ツーリング日和12(第2話)津山

 津山は岡山第三の都市で人口は十万人。岡山県北部と言うか、美作の中心都市。シンボルになる津山城に来てる。

「久しぶりやな」

 クレイエールの昭和の社内旅行以来だものね。あの時はわたしは湯原温泉だったけど、

「コトリは湯郷やった」

 井倉洞、満奇洞をセットにするのが定番だったかな。ちょうど中国道が出来たから関西からでもお手軽に来れるぐらいでなってた感覚だったはず。

「コトリもそんな感じやった」

 まだまだ貧しい時代で社内豪華旅行が売りに出来たし、

「農協ツアーも元気いっぱいやったな」

 農協ツアーが国内だけでなく、海外にも旅行にしてたのなんてどれぐらいの人が覚えてるのだろう。農協ツアーに代表されるけど、当時は旅行と言えば団体旅行だったもの。そんなことはともかく、立派な城よね。

「津山城を築いた森氏も、後を継いだ越前松平氏も治世の評判は良うあらへんけど、これだけの城を築いて城下町を整備したから今の津山があるぐらいは言えるやろ」

 明治の廃城令で建物は跡形も無くなってるけど、天守閣には有名な伝説がある。津山城の天守閣は四重五階建てなんだけど、復元図を見ればわかるけど四重目が不自然な造りになってるのよね。これは五重の天守は宜しくないの幕府の命令があって、大急ぎで四重目の屋根瓦をぶっ壊して、

『あれは屋根ではなく庇だから、五重ではなく四重である』

 強弁というより詭弁で押し切ったからだそう。たっぷり賄賂も贈ったと思うけどね。それとだけど津山城の規模も大きいのよね。城内の建物の数が七十七棟あったそうだけど、これは広島城や姫路城よりも多かったんだって、

「無用の長物やねんけどな」

 結果的にはね。海内無双とまでされた大坂城が落ちてから本格的な籠城戦なんてあったかな。

「戊辰戦争の会津城と西南の役の熊本城ぐらいやろ」

 そんな気がする。それでも大名の見栄と言うか当時のトレンドで立派な城は作られたのよね。

「観光資源になっとるからエエやんか」

 そうなるか。この津山のグルメだけど、これがちょっと変わっていて牛肉なんだよ。江戸時代は肉食が原則として禁止されてたけど、彦根と津山は肉食文化があったそうなんだ。そずり鍋とか、

「干し肉はお土産に出来るな」

 津山での干し肉の食べ方だけど、そのままかじりつくには固すぎるから薄くスライスするんだけど、これを焼いて食べると美味しいそう。

「他にもホルモンうどんとか、デミカツ丼とか、煮凝りとか、普通に焼肉とかしゃぶしゃぶとか」

 津山には牛馬市が立っていたからそうなったとも言われてるけど、どうして肉食が定着したかはよくわからないみたいだ。だって牛馬市なんか日本中であるものね。さて今日の宿だけど、

「近いで」

 津山から国道一七九号を北上。津山市街はさすがに交通量はあったけど、北上するにつれて空いて来てる。空いてきたら信号も少なくなって快適だ。トンネルを抜けると後1キロって表示が出てるな。

「国道下りるで」

 あそこだな。この辺から温泉街のはずだけどまだ普通の田舎町だよ。橋を渡ったけど、道は三方向になってるじゃない。

「左に行くで」

 曲がったらあった。へぇ、これはなかなか風情があるじゃない。玄関の唐破風もサマになってる和風旅館だ。昭和二年に建てられた登録有形文化財とは嬉しいね。玄関も赤絨毯がハマってる感じがする。全八室で泊まる部屋は八畳でトイレ付き。二人で泊まるには余裕の広さだ。

「まず風呂やな」

 ここの名物の鍵湯に。湯船の底がおもしろいよ。自然の川底を活かしてるんだって。

「底から温泉が湧いてるんやて」

 イイね、イイね。これこそ温泉の原型だよ。お湯はまさに透き通る感じ。神戸からのツーリングの疲れが癒されていく。やっぱり温泉は最高。これが楽しみで走ってるところもあるものね。

