悲鳴

「緊急的産婦人科医確保が必要な医療機関の調査」報告書とは厚労省が産科医緊急派遣の検討に用いられた日本産科婦人科学会の調査資料です。相当踏み込んだ内容で日本産科婦人科学会の危機感がヒシヒシと感じずにはおられません。是非原文を読んで頂きたいのですが一部を紹介します。

冒頭から強烈です。

  1. この調査はあくまでも「緊急派遣が行われることを前提として、どうしても必要な病院」に関するものであり、「医師不足の病院」を調査したものではない。医師不足の病院は他にも多数存在する。調査結果の検討に際してはこの点に十分留意する必要がある。
  2. また、この調査報告書の内容はあくまでも調査時点のものである。今後の情勢の変化により実態との乖離がおきる可能性も考えられる。そのような問題の影響を最小限にするため、本委員会は、今後も調査を継続し、必要に応じて追加報告を行う方針である。
  3. 産婦人科医の緊急派遣が必要な病院について14都県は、対象となる病院はないと回答した。2県は「回答困難」と回答した。他の道府県は緊急派遣が必要な病院があると回答した。
  4. 緊急派遣のための条件としては、回答の内容は、「報酬」「勤務条件」「医療体制」「制度上の問題」に集中した。
  5. 地域産婦人科医療体制の維持のために緊急派遣を必要としている病院は非常に多く、「緊急派遣」としては対応可能とは到底考えられない数に達した。
  6. 本調査の結果からは、地域産婦人科医療体制の維持確保は極めて困難な状況に陥っており、限られた数の医師の緊急派遣による効果は限定的であることが予測される。
  7. 地域産婦人科医療体制の維持確保のために、医師の緊急派遣以外にも喫緊に、医療体制・制度、予算・報酬、勤務環境等についてあらゆる方策を検討する必要性があると考えられた。

冒頭の冒頭である、

    この調査はあくまでも「緊急派遣が行われることを前提として、どうしても必要な病院」に関するものであり、「医師不足の病院」を調査したものではない。医師不足の病院は他にも多数存在する。
この部分を読んだだけでも胸が一杯になります。産科医は不足しているレベル段階を遥か前に通り過ぎ現在は、
  • 単に不足している
  • 非常に不足している
  • 危機的に不足している
この3段階ぐらいになっています。さらに危機的に不足している医療機関数は、
    地域産婦人科医療体制の維持のために緊急派遣を必要としている病院は非常に多く、「緊急派遣」としては対応可能とは到底考えられない数に達した。
今に至っても「どこか余っている地域」から産科医を探してきて何とかしようの対策しか行なわれませんが、危機的不足の医療機関数は10人や20人の産科医を見つけ出した程度ではどうにもならない状態であることを端的に言い表しています。ちなみに去年の3月に予算委員会で前厚労相が産科小児科の国公立病院での減り方が著しいとの指摘に対し、

 え〜まああの〜地域によってですねお医者さんが不足をしているという所があるということはわれわれも承知をしております。そこでですね、先ほど来申し上げております一般的なネットワーク・拠点作りというようなことも勿論この中から出てきているわけですけれども、やはり都道府県が中心になって医療対策協議会をまああの開く、そのお〜時にですねあの〜国公立のこの病院の人たち、公的な医療機関もこれに積極的に参画してもらいまして、え〜そうして医療の連携体制に必要な協力をしてもらうとゆうことを考えております。

 加えまして私どもはですね、もうそのただ中央の会議を持って指針を決めてそれを画一的に地方に伝達するということで事を終わるというようなことでなくて、実際に役所の中にブロックごとに担当のチームを作りましてそうして、その協議会が行われるときにおきましては、実際にその中に相談に参画するような形で、具体的かつ実効性のある体制を作ってまいりたい、このように今考えて体制をスタートしているところでございます。

読んでお分かりのように「どっか」から産科医を探してくるの方針を答弁し、さらに「どっか」から効率よく探し出すための全国ネットワークを作ると言っています。この答弁にある組織は実際に作られ、地域支援中央会議なるご大層な名前と平成19年度に18億円、来年度は21億円も注ぎ込まれています。平成19年度18億円の実績はとおるすがる様がまとめてくださいましたが、


派遣先医療圏 施設 診療科 派遣元グループ 派遣病院 合計期間/ローテ期間 終了後確保j状況
北海道後志 社事協岩内 内科 社保連合会 グループ12病院 6ヶ月/1週間 ×(07/12/19)*1
岩手県気仙 県立大船渡 循環器 独法国立病院機構 グループ11病院 3ヶ月/1週間 ○(07/10/26)*2
岩手県宮古 県立宮古 循環器 済生会
日本赤十字社
横浜東部
盛岡赤十字
3ヶ月/2-3日(2-3日/w)
6ヶ月/1日(1日1-2w)
×(07/10/11)*3
栃木県県北 大田原赤十字 内科 日本赤十字社 グループ3病院 6ヶ月/2ヶ月 ?*4
和歌山新 新宮市医療セ 産婦人 公募 公募 6ヶ月/− ?*5
大分県竹田 竹田医師会 救急 日本医科大学 日本医科大学 6ヶ月/− ○(08/01/26)*6
  1. 引き続き社保連合会に派遣継続を要請。

