名選手と言ってもさすがに初めて聞く名前ですが、「名選手」と言って良いでしょう。通算記録があったので転載します。

チーム 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 四球 三振 盗塁 打率
1892 ジャイアン 14 53 7 17 3 0 0 6 3 3 5 .321
1893 グルームス(※1) 20 80 14 25 1 1 1 9 4 4 2 .313
1893 ジャイアン 7 24 5 8 2 1 1 7 5 1 3 .333
1894 オリオールズ(※2) 129 590 165 219 27 22 5 94 40 6 32 .371
1895 オリオールズ(※2) 131 565 162 213 24 15 4 78 37 12 47 .377
1896 オリオールズ(※2) 126 544 153 210 22 13 4 82 37 9 67 .386
1897 オリオールズ(※2) 129 564 145 239 27 19 0 74 35 --- 64 .424
1898 オリオールズ(※2) 129 561 126 216 7 2 1 44 31 --- 28 .385
1899 スーパーバス(※1) 141 570 140 216 12 13 1 61 37 --- 45 .379
1900 スーパーバス(※1) 136 563 106 204 13 12 4 68 30 --- 41 .362
1901 スーパーバス(※1) 136 595 123 202 18 12 2 43 21 --- 23 .339
1902 スーパーバス(※1) 133 559 86 186 20 5 0 38 21 --- 19 .333
1903 ハイランダース(※3) 132 512 95 160 14 7 0 32 32 --- 24 .313
1904 ハイランダース(※3) 143 543 78 186 14 8 2 40 35 --- 21 .343
1905 ハイランダース(※3) 149 560 81 169 14 4 4 38 43 --- 19 .302
1906 ハイランダース(※3) 152 592 96 180 8 3 2 33 40 --- 23 .304
1907 ハイランダース(※3) 107 423 50 99 5 2 0 17 15 --- 7 .234
1908 ハイランダース(※3) 91 323 38 85 3 1 1 14 31 --- 14 .263
1909 ハイランダース(※3) 99 360 44 95 7 5 1 32 24 --- 10 .264
1910 ジャイアン 19 10 5 3 0 0 0 0 3 1 1 .300
通算成績 2123 8591 1719 2932 241 145 33 810 3562 36 495 .341
※1 現ドジャース / ※2 現オリオールズとは別球団 / ※3 現ヤンキース


1894年〜1901年の間で達成された事が分かります。この記録にケチをつける訳ではもちろんありませんが、野球のルールはとくに19世紀には変遷しています。そのためメジャーでも19世紀の記録はルールが違うので原則として参考記録とされ、20世紀からのものを現代と較べられる記録としています。この19世紀の野球のルールがどうだったのかがなかなか調べるのが難しいのですが、定説ではアレクサンダー・カートライトの考案したルールが最初だと言われています。カートライトが1845年に作ったルールの概要がwikipediaにあるので引用します。
  1. チームの人数を攻撃側と守備側それぞれ9人ずつにし、一方のチームが攻撃中には相手は全員がフィールドに散らばり守備につく。
  2. フィールドを菱形に設定し、ホームベースに鉄のプレート、その他3つのベースに砂を入れたカンバス地の袋を置く。塁間は42ペイス(90フィート)。
  3. (1)打者が3球を空振りし、その最後の球を捕手が捕球したとき(2)打球がノーバウンドまたはワンバウンドで捕球されたとき(3)打球が相手側に捕球され、走者よりも先に塁に送られるか、走者が塁に着くより先にボールでタッチされたとき(4)捕球しようとする相手の邪魔したとき…以上の場合に攻撃側はアウトとなる。3アウトで攻守が交代。
  4. 一塁または三塁の外側に出た打球はファウルとなり、打者が塁に進むことやそれによって得点が入ることはできない。
  5. 投手には下手投げしか認められておらず、打者は投手にコースの指定ができた。
  6. 21点を先取したチームが勝ち。
なるほどこの時に野球は9人と決められたようですし、前から疑問だった一塁〜三塁は袋状のものである事だったの起源も分かります。ただ現在と異なる点もあり、とくに打者のストライクの数え方が違うようです。
    打者が3球を空振りし、その最後の球を捕手が捕球したとき
ストライクとは言葉として「打つ」ですから、「打つ」すなわち実際にスイングして空振りしないとストライクは認められなかったようです。唸るような快速球を投げ込んでも打者が振らなければストライクとは認められなかったルールのようです。下手投げも現代のアンダースローと違い、確か肘を曲げる事が許されないソフトボールの投げ方に近いものであったはずです。その代わりと言うわけでもないでしょうが、
    打球がノーバウンドまたはワンバウンドで捕球されたとき
ワンバウンドでもアウトだったようですが、21点先取性がルールにあるように打撃主体のルールであった事がわかります。その後ルールが変っていくわけですが主な変遷は、