 ここもお食事処だけどシックだけどテーブルに椅子になってるな。これはこれで悪くない。さてお品書きがあるけど、これは、

「美味しいけど・・・」

 一品、一品に不満はないけど、

「瀬戸内産のヒラメとシマアジ、境港のシロイカか・・・」

 宮崎の一ノ瀬川の天然アユだものね。

「う~ん、鱧鍋に宮崎牛の和風ステーキねぇ」

 美味しいのよ。味には不満はなけど、こういう献立って神戸でも食べれるのよね。やっぱりさ、美作って山国じゃない。山の中で海の幸に舌鼓を打つってどうしてもね。

「根本的には山の幸の方が難しいもんな」

 だと思う。山の幸で思い浮かぶのはキノコだとか、野草だとか、特産品の野菜にならざるを得ないとこがある。メインになる魚だって、

「岩魚か鮎、あとは鯉ぐらいか」

 モズク蟹とか鱒もあるだろうけどバリエーションは小さくなるものね。

「後はジビエやが・・・」

 猪、鹿、鴨ぐらいは思い浮かぶけど、これも安定して取れないと出しようがない。奥津温泉だって冬になれば牡丹鍋ぐらいは出ると思うけど、

「津山には特産品は、あんまりなさそうやねんよな」

 津山は牛肉食は特徴ではあるけど、津山牛みたいなブランド牛は確立していると言い難い。だから出されてるのは宮崎牛だものね。でもさぁ、でもさぁ、奥津温泉みたいな山奥の温泉だから、もう少し山の幸を頑張って欲しかったかな。

「無いものねだりと言われそうや」

 まあそこになっちゃうのはわかる。地産地消って簡単に言うけど、地産で賄えるかどうかはなにがどれだけ獲れるかで左右される。とくにこういう旅館料理は売り物になるような特産品とか、名産品がないと苦しくなるもの。

「旅する者は贅沢やからな」

 だって、だって、休みをやっとこさ確保して泊った宿じゃない。この情緒にマッチした料理を食べたいじゃない。

「コトリもそうや。やっぱり海の幸がラクやな。そやけど酒はいけるで」

 それはわたしも。酒造好適米と言えば山田錦が横綱みたいなものだけど、雄町で造った地酒はなかなかよ。この雄町も伝説的な酒米で、安政六年に大山参拝の時に持ち帰った二本の穂から出来上がったそう。

「山田錦や五百万石の親みたいなもんや」

 大山にあった元がどうなった気になるところだけど、消えちゃったんだろうな。

「たぶんな。そやけど雄町の発見で日本酒の味は格段に向上したはずや」

 米があれば酒は造れるけど、山田錦や五百万石、雄町でない米とは差があるはず。もっとも使った米までわかる人間は、

「マイぐらいやろ、あいつやったら精米率どころか酵母までわかりよるわ」

 ついでに言ったらどこの水かもね。色々言ったけど静かで良い旅館だ。

ツーリング日和12(第1話)西へ

 ポーアイからどこにツーリングに出かけようと思っても、まず立ちはだかるのが神戸市街になる。そういうところに住んでるからになるのだけど、いかにして神戸市街をスンナリ抜けるかがツーリング初日の課題かな。

「今日は港島トンネルから山麓バイパスで行くで」

 六甲山トンネルにしなかったのか。山麓バイパスは新神戸から白川に抜けるバイパス。そうだね、西神ニュータウンから神戸市街へのバイパスぐらいに思えば良いかもしれない。ちなみに新神戸トンネルと入り口は同じで、

「左に入るで」

 途中から道が分かれてる。通行料金は驚異の二十円。安いにのは嬉しいけど料金所が面倒なのよね。原付にETCなんかないからポケットに突っ込んである小銭を引っ張り出すのだけど、グローブをしたままだと出しにくくて困るのよ。二十円ならタダにしろと思っちゃうもの。

 山麓バイパスは神戸の西側の市街を避けてくれて、旧西神戸有料道路に接続してくれる。旧西神戸有料道路からも四車線の道が西神中央まで続いている。ラッシュ時さえ外せば交通量こそ多いもののスムーズに走れる事が多いかな。

 西神中央でニュータウンが終わると国道一七五号を横切って神出の田園地帯の道を走り上荘橋を目指す。加古川を渡らないといけないからね。橋を渡って権現湖沿いを北上する県道七十九号もあるけど、

「加西に出る県道四十三号で行くで」

 今日はこっちだろうな。県道四十三号を北上すると山陽道を潜って加西市内に入って行くのだけど、丸山総合公園のところで県道二十三号に合流してくれる。この県道二十三号に入るのが今朝の一つのポイントなんだよね。六甲山トンネル越えでも、吉川から社に抜けて行けば同じぐらいで着くのだけど、

