ツーリング日和6(第21話)邂逅

 悲鳴を上げんかったんは年の功や。

「コトリの歳なら化石になりそうよ」

 ほっとけ、ユッキーもやろが。ランプの光に照らし出されたのは、まさにリアルなまはげ。薄暗いから昼間に見たなまはげ像の十倍ぐらいは迫力があった。それぐらい迫力が溢れ過ぎとる顔や。ここはユッキーの方が遠かった分やと思うけど冷静やった。

「どうかされましたか」

 おったんは男と女の二人組、そうやあの美女と野獣やった。中に入っても良いかと聞かれたからOKしたんやけど、

「コトリ、なにかアテとお酒もらってきて」

 そうなりそうやな。向かいの本館の売店で、はたはたの燻製を買うて、酒は福小町純米吟醸にしといた。部屋に戻ってんやけど、

「コトリが帰ってくるまで待ってたよ」

 そろってから話をしたいか。えらい緊張と言うか切羽詰まった顔しとるな。こんなに緊張するさかい余計におっとろしい顔になってリアルなまはげと見間違うんやないか。そしたら、いきなり頭を畳に擦り付けて、

「厚かましいのはわかっていますし、無理を承知でお願いします。どうかお金を貸して下さい」

 いきなりは無理あるやろ。名前ぐらい名乗れよな。

「私は竹野直樹、こちらが妻の瞳です」

 コトリもユッキーも噴出してもた。気持ちはわからんでもないが、

「いつの間に結婚して、改名が認められたんや。瑠璃堂香凛さん」
「えっ、どうしてそれを」

 香凛の顔色が変わりよった。人からカネ借りるのにウソはようあらへん。

「あらそう。おカネなんて騙して借りるもんじゃないかしら」

 まあそういうケースも多々あるけど・・・ユッキーはややこしいから黙っとれ、それからゆっくり話を聞いたんや。話しにくそうにしとったけど、コトリらも美女と野獣はフェリーから気になっとったからな。

 まずやけどフェリーでの出会いや。香凛がヤンキー三人組にナンパされたのは見たままでそうやったし、香凛がヤンキーの一人を突き飛ばしてカフェに逃げ込んだまでは知っとる。

 そこから先やけど、香凛はヤンキー連中から逃れるために、彼氏持ちにするのが閃いたそうや。人間、切羽詰まると変なもんを思いつくもんや。香凛はヤンキー連中を追い払えそうな男として野獣を咄嗟に選んだんやが直樹は、

「カウンターに向かって後ろ向きでしたから」

 あははは、顔を見んかったんか。見とったら避けたやろ。香凛も直樹の顔を見てビビったと思うけど、チェンジしとる余裕もあらへんかったから必死で目配せしながら、

「私には彼氏がいるの」

 香凛の目配せを了解した直樹が、

『おんどれら、ワイの女になんか用か』

 これでヤンキー連中は尻尾を巻いて逃げとる。そりゃ、逃げるやろ。体はゴツいし、顔も怖いし、声かって潜もり声や。どうみたってヤーさんやし、ヤーさんの女に手を出したら半殺しどころか海の藻屑にされる恐怖しか感じへんわ。

「直樹さんって、筋者なの」
「とんでもございません」

 名刺を渡してくれたんやが、株式会社チェリオって女性下着メーカーやん。とにかく可愛いのが売りで、そやなハイティーンから二十代前半ぐらいに人気のブランドや。よう人事部もこんな怖そうなやつを採用にしたもんや。それにやで、この顔で営業って冗談みたいや。

「静かなる首領の世界ね」

 ちゃうちゃう。あれは首領が気の弱そうな顔して女性下着メーカーに勤めてる話で、首領みたいな顔した一般人が勤務しとる話と違う。怖いのは顔だけとわかったし、急場を助けてくれたから知り合いになったのはわかったが、

「結果から言いますと・・・」

 香凛も最初は怖かったそうや。そりゃ、そうやろ。ヤンキーから逃げるために方便で選んだ男がモノホンやったとしか思わへんもんな。負の連鎖の蟻地獄みたいなもんや。それが女性下着メーカーの普通のサラリーマンと知って安心したぐらいやろ。

 それでも香凛は最初は打算で動いたで良さそうや。ヤンキーから逃げられた言うても狭い船内の中や。ここで別れたらまた別の奴に絡まれるかもしれん。そやから魔除けに偽の彼氏役を続けてもらうことにしたんか。

「そろそろ本当の事を聞かせてよ」

 香凛も観念したみたいで、

「逃げて来たのです」

 やっぱりな。お決まりの見合いの決定通告に反発してぐらいやろうけど、あのバイクは、

「免許だけは無理を言って取らせて頂いてました」

 バイクは、内弟子の人のを借りたって・・・それは盗んだと普通は言うんやぞ。つうかそれぐらい慌てて逃げたみたいで、旅行支度を途中で買いそろえ、敦賀にたどりついた時にはフェリー代を払うと財布は寒うなったらしい。

