奈良事件に誤診はあるか

医療は人間がするものです。エコーやCTやMRIなどの新しい医療機器が開発普及したり、他の検査も種々のものが手軽に行える時代になっていますが、それでも最後は人間がする仕事です。患者の訴えを聞き、容態を診察し、その上で何の病気なのか、もしくはどんな事が起こっているのかをまず推定、判断するのは人間です。また検査結果を分析解釈するのも人間です。まだまだ機械でこれが出来る日が来るのは遠い先です。非常に人間臭い仕事だと私は思っています。

病気を診断治療する時に与えられる情報は必ずしも十分ではありません。例えてみれば全部そろっていないジクソーパズルを、完成図無しで組み立てるような作業です。全部そろっていないジクソーパズルでも長い時間をかければ組み上げる事は可能でしょうが、医療ではこれを短時間で行なう必要があります。短時間で行なうために医者は、完成図になるかもしれない元絵をひたすら覚えこみます。ジクソーパズルの断片を記憶している元絵と照らし合わせて完成図を推定するのです。そういう作業が医療の一つの側面と思ってもらっても構わないかと思います。

元絵の数は膨大です。覚えるだけでなく、断片から元絵を即座に想起する訓練も必要です。元絵も全く違ったタイプの絵ばかりではなく、非常に良く似た絵もたくさんあります。似ていても絵が違えば診断も治療も異なることがあります。医療の進歩とは新しい絵を見つけ出す事もありますし、似た絵を的確迅速に区別する方法の開発も含まれるかと思っています。

似た絵の区別の為に類似する絵のグループ分けを行ないます。このグループ分けの基準は大雑把に言えば治療法の違いで為されていると言えば良いかと思います。同じグループの病気であれば、かなりの段階まで行なわれる治療が近いという分け方と考えて頂ければ良いかと思います。なぜこんなグループ分けを行なう必要があるかですが、すべては治療のためです。病気は待ってくれません。場合によっては秒単位で治療方針を決め実行する必要があるのです。秒単位とは大袈裟と思われるかもしれませんが、しがないうちのような外来診療でもそんな作業が連日行なわれています。

確定診断もそうですが、グループ分けでさえ簡単ではありません。グループ同士でも非常に見た目が似たものがあり、この区別が症状が乏しい段階では判断がつかないことがあるからです。お恥ずかしいお話ですが、最初の診察でAグループと考えていた病気が、数日後に再診すればBグループと判明する事はしばしばあります。そのため常に医者は診断に絶対の確信をもてないときには、他の可能性への配慮を怠らないように診療に従事しているといえます。

医者にとって難しいのはたとえばAとBの二つの可能性があった時、どちらかを選ばなければならないです。「どっちか区別がつかないから治療できない」とは言えないのです。こういう事態は診断だけではありません。治療法の選択もそうです。ある病気の治療法が一つしかなく、それさえ選べば治るというものなら苦労はないのですが、同じ病気であっても症状により複数の選択枝の中からどれかを選び決定しなければならないのです。

うちのような小児科診療所レベルであるなら、結果として正しくない診断、治療法を一時的に選んでも、「効かなかった」時点で方向転換し軌道修正すれば大事になりません。ところが本当の緊急事態であるなら、医師は重大な決断を常に迫られる事になります。うちレベルでは選択が結果的に正しくなくとも、もう一度やり直せる時間があります。ところが事態によっては、一度選んだ選択は二度と引き返せない事がほとんどで、なおかつそれは生死に直結します。

ある病態である選択枝を選び患者が不幸な転帰を取ったとき、医者が考える誤診の基準は、選択枝を選んだ時点の情報で、その治療を選んだ妥当性、また他の選択枝を選ばなかった妥当性、さらには選択枝を選んで治療行い、それに効果が得られなかったときに、違う選択枝を選びなおす余地があったかどうかを問題にします。

たとえば最初の時点でAとBと言う治療の選択枝があり、医学常識としてAを選ぶのが妥当であると考えられるのに、わざわざ可能性の低いBを選んだ場合がまず挙げられます。続いて最初の時点でAを選んだのは妥当な判断であるが、その後の治療経過から、ある時点でAは治療として正しくないと判断し、Bに選択を変える余裕やチャンスがあったにも関わらずAに固執した場合も挙げてよいと思います。

