ツーリング日和(第13話)旅の終わり

 コトリたちは執念深く温泉に入ってから宿を出たんよ。まず口の宮本社にお参りして、今度は石鎚山ロープーウェイがある下谷駅に走って行ったんや。そこから十分ぐらいで成就駅に到着。ここには中宮の成就社がある。

「役の行者が苦労したとこやな」
「やっと山頂を極めてここまで下りてきて、吾願い成就せりって叫んだから成就社なんだよね」

 ここまでは楽やねんけど、ここからが今日のメイン・イベントや。ここまで来たら、奥宮の頂上社まで行かんと意味があらへん。

「三・五キロだって」
「役の行者が悪戦苦闘したルートや」

 成就社のとこで一四五〇メートルぐらいやから、まだ五百メートルあるねん。そのうえ急勾配で、

「おもしろうそう」

 ユッキーは平気な顔して登っていくけど、四か所の鎖場がある。成就社までに試しの鎖、一の鎖ってあって、成就社からなら二の鎖になる。この鎖もタダの鎖やない、電車の吊り側みたいなゴッツイ鎖や。二の鎖は六十五メートル、三の鎖は六十八メートルや。

 どっちも足をかけるとこも難儀するぐらいで、ありゃ、垂直の壁や。やっぱり事故もあるそうや。そりゃ、そうやろ。そやけど脇道もちゃんとある。

「これ、ずるいよ。ちゃんと試練を乗り越えなくちゃ」
「まあ、商売でもあるからな」

 成就社から頂上社までゆっくり歩いて三時間らしいが、コトリたちは二時間かからず到着。頂上社も参拝。

「ちょっと愛想ないね」
「風強いんやろ。華奢な建物やったら吹っ飛ばされるんちゃうか」

 ここで昼食や。ビックリするけど石鎚神社頂上山荘って山小屋があってメシ食えるんよ。メニューも結構豊富やねん。

「六甲山の一軒茶屋より充実してない?」
「一軒茶屋のカレーは名物やけど、クリームシチューは置いとらへんもんな」

 ここから成就社に向かって下山や。ここも標準的には一時間半~二時間ぐらいやそうやけど、一時間で降りてきた。

「これで一日で四社制覇だね」
「あんまりおらへんと思うで」

 石鎚神社四社とは、

 ・口之宮 本社
 ・中宮 成就社
 ・奥宮 頂上社
 ・土小屋遥拝殿

 土小屋遥拝殿は朝飯前に行った石鎚スカイラインのテッペンにあったやつやねん。成就社からはまたロープーウェイで下まで降りて、今度は新居浜、目指すは別子銅山や。

「泉屋の繁栄の源ね」
「泉屋言うても今どきの人間がわかるかい」

 江戸時代の住友の屋号や。江戸時代は日本は銅の産出が多くて主要輸出品やったぐらいやねん。まずは鉱山記念館を見てマイントピア別子やで。

「東洋のマチュピチュは言い過ぎだけど立派なものね」
「夢の跡やな」

 別子銅山から四国鉄道博物館も見て回り、西条市内を気まぐれ歩き。

「あれ、うちぬきって言うんだって」
「天然の噴水やな」

 ぶらぶらと見れるだけ見て、東予港に。

「あれだね」
「あそこに並ぶみたいや」

 帰りはオレンジ・フェリーにしたわ。高松の方に回って、瀬戸大橋と言いたいとこやってんけど、一二五CCは通られへん。高松からフェリーもあるみたいやけど、午後の四時半発やねんよ。

「コトリ、思ったのだけど二五〇CCで認めてもらったら」
「さすがに手続き面倒や」

 今乗ってるバイクは一二五CCで正式に買ってナンバー付けとるんよ。そやからあくまでもカスタムしてるだけ。これを中型にするのは手続きがチト面倒なんよ。そりゃ、カスタム言うても、オリジナルで残っとるんはミラーの鏡と、プラスチック・パーツの一部ぐらいやねん。

「面倒な物を作ったよね」
「しまなみ海道走れたから良かったやんか」

 おっ、乗船が始まったで。船に乗り込んで、こっちやな。ちゃんと固定もしてくれるんや。そこからエレベーターで四階か。

「うわぁ、立派だね」
「日本のフェリーもバカには出来んな」

 世界一周の時のクルーズ船に較べたら可哀想やけど、値段が全然ちゃうからな。こっちの方が満足感は高いかもしれん。フロントでカギもろて部屋は五階や。

「ちゃんとツインになってるよ」

 選んだのはスイート。ちょっと贅沢やが、二人部屋がロイヤルとスイートしかあらへんねん。部屋はシングル・ベッドが二つと、えらい長いソファやな。ここだけでも余裕で寝れそうや。テレビもデカい。洗面所も付いとるし、アメニティもホテル並みや。ロイヤルにしたらこれにバスとトイレも付いとるって書いてあった。