「カードは止められていました」

 どうして敦賀に逃げたかやけど、

「高飛びのつもりで」

 カネもなしで秋田に来てどないするつもりやったんや。香凛は直樹に気まツーで宿も決めていないとウソを言っとる。名前も山野瞳と適当に名乗っとる。そうしておいて、直樹に女のソロツーで、見知らぬ土地でそんなことをするのは無茶との話に持ち込み・・・

「ちょっと待った。それって」
「ごめんなさい、騙してタカる気でした」

 トンデモない深窓のお嬢様やな。頼られた直樹やけど、

「二人分の旅費になるとは完全に予定外で・・・」

 そうなるわな。直樹も気まツーの予定やったんや。コースだけはだいたい決めとったみたいやが、宿はその日に決めるスタイルや。まあ男のソロツーやったらそれもありやろ。気まツーはブームやから、もどきをやりたい連中は仰山おる。

 カネも出来るだけかけへん心づもりやったみたいでフェリーもツーリストAで、宿も素泊まり宿とか、せいぜい民宿あたりを考えとったぐらいや。若い時の旅行やからそういうのも楽しいもんな。

「でも鶴の湯に泊まってるじゃない」

 これはツーリングの唯一の贅沢のつもりで最初から予約しとったそうや。鶴の湯は風情もあるし、有名旅館やけど豪華旅館とちゃうねん。コトリらが泊まった本陣でも一万二千円ぐらいやし、本陣の向かいの宿泊棟やったら税サ込みでも一万円でお釣りがくるねん。

 それがツーリング中で最高の贅沢宿の予定やったぐらいの予算でツーリングに来てるんやが、香凛が一緒となると様相が変わってまう。変えんと付き合わせるのもありとは言え、

「そうなって見栄張らない男はいないよ」

 貶してるんやないで褒めとるんや。香凛に不快な思いをさせたくないとするのが男という生き物や。ちゃんと一泊二食付きのそれなりのホテルにしたんやが、

「予算に足が出過ぎまして」

 あははは、相当頑張って見栄張ったみたいや。見栄張ったら旅行費用はウナギ登りや。二人になったから二倍なんじゃ到底きかん。三倍どころか四倍、五倍に膨れ上がってもたんやろ。ソロツーの低予算のはずが、美女連れの豪華旅行になってもてるからな。

 見栄張った部分もあるやろし、気に入ってもらいたいのもあったやろ。直樹の気持ちはわかるで。、男やったらそうあるべきやけど、予定外過ぎる出費に貯金も尽きたか。

「このままだと、ここの払いをすれば・・・」

 見栄も張り過ぎや。どうしようかと困っていた時にコトリらを見かけたって事で良さそうや。しっかし薄すぎる縁やで、行きのフェリーで同船しただけで話すらしてへんやんか。それにやで、おカネ借りるんやったら会社の同僚になんで頼まへんねん。

「それが・・・」

 マジでその展開になっとるんかい。香凛の爺さんの大拙は香凛が逃げたのを知って追手を差し向けてるんや。華道の家元が追手とは穏やかないけど、

「あれは白羽根警備です」

 おいおい冗談やろ。あの白羽根警備か!

「青森で見つかって・・・」

 ホテルを出たところに待ち構えていたんかよ。これを直樹が突破して逃げたものの、今度は勤務してる会社に圧力がかかって、

「帰ったらクビかもしれません」

 白羽根警備はタダの警備会社やあらへん。傭兵を雇い入れて訓練しとる民間軍事会社に近いとこもあるぐらいや。そうやないな、国内でこそ警備会社やけど海外では民間軍事会社の事業もやっとるもんな。

 戦争のプロみたいなんもおるから、マイの時も容易ならん相手やった。直樹も青森でよう逃げられたもんや。そっか、今夜ここに来たんも、追われる者の心理で追いつめられたからか。相手が白羽根警備やったらプレッシャーも大きいやろ。

 直樹も香凛も既に知人友人は抑えられてるはずや。青森で取り逃がしはしたものの、兵糧を断たれたら、いつまでも逃げとられへんから、帰らんとしょうがないようになる。そもそも、少々の資金があっても、いつまでも逃避行なんか続けられへん。

「コトリ、頼られちゃったね」

 この話に乗るんか。白羽根警備相手やぞ。

「でも楽しそうじゃない」

 ヒマ潰しにはなるけど、チイとややこしいな。

「八幡平はまた来れるよ」
「きりたんぽ鍋や比内地鶏ぐらいやったら、出張の時に普通に食べれるしな」

ツーリング日和6(第20話)鶴の湯

 今日は八甲田から八幡平に行くのが基本やってんけど、どこに泊まるかはいくつか候補があってんよ。八幡平も秘湯の宝庫みたいなとこで、後生掛温泉とか、蒸ノ湯温泉とか、玉川温泉とか、藤七温泉とかも出したんやけど、

「ここは譲らない。乳頭温泉郷 鶴の湯一択」

 ユッキーの希望やから聞くしかあらへんねんけど、後生掛温泉や蒸ノ湯温泉は八幡平の北側つうか山の上になるけど、乳頭温泉郷は南の麓側になるからチト遠くなる。そやから奥入瀬はショートカットで我慢したぐらいや。

