バイク待ち、もうすぐ20ヶ月

 このネタを書くのも疲れて来ました。どこかの質問箱で14ヶ月も待たされてる質問が出ていましたが、こっちは20ヶ月だぞっと虚しい自慢を独りでやってたぐらいです。とにかく来ないものは待つしかありません。

 待ってる間に関連グッズをシビレを切らして買っているのですが、車載工具をどうしようかはありました。バイクにもかつては車載工具が付いていた気がするのですが(記憶は怪しいなんてものじゃありません)、実はモンキーにも携帯工具と名付けられたものがあります。ShimoKenSiize様のHONDA モンキー125 インプレッション Vol.5から引用させて頂きますが、

https://mihiro.sakura.ne.jp/shimoken/img/jb02/monkey125-041.jpg
 入ってるのは、ヘルメットを車体につなぎ止めるワイヤーとシートを外す為の六角レンチだそうです。ワイヤーの用途はよくわかりませんが、六角レンチはシートを開けるために必要なもので、前型のABSレスモデルなら少しだけ搭載スペースはありましたし、シート下に書類を入れるスペースもあるとなっています。

 つうか「そんだけ」みたいな携帯工具です。もっともエラそうに言っても自力で整備できる能力なんて殆どありませんから、これでも十分と言えば十分でしょうが、さすがにもうちょっとあっても良い気がしたのです。参考までにとバイクに必要な車載工具をググったら、

    これぐらいは必要♪

 そこに紹介されてる分だけで、そんなに載せられるかって感じでした。そりゃ、あった方が良いでしょうが、そもそも使いこなせないですからね。そこで発想の転換で、

    具体的にどんなトラブルに対応できるのか?
 ここから考えることにしました。今のスクーターで一番困ったトラブルはプラグです。プラグが突然被って立ち往生はウンザリさせられました。これだって、定期的にちゃんと交換すれば防げたはずですが、今のスクーターのプラグ交換はかなり手強い代物です。つうか一度やりましたが二度とやりたくないレベルです。

 だってだって、シートの下の底の方にプラグがあって、そこに到達するためには、シートの前面を開けて、さらにサイドの小窓を開けて手探りでなんとか到達。そこからフレキシブルのプラグレンチを使うのですが、やりにくいったらありゃしないです。

 ですがモンキーはエンジンから剥き出し状態ですから、これなら自力でプラグ交換は容易のはずです。つうことで出来るだけコンパクトなプラグレンチの購入を決断しました。これで予備のプラグを積んでおけば、突然のプラグトラブルに対応できるはずです。

 これだけでも良さそうなものですが、プラグレンチだけはさすがに寂しいところで、プラスマイナス切り替え式のドライバーが手持ちであったので追加とし、見栄でもモンキーレンチを購入しました。この時にひょいと目に入ったのがポケットレンチなるもので、これもかさ張らないか購入です。これにこれまた手持ちのマルチツールの出来損ないみたいなものを加えて、

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 じゃじゃ~ん、なんとなく車載工具っぽくなったじゃないですか。これでプラグ交換以外に何が出来るのかは聞かないで下さい。半分以上は気分の問題です。ここまで来たら、これをコンパクトに収納したいですから、

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 なんかそっれぽい感じになりました。これにトラブルの時の万能ツールであるJAFカードを入れて完成です。プラグはさすがにバイクが来てから購入にします。だからどうしたレベルのお話ですが、これだけ待たされるとネタ切れも良いところなのです。

 とにもかくにもエエ加減 納車されないと埒がホントに明かないってことです。納車待ちの新記録を目指してる訳じゃないのですけどね。

味覚障害雑感

 前回の幕間の雑談の時に6クールでケモを終了する理由を長々と書いたのでこれはパスします。4/27に最後のゼローダを内服し、ケモからの回復期に入っています。時間とともに副作用が抜けて行く実感を味わっているのですが、ここでとにかく手強いのが味覚障害。

 思えば昨年末のケモ開始からのお付き合いですが、これも累積効果はあるようで、最後の2クールぐらいは完全に灰色の食事となっていました。受け止め方に個人差はあるでしょうが、はっきり言って辛いものです。