「気分転換もあるけど、あっちはチトややこしい」

 今日はこれで正解だと思う。

「ひと休みにしょ」

 ここは和菓子屋だな。葡萄のブッセは美味しそうだな。コトリはイチゴのブッセにしたね。なるほどイートインコーナーもあって、ここで食べるとお茶とワラビ餅が出て来るのか。

「かしわ餅も食べようや」

 ここのかしわ餅は面白いな。漉し餡の白いのと粒餡のよもぎ餅があるんだな。よもぎ餅の粒餡はなかなかじゃない。トイレ休憩も済ませて、そろそろ九時半か。加西からは中国道沿いに西に、西に。福崎、夢前、山崎と抜けていくのだけど、のじぎく県も広いよ。まだ県内だものね。

「お昼は?」
「平福の予定や」

 平福まで行ってもまだのじぎく県だもの。

「次の信号左や」

 地名じゃなくて国道三七三号って書いてあるのがなんともだね。走るのは県道四四三号か。曲がったらいきなり道が狭くなったじゃない。それも山に進むにつれて一車線半も怪しいよ。

 まあ路面はそこそこだし、カーブもそんなにキツクはないけどクルマじゃ走りたくない険道だよこれ。幸い十分ぐらいで二車線の道に戻ってくれた。また狭くなったけど行き先表示の国道三七三号に入り鳥取道を潜って道の駅平福へ。

「お昼にしょうか」

 珍しく二人そろって鹿コロッケ定食にして昼休憩。

「利神城も登ってみたいが無理やな」

 さすがにね。平福もかつては宿場町、さらには水運の中心地として栄えた街でかつての雰囲気を残しているけど、今日はパス。まだまだ先が長いもの。

「ナビで一時間程になっとるけど、とりあえず険道っぽい」

 コトリによるとガチの険道じゃないそうだけど、一車線半から狭いとこでは一車線の道が続くのが県道一六一号だそう。

「国道四二九号まで抜けたら津山までは心配ないはずや」

 へ、へぇ~い。走ってみると道幅が狭い分は気を使うけど、登りがキツイわけじゃなく、カーブも緩やか。クルマも少ないからバイク乗りには楽しい方の道じゃないかな。一車線の細い道の途中についにあったぞ。

「やっと岡山県に入ったで」

 高速使ったらもっとお手軽なんだけど、これは小型の下道ツーリングだから仕方がない。これはこれでツーリングの醍醐味を味わえてるけどね。

「そやで、なんか遠くに来たって感じがエエやんか」

 わたしもそう思う。旅の醍醐味の感じ方は色々あるけど、見ず知らずの土地に足を踏み入れる感覚が好き。これは近場のツーリングでもそれなりに味わえるけど、何時間も走ってたどり着く感じはたまらないものがあるのよね。

「そやな。とくに泊りやったら帰りを気にせんと先に、先に行けるもんな」

 旅ってワクワクするのだけど、帰路ってやっぱり物寂しいもの。日帰りだったらお昼を食べたらもう帰るになってくるものね。

「そんなとこあるもんな。日が傾き出すと気ぜわしゅうなるし」

 泊り、とくに何泊も重ねる旅はちょっとした冒険気分になるのよね。でもあんなところ良く見つけたね。

「タマタマやけど、神戸からでもコトリらのバイクやったら近くて遠いわ」

 高速使えたら深夜に出発して昼頃に到着出来るみたいだけど、小型じゃそうはいかない。

「その分、寄り道増えて楽しいやん」

 岡山と言えば桃太郎になるけど、今走っているのは同じ岡山でも美作だから関係ないか。

「おいおい、ユッキーらしくあらへんな。美作も吉備やで」

 あっ、そうだった。吉備も古代王権の地。この辺は歴史の彼方に消えてしまっている部分もあるけど、ヤマト王権と並立した王権として筑紫、出雲、そして吉備があるのは常識よね。

