謎のレポート(第28話)意外な手がかり

 熊倉レポートで気になることはたくさんあるけど、熊倉が生きていてアリサになれたのなら、国とのなんらかの密約を交わしてるはずんだよね。そうじゃなきゃ、拘置所の絞首台から但馬の月集殿本部に連れ出せるわけないもの。

 だからどこかで月集殿と国と言うか政府とのつながりがあるはずなんだ。だけど月集殿のファイルをハックするのは難しすぎる。そうなると公開された情報から推測していく必要がある。

 月集殿も政治とのつながりは通り一遍ぐらいにはあるのよね。政治と宗教というか、宗教の集票力というか、資金力に集る政治家はいつの時代にもウヨウヨいるし、宗教側だって、そういう政治家のお墨付を信者集めに利用するのも常套手段だもの。

 月集殿と政治家や政治団体のつながりは公表されてるデータからもかなりわかるんだ。もっとも宗教行事に参加したとか、セミナーで講演したとか、広報誌に寄稿を寄せた程度だけどね。

 虱潰しにやってはみたのだけど、これってのがあんまりいないんだよね。この辺は月集殿の集票力が、たとえば国会議員を当選させる力があるとか、巨大な資金力でブイブイ言わせるには遠いのもある。

 そのせいか、政治家たちも横並びで顔を出しておこうとか、挨拶ぐらいはしておいても損はないぐらいと見れちゃうのよね。でもさぁ、国とか政府とつながりがるって言っても、ゲシュティンアンナが首相官邸に乗り込んで直談判したはずがない。誰か仲介者が必要だし、仲介者なら国会議員しかいないはずなんだ。

 調査部も古い記事とか、SNSをチェックしてるけど、SNSのチェックはとにかく膨大。そりゃ五十年前に遡りかねないから、すべてのSNSの情報を調べ上げるのは容易じゃないもの。

 うちの調査部も膨大なネット情報の中から藁一本を探し出せる技術はあるけど、月集殿のキーワードだけで探し出すしかないと、ピックアップされた情報を直接読んで見るしかなくなっちゃうんだ。さすがに政府との密約情報なんて転がってるはずないものね。

「夢前専務、これを見て欲しいのですが」

 これは週刊誌の記事をさらに写真に撮ったものの断片ね。

「週刊誌の名前は?」
「月刊パンスペルミアです」

 それなら幻燈社が出していた超常現象を専門的に扱っていた雑誌だ。専門的というより興味本位、いやそれ以下で三年ほどで出版社ごと潰れたはず。えっと、えっと、

「四十五年ぐらい前に潰れたよね」
「さすがは夢前専務です」

 それほどでもって言うか、この手の雑誌はコトリ社長が大好きだったから覚えていただけ。よくまあ、こんな怪しげなものを購入して読んでるといつも思ってるもの。それはともかく記事の内容は、

『奇跡の性転換』

 なんだって! 性同一障害に悩む男の子の治療の話みたいだけど、月集殿の教祖が奇跡を起こしたって書いてあるじゃない。

「関連情報は?」
「誰が治療されたかの特定は無理でしたが、この記事が掲載された三か月後に月刊パンスベルニアを発刊していた幻燈社は倒産しています」

 それだけじゃ、

「倒産の原因は」
「表向きは破産ですが・・・」

 出版社の経営状態は良くなかったのは間違いなかったそうだけど、直接の原因はメインバンクの急な資金引き上げらしい。これも良くあるけど、

「メインバンクは菜の花信金なのですが、ここに圧力がかかった噂が残されています」
「誰の?」
「大道正剛らしいとなっています」

 はぁ、あの大道正剛だって。大道正剛は与党の超が付く大物。当時の大道派も率いていたけど、とにかく政局になると巧みに動き、必ず新政権樹立の功労者になっていたので有名。これもあくまでも水面下の動きで、マスコミが付けたあだ名が、

『影のキングメーカー』

 これは別にキングメーカーと呼ばれた三階松拓郎がいたからだけど、三階松より政治力は上とされたのよね。三階松だってヌエと呼ばれるぐらいの底知れない実力者だったけど大道となると、

『四階松』

 こうとさえ呼ぶのもいた。三階松のさらに裏にいて操っているイメージかな。ココロは三階のさらに上の四階ぐらい。とにかく政局の裏の裏に大道ありとされ、大道の動向は常に注目されていた。あの頃の首相や首相候補は大道の機嫌を取るのに懸命だったと思う。

 大道の政治力の象徴とされているのが青野の変。当時の芝池首相はスキャンダルと経済不況を追及されて青息吐息状態だった。野党も盛り上がっていたけど、それ以上に色めき立ったのが与党の有力者。そりゃ、総理の椅子が見えてるから。

 合従連衡の裏工作が花咲いたんだけど、大きな政局となったのが野党が出した定番の内閣不信任案。これに非主流派の青野派が便乗するって動きが出たんだ。当時の与野党のバランスからして青野派が裏切れば内閣不信任案が成立してしまうんだよね。

 当時の青野は内閣不信任案で総選挙に持ち込み、青野新党で政治改革を断行すると大見えを切って国民の喝采を受けてる状態で、会期末に向かって政治はどうなるかで大揺れ状態になっていた。

 だが結果は青野に無残だった。青野派は強烈な切り崩し工作にボロボロになり、内閣不信任案に賛成したのも青野一人だけ。青野派は消滅状態になり、青野は党議拘束違反を問われて与党を除名されてしまっている。

 その青野の切り崩しの指揮を執ったのが大道とされている。大道の追い打ちはさらにがあって、次の総選挙で青野は落選。政界から寂しく姿を消している。この青野の変で大道の政治力の大きさ、大道に逆らう事の恐ろしを知らしめたんだよ。


 だけど大道を単なる権力指向の政治家と見るのは単純すぎると思う。大道は総務会長、政調会長こそ歴任してるけど閣僚歴はなし。噂によるとポストの話が大道派に回ってくると、大臣ポストならすべて部下に譲ったとか。

