ツーリング日和15(第1話)出発

「行くで」

 らじゃだ。今の時期の日の出は五時だ。だからじゃないけど日の出とともに出発。

「こればっかりは神戸に住んでるからしゃ~ない」

 神戸と言うより都市部の呪われた宿命みたいなもの。

「通勤ラッシュは都市部の専売特許やあらへんで」

 そうなんだけど都市部の方が酷いし、加えて信号地獄もこれに加わるのよね。仕事の人はそれでもってところはあると思うけど、こっちがしたいのはツーリング。渋滞と信号地獄のコンボは出来るだけ避けたい。

 ということで定番の松屋の朝食を済ませて、六甲山トンネルを抜けて神戸市街を軽やかにパス。あれこれ試したけど、これが一番無難だ。

「今日は吉尾ランプで下りるで」

 いつもはこのまま北六甲有料道路を三田まで走るのに、

「今回は変化球や」

 だいじょうぶかな。吉尾ランプを下りたら右に曲がり、突き当たれば国道一七六号。さすがに朝も早いから空いてるな。だけどここも混むところで、その証拠に四車線道路なんだよね。それでも名塩道路としてグレードアップ中で空いてさえいれば快適だ。

「けっこう出来てるな」

 前に走った時より二車線部分が減ったものね。武庫川が見えて来たところで二車線になったけど宝塚だ。宝塚駅を過ぎたあたりで、

「中山寺の方へ行くで」

 中山寺? どうしてそんなところに? コトリに世界で一番縁が遠いところじゃない。

「うるさいわ」

 ここは住宅街の道だ。へぇ、雲雀丘学園ってこんなことろにあったのか。

「いっぺんぐらい名門女子高ってのに通ってみたいな」

 気分だけはね。だけどさぁ、女ばっかりなんだよね。

「そこやねん。やっぱり雲雀丘学園みたいな共学がエエわ」

 なぜか名門私立は昔から男子校か女子校が多いんだよね。もし女子校ならやっぱり、

「お松の松陰」

 これは大阪の樟蔭と区別するためにそう呼ぶのだけど、大阪の樟蔭に卑下してではなくて、大阪の樟蔭なんかと一緒にして欲しくないから『お松の』を付けてるで良いと思う。あそこの制服は永遠の憧れみたいなもの。

「あの制服だけでモテる言うからな」

 東京の方に修学旅行に行った時に注目の的だったとか。そんな事を話していると見えて来たのが川西池田駅だ。そうなるとここは川西で、

「猪名川渡ったら池田や」

 川西まで兵庫県で池田は大阪府になるのよね。

「突き当りを能勢の方や」

 左だね。左手に見える高架は阪神高速の池田線のはず。

「直進して亀岡の方やぞ」

 国道四二三号か。高架下を抜けると、こりゃ、また、

「これで序盤の山を越えられたわ」

 コトリが選んだルートは宝塚経由で能勢を抜けるルート。ここから緩やかだけど峠越えで田舎道になるはず。なんだ、なんだ、また立体交差がややこしそうなとこだけど、

「この辺は新名神に箕面有料道路が合流するとこや」

 そうなるともう箕面か。箕面と言えば、

「♪箕面温泉スパーガーデン」

 行ったことあるの?

「あらへん。滝に行って紅葉の天ぷら食べただけや」

 紅葉の天ぷらって微妙と言うか、

「単なる名物やな」

 そんな感じ。みんなが食べるから食べてるだけって気がする。法貴峠を越えると亀岡市内だけど、どうして亀山じゃなく亀岡なの。

「三重県の亀山と間違われないように亀岡にしたそうや」

 亀山の街を発展させたのは光秀だ。光秀は丹波攻略の拠点として亀山城を築き、この城はその後も重視されて、江戸時代には五重の天守が存在してたのは古写真にも残されている。

「こうやってみると京都は近いな」

 本能寺の時に光秀は亀山城から出陣してるのよね。国道四二三号は国道八号に突き当たるのだけど、これが古代の山陰道になるから、ここを西に進まず東に進んで本能寺を目指した歴史の舞台だ。

