ツーリング日和7(第18話)日新館

 吾妻小富士は十分ぐらいで噴火口に着いて、あとは噴火口をぐるっと回る。噴火口も凄いけど、とにかく遮るものがないから景色が最高。とくに山頂部から見渡せる景色はまさに雄大としか言いようがない。浄土平を一望に見下ろすものね。

 下りてきたらレークライン、ゴールドラインと林間ツーリングを楽しみながら猪苗代湖に。野口英世記念館を休憩がてらに見学していよいよ会津に。今日の最終立ち寄り地点の会津藩の藩校である日新館だけど、よくそんなものが残ってたな。

「いや戊辰戦争の時に焼失してもた。そやから再建や」

 再建だし場所も違うけど当時の図面から忠実に復元したんだって。これだけの学校に通うのなら学費はどれぐらいだったのかな。

「ああタダや」

 日新館は会津藩士専用だったみたいだけど、藩によっては他藩の武士でも入学が許されるとこも多かったんだって。さらに言えば、武士だけでなく町人や農民のための学校を作っとるところもあったそう。

 藩校は廃藩置県の時に消滅してるけど、このシステムを受け継いで日本の学制が作られた面もあるそう。言われてみれば名門高校が藩校由来のとこも多いのものね。だから江戸時代の識字率が異常に高かったのか。

「ちょっと違う」

 江戸時代の識字率があれだけ高かったのは、町人や農民でも読み書きが出来るか否かで、その身分内の出世を左右したのが大きかったのもあるんだって。

「江戸時代の藩校の全貌がわかるのはここだけやと思うで」

 これは立派だよ。江戸時代にこれだけのスケールの学校を作ってたんだ。ここでどれぐらい生徒がいたのかな。

「藩士の息子が全員で千人から千三百人ぐらいやとなっとる。十歳になれば素読所に入って、素読所を卒業したら大学に入学できるシステムや」
「素読所に較べると大学は小さいね」

 江戸時代には多くの藩校が作られたぐらいはユリも知ってる。でもどうしてわざわざ、

「作られた理由として一番大きいのはやっぱり人材育成やろ。藩政を行うにしても優秀な人材が必要やからな。そやけど封建身分制やから外部から招聘は原則的には難しい」
「世襲制はボンクラが育ちやすいものね」

 江戸時代と言えば身分制で世襲制。家老の息子は家老になり、足軽の息子は足軽にしかなれなかったんだって。だけど家老の息子と言っても家老の器量がある訳じゃない。これは今でも世襲の会社はあるけど、息子がボンクラで倒産する話はいくらでもあるものね。

「だから商家は女系相続が多かったのよ」

 ボンクラ息子じゃ家が潰れるから、優秀な雇い人を婿に迎えて継がせるシステムなのか。武家でも養子が多かったのは、純粋に息子がいなかったのもあったそうだけど、優秀な養子をあえて迎えるのもあったそう。藩校はボンクラになりやすい息子どもを教育して、人材を養成するシステムを目指したぐらいかな。

「二つ目の物差しを付けようとしたんやろ」

 世襲制は生まれつきの上下差だけど、学校となると成績による上下差が必ず生まれるものね。成績だけで格付けするのは問題だと言う人は今も多いけど、当時は世襲による格付けが絶対の前提としてあったから、これに風穴を開ける目的もあったんだろう。

「その辺は温度差が大きいけどな」

 幕末の佐賀藩が典型らしいけど、成績至上主義のところもあったらしい。成績が悪ければ藩の役職にも就けず、家禄も削られたそう。逆に成績優秀者は役職を歴任して、家禄も増やされたそう。

 成績による評価はどの藩でもあったそうだけど、やっぱり世襲、とくに門閥は強力で、多くのところは中級の実務官僚ぐらいまでせいぜいだったともコトリさんは言ってた。

「それも当時としては画期的やってん」

 それぐらい身分制と世襲制は絶対だったんだって。今の時代では最後のところがわかりにくいけど、当時の下級武士はいかにして身分と世襲の壁を破るかに苦心惨憺していたみたい。

 会津の日新館も素読所を卒業して優秀なものは大学に進学できて、そこでさらに認められたら江戸に留学も出来たそう。そこまで頑張ったら、出身の身分を越えた役職に就ける道が広がったで良さそう。

「剣術修業が大流行したのもそうや」

 幕末は剣道の黄金時代ともされて、全国の武士たちが江戸の道場に争って修業に集まったそうなんだ。剣術道場で頭角を現せば藩の剣術指南の道が広がるぐらいかな。それだって狭き門すぎる気がするけど、狭くても潜るところがあると目指ししたのがその頃で良さそう。

 そういう時代背景がわからないと、幕末のあの時期に下級武士が学問に剣術に争って殺到したのは理解が難しいだろうって。

「言うまでもないけど黒船の影響は多大や。時代の変革期の空気をどこか感じ取ったんやと思うわ。変革期は下克上の最大のチャンスやからな」

 藩校の存在は教育だけじゃなかったそう。学校だからいくら身分制があっても同世代なら同級生になる。そりゃ、生徒間の身分差によるあれこれは発生しただろうけど、

「そういうこっちゃ。同じ釜の飯を食った仲間意識は残るで」

 今でもそうだもの。まあ、今は卒業してしまえば進路はバラバラになるけど、役所や会社によっては学閥が幅を利かすものね。

「藩校が同級生意識やったら、剣術道場は体育会系の部活や。それも学校横断型のスポーツ組織みたいなもんやろ」

 江戸の剣術道場は全国から集まって来るけど、そこで藩を越えての仲間意識が出来たはずだって。そりゃ、出来るよな。剣術修業も厳しかったみたいだけど、そこでの身分差は藩校以上に小さいだろうし、藩校以上に剣術の強弱の差は肌身に染みてはっきりるする。

 それより何より、そういう厳しい環境で切磋琢磨した思い出は強い仲間意識を産むはず。その頃の日本に西洋流の友情と言う概念は乏しかったそうだけど、それに近いものが育まれたって不思議じゃない。