 だから大道派の大道への求心力は高かったらしい。もちろん、それだけじゃなく力の源泉である資金力も豊富。政治資金集めについては噂こそあったけどスキャンダルとは無縁で、大道個人を知る人からは人情派と呼ばれるぐらい人望は厚かったとされてる。

 これだけじゃ、大道の評価は変わらないだろうけど、大道が政治家としてライフワークとしたものに少数者の権利保護があるんだよ。これに対しての大道の評価は非常に高いんだよ。いや、飛び抜けているとして良いと思う。

 代表的なのはLGBT新法。これは今でも世界のLGBT法のお手本とされてるぐらい先進的で画期的なものなんだ。だけど難産なんてものじゃなかった。今だってそうだけど、当時はなおさらLGBTへの偏見が強かったのよ。

 それとだけ政治家が興味を持つのはぶっちゃけ利権が絡むもの。カネの臭いに釣られて、なんとか自分のところに利権を引っ張りこもうとするぐらい。だけどLGBT新法なんて利権もクソもない代物。

 LGBT新法が可決されたのは、大道ほどの実力者が推進してくれたからとして良い。内容もそうで、異論、反論が嵐のように渦巻いたけど、大道があれほど尽力したから、あれだけ妥協の無いほぼ原案通りの法案が可決されたとして良いと思う。

 この法案が出来たおかげでLGBT者は大道に足を向けて寝られないとまで言われてたし、今だってLGBT新法の話が出るたびに大道の名前は出るし、関係団体は挨拶とかで大道の名前を必ず出すとか言われてるぐらい。

 他にも大道が取り組んだものとして知られているものに犯罪被害者対策もあるかな。とくに性被害者救済に対して熱心で、与党の議員定年に従って政界引退後も関わり続けてるはず。

「月集殿との関係は」
「それがどう探してもありません」

 いやある。絶対にある。LGBTにしろ、性被害者救済にしろ月集殿問題にこれだけ近いじゃない。どこかにヒントがあるはず。うんと、うんと、政界引退後だけど選挙地盤を息子とかに継がせなかったんだ。

「大道正剛の息子は」
「太郎ですが、どうなっているかは不明です」

 名前が太郎だって。ここは絶対怪しいぞ。政治家は息子に選挙の時に覚えやすい名前を付けるんだよ。ポピュラーなのが一郎とか、太郎よ。だから二世とか三世議員にはやたらと太郎とか、一郎が多いのはそのせい。

 だから大道正剛は選挙地盤を息子に継がせようとしていたはずなんだ。でも継がせていない、もちろんだけど息子が成長して政治の世界を嫌うのもある。だけど不明というのは気になるな。

「生きてるの」
「それも不明で、完全に行方不明です」

 大道正剛の息子の生死さえわからないとは、

「最後の消息は」
「高校に在籍した記録で、卒業は四十四年前になります」

 生きてれば六十二歳か。生きてると言えば大道正剛も生きてるけどね。もう九十歳近いはずだけど達者だねぇ。

「ありがとう」

 四十五年前と言えば大道正剛も四十代半ばで元気いっぱいだし、あの頃の大道の政治力なら菜の花信金ぐらいはどうとでも左右できるのはわかる。ここでポイントは何故にマイナーな月刊パンスベルニアを廃刊に追い込んだのか・・・

 ・・・つながったはず。証拠はないけど、つながっているはず。とくに性被害者救済に深く関与しているのが大きいよ。こういうことは大道クラスの実力者じゃないと絶対に無理。他の表向きで関係している議員じゃ雑魚ばかりだもの。

 状況証拠ばっかりだから、人の事件調査としては不十分も良いところだけど、これは神に関わる女神の仕事。神相手、それもあんだけゴチゴチの月集殿セキュリティ相手じゃこれ以上は無理。そうこれだけで判断するのが女神の仕事だよ。

謎のレポート(第27話)トイレット・トレーニング

 シノブがわかりにくかったのはトイレの話。マゾ奴隷だから何をさせたって良いようなものだけど、あれって変態の極致じゃない。なにが正しい女の排泄よ。そんなはずないじゃないの。女をなんだと思ってるのよ。

 だけど熊倉レポートではあれだけの分量を割いて、そりゃ、もう事細かに書いてるんだよ。たく、オシッコと、ウンコと、オナラを分けてする調教になんの意味があるのよまったく。

「まったく無意味やない。サディストも色々で、マゾ的な面も持ってる時もあるそうや。基本はサドやけど、たまにマゾ的な気分を楽しむぐらいや」
「SMのバイみたいなものですか。それとトイレの調教となんの関係が」

 そこで一息ついたコトリ社長が、

「まあ実際に使う機会があるかどうかわからんけど、あの手の世界で聖水と黄金ってされてるやつや」

 具体的な内容の説明は聞きたくない。でも聞かされそう。

「マゾと言ってもピンキリや。軽いマゾ気分を売りにしてるホテトルもある」

 コトリ社長はホテトルなんか行ったことないやろ。とも言えないか、なんか男性ホストみたいなものを呼べる女性が使うホテトルがあるとか。それでも、そんなもの使わなくてもコトリ社長は男を引っかけて男遊びしてるじゃないの。

 それは置いとく。軽いマゾ気分って、あくまでも気分だけだから、痛烈な痛みを伴う、たとえばムチなんて使わないそう。ロープで縛ることもあるそうだけど、完全拘束で身動き出来なくするのではなく、

「縛られてる気分だけ味わう感じや。シノブちゃんも亀甲縛りを知ってるやろ」

 知ってるわけないと言いたいけど、悔しいけど知ってる。これは調査部の調査で知ってるだけだからね。個人情報の中には性癖もあって、SMを密かにやってる連中もいるんだよ。

 亀甲縛りにもバリエーションがたくさんあるらしいけど、あれは拘束が主目的と言うより、縛られた縄目の美しさが目的だそうなんだ。とくに軽いマゾ気分を味わう時はとくにそう。エロビデオに多用されるのはずばり見栄え重視。ロープで縛られて何が嬉しいのかとしか思えないけど、そういう趣味だからしょうがない。

