強弁に聞こえます

東京女子医大事件があり、その報道を巡って被告の紫色氏が民事訴訟を起し勝訴した事は有名です。有名な割には詳しく無いのですが非常に大雑把に事実関係をまとめれば、

  1. 記事を掲載した新聞社、テレビ局の賠償請求は認められた。
  2. 地方紙に記事を配信した共同通信社の賠償責任は認められなかった
2.については「?」と感じたのですが、医師がマスコミ相手の名誉毀損訴訟で賠償を勝ち取った事は画期的と感じたものです。ところで12/3付の毎日新聞記事はこれに関連する記事のようです。中間管理職様のところで見つけたのですが、さらっと読んでもよく理解できなかったので、エントリーにしてよく読みなおしてみます。ちょっと長めの記事なので、分割しながら引用します。なおタイトルは「東京女子医大・手術事故:配信記事掲載で名誉棄損 責任の所在、どこに!? 」です。

◇11日から控訴審−−1審は地方紙のみに賠償命令

 共同通信社が配信した記事について、掲載した地方紙のみに名誉棄損での賠償を命じる判決が9月に東京地裁であった。定評ある通信社の配信記事を掲載した場合、新聞社は免責されるとの主張を判決は退けた。これに対し、共同や地方紙は、多様な言論を封じ、国民の知る権利を阻むものだとして猛反発している。11日に東京高裁で控訴審が始まり、改めて「配信記事の責任」の所在が問われる。【本橋由紀、北村和巳】

これは冒頭に書いた事で、裁判が控訴されたことを報じています。新聞社側の主張は、

    定評ある通信社の配信記事を掲載した場合、新聞社は免責される
被告の主張ですから、これについての裁判所の判断が展開されるのですが、ここでよく分からないのは一審で賠償責任を負わされた地方紙が反発するのは理解できるとして、賠償責任が無いとされた共同通信が「猛反発」しているのがよくわかりません。

◇地方紙「知る権利大きく損なう」/共同通信「報道の萎縮につながる」/識者「配信制度に理解がない」

 裁判は東京女子医大病院で心臓手術を受けた女児の死亡事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われ、1審無罪(検察側控訴)となった医師が起こした。判決は、医師の基本動作ミスが事故を招いたとする配信記事(02年7月)について「警視庁の記者会見に基づくなどしており、報道内容を真実と信じる相当の理由がある」として、共同の賠償責任を否定した。

 その一方で、

  1. 定評ある通信社からの配信を受けたことだけを理由に、記事が真実と信じる相当の理由があったとはいえない

  2. 共同通信の定款施行細則で、配信記事には配信元の表示(クレジット)を付けると規定されているのに、そのクレジットを付けずに自社が執筆した記事のような形で掲載している
−−として、掲載した上毛新聞社前橋市)▽静岡新聞社静岡市)▽秋田魁新報社秋田市)の3紙に計385万円の賠償を命じた。共同によると、この記事をクレジットを付けて掲載した新聞はなかった。

この部分は判決骨子の説明のようです。被告となった地方紙は報道にあたり共同通信配信記事を使ったようです。その記事が名誉毀損に当るとして賠償を課せられた裁判ですが、配信元の共同通信記事自体は、

    「警視庁の記者会見に基づくなどしており、報道内容を真実と信じる相当の理由がある」
共同通信記事は名誉毀損に当らないとしています。ここは説明が短くてわかり難いのですが、後に続く記事との関係から、裁判所は「共同通信が取材した時点では真実と考えても妥当である」と判断したと考えられます。ところが地方紙が掲載した時点になると名誉毀損に該当するとしています。その理由は、
  1. 定評ある通信社からの配信を受けたことだけを理由に、記事が真実と信じる相当の理由があったとはいえない

  2. 共同通信の定款施行細則で、配信記事には配信元の表示(クレジット)を付けると規定されているのに、そのクレジットを付けずに自社が執筆した記事のような形で掲載している

ちょっと判じ物なのですが、地方紙が掲載した時点では名誉毀損記事なると言う判断が裁判所から下されています。この事を前提に考えると、
  1. たとえ共同通信記事であり、共同通信取材時には妥当な記事であっても、その後の情報量の増大により誤報になる事はあり、その真実の確認作業は掲載する新聞社の責任である。
  2. 共同通信取材時点の引用記事である事とするのなら、配信元の表示(クレジット)をつけるべきであり、これは共同通信の定款施行細則に定められている。クレジットが無いのだから、新聞社が掲載された時点での確認責任を負うのが当然である。
だいたいこんな感じの判決と考えられます。