 このフェリーのエエとこは、全部個室やねん。フェリー言うたら雑魚寝部屋みたいな大部屋があったり、タコ部屋みたいな二段ベッドで四人部屋とかあったりするもんやがロイヤルとスウィート以外はシングルやねん。

 内装は観光客仕様にしてあるけんど、主力はトラックの運ちゃんやもんな。ドライバーが一人やからシングルの需要が多いってことやろ。それでも内装は豪華な方が喜ばれるよな。ざっと見てもコトリたちみたいな観光客は少なそうや。

 この辺はコトリでもわかるとこはある。神戸から松山に観光行くのにフェリーはまず思い浮かばん。クルマやったら山陽道からしまなみ海道考えるやろし、徒歩やったら大阪空港から飛行機やろ。電車はチト不便ぐらいや。

 それとダイヤもネックやろな。東予からも南港からも、二十二時出航で朝の六時に着くのやけど、これはトラックに便利なようになっとる。南港やったら大阪の中央市場に直行やろし、東予も似たようなものやと思うねん。

 これを観光に使おうと思たら、朝は早すぎるし、夜は子ども連れではチトきつい気がする。今日もあれこれ回って時間を潰したけど、観光は夕方の六時ぐらいでだいたい終わりや。そりゃ、そうで、日も暮れて来るし、宿に入る時刻になるからな。今日もそれで苦労した。

「でも使いようね」

 目的地にもよるけど、夜はゆっくり寝て、朝早くからスタートできるからな。バイクのツーリングとかやったら便利や。今回も行き帰りともフェリーにしたかったぐらいやねん。せんかったんは、しまなみ海道を往復せんとあかんねん。尾道とは言わんが、広島ぐらいからフェリーがあったら良かってんけど、さすがに商売にならへんよな。

 さて風呂入ったらメシや。今日は二十時の乗船時刻と共に乗り込んだやけど、かえってラッキーやった。レストランのラスト・オーダーが二十二時三十分やから、ギリギリに乗り込んどったら食いあぶれるところやった。

 食堂は、そやな、ファミレスと定食屋の中間みたいなもんかな。基本はカウンターに並んどるオカズをトレイに乗せて、最後にご飯と味噌汁を頼むぐらいや。他にも注文で作ってくれるもんもある。

「宇和島鯛めし、二つ」

 鯛めし言うたら、普通は鯛と米を一緒に炊き上げたものやけど、宇和島鯛めしは根本的に違うんよ。まずは小鉢のダシ汁に浮いてる生卵を混ぜるんや。そこに鯛の刺身をからませて、熱々のご飯の上にのせ、最後に溶き卵を入ったダシ汁をお好みで足すねん。

「これって超贅沢TKGね」

 そやな。元は日振島の海賊が考え出したってなっとるが、漁師メシの一つやろ。今はダシ汁になっとるけんど、漁師が船の上で食べとった頃は醤油やったんやろな。それやったらモロのTKGや。他もあれこれ食べてビールも飲んで、

「売店はないのね」
「その代わりに自販機は充実しとるな」

 ゲームセンターとかもあるけど、さすがに誰もやっとらんわ。ドライバーの連中は明日も仕事やからメシ食ったらトットと寝るみたいや。変なおっさんが酔っ払って騒がれるより静かでエエかもな。

「デッキに出てみようよ」

 船乗ったら出たいもんな。ちょうど出航か、

「おもしろかったね」
「こういう旅もエエな」

 港を離れたんを見て船室に戻ってビール飲んで寝たわ。朝飯食べて、南港からポーアイまで。阪神高速走られへんから一時間半ほどかかってもたけど、それでも八時までには帰宅出来た。

「お土産は定番のタルトとみかん蜂蜜。それと今治のタオルね」

 タオルは可愛いでサクラクレパス・タオルと、ミルキィのフェース・タオルや。それとやけど、

「じゃ~ん。宇和島鯛めしの素も買うといた」
「凄いじゃない。それってフェリーで食べたのと同じだよ。鯛の刺身まで全部セットになって売ってたんだ」

 お土産買うのも旅の楽しみや。

ツーリング日和(第12話)石鎚スカイライン

 朝にガラの悪い走り屋の話を持ち出して、行くのをやめるか、行くとしても走り屋がおらんようなる、もっと遅い時間にしようと説得したんじゃが、

「朝飯に間に合わへんやん」
「仕事もあるから、余裕が無いのよ」

 そがいなレベルの問題じゃないと食い下がったんじゃが、

「賭けレース? 品の無い連中やな」
「相手にしなければだいじょうぶじゃない」

 こがいな調子で聞き入れてくれず。

「最後は兄ちゃんたちがおるから期待してるで」
「ボディ・ガードよろしくね」

 逃げたいぐらいじゃったが、見捨てるわけにもいかず出発じゃ。目指すは東温市。宿から国道十一号を東に走って三十キロぐらいんじゃが、さすがにこの時間帯はガラガラで、三十分ほどで左折し国道四九四号線に入ったんじゃ。