「その一つに聖水がある」

 あれも動画で見せられたけど、浴室で女からオシッコを頭から浴びせられるんだよ。そんなに女のオシッコが好きなら、便所の掃除員にでもなったら良いのにとしか思わなかった。

「まあそうやねんけど趣味やからな。そん時にオナラが出ん方が良いらしい」

 オシッコが嬉しいなら、オナラの臭いだって興奮しそうだけど、

「だから趣味だって」

 マゾ男の基本は女にイジメられて喜ぶだけど、その変形で女性崇拝も強くなるとか。いわゆる女王様の世界だよね。女王様の世界まで行くとレベルが上がるそうだけど、崇拝する女性からオシッコをかけてもらって興奮するのが聖水プレイらしい。だから聖なる水って呼ばれるぐらい。

 知ってるのが悔しいけど、裏でやってるのが少なくないんだよ。それも表向きは強面のもいるから笑っちゃうもの。誤解しないでね、あくまでも本業の情報収集の一環として知ってるだけ。

「そやけど熊倉が使う機会があるかどうかはわからん。ある種のオプション機能ぐらいや」

 どんなオプションだよ。

「だがマリの本当の狙いは違うで・・・」

 やっとまともな・・・とは言えないけど、マリは人間の生理現象に制限をかける事によって熊倉の被虐心を刺激したのだろうって。さらに催したら行くのがトイレだけど、それを熊倉から奪うことによってマリへの服従心を高めたのもあるはずだって。

「これは簡単やないから、最初に釘さしてる」

 部屋でオナラをした時か。マリのムチは毎日反省の時間に炸裂してるけど、それ以外の時間にムチを揮ったのはこの時だけかもしんない。それも超弩級の量としか思えないぐらい。それもまだ調教初期の頃だから、許可の無いオナラ禁止をムチで叩き込んだことになってそう。結果的に熊倉はマリの許可が出た時のみに排泄が許されるようになっていったけど、

「これで聖水は自由自在や」

 それはもうイイ。

「マゾの喜びってなんやになる。色んな言い方があるやろけど、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、その先に訪れる一瞬のカタルシスに酔うぐらいや」

 ら、らしいのは知識として知ってるけど、

「マリも言うとるやんか。オシッコを我慢するのは、それこそ耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになる」

 とにかく一滴でもこぼせば即座にムチの豪雨だものね。

「我慢に我慢を重ねた末に、ようやくオシッコするときは快感やろ」

 経験はないとは言えない。とくに女はSM趣味関係なしに起こる時はしばしばある。よくあるのは、催した時にトイレがないこと。男は最後に立ちションって手があるけど、女はそうはいかないもの。

 それとトイレがあっても行きたくないトイレはある。男だって汚いトイレは嫌だろうけど、女はもっと嫌だよ。そこで用を足すのも嫌だけど、服だって汚れちゃいそうだもの。そうやって我慢に我慢を重ねた後のオシッコが気持ちが良いのは認めるけど。

「それを日常化させてるだけや」

 嫌だ、嫌だ、絶対嫌だ。

「熊倉は尿意の放棄と理解しとったみたいやけど、そんなもん消えるかいな。だからひたすら我慢するしかない」

 それもだよ、オシッコに行きたい素振りさえしたらダメなんだよ。

「我慢の先には何がある。マリの許可や。そんなもん嬉しいに決まってるやんか。それに放尿の快感も加わる」

 理屈はそうだけど、

「理屈やない、体と心で覚えるんや。オシッコを我慢し始めたら、その先にあるのはマリの許可と待望の放尿や。その嬉しさが先に来るようになるんよ。それも我慢する時間が長い程、喜びも大きいやんか。やがてオシッコの我慢自体が喜びになる」

 なるか! と言いたいけど、これは普通の世界じゃなくて異常な世界。それもマゾでも究極のマゾ奴隷を目指す世界の話なんだ。でも、あんまり我慢したら膀胱炎になっちゃうじゃない。

「それは問題ない。マリにはすべてわかってる。我慢させる言うても、少しだけや。そうやな、行きたいけど十五分とか、長くても三十分ぐらい我慢させてるだけのはずや。そやな、オシッコしたくて、したくて、トイレに駆け込もうとしたら行列が出来てるぐらいの感じや」

 それアルアルなのよ。とくにイベントなんかでよくある。イベント中はイベントの方に熱中してるし、見逃したくないから休憩時間までオシッコを我慢するのよね。でも考えてることはみんな同じだから、トイレに行ったら絶望の行列があるって感じ。

 ゴールこそ見えてるけど、あの時間は必死になるもの。それと、いかにも我慢してますなんて姿を見せたくないじゃない。そこは女のプライドがあるもの。だからやっと個室には入れて、ドアを閉めて、パンツを下ろして、便器にかがんだ瞬間にホッとするもの。

 でもさぁ、でもさぁ、マリは熊倉に我慢する様子を見せる事を禁止にしてるじゃない。それをどうやって見抜いたのよ、

「あんなもんいくら禁止されたって顔や態度に出るわ。禁止してるのは女の嗜みを教えてるぐらいや。この辺はサドやから禁じて楽しんでいるとした方が正確かもな」

 なるほどね。マリは熊倉の状態を観察していて、そこで我慢の限界を見計らって許可を与えていたのか。でも凄い観察力かもしれない。外から見て熊倉がオシッコを我慢しているのか、ウンコを我慢しているのか見抜いちゃうんだもの。

 言われてみればだけど、ムチャクチャそうなトイレの調教だけど、無理な事はさせていないとも見れるのよね。たとえば、連続でウンコさせるとかだよ。オシッコもそうだけど、出たら次が溜まるまで出ないもの。

 あれは命令とか言いながら、熊倉の生理的欲求の限界を見切りながら許可してるはず。熊倉は制限こそ掛けられてるけど、結果として常にマリに満たされていることになる。

「その通りや、熊倉の受け取り様として、マリの許可のタイミングは絶妙やから受け入れられる。どう言うたらエエのかな、マリが要求するルールは守れる範囲のものやんか。だから守るようになるし、許可を与えてくれるマリに感謝と尊敬の念が高まり、ますますマリに服従心が高まるサイクルや」

