コロナのワクチン

 ネット上では侃侃諤諤の議論になっていますが、二歩ぐらい引いて見ています。ここまで確認できることは、

    ワクチンはコロナ対策に有効
 イスラエルがわかりやすいですが、接種が先行している国ではコロナ感染が下火に向かいつつあります。つまりはワクチンは有効だということです。それとワクチンの副反応も従来の他のワクチンと較べても大きなものはなさそうです。

 ここも変異株の脅威はどうだだとか、ワクチンへのゼロリスク論者もおられますが、ワクチン自体は有用であり、世界中を混乱させたコロナの脅威からの脱却への道筋が見えてきた気がしています。

 接種スピードですが、順調だと思っています。あれこれ混乱も起こっていますが、厚労省が主導すればあれぐらいの混乱は可愛いもので、もう少しすれば、それなりに落ち着くはずです。そりゃ、先行している国より遅いですが、先行している国の実績を見れる分だけ良いところはあるはずです。

 接種スピードにしても、他国のワクチンを輸入している訳で、これだけの全世界的なコロナ恐怖ですから、まず自国分を確保してから他国に回すのは当然でしょう。逆のケースを考えれば誰でもわかることで、日本が開発しているのに、日本の接種を後回しにして他国を優先なんてしたら暴動が起きかねません。

 接種計画については今から思えば、イチにもニにも、

    五輪開催!
 これがあったと見ています。そのための机上の計画を作り公表したぐらいでしょうか。そりゃ9週間で高齢者の接種を終わらせると息巻いていましたから。接種計画はあれこれ変遷はありますが、1月時点では7月の五輪までに7千万人分ぐらい確保して、たぶん5千万人か6千万人ぐらいは接種を終わらせたい至上命令が下っていたぐらいです。

 これが現実化していたら緊急事態宣言もなかったはずですが、実際のところはワクチン入荷のスケジュールが遅れに遅れ、さらにアストラゼネカ製ワクチンの用途に困っているぐらいでしょうか。これも良くある話です。

 ここもですが、五輪を外して考えれば9月ぐらいには接種率はかなり上がっているはずで、年末ぐらいにはコロナに終息傾向が見えて来る可能性があります。接種先行国の3か月から半年遅れぐらいになるかもしれませんが、ムチャクチャ遅れていると非難殺到はやりすぎぐらいが感想です。

 あくまでも二歩ぐらい引いた感想ですが、先行接種してくれる国があるので、効果も副反応も確認しつつ接種できるのはメリットです。だってですよ、あれだけ急ピッチに作られたワクチンですから、使用実績があるかないかで怖さは全然違うはずです。

 その代わりに接種スピードが後手に回るのはやむを得ないデメリットぐらいです。だって、だって、世界一を突っ走って重篤な副作用が累々と現れたりしたら、そりゃ、もうの、

    拙速だ!
 これの非難の嵐が渦巻きますからね。

五輪と阪神

 もし中止するのなら6月の1週目ぐらいがリミットと思っていましたが、分科会の尾身氏への発言へのヒステリックな反応があったので、強行開催で話が決着していると感じています。あのリアクションは分科会のお墨付をもらう根回しに失敗した逆上でしょう。

 ここで開催のマジの是非を論じるのはやめておきます。あんなもの開催するのも地獄、中止するのも地獄の代物で、コロナ禍の真っ最中に抱え込んでしまった不幸でしかありませんからね。

 ほいでもって私の五輪への興味は薄いものです。そもそも東京地方のイベントで、そうですね、大会が始まればテレビで横目で見るぐらいです。どうせ家族の誰かが見るでしょうから。

 五輪への関心としては野球だけです。野球も大会での成績はまったく興味がありませんが、そこに阪神選手が徴収されないかです。さらに言えば五輪中はペナント・レースが中断されてしまうことです。五輪と阪神と言えば2008年の悪夢しか思い出せないのです。wikipediaより、

7月8日時点で巨人に最大13ゲーム差をつけ、同22日には優勝マジックを点灯させる。しかし、北京オリンピックに新井、藤川、矢野ら主力メンバーを派遣した後半戦から徐々に下降線をたどり、8月29日を最後に巨人戦での勝利がなくなり、最終的に大逆転を許して巨人に優勝を譲る結果となった。

