ドクター・キリコの温床

200.7.4.22付毎日新聞より引用


<開業医>総合診療に公的資格、在宅医療を推進 厚労省方針

 厚生労働省は21日、75歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度を08年度に創設するのに合わせ、複数の疾患を持つ高齢者を一人で診ることができる開業医を「総合的な診療能力を持つかかりつけ医」と認定し、公的な資格を与える方針を固めた。1次医療の窓口を地域の診療所とし、往診をして患者の死をみとることも含めた在宅医療を推進するほか、複数の医療機関での重複検査・投薬を防いで医療費を抑制する。08年度の診療報酬改定で、資格のある開業医に支払う診療報酬を手厚くする意向だ。

 こうした方針は、柳沢伯夫厚労相日本医師会(日医)の唐沢祥人会長が今月4日に会談した際、大筋合意した。

 総合診療医の条件は(1)複数の疾患を診ることができ、心のケアにも対応できる(2)介護計画をつくるケアマネジャーと情報を交換し、往診もする(3)痛みの緩和ケアなど終末期医療にも対応する――など。資格は日医などでつくる組織が審査し、厚労省が認可することで公的なものに格上げすることを検討している。

 大学での医学教育は臓器別に行われ、専門医として養成されるケースが少なくない。こうした専門医が開業する際は、日医が総合的な診療をできるよう研修をする。これとは別に、研修医の段階から総合的な診療に対応できる養成システムも構築する。ただし開業時に義務化することは避け、希望者を対象とする。

 厚労省は開業医を患者の心身状態を把握したかかりつけ医とする一方、病院の機能を入院と専門的な外来に絞ることで、両者の役割分担を進める。大病院への患者集中を防ぎ、勤務医の負担軽減を図ることによって勤務医不足に歯止めをかける考えだ。診療報酬体系の一部を事前に設定した報酬しか支払わない定額制とすることと合わせ、後期高齢者医療制度の柱とする。【吉田啓志】

 ◇解説…国と医療現場の信頼回復が必要

 開業医に「総合診療医」の資格を与える厚生労働省方針は、「もっと腕を磨き、働いてほしい」という同省の開業医に対するメッセージにほかならない。厚労省幹部が口をそろえる理想の医師は、「カモカのおっちゃん」だ。NHKの朝の連続テレビ小説芋たこなんきん」に登場した町医者である。地域住民の信頼を得て、往診や時間外診療をいとわず、外傷からがんの早期発見まで、幅広く対応する能力を持つ。

 しかし、現実には夕方5時で診療を終え、往診はせず、住民とのつながりもない医師もいる。だから患者は安心を求めて大病院に集中し、勤務医は疲弊し切って開業に走る――。カモカのおっちゃんのようなかかりつけ医が増えれば、こうした悪循環を断てるというのが厚労省の考えだ。一方、開業医側は「一人一人の患者と真剣に向き合っており、夕方にはぐったり。休みなしでは誤診を招く」と反発する。

 双方の主張は、どちらも正しいだろう。ただ、厚労省方針には「金のかかる入院患者の終末期医療を在宅医療にシフトし医療費を抑える」という別の思惑も透けている。

 小泉政権以降の「医療費抑制ありき」をむき出しにした政府の姿勢に、医療現場では「国との信頼関係が損なわれた」という言葉をよく聞く。開業医の能力を高める方向は間違っていないが、医療政策を担う側と現場サイドの信頼関係が崩れたままでは、絵に描いた餅に終わりかねない。【吉田啓志】

この記事の後半部分が「カモカのおっちゃん理想論」としてネット医師の嘲笑を受けた部分です。その部分については秀逸な解説が他にもあり、今日のエントリーでは置いておきます。

取り上げたいのは総合診療医の条件です。3つだけ上がっているので書いておけば、

  • 複数の疾患を診ることができ、心のケアにも対応できる
  • 介護計画をつくるケアマネジャーと情報を交換し、往診もする
  • 痛みの緩和ケアなど終末期医療にも対応する
要するに療養病床6割削減、一般病床半減、老健・特養施設建設抑制、高齢者1.7倍増で、行き先の失った患者を在宅治療で診療を行える医師を作りたいとの事だけです。それ以上でもそれ以下でも無いと考えます。総合診療医といえば聞こえは良さそうですが、厚生労働省が人為的に作り出す入院難民の受け皿用であり、ありようは在宅専門医とすれば相応しいでしょう。

この制度の医療費は、


診療報酬体系の一部を事前に設定した報酬しか支払わない定額制
と明記しているように定額制であり、「往診もする」なんて生易しいものではなく、無制限に呼びつけられる事が十分予想されます。医師への連絡も、少し前の情報にあったように「24時間携帯電話で応対しろ」と書いてあり、四六時中の待ったなし電話が定額制で行われる事はほぼ確実です。