 この道は山の麓辺りから細うなり、登るにつれて一車線半もないほどになる。というか、街灯なんてないけぇ怖い怖い。

「もう一時間遅いだけでも安全になるのにじゃ」
「言いよる間じゃない、追い付かんようなる」

 国道十一号線までは先導しとったが、前を走りたい言われて交代したんじゃ。これも心配じゃったんじゃが、とにかくペースが早い、早い。というかワイらのバイクは悲鳴をあげとる。

「ありゃ普通のバイクじゃないがな」
「なにかいらっとるのじゃろうけど」

 三十キロぐらい走ると通仙橋の交差点があり直進して県道一二号に入たんじゃ。そこから十キロぐらい走ると石鎚スカイラインの入り口の大鳥居が見えてきたんじゃ。

「近藤、覚悟決めなけりゃならん」
「お、おう」

 やっぱりおった。十人ぐらいじゃろうか。あの二人が取り囲まれとる。追いついて駆け寄ったんじゃが、

「・・・レースってか。コトリたちはツーリングを楽しみに来てるだけやで」
「不戦敗でも五万や」

 最悪じゃ。

「まあエエわ。こっちはツーリングで走るから、勝手にレースしたらエエやろ」
「勝ったら五万や」
「ユッキー、行くで」

 こちらを振り返ったコトリさんは、

「土小屋テラスにおるさかい、そこでお茶しよ」
「こっちの兄ちゃんもレースや」
「ほなら、その分もノリにしてコトリとユッキーとお前らとの勝負でどうや」
「ほいやったら、四人で二十万になる」

 こっちが小型やけぇ足元見やがって、一人五万はやり過ぎじゃい。ユッキーさんは、

「負けたって二十万じゃないの。だいじょうぶよ」

 二人はバイクに跨りスタートしたんじゃ。それに続きよって、

「カモや」

 バカにしたようにおらびながら、轟音と共に発進したんじゃよ。

「アキラ、事故だけせんように祈っとこう」
「払える言いよるけぇ、不幸中の幸いやけど・・・」

 大型バイクの集団が走り去った後にトコトコと二人で後を追ったんじゃ。土小屋テラスまでクルマなら三十分ぐらいのはずじゃが、登りはキツイ。やっとこさ登り切ると、あの連中に囲まれた二人が土小屋テラスの前におる。

「こういう賭けは、その場の現金払いが鉄則や。そっちから勝負仕掛けといて、負けたら払えませんは通用せんのや」

 コトリさんは睨みつけるようじゃった。

「それぐらいエエ歳してまだ覚えとらんかったんかい。エエ機会や勉強さしたるわ。残りは、そこの二台で堪忍したるから谷に突き落とせ。それでチャラにしたるわ。さあ、行くで、コトリが見といたるさかい。別に一緒に落ちてもかまへんで」

 そがいな無茶苦茶な。

「勝負に負けるとはそういうこっちゃ。そんぐらいの覚悟もなしにコトリとユッキーに勝負吹っかけたんか。バイクぐらい命に較べたら安い勉強代や。なにモタモタしとるんや」

 指定された二台をノロノロと押し始めたその時に、ユッキーさんがじゃ、

「メンドクサイからトイチで貸すにしといたら」
「お前ら運がエエな。ユッキーがトイチで堪忍したるって言うからしゃ~ないわ。証文書いてもらおか。近藤君、ちょっと書いてくれるか」

