明日は2.18

「今年も2.18企画」のエントリーを上げた時にDrGIANNI様から、

御面倒をおかけしますが,2/18直前にも再度案内をお願いします

これに応えてのエントリーです。呼びかけのときにも一部誤解された方がおられましたので念を押しておきますが、

    本番は明日の2月18日です
医師にとって2.18は日本の医療のターニングポイントになりました。2.18まで殆んどの医師は寝ていたと言えますし、もちろん私も寝ていました。またその衝撃も一撃で目覚めたわけではなく、まるで癌性の疼痛が徐々に痛みを増してくるように、日本中の医師に広がっていったと思っています。その広がりは医師はもちろんの事、一般市民にも広がり、国政の場まで広がっています。平成最大の医療事件としても言い過ぎとは思いません。

2.18からの2年間は私にとっても悪夢のような2年間です。2.18をキッカケに医療問題を追いかけてきたのですが、驚くべき事にまったく改善の兆しを見せていません。大袈裟に言えば2年前にたどり着いた結論にひたすら驀進しているのです。2年前にはそれでもまだ観測は甘く「10年どころか5年で医療は危機となる」と見ましたが、2年でここまで事態は深刻化しています。

この2年間の政府の対応は「鈍感力」の実証のような代物です。事態を極力矮小化、卑小化し、医療危機なるものはほんの一過性の現象であるとの強弁を続けています。一過性の証拠は「かくかく、しかじか」と胸を張っての答弁を繰り返して来ました。そうやっているうちに「医療危機」ブームは過ぎ去ると安閑としていたと断言します。

いや安閑としていたぐらいならまだ害は少なかったかもしれませんが、安閑の上に乗っかって愚策を垂れ流し続けています。無策であればここまで被害は拡大しなかったかもしれませんが、愚策を垂れ流せば致命的です。そのために日本の医療の先人達が営々と築き上げた日本型の医療が、悲鳴をあげながら崩れ落ちつつあります。たった2年で崩壊へのカウントダウンは数え終わり、着実な崩壊過程に突入しています。不可逆点はとうの昔に通り過ぎました。

2.18からの2年を振り返れば、本当の不可逆点は2.18そのものではなかったかと考え始めています。あの時点から半年ぐらいがラストチャンスだったかもしれません。あそこで素早い対応が行なわれれば、ここまでの惨状には至らなかったかもしれません。それも僅かな予算と努力で対応できたはずです。当時は今より声は小さかったかもしれませんが「今対応しなければ大変な事になる」の情報発信はしっかり行なわれていました。残念ながらその声は、対応を実行できる人間にはついに理解できなかった事です。

いろんな意味で象徴的な2.18ですが、当事者である産婦人科医師は今でも刑事訴訟の法廷で戦わされています。裁判はまだ続いており、「刑事被告人」の肩書きは取れないままです。我々を医療崩壊の現実に目覚めさせてくれた、あの産婦人科医師の事を決して忘れてはならないのです。私は決して忘れませんし、「オレだって」「私だって」と心に刻み込んでいる方は沢山おられると思います。

ささやかですが、明日の2月18日にネットの上でそれが示せればと思います。