 味覚障害は末梢神経障害に較べたらreversibleと腫瘍科医に明言を頂いていますが、ケモが終わっても回復は牛歩、いや蝸牛の歩みみたいな感じです。2週間ぐらいじゃ間違い探しみたいな回復状況でした。軽くググると3~4週間、場合によっては数か月に及ぶとなっていてゲンナリ気分になりました。


 それでも4週間が過ぎて回復の手ごたえを感じているのですが、どうも味覚障害と感じているのは2種類あるとして良さそうです。一つはすべての味を灰色にする味覚障害です。これは食材を苦味で塗り潰して君臨し続けていましたが、ほとんど引っ込んでくれて食材の味がわかるようになっています。

 もう一つは味覚に関係はしますが、エルブラッドの末梢神経障害じゃないかと考えだしています。エルブラッドの末梢神経障害は投与中から出現し、外来から帰る頃には猛威を揮い始めます。寒冷惹起によるビリビリ感が主体ですが、字を書くのも難儀するぐらいになります。

 この時になのですが、口の中もおかしくなります。ケモが始まったのは12月でしたが、冷水を口に含むと、あれはどう表現すれば良いのでしょうか。素直な実感として口の中に髪の毛が束で入っているように感じました。

 冷たいのは寒冷惹起で悲惨でしたが、実は熱い物も感触がおかしくなります。端的にまとめると食感がおかしくなっています。おそらくですが、味覚に関しては8割ぐらいは回復してそうなのですが、食感の回復が長引いてる感じがしています。


 副作用の出方は個人差が大きいですし、味覚障害を客観的に評価するのは難しいのですが、なんとなくかなり強めに出ているのじゃないかと個人的には思っています。とくに食感です。そりゃ、致命的なものではありませんが、とにかく日々の食事を直撃しますから、ひたすら地味に辛い代物です。

 とはいえ効果的な治療法など存在しません。エルブラッドによる末梢神経障害も寒冷惹起によるものならreversibleとなっています。ただ回復時期の個人差は大きく数か月も必要な事はあるともなっています。でもって、手足のビリビリ感は今もヒョコヒョコ顔を出しますから、口内の食感の違和感も同様の気がしています。

 後は月日が経つのを待つしかありません。最初の目論見では5月中に回復と期待していましたが、その5月ももうすぐ終わりです。6月半ばぐらいまではかかるのかしらん。回復記念と言うか、オペからケモのアラカンの修羅場が一区切り付いたので、美味しいものでも食べに行きたいのですが、今の状態ならカネをドブに捨てるようなものです。


 ですが見方、考え方ではケモの影響がその程度なのは医療側から見れば取るに足らない軽症になるはずです。時間さえかければ戻る程度の代物です。客観的にはそういう評価になるのは理としてよくわかるのですが、患者としての感じ方はそこまでドライになれません。

 そういう落差を実体験しているアラカンの修羅場でした。これぐらいの愚痴を吐かせてもらわないとやってられないぐらいに御理解下さい。

怖いよ、怖いよ

 7連勝が途絶えて反動を覚悟していたら、信じられない事にまた7連勝。5月の成績はここまで驚異の、

    17勝4敗
 DeNAとは6ゲーム、昨日勝った巨人とは8ゲーム差です。そりゃ、これだけ勝てばゲーム差が開くのはわかりますが、どうなってるんだ状態です。阪神だってあれこれ目論見違いは出ています。伊藤将の出遅れ、青柳、西純の不調、湯浅・石井の離脱とかです。西勇だって好調とは言い難いのですが、穴になるはずが次々に新戦力が台頭して埋め尽くしています。

 打線だって佐藤輝の4月の不調はエグかった。岡田監督がいつ見切るのだろうかと思ってたぐらいですが、いつのまにか復活しています。さらに新外国人のノイジーは攻撃だけでなく守備でも存在感を現わしています。