 急いでノートを取り出して、コトリさんが言う証文の条件を書き並べ、全員にサインをもらったんじゃ。

「ここに書いてある通り、コトリにゼニ払うまで賭けレースは無しや」
「はい、わかりました」
「声が小さい。聞こえへんがな」
「はい、わかりました」

 大声であの連中がおらんで、すごすごと山を下って行ったんじゃ。ワイとアキラは呆気に取られとった。それにしても小型が大型に勝つなんてじゃ、

「あのバイクね。女の子用にしてあるの。ちょっと持ち上げてごらん」

 持ち上げるたって百キロあるんじゃけぇ・・・あれっ、持ちあがる。

「女の子は体力ないから軽くしてもらったの」

 なるほど・・・じゃない。どこをどがいしたらこがいに軽うなる。

「だから女の子用のカスタムだよ」

 アキラも目が点じゃ。

「さあ、こっからUFOラインや」
「その前に遥拝殿にお参りに行かないと」

 そこから二人の会話が聞こえてきたんじゃ、

「たくレースなんかにするから御来光の滝、見れなかったじゃない」
「ほんまやで長尾尾根展望台、楽しみにしとったのに」

 その言葉通りにUFOラインはのんびりツーリングじゃった。宿に戻ったら、

「遅めやけど朝ごはん、朝ごはん」

 それから、

「今朝はありがとうな」
「男の人がいるって心強かった」

 情けない話じゃが、居ただけで何の役にも立っとらん。

「コトリなんか怖くて、怖くて。足は震えるし、オシッコちびりそうやったもの」
「近藤君たちが来てくれてホッとしたもの」

 どこがか。あのタチの悪い連中が、まるで子羊のようになっとったじゃないか。

「楽しかったわ、縁があったらまた会おな」
「じゃあね」

 ワイらはここで別れた。これも驚いたが、今朝のお礼言うて、宿代も払いよった。しまなみ海道を渡って広島に帰ったんじゃが、

「あの二人って何者じゃったんじゃろう」
「神戸のOL言いよったけど」

 それ以上は苗字も勤め先も聞けず、連絡先も教えてくれんじゃった。ただ、帰りのしまなみ海道が思いっきり味気ない旅になってしもうた。

ツーリング日和(第11話)不思議な二人

 ワシは広島大三年の近藤進一じゃ。親友の土方彰としまなみ海道のツーリングに来たんじゃ。因島の水軍城で先にあの二人連れを見つけたなぁ土方で、

「声かけてみよ」

 バイクはワシらと同じやから、正直に言う、ナンパのチャンスじゃ思うたんじゃ。ナンパまで行かんでも、今治に行くのじゃったら同行したら楽しそうじゃ。じゃがの、歳の頃はそがいに変わらんはずじゃが、気後れするほどのも美人なんじゃ。あがいな美人は見たことがないぐらいじゃ。

 土方とジャンケンして負けてしもうたけぇ、ワシが声をかける事になってしもうたんじゃ。どうも次の行き先の地図を確認しとるようじゃったが、一緒にツーリングすることをOKしてくれたんじゃ。土方がガッツポーズしとった。

「コトリや」
「ユッキーと呼んでね」

 コトリさんの方はバリバリの関西弁じゃが、ユッキーさんの方は関西訛りがある程度じゃ。スタイルはコトリさんの方がすらっと高い感じじゃが、ユッキーさんは小柄で華奢な感じじゃ。

「昨日、神戸から向島まで走って来た」

 ひぇぇ、あれ走ったんじゃ。ワシも走った事はあるんじゃが、このバイクではちいと厳しいコースと距離じゃ。ましてや女の子じゃ。ガイド役を頼まれて観光の希望を聞いたんじゃが、

「とりあえず、こんだけ回りたい」

 ぎょぇぇじゃったが、出発したんじゃ。あのお二人はなんにでも興味がありそうじゃったが、とにかく見て回るスピードが早い。あれぐらいのペースじゃないと見れん言われりゃあそうじゃが、とにかくエネルギッシュじゃ。


 今治城で宿を聞くとなんと同じじゃった。ただし、ワシも土方も金欠で同級生の藤田に頼み込んで友だち価格でゲストハウスに泊まらしてもらう予定だったんじゃ、

「国道のとこにローソンあったきに」
「弁当と缶チューハイじゃな」
「一本ずつじゃ」

 食費の節約のために素泊まりの予定じゃった。ところがコトリさんは、

「旅は道連れやんか、一緒にメシ食おうや」

 昼食も御馳走になっとるけぇ、断ったんじゃが押し切られてしもうた。どがいな話をしよう思うとったら、お二人はいきなり歴史バトル。よう、あれだけ空で言えるもんじゃ。ようやく一段落ついたんじゃが、