 ほいでもユッキーが鶴の湯に泊まりたいのはわかるんよ。この温泉はユッキーの理想が詰まったようなとこやからな。温泉は泉質が様々やし、ユッキーはどんな泉質でも喜ぶねん。そやけど強いてとなると硫黄泉になる。そう白濁したお湯や。

 理由は単純で関西ではあらへんからや。ひょっとしたらあるかもしれんが、コトリは知らん。近場にあらへんから白濁したお湯にはどうしても憧れてまうとこがある。その点はコトリも似たようなもんや。

 それと歴史ある温泉が好きや。ボーリングして最近できた温泉を否定するわけやないけど、昔から続く温泉やから名湯って呼ばれるやんか。どうせ入るんなら歴史情緒に溢れた名湯とか秘湯にしたいのは人情や。

 宿にもこだわりがある。一軒宿がユッキーは好きやし、コトリもそうや。大温泉街も楽しいとこがあるけど、そういうとこのゴージャスな宿は避けたいところがある。

「出張で温泉に行けても、そんなとこばっかりだし」

 そういうこっちゃ。さらに建物にもこだわりはある。チープな宿であっても平気やねんけど、理想は風格のあるやっちゃ。そこに歴史ロマンでもあれば言うこと無しぐらいかな。鶴の湯は秋田藩主が湯治に来てるんよ。

「一回じゃないと思ってるけど」

 というのも今でも秋田の二代目藩主の佐竹義隆の警護の侍が詰めた長屋が残っていて、宿として使われてるんよね。茅葺屋根の立派なもんで国の有形文化財登録で今でも本陣と呼ばれとる。

「これとは別に藩主が泊まった宿舎もあったはずよね」

 警護でこれぐらい立派な長屋やから、殿様が泊まったのはなおさらやろ。そんな立派なもんを一回限りとは思えへんもんな。殿様は一回やったかもしれんけど、息子とか、奥さんとかが何回か訪れとってもおかしあらへんもん。

「記録に残っていないお忍びもあったかもね」

 泊まるのはやっぱり江戸時代から残っとる本陣や。へぇ、上がり框があってランプか。

「鶴の湯も昭和の頃はランプの宿としても有名だったけど、今は本陣だけみたいね」

 鶴の湯も大人気温泉宿やから、あれこれ建て増しして、ちゃんと電気も通っとる。そやけど本陣だけはランプでテレビもあらへん。部屋の入り口は引き戸やけどカギも無うてつっかい棒や。

「今はガラス窓だけど、江戸時代は押し上げ窓で、床だって板間だものね」

 それぐらいの改善はせんと現代人やったら泊まれんやろ。ついでに言うたらランプさえあらへんから行灯や。行灯も油が高かったから冬やったら囲炉裏の火だけやろ。併用なんて贅沢すぎるからな。

「やっと混浴よ」

 東北ツーリングの楽しみやってんけど、谷地温泉でもあらへんかったもんな。あれも浴室を作り変える時に混浴の許可が下りへんかったそうやねん。混浴も滅びゆく文化やわ。谷地温泉の事はさておき、まず行くんやったら、

「混浴露天風呂しかないじゃない」

 こりゃ豪快やわ。脱衣場は東屋みたいなもんで、脱衣棚のある方だけ板壁みたいなのがあるだけで男女共用や。つまりは入浴者から丸見えってことや。若い女の子にはハードル高いやろな。コトリもユッキーもそんなん気にもならへんから、

「やっと入れた」
「この露天風呂は底から湯が湧いてるねんてな」

 ユッキーの目がトロンとしてるで。広々してるし気持ちエエわ。こういうのが温泉の原型かもしれんし、人気が高いのはようわかる。風呂あがったら夕食やけど、

「部屋食は初めてじゃない」

 下風呂温泉も部屋食やったやろが。ほぅ、お膳で出て来るんか。山菜尽くしやな。いぶり大根にいぶり人参と、こっちはこまち団子言うんか。囲炉裏にかかってる鍋は、

「山の芋鍋だって」

 団子鍋の一種やろけど、これは美味いわ。岩魚も串に刺して囲炉裏で焼いてくれるのは嬉しいやんか。これだけの御馳走になると、

「昔なら殿様料理じゃない。ここに詰めていた警護の侍はお鍋だけだったかもね」

 さすがにご飯に焼味噌だけやったら可哀想か。晩御飯が済んだら二人で黒湯に入りに行ってん。

「どうしてコトリも来たのよ。ここは子宝の湯だよ」
「うるさいわ」

 部屋に帰って飲んどってんけど。

「おったな」
「あの野獣のマットはそうは走ってないものね」

 並んで止まっとったんは瑠璃堂香凛のバイクや。

「旅先の恋が実ったのかな」
「実っても不思議あらへんけど、どないする気やろ」

 余計な心配かもしれんが、香凛に惚れるのはわかる。あの美貌に惚れん男の方が珍しいやろ。そやけどあの女は華仙流の孫娘やねんよな。

「ここで泊まってるとなると明後日のフェリーだよね」

 フェリーで来とるからフェリーで帰るはずやねんけど、これが秋田港発の朝の八時三十五分やねん。ここからじゃ絶対に乗れん。そんなフェリーに乗るんやったら明日は秋田市内に泊まらんと無理や。