 えらいサイクルだけど、辛うじて理解できる程度かな。じゃあ、じゃあ、あれだけ量や勢いにこだわっていたのは、

「そりゃ、聖水に使うから」

 やっぱり、それかよ。

「冗談や。それもあるやろけど、熊倉の健康のためや」

 はぁ? マゾ奴隷の健康をサドが心配するってか、

「マリは自分の判断が間違っていないか確認してたんよ。健康管理はサドマゾでも大事に決まっとる」

 でも不合格ならムチですけど、

「マリも内心は反省してたと思うけど、とにかく決まりを守れんのはサドマゾ関係やったら無条件にマゾが悪いのが絶対のルールや」

 やっぱり大変な世界だ。

謎のレポート(第26話)ムチの謎

 熊倉の調教にムチが多用というより、ほとんどムチだけで仕上げられてる感じがするのよね。それも調教が進めば進むほど激しくなるんだけど、どう読んでもアリサになった熊倉はムチを喜んでるよね。

 シノブはムチ打たれた経験などもちろんないけど、ムチもあれだ打たれ続けると慣れてしまうのかな。

「アホ言うたらアカン。ムチの痛みに絶対に慣れたり、麻痺したりするもんか」

 エレギオンの女神の中で唯一のムチ経験者がコトリ社長です。コトリ社長はアラッタの女奴隷時代にそれこそ数えきれないぐらいのムチを受けてるんだよね。

「マジで好き放題、叩かれまくったからな」

 ちなみに五千年前のまだ女神になっていない人時代の話だけど、今でさえ、

「叩いた野郎に出会ったら、宇宙の塵に変えたるで」

 だから五千年前の話だって。生きてるどころか、骨だって残ってないよ。でもムチが痛いのは間違いないのよね。ムチ打ち刑は昔からあるし、今だってアラブの国に残ってるらしいけど、ムチは単に痛いだけじゃないのよ。

 百叩きってあるけど、それだけで死んじゃうこともあるし、生き残っても半死半生の重傷状態になるんだもの。見ようによっては、死刑ならぬ半殺しの刑じゃないかと思うぐらい。それぐらいムチの痛みは強いってこと。

 とにかくムチの威力は半端ないのだけど、マリのムチの数は半端どころかトンデモナイ数としか読めないんだ。それこそ滅多打ちの世界だよ。それもだよ、週に一回とかのインターバルを置いてのもじゃなく、熊倉が本部に拉致された三日目から毎日としか読めないもの。

 ムチは食堂から、庭掃除の最終段階に近づくほど激しくなってるで良いはず。良いはずというか、そうとしか読めないもの。ムチの意味だって最初の頃のものならまだ辛うじて理解できる。あれは、ムチの恐怖で熊倉を女になるしか逃げ場がないと心理的に追い込んだで良いと思う。

 だけどね食堂段階以降のムチの理由は難癖にしか見えないよ。あれだけ事細かに決まりをビッシリ敷き詰めて、さらに判定はマリの主観だけ。その気になれば無尽蔵にムチの理由を作れるしマリはそうしてる。

 あれはムチで叩くためだけが目的としか思えないもの。庭掃除段階なんて吊るし打ちで滅多打ちの連日のムチの嵐じゃない。とくに最後の日のムチなんて、百叩きなんてレベルさえ鼻息で超えてるよ。

 なのにだよ、熊倉は翌日には平気な顔して調教に励んでいるとしか読めないんだよ。最後の日のムチなんて、数えきれないなんてレベルじゃないじゃない。じゃあ、マリが手加減してるかと言えば、これまたそうは思えない。なのにだよ、最後のムチの後もマリとの最後の別れを元気に惜しんでるぐらいだもの。

「あれか。まずマリのムチはプロや。すべてが容赦なしの一打や。最初の方は熊倉も苦痛に悶えてるやろ」

 それはそうだけど、

「まずやな神が作った女は普通とは違うんよ」

 それはわかる。誰もが桁違いの美人になるし、歳も取らずに若いまま、体力だって落ちないものね。老化するのは妊娠できなくなるのと、寿命の制約から逃れられないことぐらい。

「体かってそうやろ」

 シノブは子どもも産んでるけど、体形がまったく崩れないだけでなく、乳首だってピンク色のままだし、あそこだって綺麗な筋が一本だけ。黒ずむ様子なんてまったくないもの・・・たく何を言わせるんだよ。

「だがそれだけじゃ、ムチに耐えられん」

 そこまで言わせといて、耐えられんのかい!

「あれはドゥムジが編み出して、ゲシュティンアンナに伝えた秘術やろ」

 どんな秘術かと聞いたら必要は発明の母だって。あのマリのムチだけど、他に誰に揮っているかと言うと当たり前だけどドゥムジなんだよね。ドゥムジの力ならムチを避けるのは朝飯前だけど、

「そういうこっちゃ。避けたら意味ないやんか。マリの滅多打ちを喰らうのに意味があるんよ」

 そういう趣味だからそれを認めないと仕方ないけど、ドゥムジとて宿主にしているのはタダの人間なんだよね。ムチを喰らえば痛いし、体にダメージが確実に蓄積するし、下手すりゃ、宿主が死んじゃうかもしれない。

「そうせんためにはどうするかや。ムチは痛くなければドゥムジに意味はないし、痛いムチを受けすぎると、次のムチを受けるまで回復期間がいるやんか」

 要するにドゥムジは熊倉が最終段階でそうなったように、マリのムチを受ける事が喜びになり、毎日でも受けたくて仕方がなるってことか。マゾもここまで来ると理解を超えすぎるよ。