 だからこその成績とは言えますが、本当の阪神ファンなら恐怖に震えていると思っています。この辺は2021年の矢野阪神、2010年の真弓阪神、2008年の岡田阪神を思い浮かべる人も多いでしょうが、オールドファンになると1992年、さらにわたしクラスのオールドファンになると1973年まで脳裏に過ります。

 とにかくセリーグを最後に制したのは2005年で、あの時はロッテに4-33でフルボッコにされています。その前が2003年の星野阪神で、その前になると唯一日本シリーズに勝った1985年の吉田阪神になってしまいます。さすがに1964年や1962年になると記憶の欠片もありません。

 2005年からだって18年、2014年に唯一度CSを勝ち抜きシリーズに出場した2014年の和田阪神からでも9年です。つまりって程ではありませんが、

    このまま首位を突っ走るなんてあり得ない
 どこかで泥沼にはまり込み、首位から転落するはずだと。その泥沼がいつ訪れるかかハラハラしながら試合を追いかけています。阪神ファンは阪神を愛する事で誰にも負ける気はありませんが、一方で世界で一番阪神を信用していません。


 それでも今シーズンは異様です。4月にDeNAが首位に立った時には盤石の評価さえありました。あの時点ではWBC組の今永も不在で、バウアーもまだ準備中でした。これが加わってくれば、さらに加速するのではないかとさえ見られていました。ですが結果は御存じの通り。

 連覇中のヤクルトも打線は不調でしたが、投手陣が好調で、ここに打線が復活すれば爆発的に勝ち進む可能性を感じさせました。ところが現実は4月を支えた投手陣が息切れして下位に沈んでいます。

 巨人は完全に新旧交代期に入っている感じがします。そうなった時の巨人の常套手段はFAによる大型補強です。ところがこれがうまく機能していません。それと巨人の監督は他球団より優勝の十字架は重いと見ています。

 原監督は実績も経験も球界随一ではありますが、巨人監督の十字架として目先の勝利を追い過ぎている印象があります。あくまでも個人的な感想ですが、去年で潮時だった気もしています。続投になった理由はあれこれあるのでしょうが、後継者とされる阿部氏に禅譲できない理由でもあったのでしょうか。

 どうもなんですが、今シーズンの大きな影響としてWBCショックと言うか、WBC疲れはあるような気がしています。昨年の三冠王の村上の不調だとか、WBC組の投手の不調です。阪神だって湯浅の故障の原因の一つぐらいに見ています。それでも比較的影響が少なかったのが阪神だったぐらいの見方です。

 ですがまだシーズンは百試合近く残っています。百試合ですよ。セリーグ球団にとって鬼門の交流戦もありますし、夏には恒例の死のロードもあります。このままで絶対に突っ走らないのが阪神です。勝ち星を重ねれば重ねるほど、その後に訪れる泥沼にひたすら恐怖しています。

ツーリング日和14 あとがき

 さすがにこのシリーズも完全に煮詰まりました。プロローグでも触れましたが、ツーリング先が枯渇しています。これも書きながらやっとわかった気もしますが、モトブロガーが行き詰るパターンと同じです。

 モトブロガーも色んなパターンがありますが、良くあるのは自分のお気に入りのツーリングコースの紹介です。そうしたい気持ちはよくわかるのですが、たとえば二週間に一本ずつ動画を挙げたら一年間で二十五か所必要になります。

 そんなに紹介できるツーリングコースを持っている人は多くないわけで、いつかは行き詰まりが来ます。ですからツーリングコースに頼らない変化球が必要になります。変化球もバイクに関連すると言う制約があるわけで、それを投げ続けるためにはひたすら知恵を絞るしかありません。

 かつてブログを書いていましたが(ちなみに今も書いてはいますが)、あれも毎日書いたりすると三か月もすればネタ切れになると言われています。実際のところそうで、継続するのがどれだけ大変だったかです。

 ですから今回は思いっきり変化球です。そうなったのは選んだツーリングコースがどう書いてもイマイチ。わくわくしながらのツーリングにできなかったのです。そこで良く言えばツーリングと歴史ムックのコラボ。悪く言えば私の歴史趣味の爆発です。