 そうなると美女と野獣のコンビは明日は田沢湖ぐらいに立ち寄って秋田市内観光ぐらいが妥当やろ。コトリらも秋田に泊まるけど、

「アスピーテラインを走らないと八幡平に来た意味がない」

 コトリらは秋田市内観光はパスやから、土産物を買う時間と、

「きりたんぽ鍋と比内地鶏」

 これを外したら秋田に来た意味がなくなる。鍋の〆に稲庭うどんが出来たら言うことなしや。ユッキーと明日の予定をあれこれ話とってけんど、扉の方から、

『コンコン』

 あれ、酒はもう頼んでないはずやねんけど、なんの用事やろ。誰やねん、もしかしたらナンパか。

「あのねぇ、こんな時刻からナンパはないよ。あるとしたら夜這いよ」

 それもそうや。夜這いなんか久しぶりやな。そやけどこっちは二人やんか。

「だから相手もそうじゃない」

 なるほど、相手にとって不足なしや。その気やったら朝まで相手したるで。子宝の湯も入ったから準備万全や。

「そっちは関係ないでしょ」
「うるさいわ」

 期待に胸を高ぶらせて扉を開けたんやけど、さすがのコトリも息が止まりそうになってもた。

ツーリング日和6(第19話)十和田湖から乳頭温泉郷

 谷地温泉の朝は早い。

「なに言ってるのよ。コトリが叩き起こしたんじゃない!」

 文句を言わず荷造りだ。

「まだ五時だよ」

 日の出は四時過ぎだ、十分に明るい。バイクに積み込むのだ。

「浴衣で外出たら寒いじゃない」

 朝風呂に入るから温まる。風呂から部屋に戻れば着替えだ。

「まだ浴衣のままでもイイじゃなし。朝ごはんは七時からでしょ」

 六時に繰り上げてもらった。早く食べなさい。

「何時に出発なのよ」

 六時半までに出発する。今日は可能な限りぶっ飛ばして、

「十和田湖ゴールドラインなのに、どうしてここまで飛ばすの。危ないじゃない」

 静かにしなさい。ここだ。

「停めるよ」
「ここからどうするの」
「奥入瀬渓谷歩くに決まっとるやろが」

 奥入瀬渓谷は十和田湖から流れ出す奥入瀬川が作り出した美しい渓谷や。道路も並行して走っとるけど、それじゃ真価が堪能できへん。ハイキングコースも整備されとるから歩かん手はない。

 そやけど焼山からのフルコースとなると全長十四キロ、五時間はかかってまう。そやから前半部に目を瞑って、石ケ戸から子の口で我慢する。これでも九キロ、三時間半はかかる。

「奥入瀬を歩くのは賛成だけど、子ノ口まで下りてからどうするの」
「十時三十三分発のバスで石ケ戸まで戻る」
「それに遅れたら?」

 タクシー探すか、十二時三分のバスを待つしかない。

「コトリ、なにもたもたしてるの。トットと歩くわよ」

 ホンマは子ノ口から石ケ戸に歩いたほうが下りやからエエんやけど、そしたらバスが九時五十四分やから絶対に無理や。標高差は焼山まで行っても二百メートルぐらいやから問題ないやろ。

 さすがは有名な奥入瀬渓谷や。石ケ戸の瀬、下馬門沢の流れ、馬門岩、阿修羅の流れ、飛金の流れ、雲井の滝、白糸の滝、白銀の流れ、玉簾の滝、白絹の滝、双白髪の滝、不老の滝、九段の滝、銚子大滝・・・

「歩かなきゃ真価がわかるはずないよ」
「その通りや」

 十和田湖が見えてきて、橋を渡ったら、

「あのバスじゃない」

 二十分で石ケ戸に戻りバイクで再び子ノ口へ。

「遊覧船は乗らないの」
「そのために休屋に行く。とばすで、十一時四十五分やねん」

 十和田湖遊覧船は休屋から周回で戻ってくるBコースと、休屋と子ノ口の片道のAコースやねん。子ノ口から休屋まで十分ぐらいやから間に合うはずや。遊覧船は普通に良かったけど。

「コトリ、腹減った」

 餓鬼かこいつは。コトリも他人の事を言えんけど。十和田湖の名物と言えばやっぱりヒメマスや。この辺やったらどこでも出そうなもんやけど、目的に近いとこがエエから、ここにしょ。

「ヒメマスお刺身定食にヒメマス焼き魚単品で」
「わたしも同じで」

 まあ悪ないわ。刺身と焼き魚やったら素材の比重が高いさかい、この辺やったっらどこもそんなに差はあらへんやろ。ヒメマス堪能したら十和田湖観光や。まず十和田神社にお参りして、乙女の像を撮って、十和田は終わりや。バイクに戻るで。

「さあ行くで」
「夢に向かって出発」

 十和田湖畔の国道四五四号から国道一〇三号に入って十和田湖とお別れや。そのまま下ってもエエんやけどあえて県道二号、通称樹海ラインを小坂まで走る。ツーリングは景色の少しでも良さそうなところを走りたいものな。小坂からは国道二八二号、さらに国道三四一号と乗り継いで、

