ツーリング日和14(第36話)浅井問題

「あの時の続きか」

 とりあえず朝倉義景は愚かすぎるよね。

「英雄ではあらへんけど」
「愚かすぎるは言い過ぎよ」

 だって義昭が金ヶ崎に来た時に担いで上洛していたら朝倉幕府になってたかもしれないじゃない。

「あの判断は悪くないと思う」
「常識的にはそうするね」

 朝倉は越前の王者だけど、北隣の加賀に強敵がいて、朝倉家の戦略的関心は加賀に向けられていたそう。加賀って言えば百万石だけど、

「それは前田家やけど、あの頃は天下最強の南無阿弥陀仏軍団が元気いっぱいやってんよ」

 そっか加賀と言えば一向一揆だった。朝倉家は加賀の南無阿弥陀仏軍団に苦戦していたみたいで、

「それを一掃せんと南に力を向ける余力なんかあらへんかってん」

 ここも厳しく言えば一掃できない義景の能力不足って話にもなるけど、一向一揆相手となると信長だって長島と石山本願寺で大苦戦してるし、

「家康かって三河一向一揆でひどい目に遭うてるし、謙信かって苦手にしとったぐらいやからな」

 義景が加賀戦線に専念したこと自体はおかしくないのか。

「これはやってみんとわからんになってまうけど、義昭担いで上洛戦やっても、あの義昭相手やぞ。信長でも振り回されたのに義景の器量やったらなおさらやろ」

 信長も上洛後は三好氏の反撃があったりして苦労したけど、そうなると京都に常駐軍も置かないといけないし、加賀の南無阿弥陀仏軍団も大人しくしてくれる保証もないものね。

「それをなんとか出来る器量は無いと見切ったのも一つの判断や」

 上洛すれば一件落着にならないのか。じゃあ、浅井と朝倉の関係は、

「理想的な唇歯輔車やな」

 朝倉は加賀に注力したい、浅井は南近江に進みたいと見るのか。お互いの背後の安全保障みたいな関係だものね。

「信長がおらんかったら、浅井は南近江の六角を滅ぼして近江統一をしとってもおかしない」

 言われてみればそうだ。朝倉だって加賀の南無阿弥陀仏軍団との関係がなんとかなれば、

「ならんやろ」
「そんな気がする」

 南無阿弥陀仏軍団ってどんだけなんだよ。そんな状況で起こったのが一五六八年の信長の上洛戦。これで状況が一変したんだよね。

「ああそうや。これで浅井がどうなったかを見るべきやな」
「信長の上洛を成功させてしまった時から浅井の運命は決まっていたのかもしれない」

 どういうこと。

「浅井から見てみい」

 北は長年の友好国の朝倉で、東の飛騨に進むのは無理がテンコモリ。西は若狭への道こそあるけど、

「そういうこっちゃ。何より南にドデカイ軍事国家が居座ってもた」

 どこにも伸びる余地がなくなった状態なのか。

「ほんじゃ、信長から見た浅井はどうやってことになる」

 そりゃ、お市の方を嫁がせて、友好国として手を携えて行こうだろ。

「違う、用済みや」

 えっ、

「見たらわかるやんか。信長の生命線は岐阜と京都を結ぶ南近江回廊や。ここへの最大の脅威は北近江の浅井や」
「浅井を滅ぼせば敦賀から一乗谷への道も開いて、北陸道が視野に入るじゃない」

 浅井朝倉が滅亡後に勝家がやった路線だ。

「でも情だろうね」
「まともにやったら時間と手間がかかり過ぎるの判断もあったんかもしれん」

 まともにやった結果も歴史に残っていて三年だものね。でもどうやって、

「信長に聞いてくれ」
「北近江に居座られたままで織徳同盟も難しいものね」

 織徳同盟が成立したのは、家康の担当が東と言うより、東の今川で手いっぱい状態だったからで良いと思う。家康にしても背後の尾張から攻め込まれないメリットが大きいから、あれだけ同盟が機能したはずなんだ。

「浅井の場合は信長との同盟やのうて、朝倉との同盟の時に成立する関係や」

 えっ、じゃあ、まさかだけど、敦賀に攻め込んだのは浅井になんらかの踏み絵を踏ませる狙いもあったとか。

「そうでも考えんと理屈に合わへんのよ。あないな曲芸みたいな戦略で敦賀に攻めこんだんが」
「補給線長すぎだよ。戦略的には北近江を制してから敦賀だよ」

 京都も信長の拠点ではあるけど、根拠地はあくまでも岐阜だ。岐阜から南近江に出て、素直に北上する方が攻めるにしてもなにかと都合が良いはずだもの。それよりなによりこの時の浅井の態度。あれって中立なのか。

