「どこも満席」奈良の悲劇

これは私の完全な予測外れになるのですが、今回の流産(死産)報道がこんなに膨れ上がるとは思いもしませんでした。毎日のローカルベタ記事程度のもので、早いことエントリーに触れておかないと流れてしまうぐらいの価値と思っていたら、東京のキー局まで総出で盛り上げているようです。個人的には奈良事件と福島事件の裁判が開かれているので、これを打ち消すために便乗、炎上させただけと考えていますので、ここで取り上げるのも癪なんですが、我慢して書きます。

私の地元のローカル紙である神戸新聞も続報記事を2発まで出しています。そのうち8/31付の2発目の続報記事を少し引用します。記事のタイトルは「救急連絡の不手際露呈」とありサブタイトルは「症状分かれば対応違った」で、救急隊員の不手際に重点を置いた内容です。この記事に救急隊が連絡した病院のリストと、病院側の対応の一覧の表があります。未だネット上には無いようなので、書き出してみると、


連絡を受けた病院
受け入れ不能の主な理由
救急隊の要請内容
1)奈良県立医大病院急患の妊婦の処置中で対応できない記事に無し
2)植田産婦人科要請の事実を否定記事に無し
3)大阪府立母子保健総合医療センター一般の救急対応をしていない記事に無し
4)千船病院分娩があり対応できない記事に無し
5)愛染橋病院分娩があり対応できない記事に無し
6)大阪厚生年金病院要請の事実を否定記事に無し
7)奈良県立医大病院(2回目)急患の妊婦の処置中で対応できない記事に無し
8)奈良県立医大病院(3回目)急患の妊婦の処置中で対応できない記事に無し
9)藤本病院別の妊婦が分娩中で対応できない女性が出血している
10)北摂総合病院産婦人科は救急対応していない記事に無し
11)大阪市総合医療センター初めての患者は受け入れていない産科はありますか
12)高槻赤十字病院入院・手術を必要とする患者は受け入れていない記事に無し
13)大阪医大病院集中治療室(ICU)との調整が必要と伝えると電話が切れた記事に無し


私は救急隊の不手際を責めるつもりは無いので、のぢぎく県のローカル紙でさえこれぐらい力瘤を入れている例と思ってもらえれば幸いです。

今回の事件の報道量は多いのですべての記事、テレビ報道に目を通したわけではありませんが、論調は主に受け入れが出来なかった病院を叩くところがまず主流で、去年の奈良事件があったにも関わらず同じような不手際を起した奈良県を叩くのが次に多い印象です。その次ぐらいに救急隊の不手際と言ったところです。そしてどの論調も最後は「たらい回し」を叩くで終始していると言ったら言いすぎでしょうか。

それにしても、どこもかしこも同じ論調にしかならないのに驚きを禁じ得ません。したり顔で解説や論評を行なう有識者とかコメンテーターが金太郎飴のように同じ思考しか出来ないのは、まさに驚異です。マスコミ界には自動回答作成装置があって、それで出てきたコメントを自分流にアレンジするだけの世界かと勘ぐりたくなります。

そこで今回のキーワードである「たらい回し」ですが、去年の奈良事件と合わせてどちらにも「たらい回し」は無かったと言えます。「たらい回し」という言葉の適切な使い方の定義は難しいかもしれませんが、今回の事例に適用するには大きな違和感を感じます。「たらい回し」状態とは、ある正解に行き着くまでに間違った情報に振り回され、何度も無駄足を踏むような状態と私は解釈しています。

分かりやすい例を挙げると、最近は随分改善されたようですが、お役所の窓口迷路みたいな奴です。ある相談に役所に行ったら、「これは○○番窓口で」と言われ、待たされて漸く順番が来ると「これは△△番窓口」と言われ・・・見たいな事を繰り返すような状態です。これは相談者が最初から正解の××番窓口を知っていたら解消する問題で、それがシステムとして不備であるため無駄足を繰り返し無駄な時間を費やしている状態です。典型的なたらい回しでしょう。

似たような例で、会社や役所に電話問合せをするときにもあります。電話受付に用件を伝えて担当部署に回してもらおうとするのですが、これがはっきりせず、転送に次ぐ、転送で、ひたすらお待たせメロディを延々と聞かされるような状態です。これもたらい回しの表現が適切でしょう。