「飲んでへんやん。そんなチビチビ飲むもんやないで」
「コトリ、これじゃ追いつかないよ」

 グイグイ飲むもんやけ、テーブルの上がお銚子だらけじゃ。するとなにやら交渉したんじゃが、

「こんなお銚子で間に合うかい」

 一升瓶ごと出てきよって唖然。さらに水を飲むようにコップ酒じゃ。

「次は賀儀屋で一升瓶」

 酒乱かと思たんじゃが、あれだけ飲んでも平気のようじゃ。

「明日もあるから、ホドホドにせんとな」

 明日の予定を聞いたのじゃが、

「石鎚山スカイラインを走るで」

 えっ、一二五CCでも走れるなぁ走れるんじゃが、ぶち苦しかったなぁ白状しとくる。それこそ二速使いまくりでやっとこさじゃ。

「UFOラインで戻ってくるのよ」

 晴れとりゃ絶景じゃが、小型バイクではぶちハードじゃ。

「朝は四時に出発や。それぐらいやったら空いてるやろ」
「スカイラインの入り口の鳥居には六時過ぎに着くはずよ」

 そがいな早い時刻に朝食の準備が思うたんじゃが、

「朝飯前のツーリングや。明日も道案内頼むで。悪いけどガイド料はもう腹の中や」

 部屋に戻ってからじゃ、

「アキラ、石鎚スカイラインの話、聞いてるじゃか」
「話にはな」

 石鎚スカイラインも昼間は観光客のクルマも多い道じゃが、深夜から、早朝になると走り屋が出没するんじゃ。かつての暴走族みたいに乱暴じゃあらへんが、あんまりガラが良うないんじゃ。ワシが聞いた話なら、レースを持ちかけて来るなぁあったはずじゃ。

「ああ、それやったらオレも聞いたことあるけぇ、一万円じゃろ」
「三万の話もあったはずじゃ」

 相手を見て変わるようじゃが、相手は大型じゃし、コースも自分の庭のように知っとるはずじゃ。それに対して、こっちは一二五CC、あがいな急坂のワインディング・ロードでは話にならんのじゃ。

「別に峠道でのうて勝負にならん」
「じゃけぇ通行料みたいに取られるんじゃろう」

 はっきり言うてカツアゲなんじゃが、問題はあの二人じゃ。

「まさか襲われんじゃろうな」
「ないたぁ言えんよ」

 十万円やら吹っかけられて、払えにゃあ体で払えやら。

「そうなったら守らにゃあいけん」
「そうじゃけど」

 ワシもアキラも男じゃが、はっきりゆわんでも喧嘩に弱い。そもそも喧嘩やらしようとも思わん。

「ボコボコにされるかもじゃ」
「男の意地を見せるしかないじゃが」

 たちまち明日の朝にコース変更を頼むことにする。そがいな危険なところのあの二人を連れていくわけにゃあ行かん。

ツーリング日和(第10話)斉明天皇の温泉

 道後温泉も三千年の歴史があるけど、湯之谷温泉も斉明天皇が入浴した伝説あるらしいんや、

「あれって白村江の時でしょ」

 斉明天皇の晩年に百済派遣軍を送るんやけど、斉明天皇は九州の朝倉宮まで行くんよね。その途中に伊予にも寄って、

『御船泊于伊豫熟田津石湯行宮』

 これは天皇の御座船が伊予の熟田津に停泊し、石湯行宮に行ったぐらいの意味や。熟田津の比定は諸説あるけど、入った温泉は道後温泉とするのが定説かな。そりゃ、景行天皇の時代から入湯の話があるぐらいや。気になるんは舒明天皇の時や日本書紀には、

『幸于伊豫温湯宮』

 これは伊予の温湯宮に行ったになるけど、石湯行宮やないんよな。ここやけど字だけの意味やったら、

 宮・・・・・常設
 行宮・・・仮設

 これぐらいになる。舒明の時に常設の温湯宮があったから、斉明も道後に行ったのなら温湯宮になるはずで、仮設の行宮としてるから道後じゃないてな仮説は立てられん事はない。そやけど、ずっと伊予に天皇がおるわけやないから、舒明の時には常設やったんが、斉明の時には無くなっていて仮設なってたぐらいでも余裕で反論できるんや。

 そやけど可能性はまだあるんよ。舒明とか聖徳太子は道後温泉目当てに伊予に来てるんや。いわゆる温泉ツアーやな。そやけど斉明はそうやない。百済遠征のためや。伊予に来たのも温泉ツアーのためやないと見るべきや。そう、百済遠征軍のための兵士や物資の調達のためや。

 そういう時にどこに行くかや。そりゃ、伊予の中心地や。今は県庁も道後温泉のある松山にあるけど、あそこって伊予の西の端っこみたいなとこやんか。中心地は国府のあったとこと見るのはアリや。

 伊予の国府はまだ特定されとらへんけど、今治が最有力や。今治城のちょっと南ぐらいのとこや。それだけやない、国分寺や国分尼寺もその近くにあったんよ。これは今治が古代の伊予の中心地やったと見てもエエと思うんよ。