「一の谷の時に義経も駆けた道や」

 国道八号は桂川を渡って京都に入るのだけど、これが五条通りになり、

「次の信号左や。高雄の方に行くで」

 国道一六二号ね。もう八時を回っているからさすがに混んできた。国道一六二号は天神川に沿って北上するのだけど、見えて来たのが双ヶ丘。その横を通り過ぎて、

「ちょっと寄り道や」

 コトリが寄ったのが仁和寺。ここは宇多法皇が自分が住むところを作った事から御室御所と呼ばれるようになり、今でもこの一帯を御室と呼んでるのよね。ここも見どころの多い寺だけど、

「やっぱり金堂やな」

 ここの金堂は慶長一八年に御所の紫宸殿として建てられたものを寛永年間に移築したものなんだ。京都御所は江戸時代だけで八回も建て直されて、慶長の時のものは平安時代の内裏を参考にした復古調のものだったとされてるかな。

「今の京都御所は安政時代ものやけど、慶長時代のものを参考にしたとなってるねん。ほぼ間違いなく仁和寺の金堂をモデルにして、今ある紫宸殿は建てられたことになる」

 つまりって程じゃないけど、仁和寺の金堂は現存する最古の紫宸殿になる。だから江戸時代の建物でも、

「余裕で国宝や」

 そういう目で見ると大宮人が行き来していたのが見える気がする。いつもでも大事にしたいものだ。わざわざコトリが仁和寺に寄ったのは拝観もあるけど、

「御室が周山街道の起点で、御室の始まりが仁和寺やからや」

次回作の紹介

 紹介文として、

 ツーリング中のコトリとユッキーが日向湖の民宿で出会ったカップル。どうにも訳がありそうで翳もあり、気になった二人はマスツーに。東尋坊まで行った時に見つけたのが神の糸。この技を駆使する神がいることになり、二人に緊張が走ります。


 さらに話を聞くうちにユッキーの過去の神のシノギに関係する人物とわかり、嫌でも深く関わらざるを得なくなります。ですが事情を知るにつれユッキーの表情は曇りがちになります。


 過去との因縁に決着を付けざるを得なくなったユッキーの判断はどうなるのか。またカップルの翳の原因は何なのか。さらにユッキーの遥か昔の秘めたる恋話まで絡んできます。日本海に沈む夕日を見てユッキーは何を思うのでしょう。

 ツーリングコース的には若狭から、延々と新潟まで走り抜けるルートになります。これも何度か走らせてはいるのですが、帰路にフェリーを使う設定上、どうしたってこんなルートになってしまいます。新潟県内のツーリングが今回の新味かもしれません。

 今回のツーリングで出会うのは曰く付きのカップルの設定にしましたが、これも困りに困って禁断の恋にしてみました。どこまで禁断かは読んでのお楽しみにしますが、この恋の取り扱いにユッキーは困惑させられるぐらいでしょうか。

 ネタに困り果てていたのもありますが、今回は神との対決になります。このシリーズの設定として、神同士は仲が悪く、出会えば生き残るのは1人が原則ですが、その原則をどうするかも工夫のしどころぐらいでしょうか。

 結果的にそうなっただけとも言えますが、どこか哀愁漂うツーリングになったと思っています。表紙は千里浜がモチーフです。

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焼鳥食べたい、串カツ食べたい

 ケモの副作用の味覚障害のお蔭であれこれ食べたい欲がひたすら膨らんでいるのですが、定番の焼肉もあるにはあります。ですが悲しいかな、癌になる以前から焼肉はかなり重いくなっています。気分としては食べたいのですが、現実に食べるとすぐに、

    もう良い
 悲しいですが爺になってしまっています。だからではないですが焼鳥食べたいです。まだ焼鳥なら食べられます。値段もリーズナブルですしね。もっとも鳥刺しはパスです。サルモネラは怖いですし、基本的に獣肉の生は好んで食べたい方じゃないからです。