「そういう流れの一つが倒幕になり、会津では白虎隊の悲劇になったとも言える」

 白虎隊の悲劇は日新館の教育が成功しすぎたのかもしれない。幕末の諸藩の殆どは弱かった。死を恐れず吶喊する戦国武者の気風など消え失せ、危なくなれば悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ散るぐらいだって言うもの。

 会津戦争も、あの時点になれば勝敗の帰趨は見えてたはず。勝敗の帰趨だけで言うのなら、鳥羽伏見で見えてるはずだし、江戸開城で誰でも見えるようになっていたはずなのよ。それでも会津藩を挙げて戦ってしまったのが教育の成果になるのかもしれない。

「なんとなく第二次大戦の玉砕を思い起こさせるね」

 単純には比較出来ないけど近い感覚かもしれない。もし本土決戦をやっていたら、日本中で白虎隊的な悲劇が展開したかもしれないよ。

「戦争は嫌いだけど、現実は弱いと見ると、今だって攻めてくるからね」

 ユリだって戦争は嫌いだ。でもさぁ、戦争が嫌いだからって軍隊を放棄するのが正解かと言われると違うと思う。日本だって弱いとみられれば、今の世の中だって攻められるんだもの。どこの国とはあえて言わないけど、ある日突然、

『それはオレのもんだ』

 こんなヤクザの理不尽な因縁みたいなものを吹っ掛けられるもの。

「そこやねん。戦争を回避するのに最も効果的なんは、攻め込んでも到底勝てへんと思わすことや。そやけど軍備を充実させると」
「指導者次第になっちゃうのよね」

 相手が手を出したくない軍備をするのは平和への装置でもあるけど、

「すぐに凶器になる」

 武器と凶器の違いだけど、武器は戦う専用兵器になる。でも凶器は普段は日用品になるの。これじゃわかりにくいかな。プロレスの場外乱闘でパイプ椅子で殴るシーンがあるでしょ。

 パイプ椅子は普段は座るためのものだけど、あれで殴れば凶器になる。戦争抑止のための軍備は戦いを起こさせないための装置だけど、指導者の胸先三寸で戦争のための道具に一瞬で切り替わる怖さがあるもよね。

「もうコリゴリね」
「あんなとこに触れとうもあらへん」

 コトリさんたちにそんな経験が、

「あるで。剣を揮って相手国を消滅させるまで戦ったこともある。逆に軍備が弱体化しきってもて、ひたすら外交の駆け引きのみで国を保たせたこともある。どっちもシンドイなんてもんやなかった」
「そうよ。あれをもう一度やれと言われたらお断りよ。もうお役御免にしてもらうわ」

 二人の顔を見たら真剣そのものだ。よほど苦い思い出があるのだけはよくわかる。

「今日の宿も楽しみね」
「ツーリングに似合わんかもしれんが、侯爵殿下のお宿やからな」

 たくもう。そうそう、この日新館にもなぜかストリート・ピアノが置いてあるし、コウもそれを弾きに来てるのもある。ここで何を弾くのかなって思ってたら、これはショパンの英雄ポロネーズだ。会津で戦った英雄たちに捧げるぐらいかな。でもコトリさんたちは不機嫌そう。

「戦争に英雄なんかおるかい。単なる人殺しや」
「そうよ、単なる戦争犠牲者。それを産み出さないようにするのが真の英雄よ」

 二人の戦争とか軍備に関する思いは相当どころでなく複雑。戦争はこっちだけ回避しようとしても起こってしまうのを知っているリアリストの面もあるけど、一方で徹底的に戦争は忌避してる。戦争がなくなるには地球統一政府が出来る日まで無理だとか。

「そうは行くか! 星が滅亡しそうになるほど戦争やって、統一政府が出来ても戦争やらかして滅びようとするとこもあるんやで」
「そんな単純なものなら、とっくに戦争なんか無くなってるよ」

 この二人に戦争の話題はタブーみたいだ。

ツーリング日和7(第17話)磐梯吾妻スカイライン

「おはようございます」

 朝風呂浴びて、コトリさんたちの部屋で朝食。湯豆腐が付いてるのがおもしろかった。荷物をまとめて朝の温泉街を眺めながらクルマで駐車場まで送ってもらって出発。今日の目的地は会津だ。

 昨日北上した道をまずは戻る。尾花沢から、天童、山形と抜けて、上山から市街地を避けて県道を走り、高畠町から、

「ぶどうまつたけラインって妙に美味しそうな道ね」

 ぶどうもそうだけど松茸もよく採れるのかな。国道十三号に入ったら福島市方面に走り、途中で広域農道に入るはず。

「あれじゃない」

 へぇ、こんなところに福島空港があるのか。右手に見えてる山に行くのだから、どっかで右に曲がるはずだけど、道路案内ないな。そしたらコトリさんがバイクを停めて、

「ちょっと待った」
「どうしたの」

 ナビを何度も確認した末に引き返し、

「あの信号左や」
「高湯の方で良いの」

 コトリさんによる磐梯吾妻スカイラインはかつては有料道路で、高湯ゲートがあったはずだって。それにしてもかなり登るな、ヘアピン、ヘアピンの林間コースか。なるほど高湯って温泉街になってるんだ。

「もう磐梯吾妻スカイラインよね」

 高湯ゲートから先がスカイラインになるはずだけど、それらしいものはなかったから、わかんなかった。ただ高湯の温泉街を越えるとガチもののワインディングで、もうヘアピンが何回続くのだろ。

「頭文字Dの世界ね」

 イニシャルがDってなんだよ。ダンゴムシのDか。

「バイクのバイブルがバリ伝なら、クルマのバイブルが頭文字Dなのよ」
「そやけど東北遠征はあらへんかったから一番北で碓氷峠のはずや。真子と沙雪のシルエイティ」
「流しっぱなしのCの121」