医療でもかつて本当のたらい回し状態があった時代がありました。救急隊が患者を運び込んだら、そもそもそんな患者を治療できるような医療機関ではなく、やむなく次の医療機関を行き当たりばったりで探していた時代です。救急車は域内の医療機関を虱潰しに走り回り、その患者に適切な医療機関をすぐには見つけられない状態です。本当にあった事で、この時もたらい回し批判が強烈に起こり、救急システムが整備されるキッカケになっています。

去年の奈良事件も今回の死産騒動も、救急隊及び病院は基本的に間違った医療機関に搬送要請を行なっていません。去年の奈良事件は家族が適応外の医療施設にも搬送要請を行なっていますが、これは一般人の家族ですから関係は無いとしておきます。結果として多数の医療機関に搬送要請を断られましたが、条件さえ整っていれば1ヵ所目から搬送が可能だったわけです。つまり間違った要請先に無駄な時間を潰していないと言う事です。これはたらいを回っている状態と言えません。

日常生活で例えると、夕食のためにレストランを予約しようとしたら、目的の店が満席であるような状態です。1軒目も満席、2軒目も満席、3軒目も満席、・・・こうやって行きたい店がどこも満席で断れ続ける状態を「たらい回し」と表現するでしょうか。私の感覚ではしませんし、またこういう状態を適切に表現する言葉も思いつきません。奈良の去年と今年の事例はこういう状態であったのであり、たらい回しでなかったと私は考えます。

こういう「どの店も満席状態」に対しマスコミ論調は

  1. 補助席を持ってきて予約を受けろ
  2. 床にシートを敷いて予約を受けろ
そうやって満席状態でも対応しろと主張されています。医療とレストランを同列に置くのは多少無理がありますが、レストランでも満席状態というのはテーブルや椅子の数だけではなく、調理や材料、従業員が適切にサービスできる限界量を指しています。これを越えて対応すれば、どこかに不備を生じ、客に不満を抱かせることになります。医療機関の満床状態はこれに非常に近いと考えています。違いはレストランでは客の不満ですが、医療では患者の生死に関わるところです。

正しい搬送先を選択しているにも関わらず、どこも満席状態であるのなら本来の対応は2つです。

  1. 店の数を増やす
  2. 店の規模を拡大する
補助席を出したり、床にシートを敷いて対応するのは、大震災時の災害医療のときぐらいです。ああいう非常時にはそういう対応でも仕方がないの社会的合意がありますが、それ以外の平時は決してそんな対応はできません。ここは日本であり、決して「アフリカの奥地」ではないからです。

では、では、正しいはずの2つの対応ですが、これが現実的にできるでしょうか。店の数を増やすとか、店の規模を拡大するは、医療においては病床数の増大になります。日本の医療は厚生労働省の強力なコントロール下に置かれており、病床数は大幅削減する方向が強力に推進されています。療養病床38万床を15万床に減らすことは既に決定事項であり、療養病床削減後は一般病床90万床を半減させる計画を着々と進めています。

つまり店の数も店の規模もこれからは減る事はあっても増えることはないのです。減っていけば「どこも満席」の奈良の悲劇は事件ではなく普遍化します。こんな単純な事にどうして誰も考えが行きつかないのか不思議でなりません。医療費を削減する事は医療が縮小する事であり、医療費を大幅削減しながら医療を充実するなんて事は素直に考えれば絵空事です。前の厚生労働大臣予算委員会で「ネットワーク化」を絶叫していましたが、いくらネットワークを張り巡らそうが、すべて満席なら、行き先が無いのが早く分かるだけのことで、それ以上でも、それ以下でもありません。

とくに東京の方でコメントされている「有識者」の皆様、あなた方の頭の中には「東京は大丈夫」と無邪気に信じている方も多いと思いますが、そんな事はとうの昔になくなっています。もしここで東京事情を募集すれば、奈良の事件クラスのお話は幾らでも発掘できます。それも現場の最前線の生々しいレポート付で。

それぐらいの事は凡百のコメンテーターと違い、知っていますよね。危機に喘ぐ医師たちが「希望の星」として大いなる期待を寄せている新厚生労働大臣様。