「そこも理屈に合わんとこやねん。あの時の作戦の要は信長軍が浅井領を通るこっちゃ。具体的には高島郡や。そこまで協力しとるのに中立やんか。つまりはいつどこに転ぶかわからん状態や」

 結果としても離反されて敦賀からの撤退をやむなくされている。

「そんな危なっかしい状態やったらコトリは行かん。リスクの塊でしかあらへん」
「だから、そこに信長の計算違いがあったはずよ」

 なにを信長は期待して、

「あの作戦を本気でやるんなら浅井の協力が絶対の前提条件や。信長は若狭からでもかまへんけど、同時に浅井が刀根越で敦賀に攻め込むんよ」

 そうなっていたら朝倉でもあの時に押し潰されていたかも。まさか、まさか、まさか、信長が期待していた計算って、

「それはあると思うてる。力づくで状況を作り上げて強引にでも引っ張り込むや」
「信長の京都滞在は長いけど、この期間って浅井との秘密交渉をやってたかしれない」
「それに加えて交渉が進展せんから敦賀攻めの賽を振るかどうかも悩んどったかもな」

 それでも浅井は高島郡の通過を許してるけど、

「あれも政治の駆け引きの産物やろ」

 そっかそっか、若狭問題は将軍案件になっている側面もあったんだ。将軍の命令としては若狭の秩序回復で、これへの協力拒否は、これはこれでややこしい問題が生じるぐらいかも。

「浅井もどっか煮え切らんとこがあったと思うねん。将軍の命令を拒否したら信長との敵対まで覚悟せんとならん。浅井でも信長と単独で戦うには荷が重すぎるやんか」

 そうなると朝倉頼みになるけど、朝倉は朝倉で南で事を構えたくないぐらいか。

「そやから交渉上はあくまでも若狭限定みたいな作戦で信長も朝倉に説明しとったはずやねん」

 これも前に解説があったけど、これで結果的に朝倉の準備不足を招いて、手筒山城と金ヶ崎城をあっさり手渡してしまう結果になってるものね。

「こんなもん推測以外の何物でもあらへんけど、浅井のギリギリの妥協として若狭限定なら協力するぐらいやった気がする」
「だから信長が敦賀に攻め込んだのが離反へのトリガーになったと思う」

 信長が期待したのは、

「越前全部とは言わんでも敦賀を信長が抑えたら浅井は孤立無援になるんよ」

 そうだった。この頃の越前へのルートは必ず敦賀経由だった、この状況を回避するために離反となったのだけど、

「信長に全面協力になったら、北の織徳同盟状態に出来るやんか。浅井は朝倉、さらに加賀の南無阿弥陀仏軍団の最前線に立たされるからな」

 浅井の戦力が北に集中すれば北近江の脅威は軽減して南近江回廊の安全性が高まるってことか。

「そうしておいて信長は西に進むぐらいやろ」

 こんなもの高校生の亜美さんに解説するのは無理があり過ぎるよ。でもだよ、それ以前に無理があり過ぎる。

「そやから情しか考えられへん。それぐらい最後の最後で浅井長政は信長に尻尾を振るはずだの確信があったぐらいにしか言えんわ」

 そうなると信長の金ヶ崎での言葉が味わい深く感じてしまう。信長公記には、

『是非の及ばずの由』

 これも本当はどう言ったかなんかはわからないけど、ユリ的には、

『やっぱりアカンかったか』

 こう聞こえる気がする。それだったらもしかして、

「ああ、あると思うで。信長かって、それなりのリスクマネージメントとして浅井の離反を計算に入れとったはずやから、あれだけスムーズに撤退できてんやろ」

 歴史はロマンだね。

ツーリング日和14(第35話)三十階の夜

 コウもシドニーから帰ってきて、

「ユッキーさんから呼ばれてるんだけど・・・」

 ああ、あの話の続きだ。どこかのレストランかと思ったら、

「三十階に来てくれって」

 三十階って、まさかクレイエールビルの三十階じゃないでしょうね。

「そこだよ。ユリは初めてだったね」

 初めてもクソも、あんなところに入るのは皇居の松の間に入るより大変なところじゃない。

「松の間はボクも入った事がないな」

 コウならないか。ユリはあれこれあって、なにかあれば松の間とか竹の間だったものね。さて行くとなればTPOだけど、やっぱりロープ・デ・コルテで完全武装が必要なの?