 そこでランエボが事故るって何の話だよ。頭文字Dはともかく、ヘアピンはキツイ。バイク乗りはワインデイングも嫌いじゃないし、ヘアピンだって楽しんでしまうところがあるけど、だからと言ってヘアピンがラクなわけじゃない。

 サーキットと違って一般道でヘアピンがあるのは峠道、それもヘアピンが必要なぐらいキツイ登り道。タダでも登りがキツイのに、そこにヘアピン・カーブが挟まってるようなもの。

 カーブの曲がり方の基本は、そのカーブが曲がれる速度に減速して進入すること。そうしないと吹っ飛ばされる。きついカーブほど減速するのだけど、ヘアピンとなるとギュウっとブレーキをかけるぐらい減速する。あれ以上の急カーブはないからね。

 だけどヘアピンはタダの急カーブじゃない。進入する時に大幅に減速している状態で、急カーブを曲がりながら、きつい登りを走るトリプル・コンポの難所だ。そういうところで非力なバイクだと速度が落ちると、そこから再加速するのにアップアップになっちゃうのよ。それにさぁ、ヘアピンを抜けてもキツイ登りだもの。

「パワーがあっても、ヘアピンを曲がるのもキツイよ」

 コウのハーレーはさすがの一七〇〇CCだからパワーは十分なんだけど、ハーレーってワインディングを駆け抜けるために作られたのじゃなく、それこそアメリカの大平原をクルージングするためのもの。ヘアピンの連続にコウもちょっと苦戦中。

 ユリのバイクはスポーツ・モデルだからワインディングは不得意じゃないけど、これだけの登りになるとパワー不足がモロに出てくる。ギア落として、ふかしまくってヒーコラ状態。そこにコトリさんから、

「登り切ったら浄土平にレストハウスがある。そこで待ち合わせにするで」

 コトリさんたちのバイクはどうなってるのよ。二種とは言え原付だよ。それなのに、なんちゅう加速なんだよ。平地と変わらないじゃない。

「ああそうだな。カーブは無理していないものな」

 ヘアピンを早く走る手法として、カーブの速度を上げるのはある。度胸一髪飛び込んで、バイクを捻じ伏せて走り抜ける。サーキットの走りとも言えるし、峠の走り屋の走りと言っても良い。ただし一つ間違えば、

「ガードレールとの熱烈な抱擁が待っている」

 崖に突っ込んだり、下手すりゃ谷底に転落もある。これは常に事故と隣り合わせになる危険な走法だ。だけどコトリさんたちは、無理せず減速してヘアピンに進入する。急な坂道で減速すると再加速が大変で、普通はエンジンのパワー勝負みたいなものになる。

 それがコトリさんたちはまるで平地のように、いやそれ以上の怖ろしいぐらいの勢いで加速するんだよ。ヘアピン抜けたらぶっ飛んでいくみたいじゃない。

「ボクのハーレーでも追いつけない」

 ハーレーは馬力もあるけど重いからね。てなことをコウと話しているうちにコトリさんたちはすぐに見えなくなった。あのバイクは改造されてる。それも半端なく改造されてる。それは犬山から下呂に逃げた時にも、濁河温泉に登った時も見てるけど、改めて見るとどんだけパワーがあるんだよ。

「淡路でマスツーした時に杉田さんに聞いたのだけど・・・」

 杉田さんはスギさんの名前で有名なカリスマ・モトブロガー。バイクの腕はレースもやっている本格派。乗っているバイクだってリッターのスーパー・スポーツ。つまりは市販車最速バイクをプロのレーサーが走らせているようなもの。

「杉田さんは二度、コトリさんたちのバイクを追いかけるシチュエーションになっているが、二度とも振り切られている」

 はぁ、レーサーが乗っているスーパー・スポーツだぞ。それを原付が振り切るって怪物なんてものじゃないだろう。

「怪物だろう、あのお二人が乗られているバイクが、そんじゃ、そこらの改造バイクであるはずないからな」

 そうだった。ツーリング仲間だからコトリさん、ユッキーさんと呼ばせてもらってるけど、二人の本業はエレギオンHDの社長と副社長。世界を動かすスーパーVIPだ。

「ユリもVIPだよ」

 それは棚から落ちて来た災難だ。あの二人を追いかけるのはあきらめて、休憩を挟みながらユリのペースで走ることにする。七転八倒させられたヘアピン地獄を抜ける頃には視界がグッと広がってきた。

「これは、やまなみハイウェイに匹敵するぞ」

 やまなみハイウェイはツーリングの西の聖地とまで呼ばれる阿蘇の一角。ユリはまだ走ったこと無いけど、とにかく壮大な景色が目に飛び込んできた。この辺は高原にもなってるみたい。だけど荒々しいな。

「観光ガイドには日本のアリゾナとしてるものあるよ」

 アリゾナってアメリカだよな。ほいでもアメリカのどこにあるんだよ。つうかアリゾナに行ったことがある日本人がどれだけいるんだよ。たとえがマイナー過ぎないか。そんなわかりにくい例えを出さなくても、そうだな、標高も高いから天空の道で良いじゃない。

「天空の道は四国カルストだからじゃないか」

 だとは聞いたことがある。まだ走ったことないけどね。だったら、だったら北の天空の道の方が絶対に良い。ネーミング問題はともかく、これはまさしく絶景だ。これを見るためならヘアピン地獄を走る価値は余裕である。

 この絶景を言葉にするのは難しいな。まずは荒々しい。日本の山ならこれぐらい高くなっても林間道路になっちゃうけど、まず高い木がない。木や草も生えてはいるけど、まばらなんだよね。

 そうなっているのは岩山なのもあるだろうけど、火山だからだろうな。モクモクと煙みたいなのが上がってるし、硫黄臭いのよ。その荒々しい風景の中をスカイラインが突っ走るんだよ。こんな雄大で荒々しい景色が日本だと思えないよ。

 こういう道を走りに来るのがツーリングだよ。いや長距離遠征ツーリングなら、こういう目的地があって欲しい。関西じゃないものね。えっと、えっと、あそこに見えて来たのがレストハウスかな。入って行くとコトリさんたちが手を振ってた。