 相手役も実は三人ぐらい変えてまして、これまた上手く話が組み立てられずに、またまたユリを引っ張り出して使っています。使いやすいのですもの。次回作が書けるかどうかは今度こそ自信がありませんが、出来たら続けたいものです。

ツーリング日和14(第37話)エピローグ

 コトリ、今回のツーリングだけど、

「不満は受け付けん」

 不満って程じゃないけど、ちょっと偏りがあった気がしてさ、

「鯖寿司美味かったやんか」

 そりゃそうだけど、

「ソースカツ丼も良かったやろ」

 ああいうのも旅の楽しみだけど、

「鹿蕎麦とか鹿カレーはなかなか食べられへんで」

 たしかに。でもさぁ、でもさぁ、

「大原の温泉もなかなか入る機会無いで」

 京都市内の温泉が珍しいし、神戸からなら京都市内に泊るってことがまずないものね。

「寂光院も火事になってから行ってへんやろ」

 焼失したのは惜しんでも惜しみきれないけど、立派に再建されてたのは嬉しかった。でもだよ、たったあれだけの距離に時間かけ過ぎじゃない。

「そない言うけど、駆け抜けてもたらオモロないで」

 おかげで熊川宿はゆっくり見れたし、朽木も行って良かったと思ったよ。

「ユリがタンデムやから無理さしたらアカン」

 それもわかるんだよ。亜美さんに丁寧に解説してあげたのも。

「コースかって敦賀からは初めての道が多かったやろ」

 近畿にまだこんなコースがあったのかと思ったもの。鯖街道も絶景ロードじゃなかったけど、あれはあれで気持ちが良い道だから人気があるのもわかったもの。

「それやったら文句あらへんやろ」

 そうなるのだけど、このお話ってツーリングの楽しさがメインじゃない。あんなに途中停車が多くて、それも長いとリズム感は悪いと思わない。これじゃ、歴史ムックじゃない。

「今回はそういうツーリングにするって宣言してるやろ」

 そりゃ、そうだけど、宣言したから問題無しって態度は良くないよ、

「歴史ムックやけど、あれでもだいぶ端折ってるねん」

 たとえば、

「微妙過ぎるとこやねんけど・・・」

 こりゃ細かいところだ。手筒山城が一日で落ちて、翌日には金ヶ崎城が開城引き渡しになってるのだけど、どうやら同時に疋壇城も開城になったみたい、信長公記には、

『引壇之城是又明退候』

 これは開城したというより、手筒山城に続いて金ヶ崎城も信長の手に渡ったから、孤立無援になる前に逃げちゃったのだろうね。金ヶ崎城の朝倉中務大輔の指示もあったかもしれないけど、

「そうなるとやな、金ヶ崎と疋壇の城兵は無事に退却したことになるやんか」

 そこか! 金ヶ崎開城は四月二十六日だからその日は朝倉の城兵たちは木の芽峠を通り抜けたことになるはず。開城と言っても、その前の交渉があるし、あくまでも仮にだけど、金ヶ崎と疋壇がセットみたいに開城したら朝倉軍が木の芽峠に消えるまで停戦状態になるはず。

 そうなると四月二十六日の信長軍は金ヶ崎に入城して終わりだった可能性もあるのか。こうやって書くとノンビリしてるようだけど、二日で三つの城を落として敦賀を掌握したのだから大戦果だし、それに満足したって悪いとは思えない。信長だってこんなにスムーズに進むのは予定以上だったはず。

 となると信長軍が木の芽峠に取り掛かるのは四月二十七日からになるはず。でもそうなると信長公記の、

『木の芽峠打越国中可為御乱入所』

 ここの解釈が微妙になって来るのか。これはそういう状態になったと見るより、そういう予定で木の芽峠に兵を進めたとした方が良さそうだ。というのも朝倉軍だって二十五日の信長の敦賀侵攻に反応して木の芽峠方面に軍勢を送り込み始めてるはずだものね。