ここで結果的に正解が可能性の低いBであり、経過の途中でBに変えるチャンスのないものに対しては医師は誤診と考えません。これは医学の限界であり、この結果としての判断ミスを誤診として咎めるのなら医療は成り立ちません。その代わり、その症例でAでなく少数派のBを選ぶべき判断基準がどこかにないか必死で研究します。そうしないと今後に同じ事態に直面した時、医者は必ずAを選び、なおかつAを選んだ事で患者を助けられない事が繰り返されるからです。これが医学の進歩です。

このブログを読まれる諸先生方の中には異議のある方もおられるかもしれませんが、私はそう考えています。こういう視線で今回の奈良の事件を分析したいと思います。これは私もよく読ませていただいているphysican先生のブログからです。ネタの大元はm3.com発のようで現時点ではもっとも真相に近いと考えられている経緯です。信憑性は現時点では確証をもてませんが、個人的には信じても良い内容です。

患者さんは予定日超過で入院し、入院当日からPGE2の内服で分娩誘発されていて、当日の午後に服薬を終了、自然に経過観察していたところ、準夜帯から自然陣発したとのこ とです。ところが、午前0時頃に突然意識消失のような症状が出現したため、産科当直医が院内の内科当直医に診察を依頼し、内科医の診察を受けました。

内科医が対光反射や一部の神経学的所見を診たところ、意識レベルが低い(痛み刺激には反応あり)ものの他の異常所見が無く、また陣痛発作時には産婦が声を上げて痛がるなど したため、産科医と内科医で「陣痛発作に伴う失神だろう」と判断したとのことです。この際に「内科医がCT検査を行うことを主張したが産科医が拒んだ」などと報道されてい ますが、両者の間でそんな押し問答のようなやりとりはなかったようです。その時点では血圧は正常で、子宮口も4cm程度開大していたため分娩経過を診ることになり、産科医 は当直室に戻ったとのことです。

しかし、その約1時間半後に痙攣発作が生じ、この時点では血圧が180前後まで上昇していたため、産科医が子癇発作と判断し、マグネゾールを静注して奈良医大病院に搬送を 依頼ました。ところが、奈良医大の産科病棟が陣痛待機室のベッドまで入院患者が溢れるほど満床であったため受け入れることができず、また、容易に搬送先が見つかりませんでした。

大淀病院の産科医の先生はいつでも搬送できるよう、今か今かと「受け入れ先が見つかった」との連絡を待ちわびていたらしく、CT検査ももちろん考えたようですが、( 今、患者を動かして再発作を起こしたら母児ともに危険かもしれない)(CT検査に行っている間に搬送先が見つかったと連絡が来るかもしれない)など考えて躊躇されたようです。

苛立つ家族に囲まれ、産科医自身も大阪の高次医療機関に数件電話するなどしたようですが、全て断られたとの事でした。最終的に搬送先が見つかったのは、搬送を申し入れ てから二時間余り過ぎた後でした。

聞けば聞くほど悲しい内容です。報道では、かなり産科医を悪辣に糾弾しておりますが、このような経過では同情を禁じ得ません。一番の問題は、受け入れるベッドの絶対数が奈良県では不足していることにあるように思います。刑事事件へと進展しそうな気配ですが、このような例が刑事訴追されることを、我々は容認してはいけないと思います。