変更場所 内容
1857 試合進行 9回終了時に得点が多かったチームの勝ち
1858 投球 見逃しに「ストライク」(打て)のコールがされるようになる
1863 投球 真ん中付近を通らない球に「ボール」のコールがされるようになる
1864 守備 ワンバウンド捕球=アウトが廃止され,ノーバウンドのときのみアウトとされた
1879 投球 全ての打たれなかった投球はストライクかボールに区分され,9ボールで一塁へ
1880 投球 8ボールで一塁へ。捕手が3ストライク目の球を直接捕球すれば打者は三振でアウトが取られるようになった
1881 投球 投手と打者の距離が45フィートから50フィートへ延長された
1882 投球 7ボールで一塁へ。横手投げが解禁される
1884 投球 6ボールで一塁へ。上手投げが解禁される
1886 投球 7ボールで一塁へ
1887 投球 打者が投手に投球コースを指定できなくなった。5ボールで一塁へ。この年のみ5ボールは安打と記録され、4ストライクでアウトに。死球で一塁が与えられた
1889 投球 4ボールで一塁へ
1893 投球 投手と打者の距離が50フィートから60フィート6インチに


今のストライク3つで三振、ボール4つで四球のルールが確立したのは1889年の事で、投手と打者の距離も含めると1893年になって現代と同じになった事がわかります。投手と打者の距離の変遷もおもしろくて「45フィート → 50フィート」は増え方としてそんなものかと感じますが、「50フィート → 60フィート6インチ」の「6インチ」はなんだろうと思ってしまいます。何かアメリカらしい「6インチ」エピソードがありそうですが、残念ながら見つかりませんでした。

メジャー記録で問題になる理由は、アメリカ初の本格プロ野球チームが出来たのが1869年のシンシナティ・レッドストッキングスであるのを除いても、ナショナル・リーグが成立したのが1876年だからです。1876年当時のルールを考えてみると、

  1. 投手は下手投げで、打者は投手にコースの指定が要求できた
  2. 打者が振らなければストライクとはならなかった
  3. 真ん中付近を通らない球に「ボール」のコールはされるが、コールされるだけで現在の「四球」の概念は無かった
  4. 投手と打者の距離が45フィートであった
これだけルールが違えば参考記録にされるのは無理もないかもしれません。ただウイリー・キーラーが1894年にシーズン200本以上の記録をマークした時にはこれらのルール改変は終わっています。ここに書いた以外のルールの違いはあるかもしれませんが、ほぼ現在に近いルールではないかと考えられます。ただそれでも現在と決定的に違うルールがあります。
    スリーバンドはアウトでなかった
ウイリー・キーラーの打法は残された成績からも分かるように単打が主体です。俊足の選手であったらしく、守備が深ければ内野安打、前進守備になれば野手の頭を越えさすのが得意であったと言われています。そのため打ちにくいボールはファウルで逃げるのですが、これをバントで無限に出来たと言う事です。これもwikipediaですが、

メジャーリーグ史上最短となる29オンス(およそ822グラム)、30インチ(およそ76センチ)というバットを使い、更にほぼ真中に近い位置まで極端に短く持ってスイングしていた。バントが非常に得意で、ライン際に転がす技術は芸術的とさえ言われた。

また

実際に記録されている34の本塁打のほとんど全ては、ランニング・ホームランである

キーラーのシーズン200安打以上の記録が8年で途絶えた理由として上げられているのは、1902年のルール改正が大きかったと言われています。ついにスリーバンドが三振となったのです。とは言うものの1901年が202安打で.339で、1902年が186安打で.333ですから、打率からすればそれほど落ち込んだわけではありません。ですからスリーバンドアウトよりも、当時百花撩乱を迎えつつあったスピッドボールの影響としているものもあります。スピッドボールが禁止されたのは1920年の事で、実は1920年から1940年の間にメジャー・リーグの伝説的な打撃記録が数多く生まれています。

キーラーの記録をもっとよく見ると1894〜1900年まではほぼ.370以上のハイアベレージが残っていますが、1901年以降は打率は明らかに下がります。スリーバンドアウトとスピッドボールはキーラーから年間にして20〜30本のヒットを奪い取ったと考えて良いと思います。それでも1904年には.343の記録を残していますから、好打者であったのは間違いないでしょう。

それにしても野球は改めて記録のスポーツであると思います。シスラーの記録を塗り替えた時にも「試合数が違うから」の批判がありましたが、これだけ時代が違えば単純比較するのはそもそも無理があります。キーラーとの比較もスリーバンド、スピッドボール、試合数など基本条件だけでも違いがあり、さらに球場、用具、野球レベルと言い始めたら、同じ野球ですが別物に近いと言ってもよいと思います。それでも比較され「新記録」として記録されるのが野球のおもしろさでもあります。

なんとか来年もシーズン200安打を記録してもらいたいものです。達成された時には批判も出るでしょうか、野球の記録は100年だって残ります。イチローの記録を破るものが100年先ででも現れれば、イチローの野球環境との比較論が行なわれるはずです。そんな比較論がされながらも新記録は認められ、新たな伝説が刻まれる。それが野球です。