遵法闘争の方が前向き

昨日はたくさんのコメントありがとうございます。昨日、一昨日の流れを簡単にまとめますと。まず一昨日は、

    この際看護婦内診問題の違法性を司法に問うべし。
こんなアドバルーンを揚げてみたのですが、司法に問うにはとんでもない難関が待ち受けているのがすぐに判明しました。
    今回の件で訴える資格があるのは当事者である堀病院のみ。
さらにこれに付け加えて
  1. 訴訟を起しても相手は国家権力であり、長期間の法廷闘争が必要な上、勝ち目自体が非常に薄い。
  2. そんな事をやればマスコミが確実に敵に回り、社会的制裁を受け堀病院の破滅は必定。
  3. 看護婦内診問題については医療界でも意見が分かれており、福島の事件の時のように一致してサポートする流れが無い。
結論として不戦敗。一旦出された通達は事実上法律と同じ重みを持ち、これに異議を唱えるには個人ないしは一医療機関がすべてを投げ打って、国家権力に対して抵抗しなければならず、そんな事が出来る医療機関は日本にはまず無いと言う事です。

そんな中で昨日頂いたコメントで浮上してきたのが「遵法闘争」です。一見後ろ向きの提案に見えますが、良く考えれば逃散よりも遥かに前向きのように感じます。逃散は立ち去り型サポタージュとかも表現されますが、遵法闘争は居残り型サポタージュとも言えそうです。居残り型と言うか単なるサポタージュで良いのでしょうが、立ち去り型に対しての表現です。

遵法闘争として出来そうな事は、

  1. 看護師が内診をすれば強制捜査が入ることは判明しましたから、十分な助産師が確保できない産院は、現行の体制で正しく分娩が出来る数まで出産数を自主規制する。
  2. 宿日直業務も明快な通達があるのですから、これも通達どおり履行すように病院側にはっきり要求する。守らなければ強制捜査ですから繰り返し執拗に行なう。通達どおりの正しい宿日直業務の実現を強硬に要求する。
  3. 自分の勤務時間をしっかり管理し、正しい残業手当を要求し、月の残業時間が100時間を越えるようなら直ちに労働基準監督局に業務の改善を執拗に訴える。記憶に間違いなければ月100時間を越える残業は過労死の要因になるとされていましたから、これを放置する事は健康の管理を司る医療者の恥でしょう。
他にもあるでしょうが、とりあえずこの3点ぐらいは正々堂々と法的根拠を持って主張できるのではないでしょうか。厚生労働省通達は強制捜査を行なってでも守らせると言う事実が横浜の事件で判明しましたし、それに異議を唱えるのも事実上不可能である事もまた判明しました。そうなれば「通達を無視して医療を守る」事は単なる自殺行為ですし、世間も誰も支持してくれません。となれば「医療が滅びそうでも通達を厳守する」のが正しい行為となります。

医療者は現状の医療と通達との乖離を悩み、医療の大義の為に通達をあえて守らない事が多々ありました。それが医療のため患者の為に良い事であると信じてきました。しかしそれは単なる幻想であったと言う事です。通達が及ぼす悪影響を心配する事は医療者にとって不要の代物であったと言う事です。医療全体の為に通達を守らないなんて事は愚行以外の何者でも無いと言う事です。これまでも理不尽としか思えない通達が医療側に投げられた時、受け止めた医療側は現実にあわすために通達違反をあえて冒してきた歴史があります。そんな斟酌はもう不要と言う事です。通達を杓子定規に守る事が正義そのものだということです。

理不尽な通達に対しては、これに対して起こる悪影響をしっかり出して厚生労働省に投げ返すのが医者にとって出来うる医療改革となります。

    通達→遵守する事によるよる悪影響→改善通達もしくは対策
これを繰り返す事によってのみしか、改善は期待できないのではないかということです。このギクシャクした過程でもっとも被害が大きいのは患者です。患者側にどう思われようが医者は患者第一にこれまで行動、発想が動いてきました。それが誤った考えである事を横浜の事件は示しました。

このブログを長い間読まれていた方なら、私の医療危機への解決策はご存知かと思いますが、もう一度ここで書いておきます。

    医療危機の根源は国である。国を動かすためには政治が必要であり、政治を動かすためには世論が必要である。
世論が動くためには医者がいくら訴えてもまったく動きません。世論が動くのは多数派の人間が声を上げる事です。多数派の人間とは医療の場合患者となります。私も含めて危機を感じる医者のブロガーは、なんとかこの危機感を患者に共有してもらい、一緒に危機に対処しようとしてきました。これからもそうするつもりです。ところがこの作業は残念ながら遅々として進まず、輪も広がりません。未だに「医療側ももっと声を上げるべきだ」の意見が多数見られます。

結局、世論構成の為に医者が熱望する患者の声は、患者自身が直接身を持って経験してくれない事には上がってくれそうに無い現実を痛感しています。医者としては患者が直接痛い目に遭わない内に危機に対処したいと願い行動しているのですが、危機の進行速度に較べ、危機感の広がりは怖ろしく緩慢です。

だから遵法闘争は前向きと考えます。医療者が歯を食いしばって患者への悪影響をトコトン食い止めても、食い止められないことは今や明瞭です。医者が食い止められなくなったとき、患者は初めて甚大な影響を受け声として上がります。しかしその時には医療は焼野原になっています。それならば医療がなんとか生き残っているうちに、遵法闘争により早めに悪影響を及ぼし、患者が驚いて声を上げてもらった方が医療再建ははるかに容易ななような気がします。

書きながら焦土戦術を取っているようで、医者としての良心が非常に咎めてしまうのですが、現実はそんな段階に差し掛かっているような気がします。