「早めやけど、お昼にしよう」

 うん、この景色の中でお昼を食べたいよ。さて、何にするかだけど、

「ソースカツ丼」
「わたしも。大盛りってないのかな」

 こんなカツ丼があるのか。この辺の名物だろうからユリも食べる。それにしてもこの風景を浄土平とは合ってない気もする。素直に地獄平じゃない。草木もあんまり生えてないし、火山性ガスがバンバン噴き出してるもの。

「コトリもさすがに地名の由来は知らんけど、浄土とか、天国とか、極楽いうたら高いとこのイメージやんか」

 天国の描写に雲の上とかあるものね。これに対して地獄は地底深くだよ。

「今でこそ、こうやってバイクでも上がって来れるけど、昔は稀に登った者が、ここに高原みたいなものがあると言うたぐらいやったんちゃうか」

 こんなところは猟師だって来ないだろ。来たって獲物なんかいそうにないもの。でも風景は地獄そのものじゃ。

「こんな高いところに平地があるだけの情報が独り歩きしたんちゃうか」

 それはあるかも。高いところって、それだけで聖地扱いされるところもあるものね。さてだけど、レストハウスの道向かいの山を登ってる人がたくさん見えるけど、

「あれは吾妻小富士で、登ったら景色もエエけど、大きな噴火口も見れるで」

 その言い方はもしかして、

「一時間ぐらいで行けるから、見いひん手はない」

ツーリング日和7(第16話)二度目の経験

 二人の朝の二回目。感想はやっぱり痛かったけどだいぶマシ。初回との差はあれこれらるけど、一番の差は経験だな。ユリだって知識はあるし、知識に基づいてあれこれ妄想してた。とくにコウが恋人になってからは、コウを妄想しながらセルフで慰めてた。

 ヴァージンなのにって言いそうな人もいるかもしれないけど、こんなもの誰だってやること。男も女も関係ないし、妄想と書くから変に聞こえるけど、何事も本番前にシュミレーションを重ねるのは当たり前。練習無しで上手く行くはずないじゃない。

 だけど知識と実際の差はひたすら大きかったな。とくに初回の時はそうだった。知識と実際の差をひたすら体で学習させられたようなものだ。文字通りあれは体験。体で験す以外に知る方法はないものね。

 やるとなれば全部脱いで裸にならないといけないのは知識としてあるし、裸を見られるのはさぞ恥しいぐらいは想像のうちだ。でも、実際に裸になって見られる恥ずかしさは超弩級だった。

 だって全部見られるし、どこも隠しちゃいけないんだよ。むしろ見せなきゃいけないんだもの、そんなもの当たり前だと言うかもしれないけど、あんなもの実際に体験しないと絶対にわかるものじゃない。

 次は愛撫だ。男に愛撫される妄想はユリだってテンコモリしてるし、そうされるのを妄想しながらセルフで慰めてるわけだ。でも実際になると違和感がバリバリだった。なによりの違和感は愛撫する指がコウの指であること。

 これだってコウの指がユリの恥しいところを愛撫するのは余裕で想定のうちだ。愛撫となれば他にやることがないもの。これにコウの唇が加わるのもそうだ。愛撫ってそうされるものだし、そうされるのをユリだって覚悟してる。

 だけどセルフの時は自分の指なんだよね。これが恋人のコウであるとはいえ他人の指に変わるだけでこれだけ違うものなのは、これこそ体験してやっとわかる感覚としか言いようがない。

 これは自分の指と違ってどう次に動くかわからないのもあるけど、なにより触れられる感覚がまったく違う。コウの愛撫が上手いか下手かなんて判定できないけど、他人の指、これに唇が加わる感覚は体で覚える以外には出来ない事だ。

 そうそうこれも知識や妄想では絶対にわからないものに、男の肌の感覚がある。コウだって裸になってるし、ユリの体の上にいるのだから避けようもなく触れちゃうのよね。それもベタベタに引っ付いているようなもだし、コウだってユリの愛撫ために動くから肌が擦れ合うのよ。

 こんなのも当たり前だけどバリバリの初体験。コウは毛深い方じゃない、いやむしろ毛が無い方で男にしたら綺麗な肌だと思うけど、常に触れ合っている状態にどうしても違和感があった。

 さらにだよ、自分の指だけじゃ絶対に出来ない愛撫だってある。たとえばユリの一番恥しいところを唇で愛撫されること。これだって余裕の想定内だったし、絶対にされるのはわかっていてもだ。さすがに声が出たもの。

 そこまで進んだら次が挿入だ。これが知識や妄想と桁違いに落差があった。これだって何度妄想したかわからないものだったけど実際に始まると、

『ギャァァァ』

 これ以外に感想がないぐらい。痛いし、辛いし、どうしてこんな事をやらないといけないのかだったもの。でもあれだけは不思議だったけど、あんなに辛いのになんとか受け入れないといけないと必死になったね。

 試練でしかない挿入時間をそれこそ歯を食いしばって耐え抜いたのだけど、あの時にユリは壊れてしまうんじゃないかと真剣に思ったよ。生まれてから何本の指に入るかぐらいの衝撃で、感覚として串刺し状態にされたとしか思えなかった。

 それでだけど、それで終わりじゃないの知識はあった。つうか、それで終わるはずなどあり得ないのは当然知っていた。挿入ですら本番の序章だよ。だけどだけど、ユリにしたらこの状態からホントに始まるの状態だった。

 こんな事を考えていたのは一瞬だったはず。コウは休む間もなく次の動きに移ったんだよ。これはコウを恨んでいる訳じゃない。当然そうするものだからは知識だものね。でもコウに動かれたユリにしたら、

『ヒェェェ』

 そうならざるを得なかった。あんなもの誰がどうやったって妄想できるものか。挿入から続く衝撃体験で半分ぐらいユリの記憶が飛んだ。コウが満足するまで動く時間帯は正直なところ、早く終わってくれとしか思えなかったもの。やっと止まった時にホッとしたよ。