「見苦しくない程度の普段着で良いよ。あそこは私宅だからね」

 そうは言うけど困ったな。約束の日が来てコウと一緒にクレイエールビルに。ここも中に入るのは初めて。かなり古いビルだそうだけど、何度も大改修がされてるらしくて、古さは感じないかな。受付に行くと、あれは霜鳥常務じゃない。

「ようこそ侯爵殿下。社長も副社長もお待ちです。コウも久しぶりだけど、入り方を覚えてるよね」

 侯爵殿下は頼むからやめてくれ。それはともかく、コウとエレギオンの女神は親しいのよね。これだけ親しいのにコウでさえ三十階の正メンバーじゃないらしい。正メンバーって誰だと思うもの。エレベーターに乗り汲むとコウがなにやら操作してた。そしたらどこにも止まらず三十階に。

 ここがエレギオンHDの心臓部、魔女の館とまで呼ばれるところ。三十階の様子はコウでさえ詳しくは話してくれないぐらい。まさに現代のミステリーゾーンだ。ドキドキしながら扉が開くと、

『コ~ン』

 これって鹿威しなのか。そしてエレベーターのドアの前には朱塗りの木橋がある。

「変わってないな。昔のままだ」

 橋の向こうに見えているのは、

「梅見門と光悦垣だよ。この辺はユッキーさんの趣味だ」

 門を潜るとふかふかの苔に飛び石があって、立派な格子戸の玄関がある。まずは御挨拶だけどドアホンが見当たらない。

「ここは勝手に入って良いんだよ」

 ホントに良いのかな。中は洋風みたいだけど、コウは手慣れた様子で靴を脱いで入り込むじゃない。廊下の突き当りのドアを開くと・・・うわぁ、豪華なシャンデリアにグランドピアノまで置いてある。ここは応接室なの?

「リビングだよ。ほらキッチンも付いてるだろ」

 オープンキッチンと言うより、あれだけ広ければ厨房じゃない。中に人がいるけど、

「ユリ、いらっしゃい。よう来たな」
「コウも久しぶり、適当にビールでも飲んでて」

 缶ビールでも出て来るのかと思ったけど、ビールサーバーが五本もあるじゃない。ここが三十階なの。

「ここも変わってないな。昔のままだ」

 この部屋のあのピアノでコウはユッキーさんからピアノのレッスンを受けたのよね。

「そうだ。でもあれはレッスンなんて生易しいものじゃなかった」

 コウだってそれまでにピアノのレッスンをして来ていたはずだけど、

「粗すぎて話にならないって言われてさ」

 コウのピアノのテクニックは世界でも指折りとされてるけど、

「ユリならわかると思うけど、ピアノを弾く時には誤魔化しがあるだろう」

 誤魔化すというか、曲の難度が上がるとどんな名人、達人でもミスタッチは避けられないのよね。それをカバーするのもテクニックになるけど、

「ユッキーさんはそれが嫌いでね」

 嫌いと言ってもネコふんじゃったを弾いてるのじゃないでしょ、

「ラ・カンパネラは泣くほどレッスンされたよ」

 あの超が付く難曲をミスタッチ無しで弾けるまで練習させられたって! そんなものは不可能でしょうが。

「ユッキーさんは出来た。出来ると言うより、それが当然みたいに弾いてたよ」

 どんな超絶レベルの話なんだ。だからこそコウのラ・カンパネラの評価があそこまで高いのか。そんな話をしていると、

「コウ、もうちょっと時間がかかるからBGM頼むわ」

 コウが弾き始めてしばらくしてから、

「お待たせ」
「ちょっと手間がかかってもた」

 テーブルにずらりと並ぶ料理のヤマ、ヤマ、ヤマ。

「ここのルールは遠慮せんこっちゃ」
「足りなければいくらでも作るからね」

 道理でツーリング中も良く食べるわけだ。コウがここでレッスンを受けていた時代の話を聞いてみたんだけど、

「とにかく雑で粗っぽくてヘタクソだったのよ」
「才能はあったけどな」

 ミスタッチの話は、

「あんなものミスする方がおかしいでしょう」
「そういうけど、練習させ過ぎて鍵盤が血に染まってもたやないか」
「あれはヘタクソだからマメを潰すのよ」

 どれだけ練習させたんだ。

「十時間ぐらいよ」
「なに言うてるねん。十六時間ぐらいやらせた時もあったやないか」

 こいつら殺す気か。コウも良く逃げ出さなかったものだ。

「そんなものさせるものですか」
「あん時は糸掛けとったんちゃうか」

 糸ってなんだ。それはともかく、逃げようとするコウを押さえつけてでも練習させたみたいだ。コウもピアノから戻ってきて、

「あの橋のところまで逃げたのだけど、そこで身動きが取れなくされて、そのまま一日放置されたりもあったよ。それだけじゃく、ユッキーさんの空恐ろしい睨みをどれだけ浴びせられたか」