「吉備は持統三年に備前、備中、備後に三分割されて、さらに和銅二年に備前から美作が分割されてるからな」

 古代吉備王国は現在の岡山県を中心に成立していて、東側は加古川まで勢力を広げていたともされてるんだっけ、

「その辺は播磨には出雲も勢力を伸ばしていたはずやから、なんとも言えんとこが残るんやけどな」

 播磨の古称は針間なのよね。この国名の由来として、姫路平野に流れ込むのは揖保川、夢前川、市川があるけど、とくに揖保川の上流域に原初の播磨が成立したからとされている。その傍証として播磨一之宮は揖保川の上流にある伊和神社なのよね。

「伊和神社の祭神は大己貴神やんか。伊和大神とも国堅大神とも呼ばれるけど出雲系や。ついでに言うたら雌岡山の神出の由来も出雲系や」

 コトリは吉備は播磨西部に進出していたとは見てるけど、千種川の流域までじゃないかと考えているよう。千種川は揖保川のさらに西側を流れていて、平福や佐用を通り赤穂から瀬戸内海に流れている川だよ。

「吉備と言えば鉄やんか。千種鉄は関係しとると思うで」

 その辺は本当に歴史の霞の彼方なんだよね。話は戻すけど桃太郎が征伐に行った鬼ヶ島はどこなの?

「通説では女木島やけど・・・」

 女木島は高松の北側にある島で、鬼の本拠らしく鬼ヶ島大洞窟もあるのよね。

「他にも島やあらへんけど鬼が城の説もあるわ。そやけど女木島は遠い気がするし、鬼が城はそもそも島やあらへん」

 桃太郎はお伽噺だけどこれを史実を踏まえた伝承とすると、誰かが敵対豪族を滅ぼした話になるはずだけど、

「そういうこっちゃ。女木島まで岡山から遠征軍を送り込むのやったら、高松に勢力を広げてるはずや」

 そうなるはず。女木島まで進出して高松に行かないのは不自然過ぎる。それに吉備は古代王権の地だけど讃岐が支配下にあったとか、吉備に対抗する勢力が存在した話も残っていないもの。

「讃岐も古いとこやけど、桃太郎伝説の頃は未開の地やったんかもしれん」

 讃岐だって奈良時代末期には空海を産み出すほどの文化の高さがあったけど、古代王権が成立するほどの古さはなかったとして良い気がする。

「そやからもっとスケールの小さいというか、現実的なスケールの話やと思うとる」

 隣接勢力の併呑ってやつね。コトリはどこだと考えてるの。

「児島や。あそこも古代は島やったやんか」

 あっ、吉備の穴海か。古代の岡山の南部は海だったのよね。だから児島は完全に島。それも児島を抑えられると吉備は瀬戸内海に出られない地形だ。

「児島を本拠地とする豪族がおって、交易で富を蓄えとったと見たいとこや。吉備はこれを併呑して海の利権も手に入れた伝説ちゃうやろか」

 もっともだけど桃太郎伝説自体も吉備王権の話なのか、吉備を併呑したヤマト王権の話なのかもはっきりしないとこがあるのよね。ヤマト王権の話とすれば、追いつめられた吉備王権の最後の拠点が児島だったとも見れてしまう。

「ああそうや。その辺はゴッチャになっとるかもしれん。吉備が児島を征服した話もあったけど、ヤマトが吉備の残党を掃討した話もあったかもしれん。両方の話が一つになって桃太郎伝説になったかもな」

 吉備もそうだけど古代の文献記録が残ってないのよね。あったかもしれないけど、古事記や日本書紀が成立した頃にヤマト王権に没収され、失われてしまったぐらいしか言えないもの。

「古事記や日本書紀は世界に誇れる歴史書や。とにもかくにも残ったからな。そやけど勝者の歴史書やねん。もっとも敗者の歴史書なんか、それこそ滅多にあらへんけどな」

 ヤマト王権が勝ち残った理由さえ不明だものね。

「後付けの理由はいくらでも建てられるけど、それこその人物史的なものの気がするわ。合戦の帰趨で国の命運は変わるからな」

 古代ペルシャがマケドニアに滅ぼされたようなものかも。国の規模だけなら古代ペルシャの方が強大だったはずだけど、アレキサンダー大王が一人でインドまで攻め取ってしまったもんね。

 そういうことは歴史ではしばしばあるし、古代エレギオンみたいなとこに住んでたからリアルタイムで見てるもの。というか、国が興隆する時に稀代の英雄が出現するのも歴史だよ。

