心臓病の子供の採血

7/30付nikkannsports.comより

 宮崎医大病院(現宮崎大病院)で2003年、研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女(当時2)が呼吸困難で死亡したとして、宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。

 判決理由で高橋善久裁判長は「研修医に経験を積ませることよりも、呼吸困難を起こす危険性を低下させることを優先すべきだった」と指摘した上で「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。

 判決によると、長女は03年9月12日、心臓病手術の輸血準備のため採血をされた際、研修医が2回失敗するなどして計4回の注射を受けた。長女は痛みや恐怖で号泣、その後も2回激しく泣いて呼吸困難に陥り、同日死亡した。

 高崎真弓病院長は「上訴などについては判決文の内容を検討して決定したい」とコメントした。

マスコミ記事と事実が乖離している事はしばしばありますので、あくまでも記事内容だけからの考察と御理解ください。判決の要旨は、

  1. 2歳の心臓病の患児に術前採血を行なった。
  2. 採血は研修医が2回、おそらく指導医が2回の計4回行なった。
  3. 患児が採血時に呼吸困難を起し死亡した。
記事からは心臓病の内容、手術の内容について書かれていませんので推測ですが、中間管理職様のコメント欄にファロー四徴症(TOF)では無いかと指摘されています。TOFの根拠は啼泣よりの呼吸困難から考えられていると思います。TOFなら啼泣から無酸素発作(スペル)を起こせば、救命困難な状態に陥る事があっても不思議無いからです。非常に説得力のある説なので私もTOFを念頭において考える事にします。もっとも念頭に置くと言っても、私が小児循環器に関わったのなんて軽く15年以上前のお話ですから、知識経験が古びている事は相当割り引いて読んでくださると幸いです。

TOFの心臓手術となるとBlalock-Taussig shunt(BT)か根治術です。私が知っている頃はまずBTをしてから根治術を行なうパターンが多かったような印象を持っています。もっともペーペーでしたので、あくまでも印象です。ところが最近ではBTを行なわずに根治術に持ち込むのが主流になりつつあるとも書いてあります。患児は2歳ですから、年齢的には根治術の年齢ですし、スペルからの呼吸困難がおこったとすれば、BTを置いていない、もしくは置いていたBTが十分なshunt量を確保していなかった事が考えられます。

術前採血となると開心術による体外循環のためのクロス採血用の分が必要なので、かなり大量の血液が必要です。時代が進みましたのでもっと少量でもOKになっているかもしれませんが、2歳なら10mlぐらいは必要であったかと思います。成人であればたいした量ではないかもしれませんが、小児ではまさに莫大な量です。それにこれはクロス用に凝固を起こしてはいけない血液ですから、手際よく採血する必要があります。

先天性心疾患(CHD)で手術が必要な2歳児の血管は悲惨な状態です。まず成人の普通の採血のように、正中から粛々と採血できる事はあり得ないと言えます。末梢の皮静脈は消滅しているか、もしくは糸のように細い血管がクネクネと走っている状態です。採血するだけでも大変なんですが、手術のために末梢ivを確保するのも容易ではなく、手術当日に早朝から心外の医師が取り掛かっても確保できずに、手術開始が大幅に遅れるという笑えないことさえ起こるぐらいです。もちろんその間に針を刺した回数は軽く両手両足二人分を越えます。

採血は施設によって流儀が違うでしょうし、私が経験した時代とも変わっているかもしれませんが、私の頃は股静脈穿刺で行なっていました。末梢からの採血はiv用の貴重な血管を消費するので控えるという動きがあったぐらいです。ただしCHD患者は股静脈採血でも難しいものでした。なんと言っても何度も何度も股静脈採血を行っているものですから、はっきり言って当たり難いのです。そのうえCHD患者は多かれ少なかれ多血症傾向があり、血液の粘稠度が高く、シリンジに吸い難いのです。

そんな状態の患児を相手の採血の上に、凝固させずに大量の血液が必要となると、難易度は飛躍的に上がります。記事には「4回も」と言う表現が麗々しく書かれていますが、私に言わせると「たった4回で」って言いたいぐらいです。私の技量は、正直なところ今より10年前の方が採血もiv確保も技術的に優れていたと思います。最近は老眼も入ってきて腕は落ちていると思いますが、全盛時であっても「1回」で採血できる自信はありません。1回で採血できる事もありましたが、常に1回で採血できるかといえば、全盛時でも口が裂けても言えません。

もっともBT無しのTOF患者は怖いものです。当時ペーペーの私にはそんな難しい患児の担当は無かったかと記憶しています。TOFであってもBTがあれば、普通のCHD患者のリスクに近くなりますから、担当してもその程度がせいぜいであったと思います。この辺は指導医の患者割り振りの配慮が為されていたと思っています。と言うのもTOF患者の採血やiv確保であってもウルサク言われた記憶が無いからです。

当時の指導医は今でも健在で、5月からついに開業されています。一見ぶっきらぼうの印象を与える先生ですが、そういうリスク管理は、自らの手痛い経験の積み重ねもあって、見た目の印象とは異なり非常に繊細かつ慎重でした。見た目と違うといえば、パンチの一つも飛んで来そうですが、要所はギシギシに抑えた指導であった事は間違いありません。

研修医がTOFの患者の採血を全面的に禁じるのはやりすぎだとしても、無理にTOF患者の採血をさせることは無かったとも考えられます。スペルのリスクなしで、採血だけ難しいCHD患者も他にたくさんいますから、まずそちらを担当して経験と技量を重ねても良かったんじゃないかとも感じます。そういう指導医の研修医への患者割り振りの脇の甘さを指摘されると、医療側も大いに反省すべき点はあるかと考えます。

話が前後するのですが、新聞記者にそこまで望むのが贅沢なのかもしれませんが、やはり記事の内容が浅薄すぎます。記事を読むのは一般の方々ですから、記事から受け取る印象は、

    「心臓病の子供」に研修医が採血をさせるのが悪い。そのうえ「4回も」針を刺すなんてなんと低レベルな。
TOFを記者が理解するのが容易でないことは認めますが、せめて「呼吸困難のリスクが高い心臓病患者」ぐらいの表現は出来ないものでしょうか。もっと単純に「リスクの高い心臓病患者」でもかまいません。そうでないと心臓病患者の採血を研修医がすること自体を禁忌にする判決になってしまいます。

心臓病患者の定義が記事上で曖昧のため、判決で指摘したとされる「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務」も心臓病患者全体に対する定義のようになってしまっています。おそらくですが、本来は「○○の状態の心臓病患者」に対しての義務として書かれていたと考えるからです。

もちろん本当の事は現時点ではわかりませんが、私の推測が正しければ、心臓病患児の採血に、一般の方々はもとより、医療従事者にさえ大きな誤解を与えるミスリード記事ではないかと考えます。