「出たぁ、この先三百メートル、乳頭温泉郷左折よ」

 そんなデッカイ声出さんでも聞こえてるわい。この角やな。

「後九キロよ!」

 はいはい。えっとこれはどっちや。右が水沢温泉郷ってなっとるけど、

「雑魚温泉郷は関係ないから直進よ」

 雑魚温泉郷はないやろが。真っすぐ行こか。ちょこちょこ宿が見えるけど水沢温泉郷なんやろな。

「乳頭温泉郷まで四キロだ!!!!」

 わかったって。耳が痛いがな。

「次の角は真っすぐ、真っすぐ」

 見えとるわ! 今度は田沢湖高原温泉郷か。

「雑魚は眼中に無い」

 そう雑魚雑魚言うたるな。そこに泊まる客かっておるんやから。へぇ、こりゃ立派なホテルも建ってるやんか。なかなか繁盛してそうな温泉郷やんか。ユッキーもそう思わへんか。

「わたしには見えない」

 見えとらへんねんやったら事故るぞ。ちゃんと前見て走れよな。そやけど田沢湖高原温泉郷は抜けたからだいぶ近づいて来たはずや。ついに歓迎看板も出て来たで。

「次の角、左」

 わかった、わかった。これは林道やな。

「そりゃ乳頭温泉郷だから」

 関係ないと思うけど、

「あるに決まってるじゃない。あっ、秘湯 鶴の湯の看板」

 見えとるって。それにしても日が暮れてからは走りたない道やな。

「真夜中でも真冬でも爽快に走れるはず」

 そんなはずあるかい。結構なヘアピンやな。対向車は嬉しない道やで。

「トレーラーが来ても余裕よ」

 そんなもん走ってきたらビックリするわ。おっ、ここかいな。

「全然違う。ここは別館の山の宿。見てわからないの! どこをどう見ても違うでしょ」

 見てもわからんかった。まだ先があるんかいな。そういうたら、小道の突き当りにあるはずや。お、見えて来た。ほれやったらアレやろ。

「わたしの夢がついに目の前に・・・」

ツーリング日和6(第18話)お嬢様業の宿命

 茶道史はともかく、大拙は華仙流の茶道のテコ入れをあれこれしたけど、三千家のブランドの壁に跳ね返され続けたぐらいが実情や。コトリも華茶一如の発想はおもろいと思ってるけど、今まで誰も出来へんかっただけの理由を思い知らされたぐらいやろ。

 それやったら華道だけで食うて行けば良さそうなもんやけど、大拙は茶道にこだわったんや。ブランドで負けるんのならブランドにすればエエぐらいや。もっと具体的にはブランドの買い込みや。

「そういうのは企業活動でも常套手段だけど・・・」

 大拙は三千家を避けてん。これはわからんでもあらへん。導入したって三千家の下請けにしかならへんからな。それに、そもそもやけど買い込むにも三千家が売ってくれるはずもあらへん。そやからやと思うけど、三千家のさらに上のブランドの導入を考えたんや。

 千利休は茶道界の巨人やけど、茶道自体を創始した訳やあらへん。義政や村田珠光からの茶の湯の流れを受け継いどる。利休の師匠に当たるのが武野紹鴎や。この頃はなんとか流みたいな堅苦しいものやなく、茶の湯に参加したければ教えてあげるぐらいの関係やった気もする。

「黄金の日々の堺の大商人の遊びよね」

 そういうこっちゃろ。付け加えといたら、黄金の日々の堺には進取の気性と、自由な精神が溢れとったからな。そういう中で利休は現在至る茶道を確立させたんや。そんな利休でさえ、

『術は紹鴎、道は珠光より』

 こうやって褒め称えたから紹鴎や珠光の名が残されたんかもしれん。

「で、どうなのよ」

 それはシノブちゃんに聞いてみた。

「頼むと高くつくじゃない」
「大間のマグロで手を打った」

 業務外のプライベートの依頼やもんな。まずやけど大拙が華仙流茶道のブランドとして紹鴎の茶道を取り込もうとしてるねん。紹鴎やったら利休の師匠やから格上になるかどうかはわからんけど、三千家より古くて別格の茶道ぐらい言えんこともないと思う。

 考えようによっては利休の茶道よりもっと考え方に柔軟性があるかもしれへん。利休は偉大やったけど、権力者に取り込んでもた部分もあるからな。

「あそこは利休の影の部分よね。政治に口出しすぎたし、それに傾き過ぎたから秀吉の不興を買ったはずよ」

 時代が時代やから難しいところや。それはともかく、利休は紹鴎の影響は受けとるけど、紹鴎の茶の湯と違う部分はあったはずやねん。そりゃ、紹鴎の茶の湯は黄金の日々の堺の茶の湯やからな。

「大拙が紹鴎に目を付けたのはわかるけど、紹鴎の茶道ってあるの?」

 まず紹鴎の息子は宗瓦やけど、商人としてより武士としての血が騒いでもた人でエエ思う。かなり波乱万丈の生涯を送っとるけど、最後は秀頼に仕えて、大阪冬の陣の直前に亡くなっとる。