「あえて言うたら吉備は豊かやったんやろ。豊かな国の兵より、貧しい国の兵の方が強いからな」

次回作の紹介

 紹介文です。

 隠岐にツーリングに出かけたコトリとユッキーがフェリーで見かけたのがドカの女。西郷の宿で再会したのですが、これがなんと女優の三田村風香でした。


 三田村風香と言えばハリウッド映画にも出演してアカデミー賞で助演女優賞を取ったほどの名女優。島前でマスツーすることになったのですが、風香はどうにも魔性の女である感触を抱いていきます。そう、風香はなんらかの目的をもってエレギオンHDの社長と副社長に接近してるに違いないと。


 風香の狙いはなんなのか。コトリとユッキーはどう動くのか。

 ツーリング日和シリーズを続けるにはツーリング先を見つけると言う難作業が待っています。あれこれ探しているうちに見つけたのが隠岐です。動画もいくつか上がっていて、隠岐なら神戸からでも行けるじゃないかと取り上げました。

 ですが隠岐は遠かった。このシリーズの弱点となっている小型バイクの設定です。隠岐も高速を使えば大阪からでも1日で行けるところではあるのですが、下道専科の小型でのツーリングですから、果てしない距離になるって感じです。

 そこで開き直って二泊取って奥津温泉から蒜山、大山と回るツーリングにしてみました。隠岐のツーリングも大変で、あそこは大きく分けると島後と同然に分かれるのですが、隠岐に渡るのも、隠岐の島々を巡るのもフェリーになります。

 それでも知夫里島はかなりの絶景として良さそうです。絶景であるだけでなく、他ではまず見ることが出来ないお馬さんや、牛さんとの接近遭遇もあります。おそらく自分で行くことはないでしょうが、ツーリングコースとして取り上げられるだけの値打ちはあると思いました。

20230115090246

ネットで話題の死体検案書

 知らない人のために、話題になったツイートをリンクさせて頂きます。この話題には誤字とか、死亡時刻についても取り上げられていましたがパスします。私がやりたいのはこの死体検案書から考えられる臨床経過の推測です。


死体検案書を書いたのは誰だ?

 誰だも何も医師であるのは間違いないのですが、最初に読んだ時に解剖医が死体検案書を書いたとしているのに少し引っかかりました。病院で剖検を行うのは病理医ですが、病理医が死体検案書を書くのは見たことがなかったからです。

 はて? でしたが、よくよく思い出してみると、かつて勤務していた病院の事を思い出しました。その病院でも病理医が剖検を担当していましたが、病理医と言っても一人であり、どうしても手が回らない時には資格を持つ内科医が剖検を行っていました。

 もっとも剖検と言っても解剖だけで、そこから標本を作製し病理報告を行うのは病理医です。そこから考えると内科医が死体検案書を書き、そこから解剖まで行うのはあり得ることです。ですが解剖を担当したとはいえ、解剖を担当した内科医が解剖所見を踏まえて死因の診断を下したかと言われると疑問が残ります。

 人が死ぬとすぐに引き続いて行われる行事は葬儀です。これは私も経験しましたが、葬儀日程を決めるのは火葬の日になります。火葬がいつになるかを決めるためには、死亡診断書か死体検案書を持って役所に死亡届を提出しなければなりません。そこで火葬の日の決定などの埋葬許可を得る段取りです。

 ここで病理診断なのですが、今でも日数が必要です。卑近な例なら剖検ではありませんが、私の腫瘍摘出後の病理診断は入院中には出ていません。それぐらい時間がかかるものですが、これを待っての死体検案書となると葬儀が遅れますし、それまで御遺体を保管しておく必要が生じてしまいます。

 そうなると死体検案書を書いた医師は、御遺体の表面と、剖検時の肉眼所見、後は遺族から聞き取った病状から死因を決めた可能性が高いと考えられます。


死亡診断書でない点

 死亡診断書でなく死体検案書になるのは、あれこれややこしいのですが、シンプルには医師が患者を看取れば死亡診断書になります。この看取りの範囲がまた煩雑なのですが、仮に故人が在宅医療を受けていれば、細かな規定はあれこれありますが、医師が死亡の現場に立ち会っていなくても死亡診断書になります。

 在宅医療中で死体検案書になるのは、その死に異状死の可能性が残された時になります。ただし、その場合は異状死の届け出から警察マターになりますから今回のケースは違うと見ます。

