とある質問

首相の突然の辞任劇から一夜明け、流れは次期首相が誰になるかに関心の焦点が移りつつあります。さすがに今日はベタベタでもこの話にしようと思っていましたが、もう書き尽くされていますね。はっきり言って書く事が残っていないので、わざと別のお話にします。

とある医療系ブログに質問コメントが舞いこみ、それに対する反応をボンヤリ眺めています。質問された方は非医療者の方で慇懃なんですが質問が極めて初歩的なものでした。最初の質問の趣旨は

    医療費が高騰しているのに医者の給与は高すぎる
私は荒らし系かなとも感じましたので、ブログ主がからまれないか心配しましたし、できればあんまり触らずに流してしまえば平和と思いましたが、ブログ主およびそこのレギュラーコメンターは真面目派らしく、真剣にこの質問に答えていました。ちょっとハラハラしていたのですが、幸い荒らし系ではなかったようで、OECD諸国と較べても低いと言うぐらいの説明でこの質問は収束しました。

一件落着と安心していたら次の質問コメントが舞いこんでいます。次の趣旨は、

    医療の充実は財政的にこれ以上不可能で、むしろ高齢者医療の増大で充実どころか後退するんじゃないか
この点について医師からの回答が無いとのコメントです。一瞬コメントしようと思いましたが、長くなるので自分のところに書くことにしました。

まず問題なのは、財政的に不可能かどうかの回答を医師に求める事の是非です。全部漏らさないように書くと異様な長文になるので単純化しますが、私の答えは「医師に聞くのは筋違い」です。医師は医療の事を考える職業です。医療を現状からどう整備充実させるかが医師の関心のすべてです。整備充実するに当たって、カクカクシカジカの政策が必要な事は提案しますし、もう少し詳しい方なら、「そのためには○○円が必要である」までは計算します。

ただし医師が考えるのはそこまでです。必要な施策のための財源確保までは考えません。これは医療に限った事ではなく、他の職種であっても基本的に同じかと考えます。医療の枠組みは国策になりますから、医療費を増大させれば必然的に他の予算が圧迫されます。圧迫された事による影響の予測は医師とは言え不可能です。

国家予算は膨大ですが、どんなに大きくとも限られたパイであり、予算編成とはパイの奪い合いです。パイを奪い合うために各業界は自らの利害をひたすら主張します。各業界が利害を主張するときに他の団体の事を配慮することはまずないかと思います。配慮して遠慮の姿勢など見せようものなら、ハゲタカの様に他の業界がパイを奪っていきます。そんな実態は周知のことですが、医師であってもまた例外で無いと言う事です。

ここで各業界の利害の主張ばかりでは予算編成はできませんから、全体を見渡してパイの配分を決定する機関が必要です。それが国会であり、政府です。もっと簡略に言えば政治です。政治は信用できないの声も一般的ですが、誰かが裁定決定しなければならないと言う意味合いから、全体の合意としてこの決定を尊重します。もちろん政治はその配分の結果で責任を問われ選挙の洗礼を受けるシステムが現在の民主主義です。


次の質問であるこれ以上の医療の充実が出来ないのではないかは、かなり深刻な質問です。質問者がどれほどの知識量を背景に書かれたかはわかりませんが、もし理解した上で質問されていたのなら、相当なレベルのものになります。

医療に要求されるものとして次の3条件は有名です。

  1. access(受診のしやすさ)
  2. cost(医療費)
  3. quallity(医療の質)
この3つをいかに充実させるかが課題であり、さらにこの3つは絶対に並立しないのが鉄則です。3条件のうちquallityは落とすわけには行かないので、残りのaccessとcostが問題となります。この二つの関係はaccessを良くするためには、医療機関を増やし、医師を増やし、受診者を増やす必要があります。accessを充実させるためにはcostは必然的に上昇し、accessとcostは絶対並立しない条件とされています。

ところが日本ではaccessとcostが奇跡のように並立してきました。世間的には不満が多いようですが、これほどaccessが良い国は世界的に見てもそうそうありません。一方で医療費亡国論まで唱えられて削減する事が当然至極とまでされているcostですが、先進国中で最低レベルです。達成できたカラクリは「法外な報酬」を得ていると常に批判の対象になる医師の「低給与」と、「高慢」とこれも根強い批判がある医師の異常な「献身」です。つまりcostとquallityが奇跡の並立を支えているのは医師への皺寄せだったのです。異論はあるでしょうが、マクロで見るとそうなります。

ところが現在の医療政策は奇跡の並立条件のcostをさらに削減しています。もともとが奇跡ですから、基盤は極めて脆弱で、医師以外の誰も評価してくれな医師の献身、医師の士気によっての基盤です。奇跡のバランスのcostを削られれば、奇跡の成立条件の医師の士気が低下します。現実にたった2年ほどで驚くほど低下しています。

医師の士気が落ちると言う重大さを医師以外は誰も気がつきません。なんと言っても目に見えるものではなく、これまでも誰も評価せず、今だって誰も評価していないものです。しかし一度落ちれば二度と回復する事は無いというのが、医師の共通認識であり、さらに士気回復のPONRは既に超えたというのも共通認識です。

医師の士気無しではcostとaccessの並立は不可能です。ですからこれから医療費を増大させて、医療の充実を図ったとしても、従来と同じ医療費で同じだけのaccessを確保できる事はありえないと考えます。もっと言えば二度とaccessとcostの並立は起こり得ず、これまで当たり前のように享受した医療は思い出話に変わり果てると言う事です。本来の医療条件の鉄則が日本でも普通に起こるとだけなのです。

そこまでわかって質問したのかな?そうじゃないでしょうね〜。