「連日のムチを受けれるように、傷口とかが異常に早く回復するとかですか」
「それしかないやろ。どうやったら出来るか想像も付かんけどな」

 コトリ社長はさらに付け加えて、この回復能力は、ムチを受ければ受けるほど高まっていくはずだとしたんだよ。結果としてそう解釈する以外はないのは同意。

「そうやな。最終段階やったら、ムチの痛みこそ同じでも、打たれたそばからすぐ回復していったんちゃうか」

 不死身の回復能力だけど、そうじゃなきゃ説明出来ないのもわかる。

「これもたぶんやけど、痛みが強くなるほど喜びが強くなるのもあるはずや。言うとくけどな、まともにムチ喰らったら恨みしか残らへんで」

 はいはい、それは良く存じてます。コトリ社長の経験は置いといて、マリの目的が見えてきた。ムチを打ち続ける事によって、神の秘術の能力向上と、それにともなう被虐の喜びを熊倉に与え続けたのか。熊倉は自分の精進によってそうなれたと思ってるけど、実は神の手のひらの上で踊らされていただけかも。そこからコトリ社長は何かに気づかれたように、

「いや熊倉はなんらかの適性を評価されたと思うで。シノブちゃんが考えたマリのムチの意味は大筋で正しいと思うけど、誰をぶっ叩いても、ああならへんはずや。ああなると見込まれたから熊倉はマリに委ねられたんや」

 たしかに熊倉は見込まれたと言われてるものね。じゃあ、じゃあ、わざわざ最後の晩餐をしたのは、

「マリのムチやけどあれは普通のムチやない」
「あんまり痛くないとか」
「逆や、恐ろしい程の痛みのはずや。なんちゅうても神のムチやからな」

 ああ、そうだった。ドゥムジの性転換は子どもまで産めるぐらい完璧だけど、その代わり性転換した女を神にする必要があったんだ。もっとも神と言っても、ミニチュア神よりはるかに薄くて、

「ようあんな神が作れるかと思うほど薄々なんよ。シノブちゃんにわかりやすいように言えばコンドームより薄い」

 そんなに薄いのか。昔のと比べたらビックリさせられるものね・・・だから、薄いの例えにコンドームを出して来なくても良いじゃないの。まったくもう、つい乗せられた。そんなことはともかく、神であるマリが繰り出すムチが神のムチであり、これが激烈に痛いのはわかるとして、

「回復の秘術を開花させるにはマリの神のムチが必要やったんやと思う。だがな、そのためには熊倉がそうなったようにムチをタメになるものとして受け入れんとあかん」

 コトリ社長もあくまでも結果論での読み方としてたけど、最初に熊倉はムチの痛みに悶え苦しんだけど、ムチ自体に対する反発はなかったとしてるんだ。たしかにムチの痛みに恐怖してるけど、というか誰だってすると思うけど、すぐにムチの数を減らす方向への努力に動いてるもの。

「あそこで熊倉がムチ打たれる事自体に反発心を抱いていたら、ムチが始まって二日目に死んでたんちゃうか」

 その日は熊倉が最後の反抗をしてビシバシに叩かれまくったけど。

「あの時に熊倉はムチに屈服したで良いと思う。言い換えれば、ムチ打たれる事を前提として受け入れたんや」

 以後はひたすら受け入れて行ったと読めなくもない。えっ、えっ、えっ、もしかして、

「失敗も多かったはずや。ひょっとすると熊倉が初めての成功かもしれん」
「だから最後の晩餐を」
「あれはマリの憐憫やったかもしれん」

 マリはドゥムジの妻。サディストの奥さんの貞操観念なんて想像も出来ないけど、神の妻であるのに不貞は普通はしないよね。人の妻も当然そうだけど。だとすると、あえて熊倉に最後の晩餐を与えたのは、これから殺してしまうかもしれない熊倉に最後の情けをかけたのか、

「サディストの憐憫やからああなったと思うで」

 単純には喜ばしてくれないってことか。だとすると熊倉はマリがついに作り上げた芸術作品みたいなものか。だったらもっと大事にしてあげれば、

「マリなりに大事にしたんやろ」

 どういうこと。変態狒々親爺のオモチャに売り飛ばされるだけじゃない。

「だから世界観が違うって。マリは教養でそういう世界に棲める事こそ理想と叩き込んでるはずや。それに相応しい世界に送り込めば熊倉は幸せしか感じん」

 マリが熊倉に教えた教養はマゾヒズムの喜びで良いと思う。それも熊倉がマゾヒズムの喜びを知りかけたのを狙ってやってるのもわかるのよね。そして見事に助長させて目指すべきマゾ奴隷像を憧れの対象として熊倉に抱かせてるもの。

「これもわからんが、熊倉の調教は食堂だけで十分と思わんか」

 どんなのがマゾ奴隷の完成かなんてわからないけど、

「庭掃除はマリの温情に見えてまうんよ。マリかって熊倉がどうされるかはよく知ってたはずや。その世界でどういう扱いをされるかもや。その世界により馴染みやすいように、さらなる仕上げをあえてやったぐらいや」

 でも庭掃除をやっていたのは熊倉だけじゃないはず。他に女は見えたとなってる。

「ああそれか。食堂の時に熊倉はマリが見せたくないものを見れなくなってるんや。熊倉は庭に他の人がいるのは気配でわかったかもしれんが、巫女は一切見てないはずや」

 そう言えば、マリとの別れの時に、館で会ったとしてもマリとは二度と気づけないとしてた。わかったぞ、熊倉が食堂に進んだ時点で、コックとか、ウエイトレスは見えなくなってたんだ。だからマリは食堂に連れて行ったんだ。

「幸せはな、外から見るもんやない、自分で感じるもんや」

 熊倉のゴールは最初から決まってたから、そこで幸せにしか感じないように仕上げ切ったってことか。だからマリはトコトン仕上げるまで、ゲシュティンアンナを待たせたかもしれないのか。もう、この辺になるとわかんないよ。

謎のレポート(第25話)マゾ奴隷の運命

 今日はユッキー副社長も加わって熊倉レポートのお話。

「ゲシュティンアンナが性転換してるのは間違いないとして、実際の調教に当たったのはマリと言う女ですよね」

 マリは凄腕として良いよね。熊倉の男の心を完璧に女どころか別人に仕立て上げるんだもの。それは良いとしてもシノブが気になるのは調教をゲシュティンアンナがしていない点。そりゃ、調教過程の報告とか、相談はしてると思うけど、マゾ調教はゲシュティンアンアの趣味のはず。