 それ以外のケースで死体検案書になるのは、死亡までの24時間以内に診察を受けておらず、さらに発見時にすでに完全に御遺体になられたケースです。これもまたあれこれ煩雑なところがあるのですが、今回であれば発症から死亡まで「約2日」と明記されています。この場合、医師が診察を行うチャンスは2度ぐらいで、

  1. コロナワクチン接種時
  2. 接種後に体調不良を訴え受診した時(それも死亡の24時間以上前)
 ワクチンは接種されていますから、接種時の体調に大きな問題はなかったと見るしかありません。接種から死亡までの約2日の見方ですが、
  1. ワクチン接種は午前ないし午後の日勤帯の可能性が高い
  2. 接種翌日は生存していた可能性が高い
  3. 接種翌々日に御遺体となって発見された
 この日程で受診機会があるのは、接種当日に体調不良を感じて受診されたか、接種翌日の朝一番ぐらいに受診したぐらいになってしまいます。接種翌日の午後なら遅すぎるとするのが妥当でしょう。

 ここで問題になるのが死因である急性心筋炎です。これは医師にとっても大変怖い病気であり、悪化すれば三次救急が全力を尽くしても救命は運次第になるほどのものです。ですから受診したした時点で急性心筋炎の診断までに至らなくとも、その可能性を疑ったならば、帰宅させて経過観察を行うのはあり得ないとして良いかと考えます。


急性心筋炎の診断の難しさ

 幸いにも私は急性心筋炎に遭遇した事はありませんが、この病気の手強さは診断の難しさもあります。 診断のためのあれこれ所見はありますが、どれも特異的な所見と言える物でありません。

 それこそ死後に結果として急性心筋炎と後付けで結び付けられる程度です。診断するには、外表からでもわかる所見では難しく、どこかの時点で急性心筋炎を念頭に置いての検査を行い、それとの合わせ技でもやっとかどうかになってしまいます。

 今回のケースで言えば、急性心筋炎を疑ってのエコーなり、心電図なり、胸部X-pなり、採血検査が行われた可能性は極めて低そうな気がします。そこまで検査をしても診断は容易ではなく、結果として見逃したと医療訴訟に発展しているケースもあるぐらいです。

 それと急性心筋炎では、通常は前駆症状としてウイルス性の感冒書状があります。ですが今回のケースは死亡の「約2日」前にワクチン接種をされています。その時点で感冒症状を認めなかった、認めたとしても軽微であったとしか考えようがありません。

 さらにコロナワクチンが誘因となっての急性心筋炎との診断が下されています。これは通常の急性心筋炎と異なる経過を辿ったとも考えられ、診断の難度はさらに高くなっていたと見て良い気はします。


死亡診断書にならなかった小さな疑問

 故人の家庭環境の情報は皆無ですから推測するしかないのですが、まず在宅医療を受けていた可能性は死亡診断書であることから低いと考えられますが、家族との同居か独居であったかについては微妙な点が残ります。というのも、同居親族がおられたら、故人の病状の悪化に通常は気づくはずです。

 気づけば救急車を呼ぶなり、家族がクルマで救急受診をしそうなものです。もしそうであれば、故人の発見時から搬送途中のどこかで死亡していたとしても通常はDOAになり死亡診断書になるはずです。これはあくまでも聞いた話ですが、DOAにする範囲はかなり広かったはずですが、今回は間違いなく死体検案書なのです。

 そうなると故人が発見された時にはDOA扱いにも出来ない状態であったとしか考えようがありません。だから独居であったと思いたいのですが、家族は解剖まで行っています。行っても悪いわけじゃありませんが、少なくとも家族は故人の病状の推移をあまり知る位置にいなかった可能性はあるように思います。


ポイントは死体検案書になってしまう

 こんな少ない情報で症状や診療経過を推測するのは無謀なところがあるのですが、発症から死亡まで「約2日」と「死体検案書」の2つのキーワードが推測の幅を狭めてくれました。これがもし死亡診断書であればこうは行きません。

 患者の病状の悪化に伴い入院しても不思議でもなんでもないからです。入院となれば各種検査が行われ、さらに死亡していますから、その病状の経過から急性心筋炎の診断に至った事は十分にあり得るからです。

 ですが死体検案書であり発症から「約2日」で死亡していますから、死体検案書を書いた医師が診たのは御遺体になった故人になってしまいます。それもDOAですらない完全な御遺体です。