 そうロクな思い出がありません。下手に選手に選ばれて調子を崩されたら2005年以来のペナントが遠くなってしまいます。さらに五輪中断期間の長さもウンザリするぐらいあります。だってですよ、

    7月21日から8月13日
 なんとなんと24日間もあるじゃないですか。こんなに休みが長いと各チームの調子も変わり、開幕からのシーズンの流れが大きく変わるのも不安のタネです。

 この辺は人によって違いますが、私は野球に関してはガラパゴスで良いと思っています。別にメジャーが至上と思ってもいません。極端な事を言えば、公式戦、CS、日本シリーズ以外はすべて花ゲームぐらいにしか感じません。

 日本人選手がメジャーで活躍するのは誇らしいぐらいには感じますが、言ったら悪いですが他所の球団の他所のリーグのお話です。そう阪神とは無関係です。そういう興味の持ち方の人間からすると、五輪はどうでも良いぐらいのお話です。

 今回のチャンスを逃すと、阪神優勝を見れるのは寿命との競争になりかねません。そうそう経済効果は五輪などなくとも阪神が優勝すれば、関西は十分潤いますからね。

阪神の佐藤輝明

 去年の阪神のドラ1、4球団競合だったっけ。そういう注目選手を阪神がドラフトで引き当てる事が珍しいのですが、不安要素がなかったわけではありません。全国的には無名と言うのもありましたし、活躍したのが関西学生野球です。

 さらに大学時代の打率も2割台の後半ぐらいだったはずで、その程度で活躍できるかの疑問です。活躍するにしても2年ぐらいは必要じゃないかの見方はあちこちに出ていたと思います。

 キャンプからオープン戦の活躍は目を瞠るものがありましたが、例えは悪いですが、そんな大活躍をして開幕から失速した助っ人外国人もたくさん見ています。佐藤だって、そうなる危惧が常にありました。つうか、そうなるのが普通ぐらいです。

 開幕後はプロの本気の攻めに苦しんでいた部分はありましたが、そのまま打棒を崩されて低迷しなかったのは実績で示しています。驚くべき対応力として良いと思います。

 佐藤の持ち味と魅力はフル・スイングと良く言われています。それこそホームランか三振かみたいな豪快さです。ですがそんな打者はたくさんいました。去年のボーアもそうでしたし、かなり古いですがディアーもいました。ディアーなんてフリー・バッテイングで飛び過ぎてディアー・ネットが設置されたぐらいです。

 しかしフル・スイングでも当たらなければ大型扇風機になるだけです。佐藤と過去の大型扇風機の違いはなんだろうです。ごく単純には当たる率が高いでしょうか。それも確実にありますが、もう一つ、

    当たるととにかくデカイ
 プロの投手にとって嫌なのは失点することになります。そりゃ理想は完全試合でしょうが、ヒットを打たれても点を与えないのもプロの技術です。何本ヒットを打たれても点を与えなければ投手の勝ちみたいなところはあります。

 だからホームランは嫌だそうです。一振りで1点を失いますからね。佐藤の飛距離の脅威は衝突したら確実にホームランだけでなく、少し打ち損じても球場によっては放り込まれる脅威を感じていると思います。そりゃ、ジャスト・ミートすれば場外です。

 さらに佐藤は進化していると言われています。佐藤にも弱点が多々あると指摘されています。だからあれだけ三振も多いのですが、弱点のゾーンが狭くなっているとも言われています。

 かつての大型扇風機との違いがここのようで、大型扇風機は弱点ゾーンが広く、そこさえ攻めておけば確実に打ち取れたと考えています。一方の佐藤は、弱点を狙ってコースが甘くなれば、下手すりゃ場外まで飛ばされます。

 プロの投手とて針の穴を通すようなコントロールを持つものはごくわずかです。弱点を狙えば打ち取れるのはわかっていても、外せばホームランの脅威は大きなプレッシャーになります。これは打たれてもヒットと桁の違う脅威です。