 なんかよくわからないけど、スパルタなんてレベルじゃなさそうだ。でもホントにユッキーさんって上手なの。当時は上だったかもしれないけど、今は世界のコウだよ。

「いや今でもユッキーさんの方が上だよ」
「ユッキーのは神の業みたいなもんやからな」

 それだけ弾ければ、

「コトリの歴史趣味と同じ。楽しむだけのものだよ」

 コウが言うには、それこそ何をやらせても達者なんてレベルじゃないみたいで、

「料理だってプロも裸足で逃げ出すぐらいだし、遊びだって達者なんてものじゃない。ダンスを踊らせても、歌をうたわせても、そうそう羽子板とか、カルタだって」

 お正月にカルタ対決、羽子板対決をするのが恒例みたいだけど、

「あれは羽子板じゃないよ。バトミントンの世界選手権みたいだし、カルタなんて札が壁に突き刺さるのだから」

 なんだよこいつら。ところで他の三十階メンバーって、

「シオリちゃんのとこや」

 シオリちゃんって誰なの。

「麻吹つばさや。あそこのアカネさんとか、マドカさんとかや」

 麻吹つばさってあの光の魔術師の麻吹つばさなの。だったらアカネさんて渋茶のアカネの泉茜で、マドカさんって白鳥の貴婦人の新田まどかなの。

「みんなシオリちゃんの弟子や。もっともアカネさんは来るのを嫌がるけどな」
「マルチーズで揶揄いすぎたかなぁ」

 泉茜って犬は苦手なのか。

「最近やったらミサトさんも入ったな」

 ミサトって、実在する妖精の尾崎美里だって。フォトグラファーとしての超一流だけど、大ヒットした幻の写真小町の主演女優じゃない。ユリも見たけど、妖精って言葉がピッタリの美少女だったもの。

 美人と言うだけなら、麻吹つばさも、泉茜も、新田まどかもモデルじゃなくてカメラマンをやっている方が不思議なぐらいに綺麗なんだよ。それを言えばコトリさんだって、ユッキーさんだってそう。ここはなんてとこなのよ。

「ユリもコウの婚約者だから招待しておかなといけないと思って」
「新年会は家族連れでみんな来るから賑やかで楽しいで」

 夢前専務も霜鳥常務も当然メンバーなのか。そりゃ、女から見ても腰を抜かしそうな程の美人だもの。ユリなんかがこんなところに、

「侯爵殿下がなにを仰られます」
「恐悦至極に存じ奉ります」

 それはやめてくれ。ユリの生まれ持った災難なんだから。

ツーリング日和14(第34話)旅の終り

 朝風呂と朝御飯を頂いて出発。大原から出町に出て、

「ここが鯖街道の終点となってる」

 ここに塩鯖市場があったとか、

「そこまで調べてへんけど、行商人やからお得意さんのとこに行ったんちゃうか」

 それとこれも推測でしかないとしてたけど、塩鯖を売り払った後に京都で仕入れもしてたんじゃないかって、

「当時の京都ブランドは高いなんてもんやないからな。たとえば小浜を出る時に頼まれた物を買って帰るのはありやろ」

 行きは塩鯖を売って儲けて、帰りは京都の奢侈品を小浜で売っていたはありそうだ。商売人ならそれぐらいは誰でも思いつきそう。でもさぁ、やっぱり当時でも塩鯖は贅沢品だよね。

「やったと思うで。いくら人件費が安い時代でも若狭から運び込むんやからな」

 江戸時代版のクールじゃないけど宅急便みたいなものだよね。

「ほいでも塩鯖が定着したってことは・・・」

 京都は海から遠いから新鮮と言うか、生に近い海の魚はまず食べられないし、食べようと思ったら贅沢品だったはずだって。でも運び込んだら、運び込んだだけ売れたんだろうって。

 若狭から見たら塩鯖を運べば儲かるから、鯖の行商人も増えたはず。というか、小浜の塩鯖があれだけ儲かっているのを見て、高浜の塩鯖も売り込むために西の鯖街道も出来たとして良いはず。

「そうなったら運び込む塩鯖の量が増えるやんか。増えたら値段が下がるのが市場ってやっちゃ。そやけど値段が下がる分、買える客も増えるのが市場や。そうなった結果が京都のそこそこの家でもハレの日に鯖寿司食べる習慣が出来たんやと思うわ」

 てなことを最後に話しながら向かったのは京都駅。ここで亜美さんを下ろして、

「もう北井本家の連中は心配あらへん。なんかやりよったらユリに相談したらエエ。もしユリの手に負えんかったらコトリらがなんとかしたる」
「歴史の課題も頑張ってね。コトリったら、なんとか亜美さんを歴女の世界に引っ張り込もうと懸命だったもの。少しでも参考になってくれたら嬉しいわ」