 宗瓦の息子は長男が仲定、次男が知信の二人おる。大坂の陣に参加したかどうかは不明やが、とにもかくにも生き残って、理由はようわからんけど尾張徳川家に二人とも仕えとるねん。

「茶人として?」

 仲定と知信はそれなりに茶人やったらしいともなっとるけど、茶人やのうて武士として召し抱えられたで良さそうや。さらにその子孫になるとタダの武家や。教養として茶道は学んだかもしれんが、それもわからんぐらいや。

「残ってるの?」

 長男の仲定の家は幕末の勤皇佐幕の藩内抗争に巻き込まれて、お家断絶で滅んどる。

「次男の知信の家は」

 維新も生き残ったんやが、昭和の頃に息子がおらんで断絶しとる。そやけどその頃に武野紹鴎研究所てのが出来てるんよ。嫁に行った娘が研究所の所長になり、紹鴎流の家元を名乗ったとなっとる。

「紹鴎流は続いてたの」

 ここがシノブちゃんの調査でも曖昧やねんけど、娘が所長になった時に十六代目とかになってるらしいねん。さらに娘の息子が十七代目になったらしいが、苗字が武野やのうて岡本や。嫁ぎ先の家の子やからな。

 茶道の方やけど、家元こそ名乗ってるけど活動記録は見つからへんかったって言うてる。たとえば茶道教室を開いて門人を取るとかや。さらに本業は不動産鑑定士やったともなってる。

「研究所は?」

 なくなったで良さそうや。そやけど今も岡本の家は続いていて、内輪ぐらいやけど、家元を名乗ってるらしいねん。

「でも紹鴎流の家元を名乗る家があるのよね。大拙が紹鴎流茶道を華仙流に取り込むのは良いとして、どうやって取り込むつもりなの」

 そこんとこがはっきりせん。企業買収なら商標権も手に入るし、商標権に相応しい商品生産技術も手に入る。そやけどモノは茶道や。

「そうなのよね。ところで今でもググれば堺流とか紹鴎流で出て来るじゃない」

 ホンマや。そやけど列挙されとるだけで内容とか、具体的な活動はなんもあらへん。

「だから大拙も目を付けたんじゃない」

 そういう事かもな。紹鴎流が小さくとも門人を取って活動しとったら、華仙流に取り込まれたりせんわ。取り込もうとしても、華仙流との流儀の差はテコでも譲らへんやろし、譲らへんからあの手の流派が成立しとる部分がある。

 それがブランドだけで実態があらへんのやったら、利用価値が違ってくる。そもそもやが茶道の流派と違いと言っても実質あらへんようなもんやから、

『現代に甦る武野紹鴎の精神』

 とかなんとか宣伝して、華仙流茶道は紹鴎の茶道を受け継いだものぐらいにする気やろ。そういう宣伝は大拙のお得意や。

「紹鴎派の家元もメリットあるかも」

 かもな。紹鴎の看板抱えとっても一銭にもならんやろ。そら武野紹鴎いうても、茶道と言うより、茶道史に詳しい人か、歴史オタクぐらいしか知らんもんな。それがブランド売る事でゼニになって、御先祖様の名を宣伝してくれるんやから乗っても不思議あらへん。

 やっぱり、ここで問題になるのはどうやって大拙が紹鴎流のブランドを買うかや。買うのはカネの問題やけど、企業買収とちゃうからな。それに大拙にしても表看板はあくまでも華仙流茶道で、

『紹鴎の精神を受け継ぐ唯一の流儀』

 てな形に持ってきたいはずや。そしたらユッキーが、

「そういう時の常套手段があるじゃない」

 あれやるんか。今どきだぞ、

「大拙ならやりそうよ」

 そういう見方をすれば話の辻褄が合う部分はある。やけどそんな噂もあらへんで、

「コトリらしくもない。こういう事は表面化した時には決定よ」

 まあそうや。華仙流サイドにしたら、話を持って行って蹴られたら赤恥をかくだけやからな。となると、

「今のところの表向きは、紹鴎流との連携の話ぐらいじゃないの。たしか・・・」

 ここまで伝え残された紹鴎流は文化として貴重で、後世に伝え残す必要があるやった。なんか無形文化財保護みたいな話にも聞こえたわ。

「次の展開も決まってるじゃない。より両流の絆を深めるでしょ」

 それしかないよな。その延長線上で女のソロツーとなると、

「水面下ではそこまで話が進んでて」
「逃げ場がなくなっとる」

 こうにしかならんか。そやったら、もしかしてフェリーのヤンキー三人組も、

「それはさすがに違うと思うよ」

 だよな。ユッキーの言う常套手段とは婚姻や。そうやって両家の絆を深くして、実質的に紹鴎流の名を借りた茶道をやるこっちゃ。政略結婚って事になるが、今の世の中でもある。あるどころか、セレブって言われとるクラスやったら日常茶飯事や。

 この辺は、なんだかんだと言っても、最後に信用できるのは血のつながりって考え方がある。さすがに戦国時代みたいに、実家が裏切らないようにするための人質まではならんやろうけど、