「マリって女だけど、あれはドゥムジの奥さんだよ」
「他におらんしな」

 えっ、どういうこと。

「簡単なことじゃない。ゲシュティンアンナはマゾ奴隷を養成するけど、サディストを育てないのよ」
「女でサディストでいるのはドゥムジの奥さんだけや」

 そうだった、そうだった。ドゥムジの性嗜好も説明するだけで大変なのだけど、

『人時代の女であるゲシュティンアンナを襲ってしまい、報復としてサディストのゲシュティンアンナから壮絶なマゾ調教を受け真性のマゾヒストになった。一方で女であるゲシュティンアンナからのマゾ調教のトラウマから女性恐怖症になってしまい、女の心を持つ男を愛し、これを性転換させて女王様として崇めて楽しむ』

 なんじゃ、こりゃってぐらい歪んでいるけど、要はドゥムジの妻はバリバリのサディストになる。それもコチコチの大ベテランのマゾヒストであるドゥムジを満足させるぐらいだから、世界最高レベルのサディストとして良いかもしれない。

 だから熊倉をあそこまでのマゾ奴隷に出来たのはわかるとして、肝心のゲシュティンアンナの趣味はどうなってるんだ。

「ああそれ。マリは一人だし、あの様子なら熊倉専属のはずよ」
「そういうこっちゃ、まだ九人おるやんか。ついでやけど巫女もな」

 そっか、それだけいればゲシュティンアンナも楽しめそうだけど、どうしてマリにわざわざ熊倉を委ねたんだろう。それにだよ、熊倉の調教は壮絶だけど、あれだけやって処女のままじゃない。あれは仕上がり状態が処女のはず。

 でもだよ、熊倉は男として最後の夜に最後の晩餐を喰らってるんだよね。五人相手に半殺しみたいな目に遭ってるけど、あの五人の女もマリを除けばマゾ奴隷のはずなんだ。それも性転換組。

「ゲシュティンアンナが調教したマゾ奴隷は貞淑のはずですが」
「方針が変わったんやろ。今のゲシュティンアンナは教祖やってるから、政略結婚の道具に使わんでエエし」
「わたしもそれで良いと思う。その方が手間もかからないし」

 ユッキー副社長に言わせれば、政略結婚時代の方が手間がかかって大変だったとしてた。それは、なんとなくわかる。男の心のままで女の快感に蕩けさせ、そうしておきながら男性に対する極度の嫌悪感を植え付け、さらに嫁に行ってもコントロール出来るようにするのは書くだけで大変そうだものね。

「そりゃ、こっちの方がラクやろ。ひたすら神の快楽に溺れさせて屈服させるだけやから、手間としたら一直線やし、たぶんやけど回数だけで済むと思うで」

 なんちゅうストレートな言い方。でも言ってることは理解できる。ゲシュティンアンナが与える神の快楽は処女で無理やりレイプされても、通常の人で味わえる最高レベルを遥かに越えるものらしいからね。

 さらに神の快楽には中毒性があって、一度でも味わうと、すぐに快楽の虜になってしまうとか。ここも簡単に言うと淫乱になってしまうだけでなくゲシュティンアンナが与える神の快楽から離れられなくなる。ここでユッキー社長が、

「中毒性はきっと工夫してるね」
「そうやと思う。どうやってるかわからんけど」

 円城寺家時代のゲシュテインアンナは神の快楽の中毒性を活かして、政略結婚の道具にしたマゾ奴隷を縛り付けるのに使っていたものね。巫女のマゾ奴隷ならそれでも良いと思うけど、どうしてメイド服組には工夫が必要なんだろ。

「これも簡単な算数やけど、熊倉の調教はどれぐらいかかったと見る?」

 熊倉も途中から日付の観念を完全に失っただけでなく、外の季節の移り変わりにも興味を失ってるんだよ。だから正確な日数はわからないけど、

 ・男であった事を忘れ、女のアリサになるまで一年
 ・食堂が一年
 ・庭掃除が一年

 こんな感じで全部で三年ぐらいの気がする。

「そうね。それぐらいかな」
「食堂がもう少し長くて、庭掃除がもう少し短い気もするけど三年ぐらいでエエと思う」

 シノブもそんな感触があるけど、これ以上は無理だよ。

「マゾ調教が終了するまでに三年としたら、だいたい年に三人ぐらい新入りがおることになるやんか。だったら三年で九人ぐらいで数が合う」

 それになんの意味が、

「独立採算制にしてるかもね」
「そこまでいかんでも無収入はアカン」

 月集殿の本部自体は宗教施設として殆ど収益も生み出してないはずなのよ。そりゃ参拝者さえ滅多にいないし。だけど、あれだけのマゾ奴隷を飼うだけでも経費は必要になる。

「じゃあ、仕上がったら収益のために働かせる」
「それが熊倉が嬉しそうに言っていた使命やろ」

 ああされてしまったマゾ奴隷が出来る事はそれしかないものね。でも、わざわざマリに調教させた理由がわからないけど、

「考えられるのはマリの手法に適した男の問題が一つ。もう一つは処女のマゾ奴隷を仕上げる特別注文が入っていた」

 あぁ、身も蓋もないけど。それぐらいしか考えられないか。使命はぶっちゃけ売春だけど、やはり東京とか大阪の支部が秘密の売春宿になってるのか。

「ちがうと思う」
「コトリもそう思う。そんなリスクもアホらしいやん。単純に売り飛ばしてるんやろ」

 それも国内じゃなく海外だろうとしてた。この辺は日本でもそうだけど、売春業となるとヤクザ的な組織、海外ならマフィア的な組織の有力資金源になる。ゲシュティンアンナが自前で売春宿を経営しようとすればどうしても摩擦が起こるし、その挙句に警察沙汰に発展するリスクが高いって。

 マゾ奴隷は売春宿にはもってこいだし、マフィアだって買うだけならウエルカムのはず。それこそ金の卵を買う純粋なビジネスだものね。売春宿の経営サイドからしたら、安定して極上の上玉を供給してくれるところは大事にするはず。