 阪神には伝説の助っ人のバースがいました。リアルタイムで見た世代ですが、このバースにも弱点と言うか、苦手なコースはありました。なければ五割を超える打率になってしまいます。バースの凄味は、苦手のコースは苦手でしたが、そこにヤマを張れば打てたそうです。

 佐藤はバースのレベルに届いていないのは当然ですが、バースとて最初からできた訳ではありません。出来ていれば日本になんか来ていません。ですが佐藤の進化はその領域に遠からず到達しそうな勢いを感じています。

 後は、どれだけ阪神のスター選手としての誘惑に耐えると言うか、対応できるかの気がします。いや、遊んだって良いのです。遊びとトレーニングをいかに両立させるかもプロの資質です。これは清原が王を抜けなかった最大の原因と考えています。

 時代が違うとはいえ、王には練習の虫見たいなイメージがありますが、王だって遊ぶときは遊んでいます。遊びは遊びとして、トレーニングとの切り替えをいかに出来るかです。

 最後は説教臭いジジイになってしまいしたが、これだけの巨砲のこれからの活躍に期待するオールド阪神ファンの願いです。

爵位雑談

 構想中の小説のお話です。女性が好きな話の設定に名門とか、富豪の家の息子や娘の設定があります。大昔に読んだ少女コミックでも多かったですし、今でもそういう設定が好まれるのはそれほど変わっていないようです。そこで貴族物を書いてやろうと考えた訳です。

 貴族と言えば爵位、そう公候伯子男の五等爵が出てくるのですが、これが成立したのはフランスとなっています。フランスの場合は、

 大公 → 公爵 → 侯爵 → 伯爵 → 子爵 → 男爵 → ナイト → 平貴族

 こうであったようで、大公は王族の爵位とされています。このフランス流はヨーロッパに広まったようです。爵位は王室の貴族の階級なので国ごとに違っても良いのですが、ヨーロッパの事情が出てきたと考えています。

 フランス革命、いや第一次大戦までは殆どの国が王制でした(帝政も含む)。大臣とかも貴族ですから、外交儀礼がうるさくなったと見るのが妥当です。つまりはそれぞれの国の爵位に応じた儀礼が必要になったぐらいでしょうか。

 この辺は今でもあります。会社にも階級があります。部長とか、課長とか、係長です。これも会社によって呼び名が変わるところもありますが、他社への儀礼として重視されます。簡単には部長相当の者が顔を出せば、部長相当の者が相手をしないと無礼みたいな感覚です。

 もちろん会社の規模や、元請け、下請け関係とか色々ありますが、この階級による釣り合いは儀礼として常に念頭に置いているはずです。ましてや国の外交での儀礼となるとピリピリするぐらいです。

 フランス流はイギリスにも輸入されていますから英仏流として良いと思いますし、ヨーロッパの標準ぐらいに思っていますが、ドイツ流は少し違うところがあります。基本は似ているのですが、リヒテンシュタインが公国なのか、侯国なのかの問題が興味深いものです。

 リヒテンシュタインの爵位はフュルスト。フュルストは神聖ローマ帝国時代の領主、日本流で言えば大名みたいなものでよさそうで、諸侯とも訳されるようです。

 フュルストでも所領の多いもの、大大名はヘルツォーグとなっていますが、ここで問題になるのが侯爵です。その前に伯爵の成立を先に説明しないといけませんが、伯爵はドイツ流でグラーフになり、元は地方の任命制の軍事司令官になります。

 方伯は方面司令官、城伯は城主みたいな感覚で良いと思いますが、これも世襲化し大名つまりフュルストに呼ばれます。ここも世襲大名より世襲化したグラーフは格下にされたようですが、一方で爵位と領地の関連もなくなっていきます。

 領地をもつ大名が貴族だったのですが、宮廷内貴族が出現し、貴族の階級として成立したぐらいでしょうか。そのために貴族階級として、

 ヘルツォーグ → フュルスト → グラーフ

 こんな関係になったぐらいです。このグラーフのうちで辺境伯(マルク・グラーフ)は別格となっています。辺境伯とは国境沿いの最前線に配備されるグラーフで、領土も権限も、軍事力も大きかったからです。