 初体験なんてそんなものだと言われそうだけど、妄想していたような甘い時間じゃなかったかな。処女膜を突き破られる感覚なんてわかったもんじゃなかった。破られたのだけは間違いけど、とにかく済んだと言うのが実感かな。

 それでも不思議なのは挿入の時もそうだったけど、あんなに辛いのに受け入れなければならいの気持ちの強さかな。辛くて痛いものなら、普通は二度とゴメンになりそうなものだけど、不思議とそんな気にならいのよね。

 この辺は個人差もあるらしくて、初体験の衝撃でアレが嫌いになる女も確実にいるらしい。でもユリはそうならなかった。初体験の次の夜だって、コウがどうしてもって望むなら死ぬ気で受け入れて耐え抜くって覚悟したぐらいだもの。どうしてそんな気持ちになるかは、それこそ経験してみないと説明出来るものじゃないと思う。あえて言えば愛しのコウを喜ばせてあげたいぐらいだけど、そんな薄っぺらいものじゃないね。


 衝撃の初体験から、昨夜は二度目になったけどだいぶ違った。やられることは初回と同じようなものだけど、すべて経験済みなのは全然違う。これが来るぞって予想していたものが来るからね。

 その分だけ心に余裕が出来たと思う。そりゃ二回目だって恥しいけど、初回の違和感がだいぶなくなって、そうだな与えられる感覚をストレートに受け止められる感じだ。あくまでも初回と比べてだけどね。

 愛撫は前戯とも言うけど、あれって本来の目的はお互いの体のスタンバイ時間なんだ。そりゃ、合意して裸になった時点でスタンバイになってるようなものだけど、前戯で体をスタンバイに持って行く時間ぐらいだよ。

 だって男なら立たないと出来ないし、女だって潤わないとひたすら痛い。初回があれだけ痛かったのは、ガチガチの緊張でユリの体がスタンバイになっていなかったのも確実にあったはずなんだ。

 まだ二回目だからえらそうなことは言えないけど、アレって慣れは絶対に必要と思う。アレって日常では恥しくて口にも出来ない事をやる時間じゃない。アレをするための興奮だって、日常じゃ起こるだけで軽蔑されるようなものだもの。

 つまり日常では禁断とされる興奮に励む時間がアレになる。そこに出来るだけスムーズに入れるようにならないといけないってこと。前戯で女が興奮して濡らされるのだって、日常ではあってはならないものじゃない。

 そういう日常ではブレーキをかけられるものを、アレの時間帯では速やかに解き放つ必要があるぐらいだよ。前戯でも自分が興奮して濡れてスタンバイ状態になれるのが嬉しいと思う行為と体で学習する事かな。

 おかげで初回より前戯時間のユリの反応は良くなったと思う。それがあったから初回より挿入のインパクトは随分マシだった。挿入のインパクトがマシになった分だけ、コウが動く時間も初回より余裕をもって経験できた気がする。


 これで三回目以降により自信が出来たのだけど、次は感じるだよね。これは初回の時もかすかにあった気はする。あくまでもかすかだったけど、二回目の時は確実にわかった。とはいえ、それが女の感じるで、これがドンドン大きくなってイクにつながるかと言われると自信が無い。

 ユリだってイクは知ってる。もちろんセルフだけどね。イク時の感覚って、そうだね、刺激でドンドン感じるが強くなって、それが何かを突き破るぐらいと言えば良いのかな。熱気が高まって爆発するに近いと思ってる。

 イクまでの熱量はかなり必要なのよね。あれって、感じるが高まりに高まり抜くものなのよ。だからイク前には猛烈に刺激を高めて突破させるぐらいなのよね。まあイキそうになったら恥もヘッタクレもないぐらい熱中するもの。

 でもまだ感じてるものは弱すぎる。あれがイクまで高まるにはあまりにも遠すぎるとしか言いようがない。果たしてそこまで高まるかも疑問すぎるところはある。でもだけど、あの感度って経験を重ねると高まるらしい。

 らしいというのがお母ちゃんの小説の知識なのがコンチクショウだけど、ユリの友だちもそう言ってたのがいるもの。だってさ、今はコウを満足させるだけで嬉しいけど、やるからには、やっぱり感じたいし、イキたいじゃない。

 それにユリがイクのは同時にコウを喜ばせることにもなるんだよ。男って女をイカせたらすっごく嬉しいらしい。とくに処女からなら格別らしいのよね。ユリがイクのはユリも気持ちよいけど、同時にコウを喜ばせる事にもなるんだ。

 でもコウにイカせられるのもユリの試練になりそう。これは彼氏とイッた友だちの話だけど、やっぱり彼氏の前でイクのは猛烈に恥しいんだって。それはユリにもわかる。だってイク時の姿ってすっごく生々しいもの。

 あれを見られるのは誰だって恥しいよ。友だちもイキそうになって、耐えに耐えたらしいのよ。でも最後はどうしようもなくなってだそう。考えて見れば女はどうしたって受け身だから自分でコントロールできないところがあるものね。

 それとイキそうになってるのは男もわかるそう。まあ、あれだけ密着していたら、それこそ肌から伝わりそうだものね。そうなると男は意地でも女をイカそうとするんだってさ。あれだろうな、コウがフィニッシュ前に激しくなるみたいなのが起こるのだろう。

 イクのを見せるのはユリも恥しいし、もしその時が来たら必死になって耐えるのだろうけど、それでもイカされる日がいつか来るのかもしれない。いや、来て欲しい。それもまた経験じゃない。それを体験しないと次に行けないもの。

 というのもイクようになった見本が、ユリの家でエロ小説を書いてる。あのクラスになるとイキ放しのはずだけど、そうなるってことはイクのを見せるのが平気になってるはずなんだよ。