 そっか、そっか、ここで神の快楽の中毒性が残ってしまうと拙いのか。売った先で順応してくれないと困るものね。どう順応するかの話は省略するけど、

「わたしは売春宿にダイレクトはない気がする」
「コトリもや。飽きて転売されるのはアリやろけど」

 つまり金持ちの変態狒々親爺のオモチャとして売り飛ばされるってこと。まあ、それが一番安全だろうし、ましてや海外ならなおさらか。アラブの大富豪ぐらいならいくらでも需要があるかもしれない。

「買う方かって、品質保証付きの上に、本人の意思では自分が本当は誰かも思い出せへんし、本人をいくら調べても、たとえばアリサが熊倉につながりようがあらへん」

 それは言える。熊倉なんて処女だし、ゲシュティンアンナが手掛けたマゾ奴隷も、熊倉の最後の晩餐みたいな例外を除けば、ゲシュティンアンナのみしか使われてないものね。熊倉だって死刑囚になった時にその手の病気の健康チェックは受けてるはず。というか、その前の銀行襲撃の負傷の入院治療の時にやってるはずだもの。

 推測部分は残るけど、ゲシュティンアンナが月集殿の本部でやっているマゾ奴隷養成は、仕上がれば次々に人身売買にかけられていることになる。その売買費用をゲシュティンアンナはマゾ奴隷養成所の経費として投入している関係か。

「巫女のマゾ奴隷も売られるのでしょうね」
「アホ言うな、そんなんしたら犯罪やんか」

 メイド服のマゾ奴隷を売っても犯罪じゃない! ただし熊倉のケースを考えると微妙だな。カラクリが全部暴かれたら犯罪になるけど、熊倉は公式には死刑で死んでるんだよね。つまり存在しない人間になってるんだ。さらに見た目も記憶も完全に別人になっている。

「いくらぐらいでしょう」
「熊倉なら処女やから二本以上やろ。それ以外でも一本は固いかな。それぐらいの美女にしてるはずやし、なにより年取らへんのはプレミアなんてもんやあらへん」

 ちなみに一本は億だってさ。年間三億ぐらいは本部運用に必要じゃないかぐらいの試算もあるからね。


 それとね、熊倉レポートの最後のところだけど、やってる世界こそ歪んでいるけど、どう言えば良いのかな。非常に困難な目標についに到達した達成感みたいなものをシノブは感じちゃったのよ。

 較べる次元が違い過ぎて、言いにくいのだけど、司法試験に合格したとか、医師国家試験に合格したとか、公認会計士に合格したみたいな感じ。熊倉の様子は、そんな難関資格についに合格した感動と喜びに読めちゃうもの。

 たぶん熊倉本人はそう感じていたはずだし、資格を得てこれから待ち受ける世界に胸を膨らませきっていたと思うんだよね。シノブにもそういう経験は何度かあるし、そういう時のウキウキ感はわかるもの。

 でもだよ、次に熊倉が経験する世界は、言葉も通じない変態狒々親爺相手のの性欲処理なんだ。それも体ごと売り飛ばされてるし、異国の地だから逃げ道なしだもの。やられることだって、相手は所有物の性奴隷ぐらいにしか思ってないから、それこそなんでもやらされるに決まってるよ。

 これが死刑を免れる代わりに与えられる刑と言われればそれまでだけど、すっごい複雑な気分。だったら素直に死刑を受けてる方がマシな気さえする。だからこそ死刑以上の刑なのかもしれないけど。

謎のレポート(第24話)神の趣味

「支部は」
「東京と大阪を大きな拠点として、全国に十ヵ所ぐらいです」

 規模としては新興宗教にしたらそれなりに成功してるぐらいかな。

「東京支部と大阪支部は大きいのか」
「五階建てのビルです」

 内装とかは豪華みたいだけど、そこら辺は新興宗教だから、どこもコケ脅しにそうするのは横並び程度。

「宗教活動は」
「まともで良いと思います」

 新興宗教も阿漕なところは阿漕。高いお布施や奉納金や、トンデモな祈祷料を取るところはいくらでもあるし、それ以外にも高額セミナーとか、合宿、霊感商法みたいなことをやってるところはいくらでもあるもの。さらにとなれば、もろマルチ商法みたいなことをやっているところも珍しくもない。

 月集殿だって奉納金とか、祈祷料、セミナーをやってるけど、金額的には良心的だよ。見ようだけど、カモから搾り取るより、薄く広く集金してる感じ。それを悪いと言ったら、宗教ビジネス自体が成り立たないものね。

「まあそうやな。ホイでも月集殿は本物の御利益を期待できるで」
「どうしてですか」
「当たり前や。教祖が本物の神やからや」

 そりゃ本物の神だけど、その神の御業が男から女への一方通行の性転換で、神の所業がマゾ奴隷の養成管理じゃない。そんなものが御利益として嬉しい人は限られてるよ。

「経営は」
「堅実です」

 大儲けをしてるわけじゃないけど、毎年確実に利益を上げてるぐらいで良いと思う。ゲシュテインアンナの経営手腕だったら、もうちょっと派手に儲けてそうなものだけど、とにかく堅実としか評価のしようがない。

「完全に隠れ蓑にしてるな」

 そうなのよね。ユッキー副社長ですら、熊倉レポートの出元が月集殿だと聞いて驚いたぐらい。イメージとしては、派手に目立つことがない地味な新興宗教なのよね。シノブもあのバカ固いセキュリティ・システムがなかったら、調査する気も起らなかったぐらいだもの。それこそ開けてビックリ玉手箱って感じだよ。

「本部が出来たのは?」
「運用が始まったのが十年前です」

 コトリ社長はしばらく考えてから、

「月集殿が始まったのは五十年ぐらい前やろ。その二年前ぐらいにナルメル事件や。あの時のエレキシュガルの冥界の崩壊でゲシュテインアンナが冥界から出てきたと考えると合うな」
「でもマドカさん事件は二十二年前です」
「そやけどゲシュテインアンナは姿を現してへん」