 辺境伯の権威はフュルストに匹敵、さらに凌駕した時期もあったようですが、これもまた宮廷内序列に組み込まれていき、グラーフのさらに上の階級として成立して侯爵、つまりマーキスとなります。

 ヘルツォーグ → フュルスト → マーキス → グラーフ

 マーキスが侯爵ならフュルストが公爵になり、ヘルツォーグが大公ぐらいになりそうですが、大公もドイツ流には存在します。グロース・ヘルツォーグとかグロース・フュルスト、オーストリア流ならエルツェルゾーグです。

 ここら辺はwikipediaを読み込むぐらいでわかってくるのですが、ドイツ流では公爵がヘルツォーグとフュルストの二つに分かれる六等爵になっているぐらいで良さそうです。それは国の事情ですみそうな話ですが、問題はさらにややこしくなり、ヘルツォーグとフュルストに匹敵する訳語が英仏語にはないようです。英仏流を輸入した日本語も同じです。

 英語ではプリンスの称号があり、日本語では王子と訳しそうですが、原義はプリンシパルで第一人者、君主になります。ここも言い換えれば帝国はエンパイア、王国はキングダムですが、帝国や王国内の封建国家はプリンシパルになり君主はピリンスになるのだそうです。

 王国では王に継ぐ第一人者がプリンスになり、英王室でも王太子はプリンス・オブ・ウェールズ、つまりウェールズ公と呼ばれます。リヒテンシュタインは古くは神聖ローマ帝国、近代ではオーストリア帝国の封建領主ですから国はプリンシパルになり君主はプリンスになり、プリンスが治める国ですから公国になるという理屈が成立するのだそうです。

 この辺は興味があればググれば出て来ます。ただですが、リヒテンシュタインにフュルストを叙爵した帝国は第一次大戦後に滅亡しています。ごく単純には完全な独立国ですから、公爵どころか、王でも、皇帝でも自称は自由のはずです。

 それでも外交儀礼でしょうね。ヨーロッパにはイギリスを筆頭に王国は残っています。ヨーロッパ内の貴族の序列は固まっていると見るのが良く、突然王国にしたら笑い者にされて相手にされなくぐらいの感覚でしょうか。あの手の世界は前例と慣習の塊ぐらいは市井の凡人でも想像できます。

純情ラプソディ:あとがき

 書き始めたころは漠然とシンデレラ・ストーリーにしようと考えていました。ですからヒロコにはステレオ・タイプの生い立ちを設定しています。不遇時代の救世主がいて、徐々に花開いていくヒロイン像を書き連ねています。

 カルタは舞台背景ぐらいのつもりです。異様に描写が細かくなったのは、カルタを殆ど知らなかったからです。泥縄式に調べたおかげで、競技かるたはどんなものなのか、やっとわかったぐらいです。

 カルタを背景に使ったのはヒロインの出会いと恋が芽生える場所にするためです。とくに今回は三角関係的な要素を使わなかったので、カルタにかける青春群像みたいな要素を膨らませたかったぐらいです。

 それと今回は脇役陣のキャラをしっかり描きたいのもテーマでした。魅力的な脇役が活躍する作品にハズレなしぐらいです。自分なりに頑張ってみたつもりです。ヒロインの恋が一直線路線だったので、脇役陣の恋であれこれ楽しませてもらっています。

 舞台となった港都大は、これまでの作品にも何度も出ていますが、モデルはわかる人はわかる神戸大です。実は家から近いと言うか、直線距離なら百メートルも離れていないのですが、ここも行ったことがありません。そこは時代設定が今から八十年後ですから適当に誤魔化しています。

 ちなみに新歓コンパで出てきたスペイン・バルも仕事場の近所にあり、忘年会に使った中華料理の店もイタリアン・レストランもモデルがあります。もし万が一でもこの本が売れて映画化でもされたら聖地巡礼の地になるかもしれません。

 それと最初に書きあがった頃は当初構想通りにシンデレラ・ストーリーでのハッピー・エンドにしていましたが、どうにも平板すぎる気がしたのです。そこで早瀬家の謎的なエッセンスを注入して捻ったのですが、少々長くなったのを遺憾とします。