24時間「すぐでろ」「すぐ来い」が定額制で行なわれる医療にどれだけの開業医が耐えられるか私は疑問です。定額のお値段も医療費削減政策の中で少々の配慮と言っても、在宅医療により大幅に入院治療より医療費が減らないと厚生労働省にとっては意味がなく、制度導入時に気持ち厚めに設定されても、見る見るうちに梯子外しの削減が行なわれるのもまた確実でしょう。

それでもってどんな在宅医療が展開されるかですが、どう考えても医師にとっても家族にとっても地獄そのものです。家族には間違い無く介護地獄が待っています。富裕層は高級優良ケア施設の利用が可能ですが、格差社会の大部分を占めるその他の層は、ただでも生活が苦しいのに、誰かが仕事を辞めて介護に専念しなければなりません。

高齢者の介護がどれだけ苦しくて大変なものかは、美談仕立ての介護ドラマでさえ描かれます。ドラマは美談ですから「やりがいがあった」のハッピーエンドで結ばれていますが、現実はいつ終わるとも知れない労苦に家族中が巻き込まれる事になります。介護を行う事による肉体的苦痛、仕事を辞めた事による経済的苦痛の二重苦に見舞われるのです。

心身だけでなく経済的にも疲弊した家族の不満のはけ口は医師に向けられます。「電話しても出ない」、「すぐに往診にきてくれない」、「ちっとも良くならない」などなどの声が噴出するのは想像に難くありません。疲れ果ててささくれ立った家族の心は些細な医師のミスを罵り、容易に訴訟の道を歩む懸念をもっています。弁護士も量産されますからね。

もう一つの怖ろしい懸念を私は抱いています。介護地獄に消耗しつくした家族が願う事が何であるかです。それは在宅治療を続ける患者の死です。このまま介護地獄でのたうちまわれば、自分は確実にそうなるし、家族全員が崩壊し破滅に向かうであろうとの考えです。それを救う唯一の方法は患者の死だからです。とは言え自分の肉親を自分の手で殺すのは躊躇われます。また自分がやれば在宅医に不審に思われ殺人罪での逮捕の可能性もでてきます。そこで思いつくだろう事は医師に頼んでの安楽死です。かかりつけの在宅医が安楽死を行なえば、証拠も残さずに、なおかつ苦痛を少なくして患者を死亡させる事が出来ます。

そんな怖ろしい需要が出てくると考えます。良心の呵責から断る医師に対し金品を使ってでも強要する家族が出てきてもおかしくありません。またこれはむしろ家族に深く関わり、家族の状態に深い同情を持つ医師の方が手を出す可能性があります。何年にもわたって続く地獄絵の未来は医師が良く知っているからです。そういう何十万もの温床が日本中に展開されます。

そうやって生まれるのがドクター・キリコです。この人物はご存知の方も多いとは思いますが、手塚治虫ブラックジャックの敵役の一人として登場します。単純な悪役としての敵役でなく、信念を持って、助けられない苦痛から患者を死をもって解放する医師です。学生時代にドクター・キリコは良く理解できないものがありましが、純真な医学生であったのでしょう、やはり医師はブラックジャックであるべきだと単純に考えていました。ところが現実の医療現場はそんなに甘くなく、たとえブラックジャックをもってしても救えない患者は無数にいます。

ましてや在宅医療の現場はそういう患者の大集団です。施設治療であればドクター・キリコになるものは超がつく例外例でしょう。しかし在宅治療となり介護地獄にのたうつ家族に日々接すればどうなるか、これはドクター・キリコを育む温床にならないと私には言えません。

ドクター・キリコの行為は尊厳死から安楽死議論につながるものですが、安楽死制度が介護地獄の中からの要求で成立する恐ろしさに鳥肌が立ちます。安楽死自体を私は一概に否定するものではありませんし、もし安楽死が合法化されるならそれも自分の死の選択の一つとして大切に使いたいとは考えています。ただし大原則は当人が決定すべき事であり、周囲が決めるもので無いと考えています。安楽死の決定権を周囲の人間が握る制度は奇形と考えていますが、人為的に量産される介護地獄による大きな声はそんな奇形を生み出す恐れがあり、認めなれなければ闇に潜ります。

ブラックジャックの設定は基本的に荒唐無稽であることは言うまでもありませんし、現実社会にブラックジャックはまず誕生しないと思います。しかし同じように荒唐無稽と考えていたドクター・キリコは、超大量在宅医療時代に誕生しないとは誰が言えるでしょうか。 そしてドクター・キリコが大量に必要とされる国が「美しい国」なんでしょうか。暗澹たる思いのみが頭を巡ります。