 まだ二回目だから先のことはわからないけど、コウと結ばれて良かったと心の底から思ってる。コウだから捧げられたヴァージンだし、コウが相手ならユリのすべての姿を見せられると思う。二回目を経験しても最高の相手をゲットしたとますます確信してる。なにがあっても手放すものか。コウはユリの男だ。誰にも渡さない。

ツーリング日和7(第15話)大正ロマンの宿

 立石寺からは今日の宿に向かうみたい。

「コトリ、ワガママ言ってゴメンネ」
「エエんよ、コトリも行きたかったし」

 あれっ、北上するんだ。

「芭蕉やけど尾花沢から立石寺に南下したけど、おそらく似たような道を尾花沢まで北上しとるはずや。さすがに芭蕉の時代とは風景は変わってもとるやろうけど、チイとばっかり奥の細道気分や。尾花沢までは四十分ぐらいやで」

 歴女趣味か。さすがにディープだね。さすがに風景から奥の細道気分にはなれないけど、

「バイパス下りるで」
「道路案内出てたものね」

 高架を潜って、銀山温泉まで十六キロだって。国道三四七号だけど、空いてるしコトリさんもピッチが上げてる。二車線だけど路側帯も広いし、見通しも良いから気持ちイイ。あれ、コトリさんが停まってナビとニラメッコしてる。

「どうしたのコトリ」
「とりあえず、もうちょっと走ってみる」

 この辺は尾花沢の郊外みたいだけど、

「合ってるよ。ほら」

 曲がり角を探していたのか。ここまで来ると田園地帯だな。あった、あった、温泉まで五キロになってる。

「さっき渡った川に銀山川ってなってたよ」
「もう一回渡り直すはずや」

 橋を渡ってからは、もう山の中。さすがに秘湯って感じ。雰囲気出してくれてるよ。

「橋を渡り直したね」
「もうすぐのはずやけど」

 宿の看板が出て来たよ。あれ見ると、いよいよ感が湧いて来るものね。

「ユッキー、永澤平八やから注意しといて」
「らじゃ」

 宿の名前かな。でも注意しないと見落とすぐらい小さいとか。あの二人が選ぶ宿ならありそうだけど。

「そうやなくて」

 温泉街の道はよほど狭いらしくて、温泉街の手前の旅館の駐車場にバイクを停めて迎えを呼ぶシステムなんだって。

「わたしたちなら行けるのじゃない」
「バカでかいハーレーがおる」

 旅館も見え始めたけど。

「ここじゃない」

 へぇ、シャッター付きの車庫なのか。やっぱり雪国だからだろうな。電話してしばらくしたら、迎えのマイクロバスが来てくれた。橋があるけどここで下りるみたい。

「これはバイクでも来ない方が良いね」

 こりゃ道は道でも遊歩道だよ。それにしてもこの旅館の立ち並ぶ様子は、

「これは来た価値があった」

 なによこれ、川の両側に木造の二階建てどころか、三階建て、四階建て、

「五階建てまであるよ」

 五階建てはさすがに客室じゃなくて展望台みたいな感じだけど、

「鏝絵も見事じゃない」

 ホントだ。たしかこんな旅館で働く異世界ファンタジーアニメがあったよね。だけどアニメだって一軒で、軒を並べてるいるのは日本で他にないんじゃないかな。二人がわざわざ泊まりに来るわけだ。ユリも感動してる。

 銀山温泉は室町時代から続く延沢銀山のあったとこだって。十七世紀の半ばに最盛期を迎えて、大森銀山、生野銀山と肩を並べるぐらいになり、こんな山の中に二十万人とか、三十万人が暮らしていたそう。

 銀山は最盛期を迎えた四十年後ぐらいに閉山になってるけど、採掘の時に見つかった温泉が湯治場として残ったぐらいかな。これも昭和初期の大洪水で一度壊滅したんだけど、ボーリングしたら豊富な温泉が噴き出し、その頃に今に至る温泉街が形成されたそう。

「ほぼそのまま残ったのが凄いよね」

 さすがに詳細は知らないけど、銀山温泉は戦前は賑わったんだと思う。だけど戦後の高度成長期は、クルマでの交通に不便だからイマイチ時代が長かったのかもしれない。儲からなかったから、逆に鉄筋旅館にリニューアルしかったぐらいの気がする。

「時代は回ったのかな」

 コトリさんが言うには昭和の旅行のメインは、とにかく団体旅行だったって。

「温泉旅行だけじゃなくて、旅行といえば団体旅行だったのよ」
「農協ツアーも死語になってもな」

 なんだなんだ、農協が旅行してたの。そこはよくわかんないけど、猫も杓子も団体旅行だったから、旅館とかホテルも団体旅行向けに適応したそう。単純には大人数の受け入れと、宴会設備の充実かな。

 団体旅行を受け入れられたところが勝ち組ぐらいだったで良さそうだけど、銀山温泉は対応しなかった、もしくは出来なかったぐらいかも。この道じゃ観光バスも近付けないよね。でも時代は団体旅行から個人旅行にシフトしていき、