     北海道議中村氏のサイトより http://blog.livedoor.jp/hiroyuki3nakamura3/archives/51062424.html
  2. 岩手医大よりローテートで派遣。

     地元紙東海新報より http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws3005
  3. 10月の時点では常勤を確保できず、派遣継続を引き続き要請。
     http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-4071.html

  4. 大田原赤十字に派遣されたのは赤十字グループの施設で研修中の後期研修医のようです。

     もともとの日赤内での人の派遣とどう違うんでしょうか…。
  5. 元々派遣期間後も就労希望?近況は分かりませんでした。

  6. 常勤医を新たに確保。

     http://mainichi.jp/area/oita/news/20080126ddlk44040092000c.html
これが18億円に相応しい実績なのかどうかの評価は今日はやめておきますが、産婦人科医は新宮に公募で応じた65歳の医師一人のみです。18億円でこれだけですから、21億円に予算が増えればもう一人ぐらい派遣医師は増えるかと思います。個人的には1人5000万出せば36人は確保できると思うのですが、手続きと会議に余ほど費用が必要なんでしょう。

寄り道しましたが、日本産婦人科学会に厚労相が出した質問が、

  1. 「緊急確保対策として医師を派遣することを前提とした場合、地域産婦人科医療を確保するためにどうしても医師派遣が必要な病院を現場の専門家の立場から教えてください」
  2. 「そのような病院にどのような条件であれば勤務することが可能か、派遣される医師の立場から教えてください」
これに対する回答と考えられる部分は、
  1. 医師不足地域に対する国レベルの緊急臨時的医師派遣」については、「国立病院等の派遣元となる産婦人科がその施設の診療の規模に相当する産婦人科専門医を現に雇用しているかどうかという問題」
  2. 「「定年直後の医師」にそのような過酷な状況での勤務を現実的に要請可能かという問題」等の問題
1.は派遣元になる病院に産科医がそもそもいるかの問題を指摘したものであり、2.は定年後の医師の動員に対する疑問です。そのうえで、
    この対策は、産婦人科医の不足への対応としては、根本的な解決策とはならないと考えられる。
厳しい指摘でさらに、
    緊急臨時的医師派遣は、勤務条件が劣悪であるために医師が撤退している病院の現場の改善を遅らせることにつながる可能性があり、無条件にその推進に賛成するわけにはいかない
ここまで明瞭に言い切っているのに少し驚きました。内診問題の時には優柔不断を問題視(あれは日本産婦人科医会でしたが)された産婦人科サイドですが、ここ1年で眦を吊り上げても吊り上げ足らないほど危機感は切迫していると感じます。

それでも緊急派遣の意義は少しだけ認め、

    しかし、急速な地域医療崩壊の現実は、なんとか対応策を整備するまでの間でも、緊急に現場を維持することを考えざるを得ない地域を発生させていることも、認識する必要があります。
緊急派遣はあくまでもその場しのぎ程度に評価するの意思表明です。

続いて調査結果の概要です。ここもピックアップにします。まずダントツで日本最悪の埼玉は悲痛で、

埼玉県の回答には「医師の絶対数が埼玉では圧倒的に不足しているので、具体的な病院名や人数などを列挙できるような状況ではない」「人口あたりの医学部卒業生の少ない埼玉と千葉については、他県からの医師の移動を積極的に促す方策をとらない限り、医学部定員などを多少増やしてみたところで、長期的にみてもまったく展望がない」という記載があった。

おそらく「上げよ」と言われれば「全部」という状態かと思います。それでも具体的に上げなかったのはある意味失敗で、埼玉から防衛医大の産科医を1人引き剥がされてしまいした。しかし埼玉から産科医を引き抜く判断は血迷っているとしか何度考え直しても思います。

日本一の周産期システムを持っていると言われている大阪ですが、

大阪府の回答には以下のような記載が付記されていた。「現在挙げている9病院以外にも多くの病院が困っています。ドミノ倒しの様相です。1〜2カ所に絞り込むことは不可能です。これはどこの都市部でも同じではないでしょうか?緊急的に全体のセーフティーネットを拡大することが必要と考えます。そもそも、全国から1カ所ずつ要求が挙がったとして、全国で47名もの産婦人科医師をどこから調達するのでしょうか。1県の産婦人科医師が100名前後ならば、1名派遣も効果(?)あるかもしれませんが、大阪ならば1200名です。少なくとも、10倍は手当していただかなければ割が合いません。少なくとも大阪でこれ以上絞り込むことは不可能です。」

ついに日本産婦人科学会の公式資料に「ドミノ倒し」の字が出てきました。非常に具体的な数字が上ってまして、

    全国から1カ所ずつ要求が挙がったとして、全国で47名もの産婦人科医師をどこから調達するのでしょうか
現実は厚労省が7ヶ所に絞り込んでも4ヶ所しかとりあえずの目途が立たない状態です。乾ききったタオルからは国家権力をもってしても何も搾り出せない状態を明快に回答しています。これらの回答をまとめた上で、