 とくに四月二十六日は開城に伴う停戦状態だから一日まるまる使えるし、金ヶ崎や疋壇の城兵も活用できそうじゃない。というか、開城で撤退したからと言って義理堅く一乗谷まで帰る必要もないから、木の芽峠の要所に陣を敷いていたと見る方が良い気がする。

「そうやねん。四月二十七日にどこまで登っとったんやろうと思うて」

 ここで気になるのは信長の浅井への読みがどうだったかが絡んでくるのよね。浅井は絶対に裏切らないとしていたのか、もし裏切るならそろそろと考えていたのかだよ。

「信長は相当気にしてた気はするねん。そやから次々って感じで注進が来たんちゃうやろか」

 そうなると、常に撤退の腹積もりを置きながらの作戦行動をしてた事になり、言葉とは裏腹に木の芽峠の奥深くまで軍勢を進めてなかった可能性も出て来る訳か。

「これに連動するのやが、浅井が離反するタイミングがなんであそこやってんもあるねん。考えてもみいや。信長軍の主力が木の芽峠を越えたタイミングやったら、それこそ血の雨が降りまくるで」

 でもそこなら説明出来そうな気がする。まず信長の敦賀侵攻が浅井にしてもデッドラインでトリガーとなったのだろうけど、たった二日で金ヶ崎城まで落城するのは予想外だったと思うよ。

 浅井の戦略としては手筒山城や金ヶ崎城を攻める信長軍の背後に攻め込むぐらいじゃない。そうこうしているうちに朝倉軍も木の芽峠を越えて来るから、そこで決戦を挑まれたら敦賀の姉川状態だし、信長が逃げたらそれこその追撃状態になるじゃない。そうなったら椿峠も守り切れるかわからないもの。

「するとやな、金ヶ崎の退き口のホンマのイフは手筒山城とか金ヶ崎城がどれだけ頑張るかで変わっとったんかもしれん」

 そうなるかも。一週間ぐらいでも持ちこたえてたら歴史が変っていたかもしれない。状況によっては信長だけでなく、家康も秀吉も一網打尽だった可能性まであるものね。

「それでも生き残ってまうのが英雄やねんけどな」

 それは言えてる。もう少し言えば、そういう可能性があっても勝ってしまうのも英雄とも言える。そんなのたくさん見てるもの。よく悲劇の英雄とか、悲運の名将なんて表現があるけど、悲劇や悲運に見舞われるのは英雄でも名将でもないとないと思ってる。

 とくに英雄というのはラッキーが団体さんで押し寄せるってこと。だからこそ時代を創れるの。あれは歴史の女神が微笑んでいるとしか言いようがない。

「それが歴史や」

 逆にどんなに才知に優れ、人望があろうとも幸運に恵まれないものは歴史の荒波に消えてしまうってこと。

「光秀のことか」

 三成もね。天下を争えるほどの人材であれば、ちゃんと天下を運用できるのよ。個人的には三成の天下を見たかったかな。

「あの辺は秀吉の衰えやろ。秀頼が生まれたんが遅かったんは同情するけど、ボンクラまで言わんでも、そこそこの息子やったら受け継げる形にしてへんのが悪い」

 秀吉の衰えは、次は家康の機運が醸し出されていたと歴史小説家は書くけど、あれだってどこまでかは適当のはず。だってだよ、関が原で西軍に加勢した大名がどれだけいると思ってるのよ。

「コトリもそう思う。家康って言うほど人気があらへんかった気がするねん。もっともやが、家康に取って代われる人材がおったかと言われると思いもつかん。三成じゃ、荷が重すぎるわ」

 あれも英雄が為すナチュラルコースよね。

「ああ、大坂の陣を戦うまで寿命があったんもな」

 秀吉並みの寿命だったら、大坂の陣の指揮を執るのは秀忠になるけど、秀忠に家康みたいなカリスマ性はないから大坂城は落とせなかったかもしれない。

「というか、秀忠の才能はそっちやあらへんから、なんやかんやと丸め込んで、最後は三万石ぐらいの小大名で生き残らせていたかもな」

 コトリはそういう中途半端なのは嫌いでしょ。

「まあな。散るのも歴史の華やからな」