「そうかしら・・・」

 ユッキーも痛いとこ突いてくるな。古代の伊予にも国造がおってんけど、

 小市国造(応神天皇)・・・今治市東部
 怒麻国造(神功皇后)・・・今治市西部
 風速国造(応神天皇)・・・松山市北部
 久味国造(応神天皇)・・・松山市東部
 伊余国造(成務天皇)・・・松山市の南側

 神話の時代もエエとこやけど、景行天皇の息子が成務天皇、孫が仲哀天皇でその嫁さんが神功皇后、神功皇后の息子が応神天皇や。これ見たらわかるけど古代の伊予は松山平野と今治平野に二大勢力がおったと取れるんよ。

 伊予はこの五つの国が合体して成立したことになるんやけど、国名は伊余国から来とるのは間違いあらへん。たぶんやけど伊予になった頃には風速国も久味国も伊余国に従っていたと見てもエエと思う。

「国府が今治に置かれたのは伊予東部の開拓が狙いじゃないかしら」

 今治平野の南側、今の東予港のある辺りの中山川が作った平野を周桑平野、さらに東側の加茂川が作った平野を西条平野になる。今治からは連続してるような平野やけど、周桑平野にも西条平野にも国造は置かれてないんよね。古代においてはフロンティアやったことになる。

 伊予最大の平野は松山平野やけど、国造が三つも置かれとるし、松山平野から周桑平野に出るには山越えなあかんやんか。それやったら今治からフロンティアを伸ばしていく方が効率的とは言える。

「それと今治に国府が置かれたのは和名類聚抄が根拠だけど、八世紀初頭って考えられてるよ」

 斉明は六六一年崩御やから七世紀の人なんよな。コンチクショー、ユッキーは歴女やないのに、なんでこんなに詳しいんや。負けてられるか。力業でも斉明を湯之谷温泉に放り込んだるで。

 斉明が伊予の熟田津に来たんは間違いあらへんけど、そこから娜大津、これは博多のことや。そこに向かったのは間違いあらへん。日本書紀にも、

『御船還至于娜大津』

 こうなっとるからな。ここで問題になるのは「還至」ねん。ここの解釈も割れてるとこがあるけんど、元の航路に戻った説は強いんよ。普通はそう読み下すぐらいや。ここでやけど斉明が東から進んできたんは間違いあらへん。

 進んで来たらしまなみ海道を、どっかで通り抜けなあかんやんか。そこから関門海峡を越えて博多に行くのが本来の航路のはずやねん。そうやねん、斉明が伊予に行ったのは、わざわざ寄り道したことになるんよ。

 軍事支援の要請もあったかもしれへんが、伊予は大和王権の直属国みたいなもんや。そやから歴代天皇も温泉ツアーに来てるんよ。わざわざ斉明が寄る必要はあらへんはずや。何かが斉明の心を動かして伊予に寄り道させたはずなんよ。

「それって、禽獣葡萄鏡」

 大山祇神社の国宝で、日本にある銅鏡の中でも逸品中の逸品なんや。これは斉明天皇が九州朝倉宮に行く途中に奉納したってなってる。これも伝承に過ぎへんと言えんことないけど、このクラスの銅鏡は当時であっても国の宝で、大王家やないと持てへんぐらいでエエと思う。

 軍事で重要なんは兵士の動員、武器兵糧の調達やけど、古代ではそれに並ぶぐらい重視されたんが神の加護や。斉明は大王家の宝を大山祇神社に奉納することで必勝祈願をしたはずや。

「そこから小市国造と関りが出来たのね」

 小市氏は越智氏になるんよね。さらに越智氏は大山祇神社を創建したとされとって、今でも神職におるぐらいやし、今治のあたりも旧分国の時は越智郡になったぐらいやねん。

「石鎚山か・・・」

 さらなる必勝祈願に有効なところとして越智氏が石鎚山を斉明に献言したんやと思うんよ。大三島まで来とるから、足を延ばせんこともないやろ。越智氏にしたら、松山平野の伊余国造への対抗策として大王家との緊密な関係をアピールしたいんもあったと思うで。

「必勝祈願のためだから西条に直行してもおかしくないものね」

 JR予讃線の石鎚山駅の名前はダテやない。あそこから石鎚山が近いんよ。それと海岸線も今より海が迫っていたはず。船から降りた斉明は行宮を設けて石鎚山に必勝祈願してもおかしないやろ。

「当時は泉を神聖視していたから、湯之谷温泉に行っても不思議無いよね」

 斉明が入浴したのは石湯となってるけど、これの考え方として、岩から割れ出ている温泉と解釈するのもある。その延長線で岩風呂だったと考えられんこともない。そやけど湯之谷温泉は冷泉なんよ。