 だったら最初からマドカさんをさらう気はなかったとか。

「アホ言うな。せっかくのドゥムジの献上品やで、見に来たけどあきらめたに決まっとる」

 別に決まってないと思うけど、結果は現れなかったのは事実だよね。

「ではドゥムジはなぜゲシュティンアンナと合流を」
「行くとこに困ったんちゃうか」

 おいおい神だぞって言いたいんだけど、北田財閥及び南武グループの盛衰はゲシュティンアンナの手腕によるところが大きいとコトリ社長はしてるのよ。戦前にあれほど大きくなれたのも、戦後に財閥解体を乗り越えて南武グループとして再結集できたのも、すべてゲシュティンアンナの経営手腕と言えるかも。

「今の南武グループは青息吐息で、実質的に小野寺グループの傘下で建て直し中やんか。円城寺家かて破産したわけやないけど、経営から離れてるし、収入も小さなったから、優雅に住み込みの執事を置ける状況やないと思うで」

 ドゥムジが神として強大なのはコトリ社長は自分の目で見て確認してるけど、経営手腕は無能で良いみたい。円城寺家にドゥムジがいる時代は、戦後は財閥解体で切り売り状態、今だって小野寺グループに吸収されてるもの。

「無能かどうかしらんけど、ドゥムジがやってるのは執事やから経営にタッチできへんし」

 ドゥムジの方がより趣味に生きるのはそうみたい。どこかに寄生して自分の趣味に勤しむタイプで良さそう。趣味と言ってもマゾだけど。コトリ社長はそこから、またもう少し考えられて、

「熊倉レポートの御主人様って優男となってるけど、歳はわからんよな」
「印象として老人ではありませんが、青年って感じでもなさそうです」

 コトリ社長はうんうんと考えた末に、

「ゲシュティンアンナは五十二年前に復活して月集殿を始めたでエエと思う。そやけど、選んだ宿主が悪かったのか、二十年前ぐらいに宿主代わりなったはずや。宿主代わりの不調期に呼び寄せたのがドゥムジやろ」

 コトリ社長の計算では、その時に二十歳ぐらいの宿主を選んでいれば、三十歳ぐらいの時に本部が完成し、今は四十歳ぐらいなり、御主人様と呼ばれた優男になるとしてた。そう男の神は歳をとるのよね。

「ゲシュティンアンナは女神やから宿主依存性かもしれん。カズ君もそうやった」

 なるほどね。山本先生には首座の女神であるユッキー副社長が宿っていた時期があったけど、少しぐらいは若く見えたけど、ほぼ歳相応だったものね。

「なんのためにあの本部を」
「そんなもん趣味のために決まってるやろ」

 やっぱり。趣味に勤しむのは悪いことではないけど、ゲシュティンアンナの趣味はマゾ奴隷の調教と管理なんだよね。それも性転換させた元男だよ。

「そこはちゃうと思うで。円城寺家時代のゲシュティンアンナは性転換させた息子だけやなく娘もマゾ奴隷にしとった」
「だったら、えっと、メインの趣味はマゾ奴隷の養成と管理だとか」

 そうかもしれない。ゲシュティンナンナはいわば性同一障害者だけど、神の便利さで宿主を男にすることによって解消してるんだ。つまりは心も体も完全に男として良いはず。もうちょっと言えば恋愛対象は女だ。あれを恋愛対象と言えたらだけど。

 だから女だって普通に抱くわけだ。マゾの楽しみは相手の心を折って服従させてしまう事だけど、性転換させるのは男の方が心をより折りにくいからぐらいだよね。そりゃ、いきなり女にされて犯されたら死に物狂いで抵抗するはずだもの。

 とにかく趣味だから、獲物は手強い方が楽しみが増すってやつだ。だからと言ってホモじゃない。男に欲情は湧かないはず。

「だったら仮に本部にいるのがマゾ奴隷だったら、本物の女のマゾ奴隷だとか」
「信者から身寄りのないのを選び抜いたんちゃうか。神道系やから最上級の巫女扱いや」

 巫女も神職だから信者から採用しても良いものね。本部の住み込み巫女がいても不自然じゃない。というか、あんな不便な所に通勤なんて出来ないもの。巫女として採用できるのが仏教系との差になるかも。

「もしかして本部への特別参拝は巫女の採用試験だとか」
「それも兼ねてる部分があると考えてる」

 マゾ奴隷にされるのはともかく、熱心な信者ならば本部の教祖に近いところで巫女として採用されるのは名誉かもしれない。というか、そう言う風に布教してるんだろ。

「やっぱりメイド服ですか」
「ちゃうやろ」

 支部にも採用されてる巫女はいるけど、あれはよくある巫女装束。本部も同じと考える方が自然だよね。だとすると、

「メイド服の連中は熊倉と同じや。女に変えられたマゾ奴隷や」

 付け加えて、熊倉は巫女を一度も見ていないとして良いと思う。完全に隔離されて飼育されてるはずだよね。どうしてなんだろう。そしたらコトリ社長は、

「羨ましいこっちゃ」
「マゾ奴隷養成学校なんて経営したいのですか?」
「ちゃうちゃう、そうやって専念できる趣味を持ってることや」

 これも神の発想で、とにかく時間だけは無限にあるから、退屈で退屈で、生きる事さえ遠の昔に倦み飽きてるんだよね。そんな生きなければいけない時間を活かす趣味があるのが、神としては羨ましくて仕方がみたいなんだよ。

「シオリちゃんなんかフォトグラファーにあれだけ入れ上げられるのが、羨ましいてしょうがないやん」

 あのぉ、フォトグラファーとマゾ奴隷養成学校の経営を同列に並べて欲しくないけど、神から見たら同列に見えそう。シノブはまだ百年ぐらいしか記憶がないから、そんな感覚はないけど、

「心配せんでも、そのうちそうなる」

 誰が心配するか! そうなってしまうのが心配なの。それは、ともかく、

「ああ、間違いないと思う」
「但馬にゲシュテインアンナはいますね」
「もうちょっと気合入れて月集殿探ってくれるか」