 さてどこに行くかですが心には決めています。その店の名物はツクネなのですがツクネと言えば鶏肉のミートボールみたいなものがポピュラーだと思います。ですがその店のツクネはかなり小型なのが特徴かもしれません。その店がツクネをいかに推しているかは、店員のユニフォームに、

    とりあえず10本
 てな謳い文句が書かれてるぐらいです。実際にもそのノリで注文しているお客さんもよく見かけます。焼鳥にはビールと言いたいところですが、焼鳥には不思議なところがあって、日本酒でもワインでも個人的には合うと思っています。酎ハイはどうかですが、個人的に焼酎はあんまり好きじゃないのでパスです。


 焼き鳥の他にも串カツ食べたいもあります。ここも震災前によく行ってた店があったのですが、震災後に閉まってました。あそこも無くなったのかと寂しく思っていましたが、だいぶ前に通りがかった時に復活しているのを見ました。

 同じ店なのかとググってみると、震災で大きな被害を受け、別の場所で仮営業を行い、また舞い戻って来たようです。それでもあのヘンコの大将は健在なのでしょうか。そりゃ、28年も前になりますから、さすがに代替わりしている気がするのですけどね。

 最近のお気に入りは別の店です。ここは串カツも美味しいのですが、日本酒のラインナップが充実しているのがポイントの高いところです。さてどっちにしようかな。


 皿蕎麦、播州ラーメン、焼鳥、串カツを制覇したら復活の狼煙を挙げられそうな気がします。まずはどこから手を付けるかですが、今日までの味覚の回復具合は7割から8割ってところでしょうか。6月中には一つぐらい行けるはずです。

ラーメン食べたい

 個人的な偏見もありますが、のぢぎく県はラーメンについては盛んとは言えない気がしています。これじゃ、誤解を招きそうなので、うちの近所にもラーメン屋はたくさんありますし、美味しいと評判の店もありまあります。ありますが、基本的に他所のラーメンの二番煎じみたいなところがあります。

 神戸ラーメンと名乗るラーメンチェーンもありますが、あそこは第一旭、そう京都が発祥のラーメン屋です。まあ、もっこすとか2国ラーメンもありますが、あれをいわゆるご当地ラーメンとするのはどうかと思っています。

 要するにのぢぎく県発祥の御当地ラーメンが盛んでないぐらいのお話です。もっともそれを言えばのぢぎく県の御当地グルメも県民であっても思い浮かばないぐらいですから・・・玉子焼(明石焼)とか、いかなごのくぎ煮とかあるか。。。

 それでものぢぎく県にも御当地ラーメンはあります。全国的な知名度はお世辞にも高いとは言えませんが、ちゃんと存在しているを知っています。播州ラーメンと言うのですが、播州でも北播地域の御当地グルメです。

 始まりは播州ラーメンの特徴にも連動するのですが、北播地域は播州織が地場産業です。これも機械化が進んでしまっていますが、かつては女工さんたちがたくさん勤めていました。通説ではこの女工さん相手のラーメンが播州ラーメンの始まりとされています。

 女工さん相手だったためか、スープがとにかく甘口なのが最大の特徴で、甘すぎるので好みが分かれるところはあるそうです。醤油ラーメンなのですが、スープを啜ると「甘い」の感想がまず出るぐらいのラーメンです。

 播州ラーメンを初めて食べたのはたぶん小学生の時のはずです。亡父がプロパー(今のMR)から美味しいラーメン屋があると聞いて連れて行ってもらったぐらいです。ちなみに亡父はあまり気に入らなかったと言うか、ラーメンはそれほど好きでなかったのか一緒に行ったのはそれっきりのはずです。

 それから次に行ったのは二十歳も越えて学生になってからです。店を探すのもネット前の時代ですから一苦労と言うか、当時の情報雑誌で見つけて訪れたはずです。あの頃はそういう時代です。でもって改めて食べた感想は美味しかったです。

 この頃の知識的には播州ラーメンと言えば大橋ラーメンで、大橋ラーメンと言えば西脇大橋の近くにある西脇大橋ラーメンだと思い込んでいました。ところがなんですが、亡父と行った店と違うのです。亡父と行ったのも大橋ラーメンのはずですが、どうにも店が違います。