「わかった石焼風呂にしたのね」

 泉はあったんやと思うけど、これを入浴できるように温めるのにお手軽なのは焼き石を放り込むこと。やっと斉明が風呂に入ってくれた。こんな苦労するとは思わんかった。

「伊予国風土記逸文は?」

 伊予国風土記逸文の温泉ツアーの記録は、

 ・景行天皇とその皇后
 ・仲哀天皇と神功皇后
 ・聖徳太子
 ・舒明天皇と皇后
 ・斉明天皇と皇子

 この中で確実なんは書紀にある舒明と斉明や。聖徳太子以前は極論すれば伊予国風土記逸文しかあらへん。ここなんやけど舒明の奥さんは斉明なんよな。ホンマに舒明と道後に来てたなら二度目になるけど、道後温泉に行ったのは、

『十二月己巳朔壬午、幸于伊豫温湯宮』

 これユリウス暦やったら一月ぐらいになるんよね。そんな季節によう行く気になったもんや。

『夏四月丁卯朔壬午、天皇至自伊豫』

 これは舒明が伊予から帰ってきたでエエはず。これはユリウス暦の五月やから四か月の温泉ツアーやった事になる。もし夫婦旅行やったら、

「一緒にいて四か月も道後にいたなら、石鎚山に遊びに行ってもおかしくないじゃない」

 伊予におるから物見遊山もありか。斉明が石鎚山の存在を知ったのは、そん時かもしれん。ほいでも冬の海を斉明も渡ってんやろか。舒明も怪しいと思うぐらいやのに、斉明もホンマに付いて行ったんかいな。

 それはさておき、書紀でよく出てくる温泉はまず有馬や。次がたぶん白浜、紀湯が勝浦としたら遠すぎるやろ。そやから伊予の温泉と言えば道後しかないぐらいや。書紀に伊予の温泉に斉明が入ったの記録を読めば絶対に道後やと思い込んでも不思議あらへん。

 確実なんは書紀の舒明だけやけど、斉明も伊予に来て温泉入ったんは書紀に書いてあるから、斉明が道後外して石鎚山に必勝祈願してたなんて考えもせんかったぐらいや。

「伊予一之宮が大山祇神社になったのも、そういうつながりかもね」

 古代の伊予で今治と松山が主導権争いしとった名残やろな。南下する今治勢力と西に進む松山勢力が周桑平野の支配権で小競り合いぐらいしとったんかもしれん。

「全部推測に近いけど、なんとか斉明が湯之谷温泉に入れたじゃない」
「そんな歴史ロマンがあった方がありがたく感じるもんな」

 斉明はしわくちゃの婆さんやから有難味が薄いとこもあるけど、当時の絶世の美女かって入浴した可能性もあるねんよ。

「額田王ね」

 額田王が斉明に付いて来てるんは万葉集に、

『熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬいまは漕ぎいでな』

 額田王やったら斉明と一緒に風呂入ってもおかしないやろし、一緒やなくとも後から入ってもエエやろ。斉明よりありがたい気がするで。

ツーリング日和(第9話)大三島から温泉へ

 まずは、道の駅多々羅しまなみ公園で腹ごしらえ。コトリは平目丸ごと唐揚げ御膳、ユッキーはマハタお造里定食にした。近藤君と土方君は値段見てビビってたな。学生の昼飯にしたらリッチやもんな。

「ガイド代として奢ったるで」
「その代わりは怖いわよ」

 でも一番安い水軍海賊丼にしよった。まあ、あれぐらい遠慮深い方が好感持てるで。そこからコトリがずっと行きたかった大山祇神社や。やっと参拝できたし宝物館もコトリは感激したで。

 ここの宝物館の何が凄いって、全国の国宝、重文の甲胄の八割があるんよ。それも名だたる有名武将のものずらりや。刀剣も目を剥きそうなのがゴッソリや。やっぱり画像で見るより目で見る方が百倍エエわ。次は伯方島やから伯方の塩が欲しいと思とってんけど。

「伯方島に製塩所はのうて、大三島にあるんじゃ」

 知らんかった。見に行ったら大三島に伯方の塩の工場がホンマにあったわ。展望スポットを効率的に回ってくれて助かった。どこもさすがの景色や。時間もだいぶ押してたから伯方島は通るだけにして、伯方・大島大橋を渡って大島や。ここも村上海賊ミュージアムは外せへん。見終わったら、

「行くよね」
「あたり前や」

 近藤君も土方君も初めてらしかったけど潮流体験や。行って知ったんやけど定時出発やのうて、潮の状態と乗船客の集まり具合の不定時出発やねん。ちょうど船もおってんけど、五人以上やなかったらガイドは付かへん言うんよ。