 亜美さんは新快速で敦賀に向かい、コトリさんたちは、

「亀岡から篠山まわって帰るわ」

 ユリは高速で帰る事にした。これで一連の騒動もおしまい。コトリさんたちに感謝してる。ユリだけなら北井本家をなんとかするのは無理だったもの。それにしても茅ヶ崎竜王がよく来てくれたものだ。

「あれか。まあ旅の仲間ってのもあるけど」
「竜王に指してもらうのだから誠意を見せたよ。結衣ってね、ああ見えてゼニに転びやすいのよ」
「ああ、タイトル戦の賞金が安いってボヤいとったからな。コトリも竜王戦や名人戦はともかく、他のタイトル戦の賞金聞いて笑たもんな」

 いくら払ったかは聞かない方が良さそう。そうそう亜美さんをタンデムまでしてツーリングに連れて行った理由も聞いたんだけど、

「ツーリングの楽しさを味わってもうてバイク好きを増やしたいのもあったけど」
「魔除けね」

 コトリさんたちとこれだけ親しい仲であるのを見せつけるためだって、ここまで見せつけられて亜美さんに手を出したら、北井グループが潰されたっておかしくないか。

「ユリもね」
「こっちはついでや」

 はいはい。ところでコトリさんの歴史ムックは面白かったんだけど、一つ抜けてる気がするんだよ。あれをどうして話さなかったのかな。

「時間があらへんかった。若狭の情勢の話だけでも煩雑やったのに、そこまでやったら長すぎる」
「それに全部推測の積み重ねだけの話だもの」
「またコウも交えて話するわ」

 今回は尻啖え孫市批判が多かったけど、

「歴史小説家は歴史研究家やないねん。歴史小説は史実を基にした物語やけど、別に史実の真相を追求するわけやない」
「そうよ司馬遼太郎が甫庵信長記を史実としたのを批判するのは良くないよ」

 ただ、

「やっぱり司馬遼太郎の持ち味が発揮されるのは時代小説やと思う」
「代表作はそっちに傾いている気がする」

 ヒット作が多すぎてどれが代表作かは意見が分かれると思うけど、ユリがパッと思いつくのなら龍馬が行くとか、燃えよ剣とか、峠かな、

「峠の河井継之助は渋いな」
「でもだよ。ユリが挙げた作品って、主人公の足跡が断片的にしかわかってないものなのよ。つまりは史実という点と点の間がやたらと広いのよ」

 そこに作者が思う存分、腕を発揮できるのか。

「そやけど歴史小説家というより、歴史研究家に傾いて行ったよな」
「ああなってしまうのもわかるけど、坂の上の雲は無理があったんじゃない」
「正岡子規でやめるべきやったかもな」

 坂の上の雲も代表作だけど、この頃の一連の大長編への評価は辛そう。

「重いんよ。司馬作品のホンマのおもしろさは軽やかさやと思うねん。次の展開にワクワクしながらページを突き進んでいく魅力や」

 尻啖え孫市はそうだった。

「あの辺は歴史探求に重心が移ったのもあると思うけど」
「ああ、どうしても出るやろ。いや、あれでもマシな方や」

 司馬遼太郎は従軍経験がある。そりゃ、現役陸軍少尉で終戦を迎えてるもの。敗戦の経験は大きな影響を誰にも及ぼしている。それぐらい巨大なものだったらしいけど、

「あの時代の空気は、あの時代を生きた者しか最後のとこはわからん。それが時代や」
「その時代の正しさってのがあるけど、時が過ぎればわからなくなるものよ」

 こいつらどれだけ知ってるんだ。

「戦争って重いよね」
「ああそれに絡む政治もな。あんなもんに二度と触れたないわ」
「わたしも。やっと縁が切れたものね」

ツーリング日和14(第33話)長秀と光秀

 部屋に戻って恒例の酒盛りの続き、

「おつまみにおばんざいとお味噌もらってきた」

 お味噌を舐めながらお酒を飲むみたい。まあイイけどね、

「そういうけど、もろきゅうってあるでしょ」

 ちょっと違う気もするけど、もう一つ聞いておきたいことがある。今日の話でビックリしたのは若狭でも合戦があったらしいこと。そんなものどこに証拠があるのだって話じゃない。

「あるで信長公記や」

 そんなものあったっけ、敦賀には攻め込んだ話はあったけど、若狭は通り抜けただけじゃない。そこでコトリさんが示した個所は、四月三十日の朽木越の続きで、

『是より、明智十兵衛、丹羽五郎座右衛門両人若州へ差遣はされ、武藤上野人質執り候て参るべきの旨御諚候。則ち武藤上野介母儀を人質として召し置き、その上、武藤の構破却すべし』