「あれやな。団体旅行で勝ち組やった豪華温泉旅館が図体を持て余すようになってもたぐらいやろ」
「そうね。団体旅行にシフトしすぎて個人旅行を軽視していたからね」

 時代の変遷と言えばそれまでだけど、銀山温泉は団体旅行ブームの中を昔の姿のままで生き残り、こんなすごい光景が残っているってことか。

「ここみたいね」

 看板上がってるものね。ロビーも昭和と言うより大正ロマンの雰囲気がプンプンしてる。客室は純和風だな。とりあえず風呂だけど貸切露天風呂があるじゃない。

「どうぞお二人で」
「邪魔したら悪いもの」

 言われて恥しかったけど、お言葉に甘えてコウと入ったよ。かけ流しの、これは檜風呂だろうな。気持ちイイ。お風呂あがったら晩御飯だ。

「梅酒の食前酒は上品ね。前菜が三点盛と、とろろそばがなかなか」

 刺身は岩魚か。こんな山の中でマグロとかイカは食べたくないものね。わらびの醤油漬けと、

「豆腐天はこの宿の手作りだって」

 小鍋は山形らしく芋煮なのが嬉しいな。

「尾花沢牛のステーキもとろけるみたい」

 本格懐石も悪くないけど、郷土料理と地元の旬の食材が前面に出してくれるのは旅人にとって最高の贅沢だよ。

「歩こう」

 川の両岸が遊歩道になっていて、街灯がガス灯なのが風情よね。それよりなにより、並んでいる宿がロマンチック過ぎるもの。部屋に戻って窓から景色を眺めながら、

「なるほど、だからこの宿にしたのか」

 この温泉の最大の見ものは夜景だよ。それも風雪に耐えた見事な旅館の夜景なのよ。この宿より立派なとこはあるけど、泊まったら自分の宿の夜景が部屋から見れないもの。

「おやすみなさい」

 部屋は別だよ。コウと二人になったらドキドキしてきた。今夜はどうしよう。コウはやりたいよね。ユリの体は、正直なところまだ違和感は残ってる。そう、入ってるって違和感だよ。

 初体験は正直なところ、恥しいわ、痛いわで、どうしてこんなものやりたがるのか不思議だったぐらい。この辺が男と女の違いみたいだ。男ってぶっちゃけ出せば満足するらしい。これは、お母ちゃんの本に書いてあった知識なのが悔しいけど、現実にコウは満足しているとしか見えない。

 ユリだって広い意味では満足している。でもこれはアレそのものじゃなくて、愛するコウが望むものを与えられたから。アレ自体はひたすら耐え忍んだだけだったものな。だからかもしれないけど、女は経験するとアレが嫌いになってしまうのもいるそう。それは、なんとなくわかる。

 女だってアレに夢を描いてるんだよ。そりゃ、あれだけ感じて良くなるエロ小説を読まされればそうなるじゃない。でも夢と現実の落差はかなりある。これはユリもまさしく経験したところだ。

 じゃあ金輪際やりたくないかと言えば違う。どう言えば良いのかな、愛し合ってるならやるべきものって思いが今は強いのよ。それで愛する男を喜ばせるのもあるけど、どちらかと言うとユリを求めてくれるのが嬉しいに近いかな。言うまでもないけど、そう思えるのは相手が愛するコウだから。コウ以外にそんな気になれるものか。

 うん、今夜はやるべきだ。痛くてもやるべきだ。そうやってコウを満足させるのも妻たるユリの大事な役割だ。きゃ、妻だって、いずれそうなるけど、言葉として思い浮かべると照れ臭いな。

 妻って呼ばれて嬉しがるって古風だって。そうだよユリは古風なのが好きなの。あんなぶっ飛び過ぎたお母ちゃんの真似だけはしたくない。ちゃんと父親もいる家庭を作るのがユリの夢なんだから。

 今夜も絶対痛いと思うけど、そのうち痛くなくなるはず。お母ちゃんの小説で描かれまくっている『感じる』はまだ全然わからないけど、コウが相手なら絶対そうなれるはず。女は相手との相性がなにより大事で、コウこそ最高の相手だもの。

「ユリ」
「愛してるよ、コウ」

 コウの指がユリの浴衣の帯を解きにかかってる。ユリの裸を見られるのだけは少しだけ慣れたかな。あれから一緒にお風呂も二回入ったもの。初めてのベッドがどれだけ恥しかったか。でも、そこから先は二度目でもまだまだだよ。とにかくユリの二回目の夜が始まる。少しでも痛くありませんように。

ツーリング日和7(第14話)立石寺

 仙台からのツーリングだけど、予想通りというか、そうなるというかで、

「マスツーにしようや」

 反対するほどの理由もないし、コウも今回のツーリングで仕事は遠野と仙台だけ。これはユリとの旅行の比重を重くしてくれたから。ストリート・ピアノを弾くのは別枠だけどね。ただコトリさんたちとマスツーになると、

「ツーリングの本道の下道オンリーや」

 オンリーもクソも、そもそも原付じゃ走れないものね。だけどコウは、

「下道歓迎。今回は高速を使い過ぎてる」

 そうなると行き先も変わって来るけど、

「どうせ会津から新潟目指すんやろ」

 秋田から南にツーリングするとそうなるものね。コウとコトリさんがあれこれ打ち合わせして、

「ほんじゃ、文句は言わせんで」

 まずは仙台市内からの脱出。高速なら東北自動車道から東北横断自動車道になるけど、ガチの下道になるから、国道四十八号を西に、西に。

「作並街道ね」

 仙台と山形を結ぶ歴史的な道だそうだけど、より正確には仙台側を作並街道、山形側を関山街道と呼ぶらしい。仙台市内は少々時間がかかったけど、峠に入ってからは快調。下道でもこういうところは時間を稼ぎたいところだけど、

「飛ばせ、飛ばせ、捕まるのはどうせコトリだ」
「そんなことはインカム切ってから言え」

 相変わらずの二人の漫才だけど、そこそこ交通量があるからクルマにすぐに引っかかるからスピード違反は心配無さそう。峠を下りてきたら天童か。どこかで左に曲がるはずだけど・・・あれかな県道二七九号って書いてある。そこを曲がると果樹園みたいだけど、

「やっぱりサクランボじゃない」

 山形と言えばそうでものね。道路案内に山寺が出て来たよ。地元でも立石寺じゃなくて山寺と呼ぶみたい。谷間みたいな道になってきたら、どうも門前町みたい。どこかでバイクを停めないと行けないけど、公営の大駐車場みたいなものはなさそう。

 その代わりに小規模な民営の駐車場があって客引きやってるね。こういう時はお寺の入り口に近い方が嬉しいよね。えっと、これが登山口ってなってるけど、コトリさんが客引き相手に交渉してる。

「二台分で手を打たなしゃ~あらへんかった。とにかくコウのがデカすぎる」

 一七〇〇CCのハーレーだから軽自動車ぐらいの迫力あるものね。

「ユリのもデカいし」

 そうじゃなくてコトリさんたちのが小さすぎるのよ。いつも思うけど、よくまあ、あんな小さなバイクでロング・ツーリングやってるものだ。もっともマジになって走ったらユリのバイクでは追いつけないけどね。