●実情無視と批判

 堀部政男一橋大名誉教授(情報法)は「今回のような形で地方紙が責任を負わされるのであれば萎縮(いしゅく)して、読者の知る権利に応えられなくなる」と話すが、地方紙側はどう受け止めているか。

 当事者の上毛新聞は「通信社とその加盟社の実情を無視した判決。認められれば配信制度や地方紙の根本にかかわる」と主張する。

 他の加盟社も「覆ると思うが、仮に確定すれば知る権利、言論の多様性への悪影響は計り知れない」(河北新報)▽「加盟社は多くの読者を抱え、世界で起きるニュースを提供する責務があり、仮に確定すれば、表現の自由を大きく侵害する」(信濃毎日新聞)▽「通信社制度の存在意義を否定し、国民の知る権利を大きく損なう」(北海道新聞)▽「報道の自由を制限し容認しがたい」(西日本新聞)など、民主社会の根幹にかかわる問題だと指摘する。

 背景にあるのが、通信社と地方紙など加盟社との密接な関係だ。

 共同は社団法人で、NHKやブロック紙も含め加盟する計57の報道機関は「社員」となっている。運営方針などを決めるのは最高の意思決定機関「社員総会」や社員から選ばれた理事による理事会だ。通信社とは単なる契約関係ではなく、同じ共同体ということになる。

 共同の配信記事に誤りや名誉棄損の部分があった場合の責任について、共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言。加盟社も「責任は配信側にあり、地方紙は免責される」との意見でほぼ一致する。地方紙が中心の米国では、この「配信サービスの抗弁」の法理は一般的だという。

 この考え方に沿い、加盟社は地域の独自ニュースと世界規模、全国規模のニュースを紙面に掲載できる。新聞社間の無用な競争を避け通信のコストを下げながら、多様な言論が保たれ、国民の知る権利にも応えられることになるという。

この部分より下は新聞社側の反論部分です。少々長い文面なのですが、キモは、

    共同の配信記事に誤りや名誉棄損の部分があった場合の責任について、共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言。加盟社も「責任は配信側にあり、地方紙は免責される」との意見でほぼ一致する。
どうやら新聞社の主張は、責任は共同通信にあり地方紙には無いとしているのがわかります。少し興味が惹かれたのは、
    共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言
どうも最終的には配信元の共同通信に賠償責任が無いのなら、当然のように地方紙も責任が無いとの話に結びつくと考えます。

●判決は判例踏襲

 最高裁は「ロス疑惑」をめぐる名誉棄損訴訟で02年1月、「社会の関心を引く私人の犯罪やスキャンダル」報道に関し、「配信サービスの抗弁」を否定した。報道合戦が過熱し、慎重さを欠いた記事があると指摘し、「一定の信頼性を持つとされる通信社の配信記事でも、真実性について高い信頼性が確立しているとは言えない」と結論づけた。今回は、公的な使命を帯びる医師が医療ミスの刑事責任を問われたケースだったが、東京地裁は「社会の関心と興味を引く分野の報道」として、判例を踏襲した。

 さらに今回の判決は、3紙が「配信元の表示(クレジット)」を付けなかった点を重視し、「新聞社自ら執筆した記事と体裁が変わらず、読者は配信記事かどうか判別できない」と指摘。共同と3紙は一定の関係があっても別の責任主体で、共同の「(免責とされる)相当の理由」を3紙は援用できないとした。

 クレジットについてはロス疑惑をめぐる別の訴訟の最高裁判決(02年3月)で意見が分かれた。2人の裁判官は「報道の自由は、どの社の責任で記事が作成されたか認識できて初めて十分に発揮される」として、クレジットを付さない場合は配信を理由にした抗弁は一切主張できないと述べた。だが、別の3人の裁判官は「クレジットの付いていない記事でも、その内容や記事を掲載した加盟社の規模などから、通信社からの配信記事と推認できる可能性があれば、加盟社と通信社が実質的に同一性を持つと考えて差し支えない」「クレジットがないからといって、配信サービスの抗弁を認めないという意見には賛同できない」と意見を述べている。