 なんだなんだ、敦賀からやっと逃げ帰ったばかりだと言うのに、長秀と光秀はまた若狭に派遣されたって言うの。これってブラック企業も良いところじゃない。信長ってムチャクチャな命令を出すこともあるらしいから、これもそれなのか。

「ここも取りようが二つあるんやが、一つはユリが思ったやっちゃ。その場合やけど、次のとこもセットで読んどかなあかん」

 次ってここか、

『五月六日、はりはた越にて罷上げ、右の様子言上候』

 えっとえっと、針畑越で長政も光秀も京都に戻って来て使命を果たしたと報告したぐらいになるけど、ちょっと待ってよ、京都に戻ったのが信長と一緒でも四月三十日の夕方か下手すりゃ夜じゃない。

 五月一日に京都から若狭に出発したとしても、片道十八里の往復三十六里なんだよ。針畑越だから馬で駆け抜けるなんて出来ないから、どんなに急いでも三日ぐらいかかるはず。それだったら若狭にいられるのは長くて二日ぐらいじゃない。

 その間に武藤上野介の母親を人質に取って、武藤の城を壊しちゃうなんて超人技じゃないの。長秀と光秀は空も飛べるスーパーマンだったとでも言うの!

「そういうこっちゃ、絶対に遂行不可能な命令や。だから読み方を変える必要がある。まずやけど、長秀と光秀に命令が出されたんは四月三十日とするやんか」

 だから京都で命令をもらっても実行なんか出来るはずないじゃない。

「この日やけど信長が朝までおったんは熊川宿の可能性が高いやんか」

 それはさっきやったけど、

「そこで下した命令と見るんよ」

 なるほど。それなら可能性が出てくる。でもあんな状況で、

「だから見栄張って逃げるためやろ。もともとの大義名分は武藤上野介の征伐やん。信長の別動隊が動いとったはずやけど、たぶんやけど、本隊が朝倉を追いつめて行ったら、自然に降伏するぐらいの目論見でゆるゆる動いとったんちゃうやろか」

 信長が熊川宿まで来たのが四月二十日だけど、先発隊はどうだろ、その何日か前に若狭に入って小浜方面に動いていたのかもしれない。でも信長が敦賀に攻め込んだたった三日後に事態は急変する。浅井の離反だ。

 信長は若狭に撤退して来てまだ武藤上野介のカタが付いていないことを気が付いたぐらいかもしれない。これを撤退戦の最中に遂行させるために選ばれたのが長秀と光秀だったのか。それにしてもキツイ条件だな。よくこんな状態の中で出来たものだ。

「そう見えるか。まず武藤上野介の力がどれぐらいかやったになるんやが・・・」

 若狭の四老の一人だから十万石ぐらい、

「あのな。若狭全部で八万五千石しかあらへんねんぞ」

 それぐらいの国だったのか。だったら一万石ぐらい。

「はっきりせえへんとこもあるけど三千石とか四千石ぐらいで良さそうや」

 たったの。だったら動員兵力は、

「どんなにかき集めても二百人ぐらいちゃうか。もっとも、自前だけやのうて周囲の国人衆とか、地侍の応援もあるかもしれんが、信長軍の脅威が迫る中でそんなに集まるとは思えへん」

 佐柿の粟屋越中守でも地侍二百人に百姓六百人って話もあったものね。そこに千人とか二千人で攻め寄せられたら、

「普通は勝てん。そやから信長が出したんは和睦条件や」

 信長にしてものんびり包囲戦はしたくないだろうし。でもさぁ、自分の母親を人質にして、城まで壊されちゃうんだよ。

「ここも読みようやが、武藤上野介は殺されてへんどころか、領地も取り上げられてへん。差し出す人質かって息子やのうて母親や」

 でも城は壊される。

「ここは壊す約束をすると見たいわ」

 そうなると実質の和睦条件は母親を人質に差し出すだけか。

「名を取って実は捨てるでエエと思うねん。言い出したらキリあらへんけど母親かって本物かどうかはわからん」

 これを四月三十日から五月四日ぐらいまでにまとめあげ、針畑越で京都に戻って来て信長に報告したって話なのか。この針畑越の話って、尻啖え孫市の話の筆者注にあった話のモトネタとか。

