奈良時間外手当請求訴訟の爆発力

昨日の話の上塗りですがご勘弁ください。内容としては同じようなお話ですが、昨日は資料をペタペタ貼り付けての解説が主だったので、今日はそういう基礎的な事は了解済として論点を再整理してみます。

原告の産婦人科医の主張は以下の3点です

  • 当直は実態として勤務となっている
  • オンコール待機時間は拘束であり時間外勤務にあたる
  • もちろんオンコールで呼び出されて働いたら時間外勤務である
現状はどうであるかと言えば、
  • あくまでも当直である
  • オンコール待機時間は無給である
  • 呼び出されて働いても無給である
当直とはどんなものかが問題になりますが、これは厚生労働省通達が明快に規定しており、

常態としてほとんど労働する必要がない勤務のみを認めるものであり、病室の定時巡回、少数の要注意患者の検脈、検温等の特殊な措置を要しない軽度の、又は短時間の業務を行うことを目的とするものに限ること。したがって、原則として、通常の労働の継続は認められないが、救急医療等を行うことが稀にあっても、一般的にみて睡眠が充分とりうるものであれば差し支えないこと。

なお、救急医療等の通常の労働を行った場合、下記3のとおり、法第37条に基づく割増賃金を支払う必要があること。

原告の実際の労働状態を推測できるものとして、ただの通りすがり様からの情報として、

奈良県奈良病院産婦人科の基礎データです.

病床数:48床

  • 一日平均入院患者数:39人
  • 一日平均外来患者数:89人
時間外救急患者数:1115人
  • 手術件数:364件
  • 分娩件数:552件(正常分娩:238件,異常分娩:314件)
ソース
奈良県福祉部健康安全局医大・病院課
http://www.pref.nara.jp/idai/H18gaiyou2.pdf

わかりやすいデータとして、年間の分娩件数552件があります。これは1日当たり1.5件となり、日勤8時間、夜勤16時間とすると、夜勤1日につき1件の分娩が行なわれている事になります。またそのうち約6割が異常分娩となるため、夜勤をすれば平均で1件の分娩があり、2回に1回以上は異常分娩と言う事になります。この実態は通達をどう曲解しても当直業務に当てはまらないと考えられます。当直業務に当てはまらない時には、交代勤務制を取り入れなければ当直業務の許可を取り消すとも通達には明記してあります。

またオンコール待機時間は自主的に産婦人科医が作った経緯があるため解釈は微妙とされていますが、呼び出されて働いた分まで無給であるのは誰が考えても無理な主張であり、これを時間外労働として認めないのは非常に難しくかつ強引な論理構成が必要となります。

簡単な解説ですが原告の産婦人科医が主張する3点のうち2点は、常識的に考えれば認められないほうが不思議な主張です。解釈が微妙としたオンコール待機時間料ですが、この訴訟では原告が自主的に作ったものですから「ボランティア」であるとの見解は可能だそうですが、訴訟の争点として争っていますので判決で「自主的だからボランティアとみなし無給」と理由を説明する必要があります。

そうなると訴訟の結果はあくまでも私が常識的に考えて、

  • この病院の原告の当直は勤務である
  • オンコール待機時間は自主的に行なっておりボランティアとみなし無給
  • 呼び出しで勤務に応じた時間は時間外勤務である
それ以外の結果は想定し難いと思いますし、労務関係に少しでも詳しい方なら「争うまでも無い」と言われるかもしれません。もちろん訴訟ですから蓋を開けてみないとわかりませんが、これ未満の結果なら確実に原告は控訴します。もっともこの結果でも被告は控訴しますけどね。

普通に考えればそうなるはずの訴訟ですが、そうはしたくない思惑が国にはあります。と言うのは原告の病院の当直の勤務状態はこの病院だけの特異例ではなく、むしろ全国の病院の多くが行なっている通常の労務管理なのです。こういう労務管理を行なうメリットは