 もちろんこれは正真正銘の本物であるとされ、真偽を疑うのなら訴訟も辞さないとされています。私も故人や遺族を貶める気は毛頭ないのですが、どうにもどういう症状の経過で、どうして急性心筋炎の診断に至ったかがわかりにくいところです。

 外野からでは説明が付きにくい事であっても、真相を知れば、な~んだ、そうだったのかはあるので、今回のケースもきっとそうだぐらいにしか言えそうにありません。ですが、私如きでは本当は何があったかなど推測しようもないぐらいを結論とさせて頂きます。

EV化になるのか

 個人的にはガソリン車が好きですが、世界的にはEV車へのシフトが流れになっているようです。環境問題は大事ですからね。クルマがそうならバイクもって流れもあるみたいです。この辺はガソリン車が減ればセットでガソリンスタンドも減るからでも良いかもしれません。

 実用どころか、量産販売されているEV車も出ていますが、素直に見て弱点はバッテリーです。寒さに弱い、充電に時間がかかる、時に火を噴いてしまう、バッテリーの寿命とその交換が高価すぎるぐらいが目に付きます。

 今のバッテリーはEV車を実用レベルに押し上げる能力はあっても、まだまだ欠点も多く、商品とするには弱点がまだまだるぐらいでしょうか。さらなる改善が望まれるのですが、こういう技術革新はある日突然って感じで起こる事もありますが、そうは問屋がって部分もあって、ガソリン車の後継は水素車なんて話も出るのはその辺だと思っています。

 水素は水素であれこれ問題は残っていると思っていますが、長くなるのと詳しいとも言えないので、これぐらいにしておきます。


 クルマはさておき、バイクのEV化どうかです。バイクはクルマより軽い点は有利でしょうが、バッテリーを搭載するスペースの問題はあるとは思っています。その辺は設計次第かもしれません。そうですね、電動ママチャリをもう少しパワーアップしての原付レベルならすぐに出来るとは思います。

 問題はバイクはクルマよりも、さらに趣味性の高い乗り物の点はあると思っています。とくに中型以上のバイク乗りなんて、バイクの実用性を重視する人は少数派の気がしています。クルマだってガソリン車に比べると不利な点はありますが、中型以上のバイク乗りはデメリットをより重く見そうな気だけはしています。

 クルマ乗りにサンデードライバーと言われる人もいますが、趣味のバイク乗りもサンデー・ツーリストの面が濃いところがあります。もちろん普段の通勤通学に使われている人もいますが、休日にだけツーリングを楽しもうって人が多いから趣味性が高いぐらいと見ています。

 あえてクルマにたとえれば、高級スポーツカーを買って走らせてるのに近いかもしれません。高級スポーツカーに実用性を求める人は少ないですものね。

 そうなると、これはクルマだって同じですが、いざ走ろうと思ったら、充電が足りなそうは出て来ると思います。サンデードライバーなら語感から毎週乗るってイメージもありますが、実際のところは天候とか他の用事もあって、月に2度とか、もっと少ないケースも少なくないはずです。

 電力が足りなければ充電となるのですが、現状では給油よりはるかに時間がかかります。前日に充電しておけば良いような話ですが、ほぼ毎日使っているではありませんから、いざ乗ってみたら「あちゃ」は現実的に起こると思っています。

 そんなもの気を付けていればの意見も当然出るでしょうが、休日の朝にフラッとツーリングに出かけようと考える人も少なくないと思いますから、いきなり充電時間でつまずいたら、

    こんちくしょう
 これはバイクだけでなくクルマだってあると思います。ほぼ毎日乗る人ばかりじゃないですからね。とは言うものの、世の中って流れが出来てしまうと、あれよ、あれよと変わるのは何度か見ています。レコードやカセットが、あっと言う間にCDに置き換わったり、さらにDLになったりです。

 もっとも世の中の流れは怖いので、流れが出来たらバッテリーの弱点の充電時間、充電場所の問題も速やかに改善されるだろうことも予想されます。価格だってマーケットが広がれば下がるはずです。一方でガソリン車に固執しようと思っても、給油も、メインテナンスも大変な状態になってしまうぐらいです。

 もう十年ぐらい生き残れたら、結果は見れる気がします。そうなれば孫にでも(いたら良いですが・・・)、

    昔のクルマはガソリン燃やして走ってたんだぞ
 こんな話をして嫌われているかもしれません。