応援団でどうでしょう

今日は福島事件の第1回公判です。とは言うものの今朝の時点では始まっていませんので、これはまた続報が入ればエントリーして行きたいと思います。

今日はこれからこのブログの姿勢というか考え方を見直してみたいと思います。やる事は変わらないとしても姿勢の持ち方は大事です。そのために問題を少しだけ遡っておきたいと思います。とくに福島事件を契機にネット医師の医療問題への意識が急激に高まりました。高まって情報を収集し分析した結果、医療は崩壊すると言う結論にまず達します。

そこで「どうしよう」が問題の出発点です。そのための試行錯誤がここ1年間ぐらい続けられたわけです。問題点は次々に抽出されました。医療費削減、新研修医制度、医療訴訟問題、医師不足、救急問題などなどです。いずれのテーマも詳細に分析され、懸命に対策を考えられました。努力は決して無駄ではなく、いずれの問題も構想としての対策はそれなりに出ています。

当然と言えば当然ですが、問題点の抽出と対策が出来上がればそれを具現化する事を考えます。そこで大きな壁に突き当たります。どうにもこうにも具現化する手段が見つからないのです。なぜ具現化できないかも検討が重ねられました。医療は国策であり国が方針を変えない限り誰にも手出しが出来ないのが根本です。国が方針を変えるためには政治が動く必要があります。政治が動くためには国民の世論が動かないと変わりません。その結論に行き着いた時に底知れぬ絶望感を味あう事になります。

医療崩壊問題で医師は当事者ではあります。なんと言っても現場に居る訳ですから誰は見ても当事者です。ところがよく見直してみると主役では無かったと言う事です。本当の主役は患者であり国民なんです。主役が動かない限り問題は解決の方向に動く可能性は無いという事実です。単純ですが大きな事実です。私も含めて多くのネット医師たちが様々な経路をたどって行き着いた結論がこの事実ではないかと考えています。これは不思議なんですが、今年になりほぼ一斉に到達した印象があります。

当ブログでもそうでしたし、他の医療系ブログでも広い意味で同じだと考えていますが、スタンスの基本は医療が危機にある事を患者(国民)に伝え、一緒に手を携えてこの危機を「なんとかしよう」ではないかだったと思います。患者の協力無しでは危機は克服できないと当初から漠然とは感じていたからです。ただここまで事態が進行してくると、このスタンスは間違ってはいないが正解で無いことに気がつきました。

医療が崩壊したら医師も患者も困るでしょうが、困り方の温度差は決定的に違います。医師が困るのは、医師としての使命感から、従来のように苦しんでいる患者を公平に治療できないのが最大の問題だと感じています。医師としての生活、職業として考えると医療が崩壊しようが焼野原になろうが、大戦の時のように空襲で綺麗サッパリ日本中の病院が消え去るわけではなく、崩壊したら崩壊したなりに、焼野原になれば焼野原なりに仕事があり、収入も確保されます。

直接かつ最大の被害者は患者です。患者は病に苦しんだ時、これまでの様な感覚で医療機関を受診しようとしても、それが全く様変わりすることに愕然とすると思います。病院が無い、病院があってもいつ受診できるか、治療してもらえるわから無い。その上、公的保険以外にも高額な民間保険に入っていなければ十分な治療さえ受けられず、もし民間保険無しで受診したら目の玉が飛び出るほどの医療費が請求されることになります。

コメント欄でも乱舞していますが、問題が生じた時に動かなければならないのは、その問題で本当に困る人、その問題を解消することで利益受ける人が活動すべきだの考え方がこれです。医師はご丁寧にも問題がある事を発見し、その対策まで検討に次ぐ検討を重ねているのですが、当事者であっても主役でなく、脇役かそれよりも傍観者に近い存在であると考えられます。

こう考えると心無い患者サイドの発言にああまで心が深く傷つけられる理由が良く分かります。主役であるはずの患者に危機を訴え、どれだけの不利益が蒙るかを懇切丁寧に説明し、だから動いてくださいと医師が懸命に説得しても、「医者は何をしているんだ」との反応では心が萎えます。ここの意識の違いが医療危機をひたすら暴走させている主因です。

患者が医療危機の主役であることを気がついてもらうにはどうしたらよいか、こんな事まで医師は考え抜いています。穏当に患者に訴えていく手法はこれからも続くでしょう。ただしその行為がいかに虚しいものかを医師は実感しています。そうなればショック療法しか手段が無いという結論に達します。できるだけ早急に医療を崩壊から焼野原状態に、より深刻な状態で迎えることです。そこまでの劇薬を使わない限り、患者は自分が本当の主役であると気がつかないだろうと言うことです。寒々しい結論ですが、現状を分析するとネット医師の意識は急速にその一点に収束されつつあります。

ではこのブログの姿勢はどうするかですが、医療危機に対して、医師は脇役として善意の賢明な助言者としての立場になろうと考えています。応援団みたいなものです。焼野原を望むと言っても、医師としての自分を頼ってくる患者には、医師の本能として誠心誠意の治療を施します。それが医師です。焼野原になったら困ると本当に憂慮してアドバイスを求めるものには、これもまた分かる限りの助言を行ないます。ただし主役はあくまでも医師ではなく患者であると言うのが原則です。

主役である患者は未だに傍観者である姿勢を崩しません。医療危機は医師の問題であり、医師が解決すれば良い問題であるとの認識からほとんど動こうとしません。これが動かないのであれば、医師は応援団として「本当の主役は患者だよ」と説得し続ける記録を残すことが重要な仕事であると考えています。