ここは最高裁判例批判です。最高裁判例であっても批判して悪いわけではありませんし、最高裁判例であってもその後に広く引用される場合もあれば、そうでない場合もあるとされます。ただし法律関係者の意見では、腐っても最高裁判例であり、これを引用された時には事実上最高裁でもう一度ひっくり返す必要があると聞いた事があります。正確な解釈では無いかもしれませんが、それぐらいの重みはあるとされます。

ここで新聞社側が問題視している最高裁の見解は、

    クレジットを付さない場合は配信を理由にした抗弁は一切主張できない
新聞社側は相当不満があるようですが、最高裁判例です。

●「クレジット」は必要か

 今回の判決も指摘しているように共同の定款施行細則は配信記事の掲載時にクレジットを付けなければならないと規定。だが、現実には国内のニュースには付けないのが長年の慣行で、共同も問題にしてこなかった。原告医師の代理人喜田村洋一弁護士は「クレジットがなく自分の記事の形で掲載した以上、責任を問われるのは当然。取材を尽くしたかで個別に名誉棄損を判断するのは妥当だ」と話す。

 これに対し、上毛新聞は「すべての記事にクレジットを付けると読者の混乱を招く懸念もある。記事の内容ではなく、クレジットの有無を問うのは本質的ではない」と主張。「クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない」(中日新聞)との疑問の声も消えない。

 そのような中、北海道新聞は10月から、話題の人を紹介する囲み記事「ひと2007」について、自社原稿の署名だけでなく、配信記事にも原則としてクレジットを入れることにした。「原稿の出自を明らかにする観点から」と、見直した理由を説明する。

どうもクレジットの有無が責任問題の焦点になっていることがわかります。クレジットの有無で責任問題が左右されるのが新聞社側の不満であると主張している事も分かります。おそらく代表的と考えられる不満の声が紹介されています。

  • 上毛新聞:「すべての記事にクレジットを付けると読者の混乱を招く懸念もある。記事の内容ではなく、クレジットの有無を問うのは本質的ではない」
  • 中日新聞:「クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない」

私は正直なところ、クレジットの有無についてはかつて最高裁まで争い、判例になっているので素直に付ければ良いと思います。付けなければ責任が生じると言う判断が出ているわけですし、新聞以外の出版物では引用元を明らかにするのは常識と考えるからです。

 控訴審では何を訴えるのか。共同は「直接の取材手段を持たない加盟社に配信記事の真実性を証明させようとし、報道を萎縮させる判決の不当性を主張したい。クレジットなど個別の主張については訴訟で明らかにしたい」と話す。

 通信社の歴史に詳しい秀明大総合経営学部の里見脩教授(メディア史)は「メディアがすみ分けることで成り立ってきた配信制度にとってゆゆしき判決だ。最高裁判例の一部を一方的に解釈しているという印象を受けざるを得ない。『赤福』がチョンボしたからといって、みやげ物屋が責任を負いますか? メーカー責任の原則からもはずれている。クレジットの点もおかしい。共同は社団法人で地方紙は社員。地方紙は社説まで共同から配信を受けるような関係だ。配信記事にクレジットを付ければ地方紙は共同のクレジットで埋まってしまう。すべての記事にクレジットを、という実態を理解しない考え方で、民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない」と断じる。

秀明大総合経営学部の里見脩教授の主張を新聞社側の論拠にしているようです。この主張には比喩が用いられています。

    赤福』がチョンボしたからといって、みやげ物屋が責任を負いますか?
どうもあまり的を射抜いていないような比喩です。チョンボした赤福の責任は土産物屋は責任を負いません。なぜなら『赤福』というクレジットを土産物屋はつけて売っているからです。これが土産物屋が『赤福』から物だけを仕入れ、『紅福』として販売していれば責任が生じるんじゃないでしょうか。『紅福』は赤福と同じ内容ですが、紅福となった時点で赤福の原料を確認する責任が生じるからです。もうすこし別の例えをすれば、OEMで商品を売り、元のOEMに欠陥が見つかったときに、責任はOEMとして販売した店には全く生じないとは思えません。

どうも強弁の様な気がしてならないのですが、記事にクレジットをつけることが、

    民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない
それほど拳を振り上げて断じる事とは思えません。