「コトリ、千段だって」
「そこそこやな」

 これもあの二人の驚異なんだ。小さなバイクでロング・ツーリングするだけでも疲れるはずなのに、歩くのをまったく苦にしない。苦にするどころかルンルンしながら歩くのだもの。立石寺だって千七十段だよ。普通なら段数聞いただけでウンザリするもの。

「へぇ、立石寺の本堂って麓にあるんだ。それとお賽銭箱の上に布袋さんは珍しいよ」

 ホンマだ。賽銭箱の上に布袋さんが頑張ってる。それとこの辺は茶店が並んでるよ。玉コンニャクがこの辺の名物なのかな。山門で巡拝料を払って、ここから本格的な石段って事みたい。

「石段を一つ登ると煩悩が一つ消えるんだって」

 そんなに煩悩ってあるのかな。それより石段地獄の始まりだ。それにしてもコトリさんたちの足取りは軽いな。

「遅れても上で待ってるさかい」

 置いてかれてなるものかと思うけど、あいつら疲れってものをしらんのか。こっちは足が悲鳴をあげてるよ。

「ユリ、自分たちのペースで登ろう」

 立石寺は天台宗で、比叡山の三代座主の円仁の創建の伝承があるそうだけど、コウに言わせれば眉唾だそう。それでも円仁がなんらかの形で関与はしてるらしくて、天台宗でも重視された寺院というか、山形の布教の重要拠点と見てたんじゃないかって。

「御多聞に漏れず戦火にも見舞われてるけど、それでもこれだけの規模のものが残ってるのはさすがだ」

 ユリもそう思う。門前町も含めて活気があるものね。てな話をしている余裕もすぐになくなった。そりゃ、登っても、登っても、無限に続くような階段。コトリさんたちはとっくの昔に見えなくなり、何度も何度も休憩を取って、

「ユリ、着いたんじゃない」

 やったぁ、門の向こうに建物がたくさんあるよ。最後の根性で階段を登り切り、門をくぐると。げっ、まだ階段があるじゃない。門の中にはヘバって休んでる人も多いな。そりゃ、そうなるよ。そこからも騙されたと思うぐらい階段を登らされた。そしたら売店の前で、

「やっと来たか」

 涼しい顔の二人。ちっとはシンドそうな顔ぐらいしろよ。でも奢ってもらった冷たいジュースのお蔭で一息付けた。こいつらが実は女神なのは教えてもらったけど、とりあえず体力は化物級だ。ユッキーさんなんかあんなに華奢なのにね。


 立石寺は残っている建物だけでも立派だけど、その名前が日本中に知れ渡ったのは松尾芭蕉のお蔭だと思う。芭蕉の句の中でも屈指と名作とされてるし、学校の教科書にも載ってるから、誰でも知ってるとして良いはず。その句が立石寺で詠まれたのは有名だけど、どの辺で詠んだのだろう。

「芭蕉が山寺を訪れてるのは事実で元禄二年五月二十七日や。これは新暦で七月十三日になる。そやから蝉が鳴いとるのも間違いあらへん」

 奥の細道よね。ただし紀行中に詠んだオリジナルは、

『山寺や石にしみつく蝉の声』

 なんか粘っこい感じがする。これが改訂されたのが、

『さびしさや岩にしみ込む蝉の聲』

 なんか「しみ込む」は味気ない気がする。そこからさらに手が入ってあの句になったんだって。するとユッキーさんが、

「やっぱり蝉はアブラゼミじゃない。アブラだからしみつくのよ」

 芭蕉がどの蝉の声で俳句にしたのかも議論はあるんだって。科学的にはこの時期の山形で鳴いているのはニイニイゼミがメインで、アブラゼミには少し早いらしい。もっとも年によって差はあるはずだからアブラゼミの可能性もゼロでないぐらいかな。

 アブラゼミ説は斎藤茂吉だったらしいけど、小宮豊隆はアブラゼミの鳴き声では『しみ入る』の情感に合わないとしてニイニイゼミを主張したんだって。だけど芭蕉の原句はユッキーさんの言う通り『しみつく』なのよね。

「あれこれ頭捻ってるうちに芭蕉の頭の中の蝉の声が変わったんじゃない」

 この辺は芭蕉本人に聞いてみないとわからないのだけど、どういう情景で詠んだのかがポイントらしい。立石寺の奥の院は岩が目立つとこなのよね。そこで蝉が鳴いてた情景があったのまでは良いはずだ。

 その蝉の声が大合唱だったのか、それとも岩に止まった蝉が鳴いていたかでかなり違ってくる。大合唱だったら声が岩に『しみつく』になりそうだし、一匹の蝉やったら『しみ入る』になりそうな気はしてる。

「最初に詠んだ時はアブラゼミの合唱を句にしたけど、駄作だから変更したのよ」

 まあユッキーさんの説も一つかな。でも、そこまで考えると蝉の種類の縛りもなくなるのよね。改訂している時に聞いた蝉の声にした可能性もあるかもしれない。それだったらユリはツクツクボーシを押したいな。

「それだったらヒグラシよ」

 さっきの芭蕉がどこで詠んだかだけど、これも舞台が立石寺と言うだけで、立石寺の奥の院で詠んだとはどこにも書いていないそうで、おそらくだけど山を下りて、宿に帰ったから詠んだのじゃないかともされてるそう。

 でも実感としてはそんな感じがする。芭蕉だって立石寺の階段はキツかったはずよ。それも新暦の七月十三日だったら暑いはずだもの。汗だくになってたどり着いて、奥の院の参詣もしただろうけど、のんびり俳句を捻る余裕なんてなかったはず。

 それこそ宿について、一風呂浴びて汗を流し、夕食を食べてから、あれこれ思い出しながら俳句を考えたに違いないよ。