とりあえず2007年5月22日付読売新聞にリンクしておきます。事件内容については既に各所で論議されているので全文引用は省略させて頂きます。
事件の構図は、
- 患者が脳死状態になった
- さらに危篤状態になった
- 遠い親戚が駆けつけるまでの延命措置を家族が希望し呼吸器を装着した
- 家族が今度は呼吸器を外すように希望
- 医師は一度断ったが二度目に呼吸器外しを行なった
今回もまた同じ構図が繰り返されています。和歌山の件では呼吸器外しそのものの行為と、医師が家族の要請を一人で判断した行為に批判があるようです。医師の間では病院がわざわざ警察に通告した行為を「後ろから撃つ」の批判の声もあるようですが、情としては理解できますが、問題の本質はそこではありません。もっとも切羽詰った問題である「こういう時に取るもっとも正しい行為」の判断基準が無い事です。あからさまに言えば「どうすれば罪に問われないか」の基準が無い事です。
現行法を杓子定規に解釈すれば、呼吸器を外した医師は殺人罪に該当し、これを要請した家族は殺人教唆に当たる見方もあるそうです。この様な時に合法的手段として脳死判定が取りあえず思いつく人もおられるかと思います。臓器移植のために心臓が動いていても脳死判定を行い、その臓器を移植する行為が出来るのだから、今回も脳死判定をしてから呼吸器を外せば良かったんじゃ無いかと。
私も一瞬、頭をよぎりましたが、脳死判定はあくまでも臓器移植を前提にするときのみに許され、移植を前提にしないときには適用できないのが現行法の決まりです。つまり和歌山の件のように脳死状態での死を早める事は殺人罪に該当する事になってしまいます。
Webにまだ掲載されていないので記憶に頼って書きますが、今朝の神戸新聞でもこの問題を巡る議論が書かれており、
- 病院は独断では犯罪の可能性を判断できないから警察に通報せざるを得ない。
- 警察は捜査を依頼されれば殺人罪に該当する可能性を独断では否定できず、送検して判断を仰がざるを得ない。
- 厚生労働省は「人の死生感の問題であり、一律の基準の策定は容易ではない」とした。
警察は単なる業務ですから、通報ないし告訴を受ければ捜査せざるを得ず、これも事が殺人疑いですから、下駄を検察庁に預けるのも理解できます。警察は捜査機関ですが、独自で司法判断できる余地は限定されており、殺人のような大きな犯罪の判断は荷が重すぎるとも見れます。
問題は厚生労働省でしょう。確かに人の死生観を一律で縛る作業は困難かもしれません。困難だから現場の医師も、病院も、警察も判断に悩んでいるのです。送検を受けた検察庁も悩んでいると思います。学会も動いていますが、学会の力で殺人罪を免責にするほどのガイドラインの設定は無理です。そうなればこの問題で唯一公的な基準を打ち出せるのは医療を管轄する厚生労働省だけとなります。
厚生労働省だけが呼吸器外しの公的基準の作成が可能であり、もし通達だけでは効力が弱いとなればこれを立法化する能力を有しています。にも関わらず「難しい」とされたら現場の医師はひっくり返ります。厚生労働省は多数の審議会で様々な問題を討議しています。少なくとも呼吸外しで送検されたのは2005年に道立羽幌病院で起きており、その時点から迅速に動いていれば今回の事件の様相は変わっていたのではないでしょうか。
人の死生観が難しいのは確かですが、難しいから現場の医師に丸投げし、丸投げされた医師が殺人罪まで含めた責任を一人で背負うのはシステムとして間違っていると考えます。どう見ても厚生労働省の怠慢です。この事件を受けても厚生労働省が動かないのなら、現場の医師の声はこう出ています。勤務医 開業つれづれ日記さんのエントリーから、
最近かわした
末期ガン患者と
ある家族との会話。
医師 「もう、すぐに御親族を呼んでください」
家族 「どうしても、遠くの親族がいるので、呼吸器を付けてください」
医師 「つけた場合、機械がサポートするので
かなり長い期間、たとえば数ヶ月以上、
お亡くなりになるまでかかるかもしれませんよ」
家族 「でも、どうしても…」
医師 「いいですか、一度人工呼吸器をつけたら
途中で、『スイッチを切ってください』
と言われても切れません。現在の法律では。」
家族 (絶句) 「スイッチ切れないのですか?」
医師 「切ると逮捕されます」
厚生労働省の本音が、呼吸器外しを行った医師が本当に起訴されて刑事訴訟となり、その判決を待って動こうと言うのなら何をか言わんです。何をか言わんですが、それが本音であると言うのに妙に説得力があるのがもっと怖い。