「それやったら五人分払うからガイド付けてえや」

 交渉成立や。潮がちょうど良かったみたいで、ありゃ川やで。ガイドさんが言うには、もっと凄いのも見れるそうや。潮流体験を満喫して、

「次の来島海峡大橋で終わっちゃうの」
「ちょっとだけオプションやろ」

 ここもコトリは試してみたかってん。

「へぇ、エレベーターで降りるんだ」

 そうやねん。途中の馬島には直接道はあらへんねんけど、エレベーターで下りれるんよ。

「四国に着いちゃったね」
「ちょっと時間が押してるけど今治城は寄らせてもらうで」

 さすがに欲張りすぎたか。そやけど今治城から一時間ぐらいで着くはずなんよ。

「今晩はどうされるんじゃ?」
「近藤君たちは?」

 聞くと友だちに藤田ってのがいて、そいつの親戚が経営してる旅館に泊まるらしい。これも良く聞くと、

「それって湯之谷温泉か」

 奇遇や。今夜はコトリたちもそこやってん。まあユッキーの希望でもあるわ。愛媛の温泉って言うたら道後温泉やし、コトリも何回も泊った事はあるねん。そやけど道後温泉もメジャー過ぎて今さらやんか。

 この辺はメジャーなところに顔出すとうるさいんよ。すぐに勘づきよる。そしたら社長が飛んできたりの挨拶が敵わへんねん。下手すりゃ市長まで出てきた時もある。

「知事が来た時もあったものね」

 こっちはプライベートでノンビリしたいのに、なんでレセプションやらなあかんのんよ。割り切って仕事で行った時はしゃ~ないけど、そんなとこまで押しかけられるのはエエ迷惑なんよ。

「だからバイクにしたのもあるのよね」

 そうやねん。飛行機でも気づかれることがあるからな。バイクやったら走ってる間はメットやし。まさか乗ってると思わへんやん。今日もそのためだけやないと思うけど、誰も気づかれへんかったで。

「有名人になるのも程ほどにしないとね。小山恵の時は世界中だったから往生したもの」

 ボヤキはさておき、宿を目指す道はわりとシンプルで今治城から今治街道を出て、ひたすら南下や。そしたら小松街道にぶち当たるから左折する。左手にJR予讃線を見ながら、伊予小松、伊予氷見と通り越して、

「石鎚山駅が見えたで」
「この辺よね」

 近藤君たちはナビとニラメッコや。事故せんかったらエエんやけどな。コトリたちを案内してるから見栄も張ってるんやろ。可愛いもんや。道を右に曲がって・・・あれやろ。

「ここなんだ」

 湯之谷温泉を秘湯と言えるかどうかは微妙やな。秘湯言うたら山の中の雰囲気あるもんな。ここは山の中言うより、山の麓やし街に近すぎるところはある。だってやで小松街道から三百メートルぐらいやからな。

 それでも知名度が低いし、一軒宿の温泉やん。これで建物に風情があったらやけど、う~ん、まあ、鄙びとることにしとこ。ユッキーは機嫌良さそうやし。チェックインしたら、コトリたちはさくらの間や。

「これって全部桜なんだって」

 こりゃ、こだわりやな。柱からテーブルまで桜かいな。贅沢なもんや。部屋やけど露天内風呂付もあってんやけど、内風呂は温泉やないんよ。温泉宿来て温泉入らんかったら意味ないやんか。

 近藤君たちはゲストハウスや。ここは相部屋で他の部屋に比べて格安らしいんや。お遍路さんとか、バックパッカーを対象にしとるらしい。

「近藤君たちのお食事は」
「素泊まりの予定でローソンに買いに行くって言うとったから誘といたわ」

 とりあえず風呂や風呂。これ入らんと意味ないで。

「かけ流しとは豪儀やな」

 そやけど風呂は秘湯の雰囲気薄かったな。どうもやけど、近くの人が銭湯代わりに来るみたいで、拍子抜けするほど現代風や。それと、ここは温泉やのうて冷泉らしいからな。

「敷地内から噴き出していて、薪で焚いてるだって」

 それでも気持ちエエお湯や。メシは食堂か、

「待ってたで」
「御馳走になります」

 緊張しとるな。とりあえずビールで乾杯やな、

「カンパ~イ」

 遠慮するな言うても無理やろな。今日会ったばかりの他人やもんな。ここは酒飲ませてほぐさんと盛り上がらんやろ。温泉の後のビールは格別や。そやけど懐石風やから、

「和食やから日本酒やな」
「石鎚と賀儀屋、日本心ってあるけど」
「全部飲むから関係あらへん。近藤君たちも遠慮せんと飲んでや」

 そのつもりやってんけど、ここからユッキーと歴史バトルになってもた。