「わからん。そやけど司馬遼太郎が甫庵信長記をタネ本の一つににしてるのだけは間違いあらへん」

 秀吉が金ヶ崎に残るシーンは信長公記なら、

『金ヶ崎之城に木下藤吉郎残しをかせれ』

 たったのこれだけなのよね。だからあれこれコトリさんは想像の翼を広げたんだけど尻啖え孫市なら、

『・・・藤吉郎は末座から進み出た』

 要は秀吉が自ら進み出て金ヶ崎城に残った話にしている。これが甫庵信長記なら、

『木下藤吉郎秀吉進み出て申されけるは某残りべく申し候・・・』

 もちろん歴史小説ならこれぐらいの脚色は余裕でOKなんだけど、

「金ヶ崎に志願して残った秀吉に、自分の部隊の手練れを分けるシーンも甫庵信長記にあるねん」

 ホントだ。これってパクリとか、

「厳密にはそうなる。そりゃ、甫庵オリジナルみたいなとこやからな。そやけどちゃう気もするねん」
「そう言えば、秀吉が志願して残った点を司馬遼太郎は手放しどころでない大絶賛なのよね」

 そうだった。尻啖え孫市には、

『この言葉の重大さは、三百九十年を経て泰平の畳の上でこの本を読んでいる読者には、おそらく千万言を費やしてもわからぬであろう』

 甫庵信長記はその代わりに、義経記で佐藤忠信が奮戦する名場面を引用して褒め称えているかな。ここは読みようかもしれないけど甫庵が秀吉を絶賛したから司馬遼太郎も表現を変えて絶賛しているようにも見えるよね。

「まずやけど甫庵も信長公記をタネ本にしてるんよ。つまりやけど『金ヶ崎之城に木下藤吉郎残しをかせれ』からの甫庵の脚色や。そやけど司馬遼太郎は甫庵信長記を史実と思い込んどった気がするねん」

 全部推測に過ぎないけど、当時の歴史常識の限界だったかもしれないって。現在のように史実を推測するのに信長公記をベースにする考え方がポピュラーじゃなくて、甫庵信長記こそが史実であるとしてたぐらいかな。

「断っとくけど司馬遼太郎を責めてる訳やない。あの頃やったら、甫庵信長記を読んでタネ本にしてるだけでも十分やねん。歴史の見方は時代で変わるからな」

 だったらだったら常楽寺から刀根越で敦賀に攻め込む話も甫庵信長記がタネ本だったとか。

「あれはどこからかわからんかった。甫庵信長記でも熊川宿から佐柿やねん。強いて言うたら、三年後の越前攻めがそっちやったから、混同しとった可能性があるぐらいや」

ツーリング日和14(第32話)あの歴史的エピソードは?

 京地鶏は美山ですき焼き食べて以来だけど美味しいな。亜美さんもパクついてるものね。

「足らんかったら、なんぼでも追加するから遠慮せんでエエからな」
「食べなきゃ、大きくならないよ」

 あれだけ食べても大きくならない見本がユッキーさんだけどね。今日は朽木も訪れたのだけど、朽木と言えば金ヶ崎の退き口でも有名なエピソードがあるじゃない。信長の通過を朽木氏が渋って、松永久秀まで説得にあたったとか。でもコトリさんはなぜか触れもしなかったのよね。

「あの話ね」
「なかったんちゃうやろか」

 はぁ、あれも金ヶ崎の退き口に欠かせない話じゃない。ちなみに信長公記には、

『四月晦日、朽木越をさせられ、朽木信濃守馳走申し、京都に致つて、御人数打納れられる』

 こうだけど、

「ほら見てみい、なんも書いてあらへんやんか」

 あのねぇ、信長公記の資料性は高いのは学んだけど、書いてなければ起こっていないの意味じゃないでしょ。そこまで言うなら根拠を出しなさいよ。

「日取りや。四月三十日で確認できるんは、朽木谷を通り抜けた事とその日に京都に戻った事と読むべきやと思う」

 まあそうだけど、

「そう考えた時に四月二十九日はどこに泊ったかになる」

 コトリさんの推測なら二十八日が佐柿だから、二十九日は熊川宿ぐらい。

「コトリもそれぐらいが可能性が高いと考えとるねんけど、熊川宿から京都まで一日で行くのは遠いんよ」

 だったら朽木谷。

「泊まれるぐらいやったら、あんなエピソードは出えへんやろ」

 そうだった。やはり朽木谷は通り抜けただけだと考えるべきだ。そうなると熊川宿になるよな。だって寒風峠とか、水坂峠に野宿したとするのは無理あるし、保坂なら民家もあっただろうからマシだけど、