 こんなもの今ならググればすぐ見つかるものですが、あれこれ調べた末に大橋ラーメンが滝野にもある情報をやっとつかんだぐらいです。こちらは西脇大橋ラーメンに対して滝野大橋ラーメンと呼ばれています。やっと小学生の時のラーメンを食べる事が出来たぐらいです。

 そこから滝野大橋を贔屓にしていたのですが、光明寺にハイキングに出かけた時に気になるラーメン屋が目に付きました。かなり繁盛しているラーメン屋で、調べてみると紫川ラーメンとなっていますが、滝野大橋ラーメンを作り上げた人が開いた店となっています。

 情報化時代になっていて手軽に情報が手に入るのが嬉しいのですが、播州ラーメンの店もかなりあるようで、その中で御三家と評価もされているのが、西脇の内橋、滝野大橋、それに紫川とされているようです。西脇の内橋は少し遠くなるのと、ちょっと入り込んだところみたいなので、まずは紫川ラーメンを制覇したいじゃありませんか。

 紫川と滝野大橋はご近所さんと言えるぐらい近いですし、店の場所も知っています。さっそくと言いたいところですが、嗚呼バイクが待てど暮らせど手に入らない事です、電車でも行けますが加古川線鉛線でかなり時間もかかりますし、本数も少なく電車賃もバカになりません。

 スクーターでも行けますが、せっかくですから新車の慣らし運転にしたいじゃないですか。いつになったら行けるのか、本当に困ったものです。

蕎麦食べたい

 ケモとは副作用との戦いです。外来ケモですから副作用と言っても日常生活が送れる範囲のはずとなっているはずですし、私も仕事をしながら出来たのは出来ました。それでもまぁ、実際に経験してみるとかなりシビアなものです。

 この話は何度もしていますからこの辺にして、ケモが終わり味覚が回復すればあれこれ食べたいの夢だけは膨らみました。そんな事でも考えないとやってられないのもあります。あれこれ食べたいものがありますが、ある時期から熱望したのが蕎麦です。

 私もコテコテの関西人のところはありますが、嗜好的にうどんより蕎麦が好きな方です。のぢぎく県で蕎麦で有名なところと言えば出石の皿蕎麦があります。全国的な知名度がどれぐらいかはわかりませんが、あそこの蕎麦は美味しかったと記憶に刻まれています。

 待ちくたびれて癌まで発症してしまい、オペから術後ケモまで終了してもまだ来ないバイクが来てくれたら、出石への皿蕎麦ツーリングなんてのも考えたりしましたが、神戸から出石はさすがに遠すぎます。クルマで高速を使っても日帰りでなんとかぐらいの距離と時間が必要ぐらい遠いところです。

 バイクだって高速を使えば良いのですが、待ちくたびれてるバイクは原付二種ですから自動車専用道すら走れません。体力の回復とバイク慣れしたら挑戦したいところではありますが、現時点では無謀の極みとあきらめていたのです。

 それでもあきらめ切れずにあれこれ調べてみると篠山でも皿蕎麦の店が増えているようです。あんなところに蕎麦屋なんてあったっけと思ったぐらいでしたが、長いこと行っていないうちに観光開発が進んでいるみたいです。

 思い返すと前に行ったのは篠山城の大書院が再建されたのを見に行ったはずですから・・・えっ、再建されたのは2000年4月となっていますから23年前になります。それだけ月日が流れれば街も変わるかもです。

 篠山だって近いとは言えないのですが、出石に較べれば実際の距離だけでなく心理的にも近いところです。動画紹介なので味がわかるはずもありませんが、とりあえず美味しそうです。日帰りツーリングとしても手頃そうと思ったのは思ったのですが、

    肝心のバイクが来てくれない
 篠山は電車でも行けますが、駅から遠いのが難点です。だからクルマかバイクになるのですが、通勤用のスクーターで行くのは気乗りしません。どうにも、こうにも延々と待たされているバイクが何をするにも引っかかっているのが今のネックになっています。