経過を要約します。

  1. 妊婦は予定日超過の為に入院した。
  2. 予定日が超過しているために産科医は陣痛促進剤の投与が必要と判断した。
  3. 夜になり陣痛が発生したが、午前0時ごろ意識消失発作のような症状が起こった。
  4. 産科医は当直の内科にも依頼し二人で診察を行なった。
  5. 二人で診察した結果、「陣痛の痛みによる失神であろう」と診断した。
  6. 分娩経過を見ていたところ、その1時間30分後に痙攣発作が起こった。
  7. 産科医は血圧が180mmHgまであった事から、子癇発作と診断し、その治療を行ないながら高次病院への搬送を行なおうとした。
  8. 以後は昨日のエントリーをご参照ください。
この経過の中で最初のポイントは午前0時の意識消失発作の様なものでしょう。この時点で産科医が取った行動は、当直の内科医にも診察を依頼し、二人で慎重に「陣痛の痛みによる失神」の可能性が高いと判断しています。この時に病院内にいた医師はおそらくこの二人だけでしょうから、その時点で最高の診断行為を行なったものであり、この判断はこの時点では妥当であると考えます。

その後は助産師が随時分娩進行状況をチェックしていたはずであり、午前0時時点で4cm、初産婦でなおかつ32歳の年齢を考えれば、まだまだ分娩は先と考えるのが普通です。報道によればこの時間産科医は、分娩と翌日の診療に備え仮眠を取っています。この行為もまたごくごく当たり前の行為です。

強いてを言えば午前零時の時点で「意識レベルが低い(痛み刺激には反応あり)」をどう判断するかだけです。これだけの情報で産婦の脳出血を疑い、被爆の可能性を冒して頭部CTを取る必然性があったかになります。これも憶測ですが、産科医と内科医だけではCTを動かせるかどうかが疑問です。私もよう動かしません。そうなると真夜中に放射線技師を呼び出す必要があります。そもそも時間外に放射線技師が飛んでくるオンコール体制があったかどうかも分かりません。

もう少し言えば、次の痙攣発作があったのが約1時間30分後です。放射線技師を呼んだとしても、真夜中の事ですから、5分や10分で来ることは難しいだろうと思います。起こされて、着替えて、顔を洗って、おもむろに出かけますから、どう考えても30分以上かかります。場合によっては1時間かかってもおかしくありません。またCTという機械はスイッチ一つですぐ起動ではありません。変わっていなければ30分程度は必要だったはずです。結局呼んでも痙攣発作に間に合ったかどうかのレベルのお話になります。

次のポイントは痙攣発作が起こった時点の産科医の判断です。ほぼ即座に子癇発作と考え、治療を開始するとともに高次救急への搬送を決断しています。子癇発作といっても私如きでは医学部教育のレベルに過ぎないのですが、これだけで非常に危険な状態であるのだけは分かります。母子ともに危険な状態で、即座に分娩(帝王切開にほとんどなるらしい)を目指しながら、母体の治療に全力を挙げなければならないものだそうです。

この時間帯でのこの病院の産科医は一人、子癇発作を起こしてる産婦の帝王切開なんてリスクの高いことはとても一人ではできません。搬送の決断の妥当性は言うまでもありません。この病院で出来ることの限界を超えているのは明らかです。限界を超えているからこそ素早く搬送の決断を行なったと言えます。

この産科医の判断に誤診はありません。言葉に語弊があるかもしれませんが、この病院で出来ることのすべてを正しい判断で行なっています。結果的に産婦を死に至らしめた、脳出血も、これだけが単独に起こったのか、子癇発作に伴って合併したのかは今となっては分からないかもしれませんが、私の乏しい知見では子癇発作の痙攣は特徴的なものであると聞いています。練達の産科医であるなら、子癇発作の診断は信を置いても良いかと考えます。

physician先生の情報が真相であるなら、痛ましいことですが、この産婦の死は脳出血が起こった時点で不可避に近かった事になります。最良の結果でも脳出血の影響により重い後遺症が残っていたと考えられます。むしろこれだけ最悪の状況であるのに、子供だけでも無事助かったのは奇跡に近いかと思います。

これだけの事をして刑事罰として起訴されるのなら、もはや医療が日本で成立しなくなると考えるのは私だけでしょうか。寒気がして鳥肌を立てている産科医が無数にいるはずです。他科医も似たようなものですし、もちろん私もそうです。それでももっと怖い事に、これが先例となって、こういう事件がもっと続出する素地が確実に出来上がっています。

医療をどうしたいのかもっと真剣に考えて欲しいと思います。これはこの悲劇に残された家族の願いでもあるからです。