  • 当直の夜勤化により、当直料で夜勤がカバーできる
  • 夜勤を当直で行なうため勤務時間に算入しなくてよい
この事により本来交代勤務の夜勤として支払わなければならない人件費を大幅に節減しているのです。効果は詳細には計算できませんが、1/10以下に減らしていると言っても言い過ぎではありません。さらに恐ろしい事にこの非合法の手法による人件費を基に診療報酬さえ設定されていると言う事です。このため病院経営者はたとえ良心と遵法精神に富んでいても、この手法を医師に押し付けるほかに経営手段は無いと言う事です。

訴訟の結果が私の予想に近いものになればどうなるか、当直勤務では対応できなくなり、交代勤務制が導入される事になります。当直制から交代勤務制に変わればどうなるかですが、

  • 当直から通常勤務になるために人件費が増大する
  • 夜勤が勤務時間化するために医師の増員が必要となる
算数の詳細部分を避けますが、原告の病院の産婦人科の4人体制で交代勤務を行えば、二月モデル(4週間28日)で、月7回の夜勤、月15回の日勤で週58時間労働、月の総労働時間は232時間となります。これだけ働いて夜勤は1人体制、平日日勤は2.6人体制しか組めません。労働基準法の上限をはみ出す分は、黙っていても72時間となります。

全国の病院の経営に深刻な影響を及ぼす判決になりますので、訴訟指揮を行なう裁判官もできたら突出した判決を避けたい心理が働くのではないかと座位様が指摘しています。

少し、視点が違うかもしれないけど、
判決は、どちらに転んでも、大問題になります。
僕が気になるのは、判決の社会的影響が大きいことを予測した判事がどのような指揮をとるのかなんです。

  1. 和解へ誘導する
  2. 裁判になじまないとする理論武装
  3. 裁判をなくす
 まず、担当弁護士さんが『勤務医の労働実態を明らかにし,法律をきちんと適用したらたいへんな事態になることをわからせない限り,抜本的対策に向けた動きは起こってこないのではないか」と話している。』と言ってるくらいですから、和解はさせずらいでしょう。原告側は提示された和解内容を隠すことに反対するでしょうから、和解勧告で時間を稼ぐことしか出来ないと思います。

 次に、この問題は、部分社会の問題ではないし、少額訴訟でもない、原告適格性に問題があるとは思われないし、国家の安全保障上の機密にも関わっていないし、理論や概念などの争いではなく明確な事件性争訟性をもっていますし、高度な政治問題とする統治行為論を援用することも出来ない。そうすると裁判になじむ紛争事案ということになります。

 判決を回避する理由がない場合、賠償能力問題や社会的影響の大きさを理由に再度和解勧告をするだろうが、原告側は応じない。だとすれば、県側に判決前に白旗を挙げさせる手はある。賃金を払わさせて争訟性を無くせばよいわけだ。そうなると判事は安堵し、裁判を見守る全国の医療労働者は、落胆することになる。しかし、県側も白旗は挙げないだろう。

座位様の指摘通り原告の訴訟理由は賠償金を獲得するよりも、違法労働の実態を明らかにする事に主眼が置かれており、安易な妥協をする可能性は少なく、裁判自体も未払い給与の請求ですから明らかな事件性争訴性があります。最後の可能性の県が未払い賃金を払って訴訟を消滅させる手法も、ここで妥協すれば少なくとも奈良県内に次々に飛び火する懸念が大です。

つまりこの訴訟は起された時点で日本の医療体制を根底から変えてしまう爆発力がある訴訟と言えます。原告が勝てばこれまで医療費節減の目に見えないカラクリであった当直の夜勤化手法が正式に非合法化され、交代勤務制による莫大な人件費の増大を病院側は負担する必要があります。そうなれば現在の診療報酬体制下で生き残る病院がどれだけあるか疑問です。

被告が勝つ理由を見つけるのが難しいのですが、もし勝てば、全国の勤務医のモチベーションは地に堕ち、雪崩のような崩壊現象が大津波に発達する可能性が高くなります。本当に怖ろしいほどの爆発力があります。この結果をネット医師はじっと注目しています。