「今でも政略結婚に使えるようにのお嬢様教育やってるよ」

 まあな。大昔みたいに純粋培養は不可能やけど、結婚に関しての釣り合いを叩き込まれるぐらいはある。ココロは一般庶民を、そもそも恋愛相手として無視させるぐらいや。

「妙な具合に仕上がって、見下しまくる高慢な性格なるのもいるけどね」

 香凛もそういうお嬢様として育てられ取る可能性が高いから、

「婿養子にするんじゃない」

 実体のない紹鴎流が華仙流とこれで一体となるぐらいか。まあ話としては悪い話やない。両家にとってウィンウィンとしてもエエぐらいや。

「ただし当人を除くだけどね」

 香凛は紹鴎流の息子との結婚話を嫌がってるんのは確実や。そやなかったっら、こんなとこに女のソロツーで来るかいな。あれは見合い話から逃げて来たに違いない。

「逃げても無駄なんだけど」

 そやねん、いくら逃げても政略結婚なら逃げきれん。当日を逃げても他の日を設定するのが政略結婚や。それに捕まれば今度は軟禁から監禁状態にされてまう。そこまで出来る家が政略結婚をするからな。

「そうよね。駆け落ちしたって追いかけて来る」

 それ以前に将来を約束してる男どころか、彼氏もおらへんやろ。おったらソロツーするわけあらへんやん。あの野獣がそうでないのは確実やし。

「でもあれから恋に芽生えたはどう」

 野獣の容姿は置いとく。それこそ蓼食う虫も好き好きやから。それよりもツーリング日程が絡んでくる。美女と野獣が男鹿半島に向かったんは確実やが、どこに宿を取ってるかや。男鹿半島からかって、コトリらのように竜飛岬を目指すのもありやし、

「岩木山を越えて弘前とか青森もありだもの」

 その気になれば八甲田山も行けてまう。野獣も美女も宿の予約があるから、たまたま同じツーリング・コースやったらエエが、違えばどっちかの宿をキャンセルして合わせなあかん。わざわざキャンセル料を払ってまで一緒にマスツーするとこまで関係が深まってるかどうかになるもんな。

「男だって関わってしまうと大変だよ」

 野獣がどんな仕事をしとるかわからんけど、香凛を奪ったら奪ったで華仙流から追及が来るからな。この辺が華道の怖いとこで、思わぬ有力者とつながりがあるかもしれん。圧力かけられて下手すりゃクビになる。

 そうなったら収入もなくなるし、再就職先にも妨害が入る。これは皮肉なことに香凛の事情を知れば知るほどわかる関係やねん。それをわかった上で頑張れる男は少ないで。

「頑張っても現実はジリ貧どころかドカ貧にされちゃうよ。今だって誘拐とか、婦女暴行とか難癖付けられる可能性があるじゃないの」

 腕利きの顧問弁護士が雇うとるよな。それで罪にはならんと思うが、訴訟をちらつかされたり、実際に訴訟の場に引きずり出されたらそれだけで消耗するさかいな。

「さて寝よっか」
「そやな」

 とりあえずやれる事があらへん。色んな推理巡らしたけどホンマにそうかわからんし、美女と野獣かってフェリー下りてからあれっきりや。それよりツーリング、ツーリング。

ツーリング日和6(第17話)華茶一如

 香凛はバトルロイヤルの活躍前から常に天才少女と呼ばれ続けてるし、それに加えてあの美貌やんか。ずっと華道界のアイドル扱いにされてるわ。あのままやったら、息子の講平やのうて、孫娘の香凛が華仙流の二代目になるやろな。

「大拙、元気だものね」

 あの勢いやったら百まで生きてそうや。そうそう華仙流の特徴の一つとして華道の他に茶道もやってるねん。

「アイデアよね。二つ一緒にしてるとこないもの」

 花嫁修業で華道と茶道はセットみたいなもんや。もちろん華道の師匠になるような連中は茶道の心得があるし、華道もそうや。日本文化の美意識のルーツみたいなもんやからや。そやけど二つは別の習い事が常識や。それを大拙が、

『華茶一如』

 こう唱えて両方教えることにしとるんよ。一か所で華道も茶道も覚えられたらたしかに便利やと思う。月謝かって割安になるやろし。

「でも世の中、そうは上手くは行かないのよね」

 華仙流茶道の人気はイマイチやねん。茶道と言えばやはり三千家が圧倒的にメジャーなんがまずある。

「茶道と言えば千利休が有名人過ぎるものね」

 つまりは華仙流茶道はブランド・イメージが低すぎるぐらいや。茶道をどこで習ったと聞かれた時に、メジャーブランドの三千家にしたいのは人情やからな。

「茶道なんて華道に較べると差が少ないし、派手な技が使えるものじゃないのにね」

 コトリに言わせれば今の茶道に茶の湯の精神なんか残ってへんでエエと思うてる。あくまでもコトリの意見やし、今の茶道をバカにしたり、見下してる訳やあらへんから、そこは誤解せんといてや。

「あの頃に茶道に誰もが飛びついた感覚はわかんないよ」

 今と昔の最大の違いは身分制や。この感覚は今の人間には頭でわかっても実感は絶対無理や。身分が違うと言うのは人種が違う・・・

「それも問題発言になるから、人種じゃなくて種が違うにした方が良いよ」

 ユッキーも上手い事いうな。身分が違うとホモ・サピエンスとチンパンジーぐらいの差があったとした方が実感により近いもんな。ここもキモだけ言うと身分が違うと会話も出来へんかった。