「そういうこっちゃ、高島郡は浅井の勢力圏内や。あの状況で野宿はしたないわ。それやったら朽木に泊るで」

 新暦で六月の話だから日は長いとしても、熊川宿から京都まで行こうと思えば時間的に余裕がないのは確かだ。

「ノンビリ交渉なんかやっとったらタイムアウトや」

 だよな。行って五分や十分で済むものじゃないものね。使者の行き返りとかの時間とか考えると一時間や二時間ぐらいはすぐに経っちゃうよね。

「前提みたいな話になるんやけど・・・」

 信長も信長軍も西近江路から今津に行き、九里半街道で若狭に行ったのは間違いない。また補給路として琵琶湖の水運を活用していただろうもわかる。でもそれとは別に京都への連絡路として若狭街道も抑えていたはずだは十二分にありうると思う。

 若狭街道でポイントになるのはやはり朽木谷。それ以南の状況はわからないけど、六角氏が滅んだ時点で信長の勢力圏になっていてもおかしくなはず。ひょっとしたら若狭街道で最大の独立勢力だったかもしれないよね。

 ただ独立勢力と言っても、朽木氏の力は小さくて、浅井や信長と単独で戦えるようなものじゃない。位置的に両巨大勢力の中間だから、どちらかに付かないと滅ばされるぐらいのはず。

「浅井と朽木の関係が決裂したんも信長の工作ちゃうか」

 浅井氏が一五六六年に高島郡を勢力圏内にした時に、朽木氏は浅井氏に人質を出して、浅井に従属するって起請文まで交わしてるらしい、

「起請文を交わしたんが一五六八年やねんけど、まもなく破棄したとなってるねん。破棄するのは浅井に喧嘩売ってるようなもんやけど、喧嘩売っても問題があらへん状況になったと見るべきやと思う」

 つまりは浅井と手を切り、信長と結んだってことよね。なのにあのエピソードが生まれたのは、

「可能性としては浅井の謀略はある」

 あれだな、噂を流すってやつ。でも状況が状況だから信長だって信じそうじゃない。

「そやけどな、もう一つのタイムスケジュールが絡んで来る」

 これはコトリさんの仮説ではあるけど、四月二十八日に信長は金ヶ崎から佐柿に遅くても十時ぐらいには到着して、そこで撤退してくる信長軍を出迎えたのじゃないかとしてた。これは激励もあるだろうし、信長健在を見せる意味もありそうだ。

「ほいでやな。佐柿に泊って翌日に熊川宿に移動するにしても余裕があるやんか」

 うん、一刻を争って逃げるって感じじゃないよな。

「信長が先頭やないと思うんや」

 あっ、そっか。金ヶ崎から佐柿へは先頭で撤退したとしても、熊川宿から京都は必ずしも先頭を切る必要はないのか。つまりは信長に先行する露払い部隊がいてもおかしくないよな。露払い部隊は朽木谷に四月二十九日に到着していたとしても不自然とは言えないもの。

 朽木氏の当時の所領ははっきりしないそうだけど、秀吉時代に九千二百三石二斗てのがあるそう。つまりは一万石程度だから総動員しても五百人ぐらいしかいないだろうって。

「たとえばやが、朽木に来た信長の露払い部隊が二千もおったら震えあがるで。朽木信濃守は熊川宿は大げさでも保坂ぐらいに出迎えてても不思議あらへん」

 それだったら朽木谷は信長軍の占領状態みたいなものじゃない。

「そやからあんな話が広がって残ったんちゃうか。そうされたんは寝返りの噂があったからやって」

 そう言えば、その後の朽木氏冷遇話は、

「あれは朽木通過がネックになったの前提の話や。そやけど普通に通しただけやったら、褒美もない代わりに罰もあらへん。そやから潰しもしとらへんやんか。それから出世せんかったんは、朽木信濃守がその程度の人物やったぐらいでエエんちゃう」
「戦国時代の褒美は戦場の勝ち戦じゃないと原則的に無いのよ。負け戦でいくら頑張ってもなんにも貰えないってこと。だから負けだすと一挙に崩れることが多いのよ」

 なるほどね。命を懸けるからには御褒美が期待できないところでは働かないってことか。金ヶ崎の退き口の御褒美ってあんまり聞かないものね。

「秀吉に黄金数十枚を与えた話があるそうやけど、あれかって怪しいもんやし、秀吉以外になると話すら残ってへん」
「とにかく防衛戦は不利だったのよ。御褒美の原資は切り取った敵の領地だもの。守ってばかりじゃジリ貧になっちゃうの」

 なるほどね。戦国経済学みたいなものか。

「秀吉は忠実すぎて朝鮮まで攻めちゃったぐらいじゃない」
「信長かって攻めるとこがのうなったら、何やったかわからんで」

 そこまではともかく、そういう活躍が朽木元網にはなかったのかもしれない。それでも将来を信長に賭ける眼力ぐらいはあったのかも。