緊急医師確保対策

完全に乗り遅れてしまった話題ですが、今日は他に話題が思いつかないのでこれで。引用元は2007年5月28日付毎日新聞です。

◆政府・与党の「緊急医師確保対策」の骨子◆

  • 定年した勤務医らを登録し、緊急の医師不足時には都道府県の要請で国が人材を派遣するシステム構築

  • 勤務医の過重労働を解消するための勤務環境の整備(交代制勤務の導入▽医師、看護師、助産師らの業務の分担の見直し)

  • 女性医師の働きやすい環境の整備

  • 研修医の都市への集中の是正

  • 医療リスクに対する基本体制の整備(訴訟率の高さが医師不足を招いている産科で、医療事故補償制度を創設▽診療にかかわる死因を究明する制度をつくる)

  • 医師不足の地域や診療科で勤務する医師の養成の推進(大学医学部定員の地域枠を拡充、国が奨学金を支給)

これまで上がっていた観測気球を列挙しただけでとくに目新しい物はありません。強いて言えば「交代制勤務の導入」が目を引きますが、これが物理的に不可能な事については今日は繰り返しません。

この緊急医師確保対策を行うについて大前提があります。

  • 医師は足りており、不足しているように見えるのは「偏在」のためである。
  • 医療費はこれからもドンドン削減する。
この二つの大前提を厳守しながら医師確保を行なうのは言うまでもありません。つまり予算を削減しながら、医師は増やさずに「医師確保」を行なう対策であると言う事です。

医療で並立しない3つの条件と言うのがあります。この法則は世界中で通用し、医療史上で日本が辛うじてこれを並立させ、もうすぐ瓦解しニ度と手に入れられなくなる3条件です。

  • access医療機関への受診のしやすさ)
  • cost(医療費)
  • quallity(医療の水準)
緊急医師確保対策はこの条件のうちaccessの向上を狙った対策です。ではaccessを向上するには単純にはどうしたら良いでしょうか、誰でも考えつくのは、
  1. 医療機関が身近にたくさんある
  2. 医療機関内にたくさん医師がいる
医療は経済諮問会議がいかにIT化を唱えようと99%のアナログ作業です。とくに医師が患者を診察するという行為の半自動化は10年単位どころでは目途さえつかないかと考えますし、少なくとも私が生きている間には実用化は遠い話です。そうなるとaccess向上は患者の受診需要に対して医師の供給数が多いほど良くなることになります。100人の患者の受診需要があったとき、医師が一人なら一人100人の診察を必要し、それだけの時間がかかりますが、医師が二人になれば一人あたり50人になり、accessが半分に短縮する事になります。

医療の並立しない3条件のうち話を単純化するためにquallityを外し、accessとcostの2条件でaccess向上を考えて見ます。accessの向上は患者の受診需要に対する医師数に比例します。100人の患者を一人の医師で診察するより、二人の医師で診察する方が間違い無く向上します。ところが医療の価格は国の公定価格で定められており、一人の医師で100人診察しようが、二人で診察しようが収入は同じです。

100人分の患者の診療収入で二人の医師を余裕で雇用できるのであれば問題ありませんが、現実は自治体病院の収支差は1.5%程度、自治体病院はお役所仕事であるとしても民間病院でも2.5%程度とされています。この程度の収支差では設備の更新をする分にも追いつきません。つまり医療支出の中でもっとも大きい人件費の、さらに大きな部分を占める医師の増員は不可能に近いということです。そんな状況の中で政策の基本は医療費削減です。削減された分だけさらに余裕が無くなります。

簡単に言うとaccess向上のためにはcostが必要と言う事です。access向上のために医師及び医療スタッフを増やすためにはcostが必要と言う事です。そのcostを削る事を至上の政策課題としながらaccessを向上させる政策は何をしても実効性を期待できないのは自明です。

上の話は地方僻地の医師不足と話の焦点がずれていると言う意見があるかもしれませが、本質的に変わらないと考えます。医療収入は患者数に純比例します。地方僻地の診療圏の医療収入で雇用できる医師および医療スタッフ数は医療収入範囲に限られます。それ以上のスタッフを抱えれば自動的に赤字になります。さらに医師を含めた医療職の就労環境は非常に流動的になっています。流動性が高いとはより条件の良い職場があれば、そちらに変わる事が容易であると言う事です。

流動性が高い職種では、地理的条件を含めてハンディがあるところは、それを補う条件を提示してスタッフを雇用する必要があります。ごく簡単には給与を上げるです。大都市部で一級の設備とスタッフが整った病院と、地方僻地で三級の設備とスタッフの病院の給与が同じで、どちらも容易に就職出来るなら優劣は明らかです。ところが地方僻地病院ではハンディを補うためのcostの供給源がありません。

それではになりますが、costを下げながらaccessを向上させるにはどんな手段があるかです。医師が就職難になるほど余っていれば可能かもしれません。病院の完全な買い手市場になれば医師の給与の半減なんて荒技は容易となり、就職口にあぶれた医師は地方僻地に流れざるを得なくなります。流れなかったら医師として医療が行なえないからです。

そんなうまい手があるのなら「じゃその方法で」と考える方もおられるかも知れませんが、医師過剰供給策はcostとaccessの向上に寄与しますが、医療の3条件のもう一つであるquallityに深刻な影響を及ぼします。医師が過剰供給となり、医師となっても就職難で、給与もたかがしれているとなれば、優秀な人材は医師を目指さなくなります。もっと見入りの良い進路を必然的に目指すのが当然で、そうなれば医師になる人材の質が低下します。

偏差値が優秀な者と医師として優秀な者は比例しない事はしばしば指摘されます。個別事例ではそんな事は幾らでもありますが、マスで見るとそうは言えません。偏差値の高い集団から優秀な医師が出る比率は、偏差値の低い集団から優秀な医師が出る比率を確実に凌ぎます。「でもしか医師」の量産によるquallityの低下が確実に起こる事になります。costの裏付けどころか、削減しながらのaccess向上はいくら麗々しく公約として列挙されても虚しいばかりです。

ここからは完全に余談ですが、医療崩壊を昭和史前期、とくに第二次大戦の戦史になぞらえる比喩があります。今朝ふと考えたのは、新研修医制度がミッドウエイの様な気がしています。ミッドウエイでの敗北は後に大きな影響を及ぼしましたが、その中に熟練搭乗員の大量喪失があります。以後はその穴を埋めるべく、速成、速成で未熟な搭乗員の頭数をそろえる事に日本軍は努力しましたが、なんとか頭数をそろえたマリアナで大惨敗を喫します。

新研修医制度で日本の医療を支える背骨とも言うべき中堅クラスの逃散が起こり、その穴を研修医で埋める政策を国及び厚生労働省は次々と打ち出しています。速成された研修医たちがマリアナの空に散らない事を私は危惧します。そう言えば、マリアナ日本海軍が取った戦法がアウトレンジ戦法ですから、これもまた不思議な一致を感じるのは私だけしょうか。