また宮城、山梨、長野、和歌山、島根、高知、熊本、鹿児島の各県のように、比較的多くの病院に緊急派遣が必要、と回答した地域では、医師不足の中で地域産婦人科医療の確保に努力し続けた結果、それぞれの地域で多くの病院が同時に疲弊、破綻の寸前にある実情を示していると考えられる。戦線がのびきってしまい、総崩れになる危険が迫っているわけである。

それとちょっと笑ったのは、

緊急確保が必要な病院に関して14都県は、対象となる病院はないと回答した。「ない」と回答したのは、秋田県、東京都、神奈川県、新潟県、石川県、愛知県、滋賀県奈良県鳥取県山口県香川県、福岡県、長崎県沖縄県だった。

東京は意地でも言わないとして、神奈川やあの奈良まで不要としたのは何故でしょうか。神奈川は雄県のプライドかもしれませんが、奈良は深刻なアングラ情報が流れています。緊急医師派遣に必要な地域とは、緊急医師派遣でまだ持ち直す可能性がある地域とも解釈できます。だから忠実に解釈すれば派遣を受けても既に無駄な地域は派遣は不要となります。奈良は既に医師派遣すら必要としない地域であるから「不要」と報告したです。

もっとも奈良県知事臨席の産科救急の対策会議に出席した厚労官僚が「奈良に支援は不要」と公式に断言してますから、これを真面目に受け取ったか、トラウマになって言い出せなかったのかもしれません。

最後に派遣のための勤務条件を並べています。凄く多いのですがあえて列挙します。

  1. 土日などの休日が保証される。
  2. 当直後の日勤体制の工夫
  3. 勤務時間の短縮:当直・当直明けの休みの確保。
  4. 子供を持つ女性医師の勤務条件の改善:子供を育てながらでも常勤でいられるような体制整備
  5. 24時間保育の施設が院内にあること。
  6. 女性医師が働きやすい環境を整備する(特に子育て・育児・出産)。
  7. working share を可能にすること。
  8. 勤務医師が十分確保されている、
  9. 当直(夜勤)明けは休みがとれる
  10. 病児も診て貰える院内保育所が整備されている
  11. 個人に非人間的生活を強いることのないサポート体制
  12. 週1日以上の完全休暇。
  13. オン・オフがはっきりしていること。女性が多いので。常にオンコールでは夜間の子供の面倒を見ることができない。
  14. 当直回数が少ないこと(週1回程度)。
  15. 院内保育所が完備している。
  16. 週1〜2日程度の大学からのパート応援が必要
  17. 病院ならびに地域住民の医師に対する評価(態度)です。医師を大切にする地域や病院には赴任をいやがりません。医療訴訟対策などは当然です。
  18. 週50時間以内で2〜4チーム交替があり休養日もある。
  19. 当直の翌日の勤務(外来、病棟、手術等)の免除
  20. 医療技術習得のための制度が確立されている。学会出張、院外研修の機会と手当がある。
  21. 病欠、妊娠、出産、育児休暇の代替要員が確保できる。
  22. 育児や介護をしている医師に対してフレックスタイムの導入。
  23. 院内保育所(少なくとも夜8時まで 病児保育も)。
  24. 総時間外労働時間が労働基準法に抵触しないこと。
  25. 休暇や学会参加時間の保証、
  26. 女性医師に対する育児休暇、産休の保証
  27. 年限を区切ること
  28. 労働環境の整備。
  29. 将来に展望の抱ける勤務形態(たとえば高次医療機関における高度医療の修練、大学付属病院における先進医療や医学研究に従事可能な雇用:従来の大学医局からの派遣形態に類似)。
  30. 最低限の医師が確保され、交代で当直業務ができること。
  31. 病院全体の当直義務を、産科の夜間待機に相当する分緩和してもらうこと。
  32. 妊娠・育児期間の勤務・当直緩和、及びそれを可能にする医師の応援体制。
  33. 一定期間勤務した後は大学病院で勤務するなど、生涯学習が可能なこと。
  34. 常勤医が3名(最低)。
勤務条件の列挙だけでも物凄いのですが、これに加えて報酬に関連した条件が32項目、医療上の体制が20項目、制度上の問題が5項目と掲げられています。これらを読んでいると日本産婦人科学会の公式要求と言うより、まるでどこかの掲示板で書かれた要求を読むようです。そしてもっとも悲痛なのは、全部で90項目に及ぶ要求を満たしても必要数の産科医が湧いてくる可能性は低いだろうと予測される事です。

低いだろうは誤解を招きますが、90項目を満たす医療機関に派遣を希望する産科医は必要数確保できるかもしれませんが、確保された分だけ確実に他の部分に穴が空き、穴が開いた分だけ新たな派遣必要医療機関が生まれるという意味です。私はこの調査報告書から産科医の悲鳴が鼓膜を突き破りそうに聞こえます。皆様はいかがでしょうか。