 身分言うたら江戸時代の士農工商を学校で覚えるけど、たとえばトップの士でさえ大相撲の番付みたいに身分は細分化されとってん。少しでも身分差があれば直接会話は出来へんぐらいやねん。

 どうやって会話するか言うたら、通訳使うイメージでエエと思う。外国人相手で言葉が通じんかったら、通訳を介しての会話にせんとしゃ~ないやろ。自分がしゃべって、通訳が訳して相手に伝えるや。逆もそうや。

 それをやな言葉通じるもん同士でやっとってん。相手の言葉がわかるし、聞こえてるけど、あえて通訳入れとるみたいなもんや。具体的にはお付きの人がおって、話をする時はお付きの人にまず話すねん。

「あれって建前として、お付きの人が話し直すまで聞こえてないことになってるのよね」

 そういうこっちゃ。例えばやで格上の人間が、

『大儀であった』

 こう言うても、聞こえてないことになっとって、お付きの人が言い直してから、

『へへぇ』

 こうなる寸法や。コント見たいやけど、それが当時の社会で身分制や。そりゃ面倒やし時間がかかるし、腹を割った話し合いなんか無理や。上の連中も面倒な時には時代劇で見たことあるやろ、

『直答を許す』

 特別の許可を与えなあかんねん。どれぐらい不便やったかやけど、将軍が風呂に入っとって熱いと思うやん。そやけど茶坊主とは身分差がありすぎるから直接言われへんねん。そやから、

『なんか熱い、熱い気がするな・・・』

 こうやって独り言で呟くしかあらへん・

「それもうっかり口にしたら、担当者の失態になるからひたすら我慢したそうだものね」

 身分差を裏打ちしてるのが礼法で、武家やったら室町礼法や。これがもう煩雑なんてもんやない。身分差で近付ける距離も決まっとった。たとえば座敷の床の間の前に主が座ってるとするやん。それに対して身分差で、

 ・同じ座敷に座れる
 ・次の間に座れる
 ・縁側に座れる
 ・庭先に座る
 ・そもそも無理

 これぐらいはあるし、実際はもっと細かくなっとる。言うまでも無いけど距離に応じての振る舞いも細かく規定されてガチガチに縛り上げてるねん。そやけど人って話をしたい生き物やんか、身分差をある程度越えてもっと自由に話をしたいと思たんよ。

「連歌があれだけ持て囃されたのも、今じゃ理解できないものね」

 連歌も身分差を越えて自由に会話が出来る遊びの形式や。そやけど連歌が出来るだけの教養がいるし、もっとお手軽な遊びを編み出したぐらいや。

「その一つが闘茶ね」

 お茶の産地を当て合う遊びや。これが茶道のルーツの一つやとされとる。

「でもやっぱり義政だと思う」

 足利義政は政治には不熱心やったけど、極度の趣味人でエエと思う。今やったらオタクや。オタクやからオタクとフランクにオタクの話をしたいんやが、義政は将軍やから身分の壁が立ち塞がるんよ。

「村田珠光の登場ね」

 村田珠光も茶道の祖の一人にされとるけど、奈良で流行っていたお茶会遊びを義政に教えたぐらいで良いと思う。これも身分差を越えて自由な会話を楽しめる遊びの一つぐらいと思たらエエ。

「義政が飛びついたのよね」

 義政の功績が大きいのは日本最高クラスの貴人が茶の湯に熱中したのを示した点や。もっと言えば、茶の湯遊びであれば将軍とさえ身分を飛び越えて会話できることを知らしめたと思っとる。

「ある種のお墨付ね」

 将軍の趣味は臣下がすぐに真似をするし、さらにその下にも広がっていくもんやからな。ここら辺から今の茶道の原型が出来上がって行ったんよ。茶室は単にお茶を飲むところやあらへんねん。あそこは世間と別世界と定義したんや。当時としては驚愕の世界で、茶室に入れば身分は主人と客の二つしかないとしたからな。

「これがどれだけ驚異の世界かを今の人が理解するのは無理でしょうね」

 さらに茶室の中の独自の礼法を作り上げて行ったんよな。今はそっちの礼儀作法の方が重くなってもてるぐらいやが、当時としては略礼というか別世界の礼法ぐらいと受け取られたんや。茶室の中の価値観も世間とは別にするのも遊びとして確立させてる。たとえば茶道具や。なんの変哲もない茶碗を、これこそ名器としたあれや。

「そういう茶の湯遊びが大流行になったのよね」

 茶の湯遊びに参加したければ、そのルールを覚えなあかん。そやから猫も杓子も茶道に熱中したぐらいや。そこでの自由な精神とは、茶室に入れば世間のルールから離れられる心意気でエエかもしれん。どうしたって世間のルールを引っ張るのが人間やからな。

「その精神を反映できた人を茶人として称賛されたぐらいだよ」

 そやけどそんなガチガチの身分差は綺麗サッパリなくなってもた。考えようによっては、かつての茶室の世界が普通の世界になってもたと言えるかもな。